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日本人初の独立時計師、浅岡 肇が描く日本の時計づくりの未来

世界で活躍する浅岡 肇氏のもとに今、自由な時計づくりを夢見る人材が集い始めている。彼が設立した会社・東京時計精密のサポートを受け、世界へ挑戦する片山次朗氏。そして東京時計精密では、多くの若手時計師たちが彼らの指導を受けながら日々実力を磨く。そもそもすでに独立時計師としての名声を得る浅岡氏は、なぜ東京時計精密を設立したのか? 浅岡氏、そして片山氏のインタビューを通じてその核心に迫る。

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発売が予告されると、時計ファンのSNSがざわつき始める──10年前には、だれも予想だにしなかっただろう。日本の小さな時計ブランドが、世界中のコレクターたちから熱い視線を注がれる日が来ることを。ほかでもないKURONO BUNKYŌ TOKYO(クロノ ブンキョウ トウキョウ)と大塚ローテックの話である。

 日本人初の独立時計師であり、AHCI(独立時計師アカデミー)会員である浅岡氏は、自身の作品のムーブメントを含む、ほぼすべてのパーツを自作する希有な独立時計師である。その優れた技術は国からも認められ、2022年には厚生労働大臣から卓越した技能者として表彰されて現代の名工となった。また、若き時計師を支援するプロジェクト「ルイ・ヴィトン ウォッチ プライズ」の審査員に選ばれるなど、その活躍の舞台は世界に広がっている。

HAJIME ASAOKA銘による作品。プロジェクトT(右)とクロノグラフ(左)。

 クロノ ブンキョウ トウキョウは、浅岡氏がデザインを手がけるグローバルブランドだ。自身の作品とは異なり、ケースは信頼が置ける専用メーカーに委ね、ムーブメントはシチズンのグループ会社で製造されるミヨタを採用している。まず2018年にCHRONO TOKYO(クロノ トウキョウ)の名で日本国内で展開され、2019年には海外向けとしてKURONO BUNKYŌ TOKYO(クロノ ブンキョウ トウキョウ)を立ち上げた。2018年のスタート時から浅岡氏の知名度もあって反響は大きく、2020年に発表したクロノグラフ1、そしてアニバーサリーグリーン 森:MORIの2本の腕時計がジュネーブ・ウオッチメイキング・グランプリ(GPHG)にノミネートされたことで認知度は一気に高まった。

 そして2024年、浅岡氏は1957~1962年のわずか4年11カ月しか存在しなかった幻の国産時計ブランド、タカノの名を復活させた。5月に公開されたファーストモデル、シャトーヌーベル・クロノメーターは、その名のとおり21世紀の国産時計初となるクロノメーター取得機だ。しかもCOSCよりもはるかに合格が難しいフランス・ブザンソン天文台の認証を得るという日本初の快挙を成し遂げ、世界的な高級時計としての華々しい船出を飾った。

大塚ローテック。右が6号、左が7.5号。

 一方の大塚ローテックを手がける片山次朗氏は、関東自動車工業のデザイナーを経てプロダクトデザイナーとして独立し、独学で時計製作を始めたという浅岡氏と似た経歴を持つ。現在ラインナップするのは、ダブルレトログラードアワー&ミニッツの6号と、ジャンピングアワーに加えてディスク式分・秒表示を持つ7.5号だ。いずれもベースムーブメントはミヨタ製。各モジュールは片山氏の自作で、ユニークなメカニズムと昭和初期の計器や古いムービーカメラのターレットのような個性的デザインが時計ファンの心を鷲掴みにする。オンラインによる抽選販売方式を採るが、販売予定数をはるかに上回る応募が寄せられてきた。さらに7.5号、6号はスイスのラ・ショー・ド・フォンにある国際時計博物館(MIH)の収蔵品に選ばれ、2024年には7.5号がiFデザイン賞を受賞するなど、業界内外で評価されている。

