1970年代当時、数多くの時計メーカーが生産したLEDデジタルウォッチ。なかでもジラール・ペルゴがかつて手がけたLEDデジタルウォッチは、コレクターたちから高い評価を得てきた。一体、それはなぜか? 本稿では、自身のLEDデジタルウォッチコレクションをまとめた著書を出版するほどの熱烈なコレクターとして知られている浜野貴晴氏の協力のもと、その歴史とジラール・ペルゴのLEDデジタルウォッチの魅力を深掘りしていく。
まずは当時の時代背景を振り返る必要があるだろう。
ときは1969年。世界初のクォーツウォッチが誕生して以降、時計業界では次世代ムーブメントの開発に本腰を入れていくことになる。スイスではCEH(Centre Electronique Horloger、スイス電子時計センター)が主導したクォーツウォッチが各社から発売され、輝かしい未来に向けて機械式ムーブメントから脱皮しようという機運が高まっていた。そんな時代に生まれた最新テクノロジーが、LED(発光ダイオード)を使ったデジタルウォッチだった。1971年に初号機が誕生し、その後もさまざまなメーカーが追随。一気に時計界でポジションを確立する。
技術的過渡期に生まれたカルトウォッチ
浜野貴晴氏。GKデザイン機構やエレファントデザインを経て、2006年にPromoductionを設立。PRの視点に基づいた商品開発を行う一方、デザイン評論や講演・セミナー活動も展開する。佐賀県窯業技術センター外部アドバイザーも務める。時計愛好家でコレクター。自身のコレクションを紹介した『デジタル時計コレクタブルズ MONDO WATCH – LED / LED2』は、マニア必読の書となっている。
「1970年代は、旧来からの機械式ムーブメントや新しいクォーツ式ムーブメント、そして音叉式ムーブメントなど、いろいろなテクノロジーが混ざり合う混沌とした時代でした。なかでもLEDデジタルウォッチは、かなりセンセーショナルな存在だったでしょう。なにせ、その先駆けとなったハミルトンのパルサーは、金無垢ケースの高価な時計であったにも関わらず、予約完売してしまったそうですから」と語るのは、デザインディレクターを本業とする傍ら、時計コレクターとしても知られる浜野貴晴氏だ。
「LEDデジタルウォッチは伝統的な機械式ではないので、時計業界が何百年も積み重ねてきたノウハウはいりません。それこそ世界的半導体会社のテキサス・インスツルメンツ(Texas Instruments)のような他業種がどんどん開発に参入して、最終的には約10数社のデジタルムーブメント製造会社が250ほどのブランドに卸し、さまざまなLEDデジタルウォッチが作られることになります。現代に例えるなら、新興の電気自動車メーカーがどんどん生まれている状況に似ているでしょう。このLEDデジタルウォッチの中心は、電子技術に長けていたアメリカでした」
そんな状況のなか、時計王国スイスで気を吐いていたのがジラール・ペルゴだった。1791年に創業した歴史あるマニュファクチュールである同社だが、実は新しいテクノロジーに対しても積極的に研究開発に取り組んでおり、1971年には自社製クォーツムーブメント、Cal.350を開発(このキャリバーについては、2015年にアーロン・バーロウ〈AARON BERLOW〉が詳細を紹介している)した。モトローラ社製の集積回路を搭載したCal.350は、消費電力を抑えることに成功し、実用に耐え得る電池寿命を実現した画期的なものだった。加えて、ヌーシャテル天文台で行われた静的・動的試験(衝撃、磁気、温度)に初めて合格したクォーツウォッチとして、その並外れた精度と信頼性を証明したと言われている。同社がこのCal.350で導き出した水晶振動子の3万2768Hzという周波数が、現在のクォーツムーブメントの標準振動数となるなど、ジラール・ペルゴは電子技術に対しても一歩先んじていた。
※LEDウォッチの勃興から終焉までの歴史について、ジョー・トンプソン(JOE THOMPSON)がその詳細を記事にしている。気になる方はこちらの記事もチェックして欲しい。
「多くのLEDデジタルウォッチはムーブメントを他社から購入していましたが、ジラール・ペルゴはあくまでも自社製にこだわった。クォーツショック期の1970年代であり、エンジニアの確保も含めて大変だったはずですが、のちに“キャスケット”と呼ばれるLEDデジタルウォッチは1976年に発売されました。アメリカ勢からは5年ほど遅れましたが、それでも自社開発にこだわったジラール・ペルゴの姿勢は讃えるべきものだと思います。1970年代に数多くのLEDデジタルウォッチが誕生しましたが、やはりジラール・ペルゴのこのモデルは、ほかとは違う価値がある。それくらい特別な時計なのです」
だからこそ、コレクターたちはキャスケットが復刻されたことに驚きを隠せない。もちろん予感はあった。2021年に開催されたオンリーウォッチ(デュシェンヌ型筋ジストロフィーの研究治療のためのチャリティーオークション)にて、フォージドカーボン製ケースを使ったキャスケットが出品されたのだ。これは特別なオークションのためのユニークピースであるから、多少の冒険も許されるだろう。しかしジラール・ペルゴはユニークピースにも使用した新しいムーブメントを搭載し、そんなカルトウォッチを限定生産ながら820本も製作したのである。この限定本数は、オリジナルモデルが8200本製作されたことに由来している。
浜野貴晴氏は、希少なオリジナルモデルの3バリエーションをすべて所有している。そこで新型となるキャスケット2.0との違いをレビューしてもらった。
