カルティエにとって、デザインとはただ独創的なフォルムを意味するのではない。それはメゾンの歴史と時代が出会い、生まれたクリエイティビティそのものだ。19世紀末の退嬰的な芸術文化を経て、アールデコは花開いた。腕時計も黎明期を迎え、3代目当主ルイ・カルティエは、「ガーランドスタイル(花手綱様式)」と呼ばれる優美なジュエリーデザインから、とくに時計ではアールデコが象徴する正方形や長方形の幾何学的な構成を取り入れた。その代表作が「タンク」だ。
当時ヨーロッパは、第一世界大戦の終焉から自由で開放的な活気に満ちていた。マシンエイジの鼓動とともに、ライフスタイルはよりアクティブになり、時計はスピード感を増す日常を支えるツールであり、時代を謳歌する装身具として美と結びついた。メカニカルで直線的なモチーフを象徴するアールデコは、すでに次のモダニティを読んでいたルイにとってふさわしいスタイルだったのだろう。だが旺盛な創作意欲はけっしてそれに止まることはなかった。パリ、ロンドン、ニューヨークというモダンシティによってさらに花開くのだ。
長男であるルイが中枢のパリを掌握し、ニューヨークとロンドンの支店を次男ピエール、三男ジャックがそれぞれ担うことで、異なる文化やスタイルを咀嚼し、独自に発展させた。3兄弟による三都物語は、カルティエのデザインの幅を広げ、ラグジュアリーに磨きをかけた。そうした自由な発想から生まれたユニークピースが、長方形に斜体をかけたような1936年誕生の「タンク ロサンジュ」(現在名アシメトリック)であり、1967年には「クラッシュ」が登場する。まるでシュルレアリスムの絵画のようにとろけたフォルムは、交通事故で潰された「ベニュワール」に着想を得たという話が、長きにわたりまことしやかに囁かれるほどであった(近年、カルティエはそれを否定している)。
個性あふれるデザインの実現には、精緻なムーブメントがあったことは言うまでもないだろう。1907年に時計師エドモンド・ジャガーと契約を結び、小型の薄型ムーブメントを共同開発。さらに「ヨーロピアン・ウォッチ・アンド・クロック・カンパニー(EWC)」を設立し、アメリカ市場向けに独自設計のムーブメントを搭載した。その伝統は受け継がれ、時代が流れた2015年には自社設計開発キャリバー 1847 MCを発表。型番にメゾンの創業年を冠した自信作は、2019年には脱進機を非磁性パーツに改良するなどさらなる完成度を追求し、いまや自社ばかりでなく、リシュモングループの各メゾンにエボーシュとして供給されている。
2022年の新作「マス ミステリユーズ」を見れば、誰もがその華麗なマジックに魅せられるに違いない。透明なケース内に2本の針と自動巻きローターが浮かび上がり、しかも回転するローター内にムーブメントを凝縮し、美しいオープンワークでその精緻な動きも楽しめる。そして時計愛好家であれば、ブリッジに唯一彫られたロゴを確認することなく、それがカルティエであることが一目瞭然だろう。メゾンの歴史を象徴するミステリークロックが遺伝子操作によって誕生した新たな進化形をそこに見るからだ。
初代ミステリークロックは1912年に発表された。実在したマジシャンが原理を発案し、発表当時、構造はトップシークレットとしてセールススタッフにも知らされなかったという。ムーブメントが見た目上は存在しないにも関わらず、針が進み続ける。こうした驚きと感動に満ちた審美性はハイジュエラーとして培われたものであり、そこには“すべての技術は美しさのために”という美学が宿る。現在その夢をかなえる最前線がカルティエ マニュファクチュールである。
