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One to Watch アメリカのウォッチメイキングにスポットライトを当てるコーネル・ウォッチ・カンパニーとは?

1870 CEは、アメリカのウォッチメイキングの過去と現在に光を当てることを目指す、新ブランドにふさわしい導入モデルだ。

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Photos by Anthony Traina

アメリカの老舗時計ブランドを復活させるなら、時計職人のローランド・マーフィー(Roland Murphy)氏と提携するのはいいスタートだ。ペンシルバニア州ランカスターを拠点とするこの時計職人は、多くの人にとってのアメリカのウォッチメイキングの象徴的な存在である。そのため、シカゴ出身のジョン・ウォーレン(John Warren)氏が19世紀に故郷で創業した懐中時計メーカーであるコーネル・ウォッチ・カンパニーを再興させたいと決めたとき、マーフィー氏に連絡を取ることにした。

 ポール・コーネル(Paul Cornell)は1870年にコーネル・ウォッチ・カンパニーを設立し、ニューアーク・ウォッチ・カンパニーやボストン・ウォッチ・カンパニーといったほかの偉大なアメリカンウォッチメーカーから直接系譜を受け継いでいた。IWCの共同創設者のひとりは、経営難に陥っていたコーネルを助けるためにシャフハウゼンからはるばるシカゴまでやってくるなど、IWCとの関連性もある。しかし残念ながら、それはうまくいかなかった。シカゴ大火と金融危機が重なって、コーネルは1870年代半ばに急速に閉鎖したのだ。

cornell watch co 1870 CE

 ウォーレン氏がコーネルに夢中になったのは、シカゴの大学で古いアメリカ製の懐中時計を集め始めたときだ。彼は特にコーネルのムーブメントに注目し、その構造や石数、さらにはサインに見られる変化に注目した。彼はコーネルの歴史に魅了され、また地元とのつながりに気づいたとき、その名前を復活させることを決意した。

 ウォーレン氏は当初、マーフィー氏にコーネルの古い懐中時計からインスパイアされたカスタム時計を家族や友人向けにつくってもらうよう依頼した。彼は(マーフィー氏のブランドである)RGMのカスタマイズプログラムを使って、コーネルの懐中時計の美しいエナメル文字盤とムーブメントにインスパイアされた時計をデザインしようと考えていたのだ。しかし、マーフィー氏と協力をするうちに、ウォーレン氏は単なる友人や家族向けのプロジェクト以上のものになり得ると感じ、コーネル・ウォッチ・カンパニー再興へと生まれ変わった。

cornell watch chicago 1870 CE

 このコラボレーションから生まれたのが、オリジナルのコーネル懐中時計へのオマージュを込めたコーネル 1870 CEである。インスピレーションは、黒いローマ数字とブルースティール針を持つ白のグラン フー エナメル文字盤から着想を得た。そのエナメルはシカゴの新雪のようにきれいで豊かである。またウォーレン氏は、アンティークのコーネルの懐中時計も貸してくれたが、それと比べても類似性は明らかであるが、1870 CEには、RGMにおける現代の技術の粋が込められている。

 この時計はマーフィー氏による新しいケースデザインが採用されている。316LSS製で、サイズは39mm径×11.3mm厚(ケース部分だけだと10mm)、ラグからラグまでは48mmである。ケースはていねいに作られており、主にサテン仕上げだが、ラグの面取りとベゼルはポリッシュ仕上げされている。ラグは少し下向きにカーブしていて、ケースの装着感を向上させている。厚く感じるわけではないが、1870 CEがもう少し薄ければ、薄くてエレガントなドレスウォッチとして際立っていただろう。

cornell watch chicago 1870 CE schwartz etienne caliber

 サファイア製のシースルーバックから見えるのは、1870 CEに搭載される、シュワルツ・エティエンヌ製ASE 200ムーブメントのマイクロローターだ。RGMによってさらに手作業で仕上げ、テスト、調整されている。これは約86時間のパワーリザーブ、フィリップスターミナルカーブを持つらせん状のヒゲゼンマイを備え、2万1600振動/時で時を刻む、技術的に堅実なムーブメントだ。

cornell watch chicago 1870 CE schwartz etienne caliber

 私はアメリカ中西部で育ち、10年以上にわたりシカゴを拠点としてきたため、コーネルの物語には共感しやすい。エルジン、イリノイ、ロックフォードといった名前は、文字盤上で見慣れている。週末に行われるフリーマーケットやガレージセールでは、インビクタの時計を超えるほど山積みになっているのを見る。それ以上に、文字盤を飾る何の変哲もないアメリカのメインストリートの町々は、私にとって実生活の場所であり、トウモロコシ畑が広がるフライオーバー地方に点在する抽象的な場所ではない。きっとスイスの人々も、文字盤にジュネーブやル・サンティエと書かれているのを見たとき、同じように感じるのだろう。ぜひ、その価値を当たり前だと思わないようにしよう!

さらに見るべきもの: アメリカ時計大紀行

アメリカの時計製造の歴史については、こちらの全4回にわたるシリーズをご覧あれ。

 しかし、ウォッチメイキングにおいて感傷だけでは限界がある。1870 CEは現代の“市場”によって埋もれ、忘れられてしまった美しいアメリカの懐中時計からインスピレーションを得てていねいにつくられた、きれいに身につけられる時計である。この時代のアメリカンウォッチメイキングにインスピレーションを求めたのはコーネルが初めてではないが、現代的かつ思慮深い方法で、これほど美的な要素を取り入れている時計はほかにはない。多くのほかの試みは、懐中時計のアイデアを無理に小さな時計に押し込むことで、どこかぎこちなく感じられるのだ。

 コーネルにとって、この1870 CEプロジェクトはアメリカのウォッチメイキングに光を当てるための、より大きな取り組みの始まりにすぎないことだ。例えば、販売された各時計のうち500ドルが、ニューヨーク時計協会の奨学金プログラムに寄付され、時計職人の育成に使われる予定である。

cornell watch chicago 1870 CE

 ウォーレン氏と私は、アメリカの時計メーカー、技術者、部品メーカーの名簿を作成して編集し、既存の、そして将来有望なアメリカの時計会社を支援しようという、コーネルの広範な取り組みについて何度か話したことがある。1800年代後半から1900年代初頭にかけて、アメリカは世界のどの国よりも多くの時計を製造しており、その多くのプロセスが現在時計業界を支配する日本やスイスのメーカーの基礎となっている。

cornell watch chicago 1870 CE

 重要なのは、アメリカを時計の大量生産の地に戻し、最大のメーカーと競争させることではなく(それは実用的でも現実的でもない)、アメリカのウォッチメイキングを合理的に支援することだ。ほかの時計職人からも同様の声を聞いたが、国内には時計製造に応用できる製造技術や職人技が豊富にある。しかし、それらを特定し、促進するのは難しい。

 マーフィー氏とのコラボレーションによって始動したコーネル・ウォッチ・カンパニーは、アメリカのウォッチメイキングの過去、現在、そして願わくば輝かしい未来の最高の部分を浮き彫りにする時計をつくり上げたのである。

コーネル 1870 CEの今年の初回生産分10本は抽選で割り当てられ、までコーネルの公式サイトから応募可能です(2024年5月現在は締切)。抽選に参加する際の費用や、購入の義務はありません。1870 CEは限定モデルではありませんが、毎年の生産数は限られます。価格は1万750ドル(日本円で約166万450円)