 これらクロノ ブンキョウ トウキョウと新生タカノ、そして大塚ローテックの製作を担うのが、2016年に浅岡氏が設立した東京時計精密株式会社である。


東京時計精密が目指す、日本の製造業の世界的な成功例

プロダクトデザイナーとして、また写真と見紛うような精巧なコンピューターグラフィックの作り手として順調に活躍していた浅岡 肇氏が時計製作に向き合うようになったのは、自身のデザインを忠実に具現化することを実現するためだったと言う。ゆえに、ほぼすべてのパーツの製作を自ら行ってきた。

 そして東京時計精密を設立し、デザイナーに立ち返ってマスプロダクトのクロノ トウキョウとクロノ ブンキョウ トウキョウを立ち上げた理由を、多くのメディアで「自身の名を冠した作品であるのに注文が殺到して、自分がつける時計が作れなかったから」だと語っていた。この言葉に嘘はない。しかしそれがすべての理由でもない。浅岡氏は、かねてより日本の製造業の未来を憂いていたと言う。技術力は世界トップクラス。にもかかわらず、その実力は価格競争に注がれてきたからだ。

 「優れた技術力を、時計という高額商品に転換してきたスイスのモノづくりを日本でも実践すべき」──そんな想いは2014年にまず、自身の作品であるプロジェクトTとして結実した。軸受けに用いる人工ルビーの多くをミネベアミツミが製作する世界最小のボールベアリングに置き換え、その技術を海外に紹介しようと試みたのだ。また、航空宇宙部品を手がける由紀精密、切削工具メーカーのOSGと協業して、超精密加工技術の高さも世界に向けて発信した。

2024年8月からの発売を控える新生タカノのシャトーヌーベル・クロノメーター。

 「時計に限らず、日本製を求める海外からのニーズはまだまだ多く、今後この国の製造業が発展していくためにもできることはたくさんあると感じていました。しかし個人ではどうしても限界がある。日本の製造業の世界的な成功例を実証するため、2016年に東京時計精密を設立すると決めたのです」

 また浅岡氏は、「ブランディングが確立できてこなかったことが、日本の製造業の弱点でもある」とも語った。

 「ブランドが確立できていれば、高い値段でもモノは売れます。そうなれば技術力が価格競争で消費されることはありません。そしてブランディングに必要なことは、いかにして消費者の共感を引き出すかだと考えています」

 そのためにクロノ トウキョウとクロノ ブンキョウ トウキョウは、コストパフォーマンスという概念を切り捨て、デザイン性とストーリーの創出に注力。そしてスタートアップに際し、浅岡氏はSNSを積極的に活用し、モノづくりの過程を公開した。振り返れば、自身の名を冠した作品でも全工程をSNSで公開することで時計ファンの共感を得てきた。クロノ トウキョウでも同様の手ごたえを感じた浅岡氏は、2018年に渋谷区のマンションの一室にあった工房を文京区に移転して拡張。新たに時計技術者も雇い入れ、クロノ トウキョウを本格的に始動させた。さらにその翌年には、海外向けブランドとしてクロノ ブンキョウ トウキョウをスタート。その成功は前述したとおりである。

 「クロノ ブンキョウ トウキョウの成功によって、日本の製造業の在り方に少なくとも一石は投じられたと思っています」

 タカノを復活させたのは、さらなる成功例を積み上げるためだ。そのアイデアを練っていたさ中、東京時計精密の社員が大塚ローテックの7.5号を購入したことをきっかけに、片山次朗氏が同社を訪ねてきた。そして初対面である片山氏に対し、浅岡氏は「大塚ローテックの製作を東京時計精密で一緒にやりませんか?」と、声をかけた。自身の経験からバックオーダーの製作をこなすことに追われ、新ムーブメントの開発に取り組む時間が取れない苦悩を敏感に感じ取ったからだ。片山氏は提案を受け入れ、2022年から大塚ローテックの製造は東京時計精密に委ねられた。そして時間に余裕ができた片山氏は6号と7.5号を改良し、新たなメカニズムの開発にも取り組んでいる。

 大塚ローテックとの提携は、東京時計精密にもプラスに働く。それまでになかったレトログラードやジャンピングアワーの組み立てを通じて、時計技術者たちの技術が向上するからだ。さらにこれまで浅岡氏ひとりで行っていた技術指導に片山氏が加わったことで、より多面的な教育ができるようにもなった。