カルティエは、ジュネーブ北西部メイランにあるリシュモングループのファクトリーや北東部フリブールの生産拠点に加え、歴史あるスイス時計産業の集積地ラ・ショー・ド・フォンに製造プロセスを集約し、2001年にカルティエ マニュファクチュールを設立した。2009年にはその名の通り、ムーブメントからすべてを自社一貫製造する体制を構築するとともに、高級複雑機械式コレクション「オート オルロジュリー」をスタート。1904 MCや1847 MCといった自社製の基幹ムーブメントもここから生まれた。特筆すべきは、針の青焼きやミネラルガラス風防を製作するアトリエも構え、歴代アーカイブのレストレーションにも対応することだ。さらに2015年には、この最新鋭のファクトリーに隣接してメゾン デ メティエダールを創設し、伝統工芸時計における芸術的な職人技を集結した。18世紀後半のベルン様式の建物では“守り、分かち合い、革新する”という精神の下、美術工芸技法の継承と研鑽、さらに次世代につなぐための研究と実践が行なわれている。宝石の加工やセッティングから、ゴールドのグラニュレーション(粒金)やフィリグラン(線上細工)、シャンルヴェやクロワゾネといったエナメル技法、さらにマルケトリやモザイクなどあらゆる装飾技法がここで育まれ、そのすべては熟練職人の手によって生まれる美なのである。
カルティエは知識と技術の対話であり、デザイナーや時計師、セッティングや装飾、研磨の職人とのあいだで繰り広げられる切磋琢磨やケミストリーを“サヴォアフェール”と位置づける。唯一無二のクリエイティビティとクラフツマンシップがひとつになる瞬間であり、そこに限界はない。カルティエ マニュファクチュールとメゾン デ メティエダールこそがその実証の場であり、前述の「マス ミステリユーズ」を始め、「ロトンド ドゥ カルティエ」アストロ ミステリアスの複雑機構や、近年広がりを見せる「サントス ドゥ カルティエ」スケルトンのような独創的デザインを持つスケルトンウォッチなどに結実している。「ロトンド ドゥ カルティエ」アストロ ミステリアスは、時分針とムーブメントが宙に浮かび、ムーブメントは分針を兼ね、1時間で1回転するミステリアス トゥールビヨンだ。一方、「サントス ドゥカルティエ」では、美しいスケルトン加工でムーブメントの動きを可視化するだけでなく、放射状に広がるローマ数字のインデックスを時計で初めてオープンワークとして表現し、大胆なデザインと実用機能を両立する。あまねくタイムピースに、カルティエのサヴォアフェールは息づくので ある。
カルティエというメゾンは、今でこそ広くなじみある存在だが、「サントス」や「タンク」が生まれて長らくは限られた顧客のためにジュエリーや時計の製作を手掛けていた、文字通りのメゾンである。その経営権が創業者一族の手を離れる1960年代まで、カルティエ パリでは年間でほとんど100本未満(数本という年もある)の「タンク」しか製造しなかったことから、基本的にオーダーメイドによる生産が基本だったと考えられる。
上の写真は、時代のアイコンであったジャクリーン・ケネディ・オナシスが愛用したタンクで、後年、再婚することになるアリストテレス・オナシスの兄である、スタニスラフ・ラジウィル王子から1963年に贈られたものだ。ケースバックには"Stas to Jackie / 23 Feb. 63 / 2:05 AM to 9:35 PM."と記されており、カルティエが現在でも行っている刻印を目にすることができる(時計への直筆刻印は現在行っていない)。一方でこのタイプのケースは3個しか作られなかった説もあるようだが、いずれにしてもこの刻印とその持ち主によってその価値は無二のものとなり、2017年にはクリスティーズ ニューヨークオークションにて、当時37万9500ドルで落札されている。余談だが、その刻印は当時の大統領であったジョン・F・ケネディがアメリカ国民に対し、外出と運動を奨励するために始めた「50マイルウォ−ク」プログラムを記念したものだった。
ヴィンテージ・カルティエの価値はここ数年で高まりを見せており、その数の少なさも相まって過熱気味とも言える。その個体のなかには、普通には流通していないようなモデルも多くあることに気づく。資料にも残っていないような色の文字盤やインデックスのフォント、ケース素材などの組み合わせである。前述したように、60年代以前のカルティエ ウォッチはオーダーメイドがベースであり、その名残からかこのメゾンは現在に至るまで、顧客のためのパーソナライズサービスに余念がない。顧客とその要望に応えたメゾンとの関係が、わずかな本数の時計を生み、それが後年も価値を見いだされるわけだ。
