「クオーツ アストロン」の誕生前夜となる1960年代は、NASAのアポロ計画に代表されるように、先端技術への憧れが高まっていた。輝かしい未来への期待感が高まるにつれ、時計の精度に対する要求レベルも上がっていく。新しい高精度技術の誕生が待ち望まれていたのだ。既に1957年にはハミルトンが電磁テンプを、1960年にはブローバが音叉式ウォッチを製作しており、スイスではスイス電子時計センター(CEH)がクォーツウォッチの開発に力を注いでいた。
しかし“未来の時計”をいち早く実現させたのは、セイコーだった。
1969年の年末に発売された「クオーツ アストロン」は、諏訪精工舎(現セイコーエプソン)が開発した世界初の市販型クォーツウォッチであり、標準的な機械式時計の約100倍もの高精度であったことから、時計の品質基準であった“精度”に対する考え方を大きく揺るがしてしまった。
高品質=高精度という価値観が瓦解したことで、スイス時計業界は冬の時代を迎えることになるのであった。
1960年代はカウンターカルチャーの時代であり、音楽やアート、科学技術などあらゆるモノの転換期となった。この革命的60年代のうちに何とか発売すべしと現場にハッパをかけ、クオーツ アストロンは何とか1969年12月25日に発売にこぎつけた。
クオーツ アストロンは音叉型の水晶振動子を使用し、周波数は8192Hz。当時の販売価格は45万円で、これは新車のカローラとほぼ同額だったという。しかしそれだけの価値はあると語るのは、国産時計を中心に扱うアンティ-クウォッチサイト「antique mecha BQ」のオーナーであり、専門誌にも寄稿している本田義彦氏だ。
「スイス勢はクォーツ式ムーブメントを電化製品的な視点で開発しており、形は角型で回路もむき出しでした。しかしクオーツ アストロンのムーブメントは、機械式と同じく丸型で設計され、回路部分を蓋で隠すなど美観にも凝っていました。さらに外装も前面に『きさげ加工』を施しており、高級感を引き出しています」
エポックメイキングな時計は、ムーブメントも外装もハイレベルであった。こういう時計が歴史を切り拓くのだ。
1969年に誕生したクオーツ アストロンによって、日本製クォーツウォッチが世界を席巻していく。しかしスイス勢も黙ってはいない。80年代以降になると、手仕事の価値や美しさを前面に押し出した機械式時計によって、再びスイス時計が勢いを増していく。もちろんセイコーも「グランドセイコー」を復活させて情緒的価値に力を入れるが、その一方でイノベーティブな姿勢も失っていなかった。
セイコーの時計づくりは、幅広い技術を吸い上げる点にも特徴がある。かつてクオーツ アストロンを製作した諏訪精工舎は、時計製造を通じて培った技術を核にした様々な電子デバイスを製作していた。そのひとつが携帯電話用のGPSモジュールであり、この技術を使って世界のどこにいても正確な現地時刻を示すことができる高精度時計を作ろうという新たな挑戦を始めていたのだ。というのも、90年代にドイツで電波時計技術が開発されて以降、時計の精度競争は、さらにもう一段レベルが上がっていたのだ。
そして2012年に、世界初のGPSソーラーウォッチがデビューする。その名前に、傑作の名を引き継ぐ形でセイコー “アストロン”と命名したのは、イノベーションで再び時計業界に革命を起こしたいというセイコーの気持ちの表れだ。
世界初のGPSソーラーウオッチであるセイコー アストロンは、様々な技術の集大成だった。GPS衛星の電波をキャッチするために、リング状のアンテナを感度を妨げないセラミック製ベゼルの下に収めた。さらに自社開発のGPSモジュールは時刻取得に特化した独自の超低消費電力アーキテクチャ(構造)を追求し、GPS受信時の消費電力をソーラーパネルの発電量以内に落とし込むことで、腕時計サイズに収めることが可能になった。鳴り物入りでデビューしたセイコー アストロンはすぐさま話題となり、世界を飛び回るビジネスマンなどから愛される。
しかしセイコー アストロンの進化は止まらない。2012年デビューの第一世代7Xと14年デビューの第二世代8Xまではリングアンテナだったが、18年デビューの第三世代5Xからは小型のパッチアンテナとなった。その一方でモジュールの消費電力はさらに省エネ化され、時計は一気に小型化・薄型化へと進んでいく。
モジュールが小さくなればそれだけ着用感が高まり、時計の完成度も高まる。セイコー アストロンは、時計技術を洗練させることで、時計自体も洗練させていった。セイコーの最新イノベーションは、情緒的価値をも高めることができるのだ。
セイコー アストロン セイコー創業140周年記念限定モデル
Ref.SBXC083 23万円(税抜)
ステンレススティールケース(スーパー ブラックダイヤシールド)、SSブレスレット。ケース径42.7mm。10気圧防水。クォーツ(GPSソーラー) Cal.5X53。世界限定1500本。2021年2月19日発売予定。※セイコー グローバルブランド コアショップのみの取り扱い。