「搭載しているムーブメントに関する詳細情報はないので、オリジナルとの細かな違いまではわかりませんが、ボタンを押すとLEDのデジタル表示が点灯する仕組みは同じですね。LEDは消費電力が大きくて常時点灯ができませんが、こういったある種の不便さもしっかり踏襲しています。点灯時間は大体1.25秒くらいかな? これもオリジナルと同じくらいです。ただしクロノグラフやセカンドタイムゾーンを加えるなど、機能は進化していますね。オリジナルモデルは右ボタンのみで、左側には時刻セット用のプッシャー(先端に設けられた窪みをピンで押して操作)がありましたが、多機能化したことでボタンが左右式になりました。ふたつのボタンでいろいろな機能を使いこなすには慣れが必要でしょう。クロノグラフも消費電力を減らすために10秒で表示は消えてしまいますが、こういったところに、限界のなかで模索していた当時のエンジニアへのリスペクトを感じずにはいられません」
現代技術で進化を遂げたディテール
特徴的なサイドビューなど、基本的なデザインはオリジナルモデルを踏襲している。表示を横から見る方式は、1970年代にはすでに他社も採用していた。その理由は日中だと、反射でLEDの数字がよく見えないから。しかもジラール・ペルゴでは画面の前に庇(ひさし)をつけることで視認性を高めている。ちなみに新しいキャスケット 2.0の“キャスケット”とは、フランス語の庇(ひさし)がある帽子が由来である。
「私自身がデザイナーですから、製品がどんどん成熟していくなかでまったく新しいものをデザインすることが非常に困難であることはよくわかります。だからこそ70年代のジラール・ペルゴのチャレンジにはリスペクトしかない。ケースサイズは42.4×33.6mmなのでオリジナルよりやや大きくなりましたが、違和感はありません。ケース上面に利かせたエッジは、ケースデザインをややデフォルメしているようにも見えますね」
キャスケット 2.0は単なるオリジナルのカーボンコピーではなく、2020年代の時計として、デザインをアップデートさせているのだ。
「初代モデルは、マクロロンと呼ばれるポリマー樹脂をガラスファイバーで強化した先端素材をケースなどに使用していました。非常に軽くて、質感もおもしろい素材でしたが、復刻モデルでは、こういった雰囲気をセラミックとグレード5チタンを使って表現しています」
セラミックのケースにはマット仕上げを施しており、時計には見えない不思議な雰囲気を演出。トップ部分の“GP”ロゴは、オリジナルと同じ位置にセットした。
そもそも工業製品は、使っていくうちに生じる不具合を少しずつ改良して進化していくものである。時計も同様で、使う時代に合わせて細部をアップデートしていくことで理想に近づいていく。かつてのマクロロンがそうであったように、現代の場合はセラミックとチタンが、この時計に適した素材なのである。
ブレスレットもまた、機能的に進化したポイントとなっている。
「ケース素材に使用したマクロロンは、ブレスレットにも使用していました。しかしこの素材は、コマを固定するビス穴の加工には不向きです。そのため、オリジナルモデルではブレスレットのコマの内部にテグスを通して固定しました。グッと引っ張るとテグスが伸びたり切れたりしてしまうので、慎重に扱わないといけません。しかし復刻モデルはセラミック製なので、安心して日常使いできます。ちなみにオリジナルのキャスケットは、ケースの前後でブレスレットの幅が異なるという、やや効率の悪い設計でしたが、それも理想のデザイン追求のために生まれたもの。そういったディテールまでしっかり踏襲している点も、この時計に真面目に向き合っている証拠でしょう」
ちなみにキャスケット 2.0ではセラミックブレスレットの裏側に肌当たりを考慮してラバーが張り込まれている。こういった細かな仕事には、名門マニュファクチュールの誇りを感じられる。
先達の挑戦に対するリスペクトを宿した“2.0”
初代モデルが生まれた1970年代は、未来はどうなるのだろうとみんながワクワクしていた。そういった時代の象徴が近未来的なLEDデジタルウォッチだったのだ。しかしその後、もっと安価で消費電力も少ないLCD(液晶ディスプレイ)式のデジタルウォッチが開発されたこともあって、1979年を最後にLEDデジタルウォッチの時代は終わりを告げる。だが、全盛期が一瞬であったことが逆に強い印象を残した。
「LEDデジタルウォッチは、まさにLEDのようなパッと光ってパッと消えたブームでした。しかし確実に明るい未来を見せてくれたのも事実です。ジラール・ペルゴのキャスケット2.0からは、また新しい未来を見たいというメッセージを感じますし、さまざまなチャレンジを続けてきたエンジニアへのリスペクトや内に秘めた情熱を感じます」
これは単なる“カルトウォッチの復刻”というニュースではない。時代の過渡期に花開いたLEDデジタルウォッチを通して、過去のジラール・ペルゴの探求心を再評価するモデルであり、そして現在のジラール・ペルゴのチャレンジ精神を理解する象徴なのだ。だからこそ、単なる復刻ではなく、現代的にアップデートした“2.0”と命名したのだろう。820本の生産分はすでに完売目前というが、それは当然のこと。それくらい特別な時計なのである。
Photos:Jun Udagawa Styled:Hidetoshi Nakatou Words:Tetsuo Shinoda Special Thanks:Takaharu Hanano