 文京区に移り、本格的に始動してから6年。東京時計精密は時計技術者に加え、営業・広報・マーケティングなど国内外で活躍していた国際経験豊かなスタッフ陣も含めた強力な組織作りが完成しようとしている。日本の製造業の世界的な成功例を実証する態勢が、さらに強化された。


チームだからできる、モノづくりのおもしろさと可能性がある

片山次朗氏は、2008年にネットオークションでたまたま卓上旋盤を手に入れたことをきっかけに「プロダクトデザインとは違い、ひとりですべてを作り上げることができるかもしれない」と、時計製作に取り組み始め、のめり込んでいった。製造技術を教えてくれたのはYouTubeとGoogleだった。必要な工作機械を順次取り揃えながら、ひとりで黙々と製作に向き合ってきたのである。そして2012年にディスク式レギュレーターの5号が完成したことを機に大塚ローテックを設立し、同機の販売を開始。ほどなくしてメディアに取り上げられたことで注文が殺到し、大塚ローテックは順調な船出を飾った。

 以降、片山氏はモジュールと外装の設計・製造、組み立て、さらに販売まですべてひとりで行ってきた。

 「忙しかったですけど、悲壮感はなかったですよ。食べていけなくもなかったですし。でも、ずっとこのままなのかな、その先の道もあるのでは……と考えていた時に、浅岡さんから声をかけてもらったんです」

 誘われた翌日には提携を決めたというから、片山氏にも思うところがあったのだろう。なにしろ6号のベゼルに用いる8本のネジの山をただひたすら旋盤で切る日々が、たびたび続いていたというのだから。そして東京時計精密と提携したことで、片山氏の“その先の道”が開けた。

 「浅岡さんからは、しっくりこなかったら、いつでも離れていいと言われていたのですが、創作という好きな時間が増えたことが何よりもありがたかった。辛い作業を手分けできたことで6号と7.5号の素材や作り方、メカニズムを再考し、改良することが出来ました」

 クロノ ブンキョウ トウキョウ用として大量に発注していたメーカーに頼み、それまでミネラルガラス製だった各風防と7.5号の魚眼レンズをサファイアクリスタル製にすることができた。ケースのSS素材もSUS 316Lにアップデート。6号と7.5号の各モジュールも動作安定性と耐久性の向上を図り、設計・使用素材・加工方法を見直した。これらの進化が前述したスイスの博物館所蔵へとつながった。

 さらに製造本数が増えたことは提携の恩恵である。大量のバックオーダーの製作に追われる日々から解放された片山氏は新たな機構の開発に取り組み、2025年早々には発売も予定している。

 「創作は今までどおり自分の工房で行い、週に数度、東京時計精密を訪れ、打ち合わせや組み立てチェックなどをしています。手順を教えることもありますが、指導という自覚はなく、一緒にモノづくりをしている感覚ですね。ひとりで完結していたころとは、また違ったおもしろさがあります。若い時計技術者と切磋琢磨できるのは、大手時計メーカーにはない東京時計精密のような小さな工房ならではの魅力ですね」

 創作の時間が増えた片山氏は、イチからムーブメントを設計する個人銘の作品も視野に入れ始めたと言う。


世界を見据えた新たな独立時計師の育成を目指す

東京時計精密には現在、5名の時計技術者が社員として働き、ヒコ・みずのジュエリーカレッジの学生ら5名がアルバイトとして在籍している。その多くが独立時計師である浅岡氏に憧れ、東京時計精密の門戸を叩いた。憧れの時計師、そして世界的に名が知られた片山氏から直接、組み立てに関する指導を受けられるのは、若い技術者にとってこの上ない幸せな環境だと言えるだろう。そして彼らは日々クロノ ブンキョウ トウキョウとタカノ、大塚ローテックの時計の組み立て、検査を行うなかで、時間を見つけてはオリジナルムーブメントの開発にも勤しんでいる。浅岡氏と片山氏は彼らの創作意欲を尊重し、定期的な勉強会を開催。技術者たちは大型モニターに自身のCAD図面を映し出し、設計の意図などをプレゼンし、それに対して浅岡氏と片山氏からアドバイスを受ける。