セイコーは今年、創業140周年を迎えた。スイス時計に追いつくために研鑽を積んできたセイコーは、いつしかイノベーションによって比類なき存在となった。その原動力となったのは、時計だけでなく、様々なジャンルで世界トップクラスのプロダクトや電子デバイスを作り続ける技術力と、それを製品へと結びつける発想力にあったのは間違いないだろう。
その象徴たるセイコー アストロンのセイコー創業140周年記念モデル(上写真)は、初代アストロンを思わせるオーバルケースを採用し、日本の時計であることを強く表現するために、日本を代表する情景の一つである夜桜をイメージしたラメのグラデーション仕上げをダイヤルに取り入れた。地球上のどこでもGPS衛星の電波をキャッチし、正確な時刻を示す最強の高精度機能は維持しながら、デザインや仕上げで情緒的価値を引き出すことで、セイコー アストロンはさらなる高みを目指している。
正確な時間は現代社会を円滑に動かす最も大切なルールである。セイコーでは、1881年の創業以来、正確な実用時計によって、この社会のルールを支えてきた。現在のセイコーのコレクションの中で、自社製機械式ムーブメントを搭載する良質なブランドとして評価を得ているのが、2011年にリブランディングされた「プレザージュ」だ。
視認性に優れる端正なダイヤルや腕馴染みに優れるサイズ感からは、いかにも“真面目な日本の時計”といった印象を受けるが、その一方で日本の伝統工芸を積極的に取り入れるユニークな商品作りも行っている。その幅の広い作風はどこから生まれたのか? 謎多きプレザージュのルーツと魅力について考えたい。
プレザージュの精神の礎はセイコー クラウンから受け継ぐもの?
「プレザージュのルーツがどの時計であるかは定かではありません。しかしプレザージュが“手に入れやすい価格帯の良質で実用的な時計”であることを考えると、そのルーツは繊細なデザインの『クラウン(1959)』と自動巻きの利便性を追求した『セイコーマチック(1960)』にあるのではないでしょうか」と本田氏。
「実はアンティークウォッチのコレクターには、普段使いの時計として、プレザージュを選ぶ人が少なくないのです。シンプルで見やすいデザインは、セイコーのデザイン哲学を完成させたデザイナー、田中太郎さんが手掛けたセイコーマチックにも通じるところがありますし、“セイコーらしさ”を味わえる時計ですね」
プレザージュは、時計の目利きからも高く評価されているのだ。
プレザージュはセイコーらしいデザインを楽しめるだけでなく、セイコーの創造性やイノベーティブな感性を表現するコレクションでもあり、本田氏によると1980年代には奇抜なデザインのモデルもあったという。その感性は、今ではダイヤル表現に継承されている。400年以上の歴史を受け継いでいる有田焼を採用したり、強度と光沢が美しい琺瑯を採用したり、あるいは日本を代表する伝統工芸である漆を使ったモデルもある。また工業デザイナーの巨匠である渡辺 力氏や世界的人気を誇るスタジオジブリとのコラボレーションなど、デザインや素材を駆使して徹底的に“日本らしさ”を表現するのが特徴だ。
日本の伝統技術やポップカルチャーは、世界的に人気を博している。プレザージュは様々な表現で、日本の時計の面白さを表現しているのだ。
セイコー プレザージュ セイコー創業140周年記念限定モデル
Ref.SARX085 12万円(税抜)
ステンレススティールケース(硬質コーティング)、SSブレスレット。ケース径39.3mm。日常生活用強化防水(10気圧)。自動巻き( Cal.6R35)。世界限定4000本。2021年2月19日発売予定。交換用カーフストラップが付属。※セイコー グローバルブランド コアショップのみの取り扱い。
プレザージュでは新しいデザインシリーズとして、「Sharp Edged Series」を展開している。これはセイコーが得意とする平面とそこから生まれるシャープなエッジのシルエットを活かしたデザインであり、田中太郎氏が傑作「44GS」で完成させたデザインコード「セイコースタイル」にも通じる。こういった所からもプレザージュがセイコーの歴史をきちんと継承していることが伺えるだろう。
プレザージュのセイコー創業140周年記念モデルは、古代から日本人に親しまれてきた麻の葉の文様をダイヤルにあしらい、夜明けのドラマチックな光(暁)をイメージさせるグラデーション仕上げを施しているのが特徴。眺めているだけでも楽しい時計でありつつも、価格は非常に良心的。日本の時計を牽引してきたセイコーの、歴史の積み重ねを感じる一本なのである。
Photographs:Yoshinori Eto Styled:Eiji Ishikawa(TRS) Words:Tetsuo Shinoda Special Thanks:Yoshihiko Honda