一体、どれだけの人が予測できただろうか? リシャール・ミルが、極薄時計の分野にチャレンジすることを。フェラーリとのコラボモデル第一弾となるRM UP-01 フェラーリの、ほぼ完成品に近いプロトタイプを初めて目にしたときの衝撃は、いまでも忘れられない。そのなかに機械が入っているとは決して思えないほど薄かったからだ。この時計のケース厚は、わずか1.75mmしかない。
フェラーリとのコラボで行われたのが常識外れの極薄というアプローチであったことは、前述したように予想外の事実。しかし、この選択は正しかったようだ。世界最薄のウルトラフラットは、フェラーリとリシャール・ミル、両方のオーナーから大いに歓迎され、限定150本が世界中で取り合いになったのだから。
リシャール・ミル以前にも、フェラーリは3つの時計ブランドと提携してきた。そこから生まれたコラボモデルの大半は、既存のモデルを用いた色違いや素材違いだった。イメージカラーである赤を多用し、スーパーカーのディテールをモチーフとすることで、フェラーリの世界観を表現するに留まっていた。まったくの新開発である場合も、12気筒エンジンを模した機構を搭載し、フェラーリ的な要素を強く主張させたものだった。
しかし、RM UP-01 フェラーリは外観も機構もフェラーリに倣ってはいない。せいぜい針を赤くし、跳ね馬をその表面に配した程度だ。リシャール・ミルは、フェラーリとの提携の理由について「両ブランドに共通する、完璧さの探求という目標に駆り立てられ、力を合わせることとなりました」とアナウンスしている。世界最薄のウルトラフラットは、ひと目で認識できるエレガントさを備えたスポーツ仕様の“完璧さの追求”への帰結。技術が美学をも表すことを証明し、フェラーリとリシャール・ミルによる大胆な革新性を体現した。
メゾンとして初のウルトラフラットは、2007年に登場したRM 016 オートマティック エクストラフラットであった。これは6.35mm厚の自動巻きCal.RMAS7を用いながら、卓越したケースワークで8.25mm厚の薄さを実現。その多くに複雑な三次元曲面を持つリシャール・ミルのケース製造には、超精密加工が要求される。その技術が、薄型ケースに応用されたのだ。2013年には、ケースメーカーであるプロアート社を買収。新ファクトリーも建造し、高性能な工作機械と検査機を整備した。筆者が以前ここを訪ねた際、加工時の公差(許容誤差)は0.001mm以内だと聞かされた。これは他社を圧倒する精密さである。この技術を極限まで突き詰め、究極の薄さという新たな美的基準を創造することで、リシャール・ミルはフェラーリの価値を表現しようと試みたのだ。
ケース厚が2mmを切る機械式時計は、過去に2例存在する。そのいずれもが、ケースバックの内側を地板とし、その上にムーブメントを構築することで超極薄を実現していた。対してRM UP-01 フェラーリは、独立したムーブメントをケースに収めるという従来のスタイルを採った。それはフェラーリが美しいボディに高性能なエンジンを積んでいるからであり、また、ムーブメントが単独で取り出せたほうがメンテナンス面ではるかに優れるからだ。さらに言えば、搭載するCal.RMUP-01を開発したオーデマ ピゲ・ル ロックル(旧オーデマ ピゲ・ルノー エ パピ)を率いるジュリオ・パピ氏の意向も強く反映したのであろう。パピ氏の創作は、極めて革新的であると同時にコンサバティブでもある。新たな構造や形状により、さまざまな複雑機構を進化させる彼は、そのパーツ製造を将来的に再現性が担保できる切削だけに頼っている。そんな彼は、ムーブメントが取り出せない構造を望まないだろう。
オーデマ ピゲ・ル ロックルは、わずか1.18mm厚のCal.RMUP-01を作り上げ、それを収めるケースをリシャール・ミルが製作した。両社が綿密に連携を取りながら開発を進めることで、今回の世界最薄がかなえられたのだ。
究極に薄いRM UP-01 フェラーリのサイズ自体は、縦39mm×横51mmと比較的大きい。ムーブメントの設計は、この面積を最大限に生かしている。通常のムーブメントの輪列は、各歯車に小さなカナを組み合わせ、上下に重ねて係合させることで省スペース化を図っている。このカナをCal.RMUP-01では極限まで排除した。そして隣り合う歯車を重ねることなく直接係合させることで、薄型化を図ったのだ。
香箱から輪列は2手に分かれ、一方はテンプへと至る。それによって調速された香箱の回転で、2枚重ねた時・分の各駆動車を動かす仕組みだ。時・分の各駆動車にプリントされた赤い指標が時分針を兼ね、その軸は上部に突き出した極薄のサファイアクリスタルの中心を支えている。また、脱進機はスイスレバー式とは異なる新たなアンクルを開発。形はほぼ一直線状で、片端とほぼ中央部に爪石が備わり、別の終端は円形に切り欠けを設けたクワガタ状になっている。この形状によってアンクルの動作範囲は規制され、衝撃も吸収できるようになった。結果、スイスレバー式のテンプの振り座には不可欠だったアンクルの可動域を規制するガードピン(ドテピン)と緩衝用のセーフティローラー(小ツバ)を不要とし、厚みは大幅に削減された。
世界最薄ムーブメントにとって、リューズの構造も大きな難題であった。巻芯を通せるだけの厚さがないからだ。そこでリューズを平面に配置し、直接巻き上げ輪列と針合わせ輪列を動かす構造が考案された。各輪列への切り替えは、リシャール・ミルが長く採用してきたファンクションセレクターを応用している。リューズ機構は表面左サイドに集約された。専用のコレクターを用い、上側で巻き上げと針合わせとを切り替え、下側で操作する設計だ。
2ピース構造のケースは、下側ピースの外縁に段差を設けてそこに表面ピースをはめ込み、12個のビスでつなぎ合わせることで極薄でも十分な剛性を得ている。また、表面の開口部が小さいことも頑強さにつながっている。ケースはグレード5チタン製。ムーブメントの地板とブリッジもグレード5チタンであり、同じ素材同士が強固に結び付くことで、究極に薄くても5000Gの加速度に耐える、優れた耐衝撃性能がかなえられた。
なお、ストラップは裏面のくぼみにビス留めする構造とすることでフラット化に貢献。さまざまな創意工夫によって、驚異のウルトラフラットは生まれたのだ。
1.18mm厚のCal.RMUP-01を構成するパーツは、当然のことだが極めて薄い。ゆえに各歯車は、完璧に同一面にあり、的確なアガキ(パーツ間の隙間)を保って係合していなければ決して動いてくれない。そのためには各歯車の軸の長さ、それらを支える地板とブリッジのホゾ穴の深さの加工時の公差は、限りなくゼロに近づけることが要求される。その組み立ては極めて繊細さが求められる作業であり、困難であることは容易に想像できるであろう。究極のウルトラフラットは、それ自体がコンプリケーションなのだ。リシャール・ミルは、初作RM 001 トゥールビヨンからチタン製のケースと地板の経験を積んできた。同モデルが高い衝撃性能を誇っていたのは、ケースとムーブメントとを同時にデザインしていたことに加えて、ムーブメント自体の組み立て技術によるところが大きい。パーツを同一の水平面に保ち、最適なアガキを設けることで、パーツ同士が支え合い頑強となるのだ。
すなわちRM UP-01 フェラーリで達成した1.75mm厚は、リシャール・ミルが培っていた技術の集大成といえる。リシャール・ミルにしか、こんな時計は作り出せないのだ。
Photos:Yoshinori Eto(Background) Styled:Eiji Ishikawa(TRS) Words:Norio Takagi