 また浅岡氏もタカノのケースのCADデータをもとに、2次曲面のレンダリング方法を解説。片山氏は、6号のモジュールのCADデータを用いながらスネイルカムを改良した意味を説明する。技術者たちの身近にあるケースやモジュールが教材となることで習熟度はより早く、その精度も高まるだろう。また新卒の学生は入社後すぐに、春先に開催されているスイスの新作発表会に赴く浅岡氏に同行する機会が与えられていると言う。

 そうした知見を得た技術者が実際に作業する工房は、白一色の内装で作業しやすい明るい環境が整えられている。すべての作業台に防塵装置を完備していることは特筆すべき点かもしれない。浅岡氏曰く「スイスの名門と呼ばれるブランドの時計でも、ルーペで拡大するとダイヤルにホコリが落ちていることがたびたびある」。だからこそ防塵装置は不可欠であり、技術者たちには全員、スイスの時計ブランドでよく見られる名ばかりの白衣ではなく、精密機器製造に特化した超制電・防塵の作業着を支給している。浅岡氏のモノづくりに対する厳格な姿勢は、若い技術者にとって将来の財産になるだろう。そしてタカノに続く、若い技術者が設計した東京時計精密の新ブランドの誕生にも期待したい。


個性が異なる時計に日本の工業技術の未来を託す

浅岡氏は、文京区に工房を移転するに伴い、最新のマシニングセンタ(CNCマシン)を2台導入した。

 「それらをただオペレーションするだけなら工場勤務の経験がある人材を雇えばいい。しかし時計のパーツ製作はかなり特殊で、たとえばタカノの時・分針の細くシャープな先端を1発で削り出せるようになるには特別な技能が必要になる。スイスではそれが出来る技術者の層が厚いですが、日本では自社で育成するしかない」

 これも日本のものづくりが価格競争に技術力を消費させてきた弊害である。針の形状を変えれば問題は解消するかもしれないが、浅岡氏には日本の工業技術の価値を高めるという想いがあるため譲れない。現在、東京時計精密では2名の技術者が、CNCマシンのオペレーション指導を受けている。浅岡氏が要求するのは1000分の2mm以下の加工精度。その技術を習得するまでには、かなりの努力を必要とする。

 「こうして出来上がった針を仕上げるのにも特殊技能がいる。だから担当者が緊張しないように、失敗してもいいからと3セット分を渡して作業してもらっています」

 東京時計精密という名のとおり、精密加工技術の向上を浅岡氏は常に目指している。だからあえてクロノ ブンキョウ トウキョウもタカノも、デザインをコンサバティブな方向に振った。

 「コンサバな時計は競争相手が多く、そのなかで突出することがとても難しい。でも簡単なことで成功するよりも難しいことで成功するほうがインパクトがある。コンサバティブなデザインは、どこまでバランスを突き詰められるかがカギになります。そして日本の優れた精密加工技術で完璧なディテールを形作ることで、そのバランスが保たれると考えているのです」 

 対して大塚ローテックの時計は、片山氏が好む工業製品然とした金属の塊の外観が強烈な個性を放っている。しかしケースに浮かぶ繊細な切削痕や繊細なブラスト、機械彫りした漢字や英字などには高い加工技術をうかがわせる。

 浅岡氏も片山氏も自分のモノづくりを信じ、真摯に突き詰めてきた。前述したように、片山氏が時計製作を始めたのは、ひとりで全部作れるかもしれないという考えからだった。そして浅岡氏も含め、実際にデザイン・設計・製造・組み立てをひとりで行い、世界から認められる時計を生み出すに至った。彼らは今、自身が培ってきた知見や技術を若い技術者へと受け継ぐことを望み、その体制を整えた。

 ゆえに東京時計精密では「我こそは国産時計の未来を担うべく参画したい」という製造業出身者、学生、時計師からのコンタクトを常に待っていると言う。その先に、夢に描く日本の時計づくりの明るい未来があることを信じて。

 

Photos:Keita Takahashi & Hajime Asaoka Words:Norio Takagi