Auctions 中国最後の皇帝が所有していた“インペリアル・パテック フィリップ”が620万ドルで落札される

Photos by Mark Kauzlarich

　皇帝溥儀が所有していたレアパテックの96 コンプリートカレンダー ムーンフェイズ（“カンティエーム ルナ”）をフィリップスがオークションにかけるという話をこの記事でしたとき、私たちはこの時計のストーリーにあまり焦点を当てなかった。しかしこのセールを機に、歴史的な結果をもたらした希少なパテック　96の背後にあるストーリーを最後にもう一度、完璧に見ておきたいと思ったのだ。

　この時計が最初に発見されたのは2001年。シカゴ郊外を拠点とするジャーナリストのラッセル・ワーキング（Russell Working）氏が、83歳のゲオルギー・ペルミャコフ（Georgy Permyakov）というロシア人翻訳家と初めて出会ったところからはじまる。シカゴ・サンタイムズ紙によると、ワーキング氏は最初、別の記事を取材していたときにペルミャコフと出会った。そのときそのがっしりとした体格のロシア人が自分はかつて中国最後の皇帝である溥儀の通訳を務めたことがあると彼に伝えた。

　2歳で皇帝に即位した溥儀は、あらゆる必要ごとに応じて仕える従者たちに囲まれるなど、想像をはるかに超えるほどの恵まれた生活を送っていたが、やがて失脚し、1945年から1950年までソ連の刑務所に送られ、そこで通訳を務めたペルミャコフと出会った（1987年に映画化され最優秀作品賞を受賞した『ラストエンペラー』は、溥儀の自伝をもとに彼の生涯をドラマ化したものである）。ジャーナリストのワーキング氏に（彼との）つながりを証明するため、銘入りの扇子やノート、文字盤に“Patek Philippe & Co.”と書かれた時計など、いくつかの溥儀の遺品を見せた。

　ワーキング氏によるとペルミャコフと溥儀は、溥儀が服役しているあいだに親交を深めたという。投獄されているあいだ、ほかの人々にはない特権を与えられていたにもかかわらず、溥儀は翻訳者との交流を除いて外界とほとんど接触をしなかった。ペルミャコフは溥儀に、暇つぶしに中国での生活について書かせたこともあったようだ。この文章はパテック96とともに販売していたノート（95万2500香港ドル/日本円で約1670万円 で落札）に記載されている。ふたりの関係は親密で、かつて溥儀はペルミャコフに捧げる詩を赤い扇子に刻んだこともある。この扇子もノートと同様、オークションに出品された（60万9600香港ドル/日本円で約1085万円 で落札）。フィリップスはワーキング氏をはじめ、溥儀とその生涯について一次資料を持つ多くの中国人研究者にインタビューを行い、素晴らしいショートフィルムを作成した。

　溥儀は数々の時計を収集していたが、なかでも注目に値するのはやはり、先祖から受け継いだプラチナ製のパテック フィリップ　カラトラバ 96 カンティエーム ルナであり、これはソ連に拘束されていたあいだも保管していたものだ（彼はスーツケースの中に秘密の区切りをつくり、そこに金や宝石、そしておそらくこのパテックを運んだのだろう）。

　時計をひと目見て、あなたの心のなかには間違いなくひとつの疑問が浮かぶはず。その文字盤は一体どうなっているんだ？　と。

　ある日溥儀が退屈していたとき（実際溥儀はつまらない毎日を過ごしていた）、彼のプラチナでできた時計の文字盤も貴金属でできているかどうかを確かめようと、使用人のひとりが提案してきたという。そこで長年勤めている使用人に、工具で削るよう指示した。文字盤が真鍮製であることがわかると彼はそれを止めた。

　溥儀の甥である毓嵒（Yuyan）の回顧録によると、この時計はソ連の刑務所にいるあいだ毎日身につけていたが、後に毓嵒に一時だけ贈ったという。しかし1950年、溥儀を中国に送還すると当局から告げられると、すぐに溥儀は時計を返してくれといい、毓嵒はすぐに時計を返却したという。その後、溥儀はこの時計を友人で翻訳家のペルミャコフに渡し、ペルミャコフは亡くなるまでそれを所有していたが後に相続人に譲った。ワーキング氏によると、2001年に初めて翻訳家に会ったとき、ペルミャコフは金庫ではなく引き出しにそれを保管していたためその価値を理解していなかったようだという。そして2019年に初めて市場に登場し、最終的にフィリップスの手にわたったのだ。

　実際の時計に関していえば、インペリアル・パテックのプラチナケースはシャープでオリジナルのままである。もちろん文字盤もオリジナルで、その下半分は溥儀と側近の好奇心により削られている。とはいえ半分に削られた痕跡はユニークなシンメトリーを保ち、その背景にあるストーリーはこの時計の希少性と来歴を結びつけている。またオリジナルのストラップとパテックのバックルも付いている。アーカイブから抜粋すると、1937年にフランスのリテーラー、ギラーミン（Guillermin）によって販売されたものであることがわかる。フランスの小売業者が販売した時計がどのようにして中国の皇帝の手に渡ったのかは明らかではないが、フィリップスはギラーミンがパリで高級品を扱うだけでなく、ほかの海外ディーラーにも供給していたという事実に基づいた説を唱えている。このディーラーのひとりが、香港の時計・宝石の販売業者のセネト・フレール（Sennet Frères）だったのかもしれない。フィリップスはその証拠として、溥儀がセネト・フレールのコレクションをいくつか所有していたことを指摘し、彼のパテックもそうであった可能性があるとしている。

　インペリアル・パテックがオークションシーズン中、最も期待されていたロットだったことを除けば、結果はどうなったかわからなかった。そう考えると、300万ドルというスタート地点は控えめに感じる。中国語の時計専門誌の記者はSJXに、インペリアル・パテックは“歴史的に重要な時計の最高の例”であり、ポール・ニューマンのポール・ニューマン、ジョン・レノンの2499、バズ・オルドリンの行方不明のオメガ　スピードマスターでさえ“比べ物にならない”と書いている。

　私はそこまではいかないが、時計収集がいかにグローバルなものになっているかを物語っているのは確かで、たとえ溥儀が複雑な運命を背負った偉人だったとしてもこの時計の魅力を欧米の顧客が完全に理解するのは難しいと思うのだ。

　いずれにせよ、この時計は時計に特化した博物館のみならず、美術館級の魅力も備えていた。溥儀の遺品は中国各地の博物館で数多く見ることができる。一方、パテック フィリップ・ミュージアムにはすでにプラチナ製の96 カンティエーム ルナの例がいくつかあるが、このモデルの出自はほかとは一線を画している。

　このフィリップス香港オークションはトーマス・ペラッツィ（Thomas Perazzi）氏が担当し、1800万香港ドルで入札を開始したあと、一気に3000万香港ドルまで上昇した。入札が一時中断したあと、スペシャリストのガートルード・ウォン（Gertrude Wong）氏のもとに入った電話入札で、4000万香港ドルまでこぎつけた。その価格で打ち止めとなり、その結果4885万香港ドル（日本円で約8億6980万円）の値がついたのだ。この時計がどこに行き着いたとしても、2歳で皇帝になりソ連に5年間幽閉されて、そしてそれまでの王族がもたらした影響を認識するに至るまで、その人物の複雑なストーリーを語るのに役立つという貴重な影響をすでに与えている。