ブルガリのオクト フィニッシモは、究極の薄さを追求し、これまで7つもの世界最薄記録を達成してきた。だがそれはただ記録を追うのではなく、削ぎ落とされた世界における豊潤な可能性の探求でもあったのだ。そして機能に加え、時代を代表するアーティストとのコラボレーションにより、さらなるクリエーションへと向かう。「オクト フィニッシモ 安藤忠雄 限定モデル」はこうして誕生した。オールブラックのセラミックケースに、深い夜空を思わせる濃紺の文字盤には螺旋模様が施され、黄金の眉月が浮かぶ。まるで研ぎ澄まされたひと筆のようでもあり、静謐なデザインに優美さと力強い存在感を漂わせる。それは、腕に着けていることさえ忘れてしまいそうなアクティブな薄さに圧倒的な精緻を秘める、オクト フィニッシモとも呼応するのだ。
安藤忠雄氏。©Kazumi Kurigami
「三日月は、新月から満月へと向かう最初の段階において、はかなく移りゆく時を象徴する。まさに月は循環する時の象徴であり、永遠の時や暦として認知され、なくてならぬ重要なものだった」と安藤氏は言う。テーマである時と向き合った瞬間、この三日月の概念に至ったのも当然の帰結だったのだろう。安藤氏とブルガリのコラボレーションは、2019年の発表に続き、今回が第2弾になる。前作(下写真)では、安藤氏が手がけるコンクリートの建築を彷彿とさせるチタンケースに、螺旋状の渦をブラックホールに見立て、そこから生まれる時を表現した。周辺から秒針の中心へと吸い込まれるような感覚と同時に、水紋のように広がる無限の時の経過を思わせるのだ。これは日本限定だったにも関わらず、世界中から大きな反響が寄せられ、今回グローバルモデルへと拡大したのである。
ブルガリ ウォッチ デザイン センター シニア・ディレクター ファブリツィオ・ボナマッサ・スティリアーニ氏。
プロジェクトを実現させたのが、ブルガリ ウォッチ デザイン センターでシニア・ディレクターを務めるファブリツィオ・ボナマッサ・スティリアーニ氏だ。イタリア・ナポリに生まれ、自動車業界にも在籍したキャリアは、クルマと時計というジャンルを横断し、デザインの視座はイタリアの歴史と文化を象徴する建築にも注がれる。だからこそ安藤氏とのコラボレーションを「自身のデザインキャリアとして最高の時計となりました」と喜びを隠さない。制作のプロセスではかつてない刺激を受けたのだと推察される。「じつは第一作でこれ以上の時計はないと思っていたんです。国内外のコレクターから大きな反響もいただきました。ところが安藤さんは満足しなかった」。誕生した新作はまさに時と同様、無限に広がる二人のクリエイティビティを証明するのだ。「前作は安藤さんの作品と近い世界観にするために、チタンを採用しました。今作でブラックセラミックに変更したのは夜を表現するためで、限られた素材感によって日本の美観に沿ったデザインとしています」
ブルガリ・グループ ウォッチ部門マネージング・ディレクター アントワーヌ・パン氏。
もうひとりのキーマンが、ブルガリ・グループ ウォッチ部門マネージング・ディレクターのアントワーヌ・パン氏。タグ・ホイヤーやブシュロン、ゼニスで要職を歴任し、タグ・ホイヤー ジャパンの代表を務めたことでも知られる。知日家であり、安藤氏とも面識があったことがプロジェクトの架け橋となったのは想像に難くない。その信頼とリスペクトはこんなエピソードからも伺える。「安藤さんは当初、三日月部分にブルガリのロゴを配しましょうと提案しましたが、ファブリツィオはNoと言いました。それは安藤さんのデザインであることを尊重したからです」。こうしたアーティストとの堅い絆が、ブルガリをさらに前進させることを彼は確信している。「この時計の青文字盤は作り上げるのに相当な苦労がありました。しかし、安藤さんの考える時間という概念を表現することができたと思います」
腕時計の誕生前夜、それは教会の大聖堂にかけられた大時計であり、社会を律する規範であるだけでなく、人々の生活に寄り添い、記憶に刻まれたランドマークでもあった。だからこそ時に寄せる安藤氏の思いもひと際深いのだろう。代表作「光の教会」では、十字架のスリットを通した光が時の流れと共に長さと位置を変える。そして、歴史的な建造物が今も生活に溶け込むローマで育まれた、ブルガリの審美性にもそうした建築的アプローチは顕著である。オクト フィニッシモは、薄さをミニマルなデザインに調和させるのではなく、あえて多面体の構築的なケースで際立たせる。そんな両者の眼差しが生んだ時計はアートピースとして時を刻み続けるのだ。
Words:Mitsuru Shibata