もちろんこんなハイエンドの例ばかりでなく、カルティエは今でも裏蓋への刻印サービスは行っているし、2017年からは毎年特定のコレクションのみ、フリーでのメンテナンスサービスを提供。今後はよりパーソナルなオファー制のサービスに切り替わるとのことだが、熱意ある顧客がオファーを受け取るような意義深い仕組みになれば、その時計も価値を増すだろう。近年は、時計ブランド側の保証延長化が顕著で、カルティエも8年保証を謳う。けれど、その8年という時間を刻むあいだ、持ち主だけでなくブティックスタッフや時計師など、関わる人すべてが時計の価値を保とうとする関係性こそ、固有にパーソナライズされたものだと思う。この取り組みは、ジャクリーンの時代のように、顧客との距離感をメゾン側が縮めようとしている証とも取れる。時計そのものが珍しい個体である場合のみならず、その扱い方次第で僕らにとって価値ある時計が生まれ得るのかもしれない。
WOMEN ON THE FRONTIER
HODINKEE JapanとHARPER'S BAZAARが初のコラボレーションを行い、日本の女性をエンパワーメントする企画が始動。Women on the Frontierが身につけるにふさわしい時計はどのようなものか? 今回は「タンク」とともに6人の女性たちをフィーチャーした。
『ハーパーズ バザー』2023年1・2月合併号では、さまざまな分野のフロントを走り続ける女性たちの今にフォーカスし、その魅力を伝える企画「Women on the Frontier」を掲載。カルティエのウォッチ「タンク」をまとった6人が考える“時”の概念とは? 彼女たちの奥深くにあるフィロソフィをポートレイトとともにお届けする。出演は、戸田恵梨香(俳優)、朝吹真理子(作家)、服部今日子(「フィリップス・オークショニアズ 」日本代表)、川内理香子(アーティスト)、関 美和(翻訳家/投資家)、中西麻耶(パラアスリート)。
「時間や年齢を重ねることはとても貴重。個々人が持つ1分1秒は質が異なるし、その質はどう生きてきたかという内面的な問題。年齢という数字ではなく、人相や所作に現れるものだと思います。昔から、時計は大人の持ち物という感覚がどこかにありました。それで手に入れようと決めて探していたところ、誕生日に夫が「タンク」をプレゼントしてくれたんです 。うれしさが込み上げると同 時に、この人はすごいなと驚 い て 。パートナーから時計をもらうのは婚約指輪と同じくらい尊い体験。というのも一緒に時間を重ね、ともに生きていくという意味だと捉えているから」(戸田恵梨香インタビューより抜粋)。
また、HODINKEEがウィメンズのカルティエ ウォッチの魅力を詳細に解説したコンテンツ「Timeless Legacy」も収録。「タンク」「パンテール」「バロン ブルー」「ベニュワール」の4モデルの歴史やデザインをたっぷりと知ることができる。インスピレーショナルな6名の女性たちのインタビューと併せてharpersbazaar.jpにて公開中。
Photographs:Tetsuya Niikura(SIGNO) Styled:Eiji Ishikawa(TRS) Words:Mitsuru Shibata,Yu Sekiguchi 「WOMEN ON THE FRONTIER」 Photographs by Teruo Horikoshi(TRON),Tetsuya Niikura(SIGNO) Styled by Yoko Kageyama (EIGHT PEACE) Hair by Kenichi (SENSE OF HUMOUR) Makeup by Haruka Tazaki Nail by Naoko Takano (NADINE) Interview & Words by Akane Watanuki Realization by Atsuko Kobayashi
戸田恵梨香さん着用分
ウォッチ タンク フランセーズ(YG)298万3200円、ネックレス パンテール ドゥ カルティエ(YG×ブラックラッカー×オニキス×ツァボライトガーネット)1372万8000円(参考価格)、リング パンテール ドゥ カルティエ (YG×ブラックラッカー×オニキス×ツァボライトガーネット)228万3600円すべて カルティエ、ドレス 44万5500円 クロエ (すべて税込)