キングセイコー登場前夜
キングセイコーについて語る前に、まずはセイコーの歴史をおさらいしておくべきだろう。
今からちょうど140年前の1881年に、服部金太郎が輸入時計の販売と修理を行う「服部時計店」を創業する。1923年9月に発生した関東大震災により、工場などが甚大な被害を受けたが、翌月末には仮工場の1棟を急造し、11月には仮営業所を完成させて本格的に営業を再開させた。翌1924(大正13)年には、さらに数棟の仮工場が建設され、同年12月には腕時計の新しいブランドとして“精巧な時計を作る”という精工舎創業時の原点に立ち返る想いを込めて、SEIKO(セイコー)の腕時計の生産が開始された。
そして、増え続ける腕時計需要に対応すべく、腕時計部門を独立させた「第二精工舎」を創業した。1937年のことである。
ここからが、セイコーの時計作りの歴史を語る上で外せないポイントになってくる。
第2次世界大戦の最中、第二精工舎は戦火を逃れて日本各地に疎開していた。しかし、戦後は、東京大空襲などの影響もあって中心的存在だった「第二精工舎 亀戸工場」は疲弊していたため、戦火を免れた「第二精工舎 諏訪工場」が、時計製造拠点の中心に据えられることになる。そして、時計パーツの製造や組み立てを行っていた諏訪の大和工業との合併によって、1959年に設立されたのが「諏訪精工舎」だ。
ここから、セイコーの時計は「亀戸」と「諏訪」という2つの精工舎で作られるようになっていく。
戦火の影響が少なかった諏訪精工舎は、セイコーの主力工場として生産設備の近代化を進め、屋台骨であったメンズウォッチの生産に力を入れた。その代表作が1959年に誕生した「クラウン」であり、精度と品質に加えて、耐震装置などを組み込んだ実用的なムーブメントは、その後に登場する「グランドセイコー」へと受け継がれることとなった。
その一方、空襲により壊滅的な被害を受けた亀戸の第二精工舎では、高い技術力を求められるレディスウォッチの製作から再開することになる。技術力を背景にした美しいプロポーションこそが、亀戸製の個性であり、そのスタイルは1958年にデビューしたメンズウォッチ「クロノス」としてと結実することになった。そして、薄型ムーブメントが生み出す薄いケースと、細いラグを与えられ、エレガントでモダンな雰囲気が表現されたクロノスが、1961年にデビューする「キングセイコー」の源流となったのである。
言うなれば、メンズウォッチの王道を極めようとしたのが諏訪精工舎であり、オリジナリティを探求する亀戸の第二精工舎という2つの工場がもっている歴史や哲学の違いから、グランドセイコー(諏訪精工舎)とキングセイコー(亀戸の第二精工舎)という2つの時計は生まれることになったのだ。
モダンなスタイルを打ち出した第2世代の“KSK”
1961年にデビューした高級メンズウォッチ、キングセイコーは、レディスウォッチを得意とした「第二精工舎 亀戸工場」生産モデルらしく、ケースは薄く繊細にまとめられ、ダイヤルや針をフラットに仕上げることで、端正でモダンな雰囲気を作り出していた。この点は、西洋的優美さを追求したグランドセイコーとは異なるアプローチと言えるだろう。
ちなみに販売当時の価格を見ると、グランドセイコーが2万5000円であったのに対して、キングセイコーは1万5000円。当時の大卒国家公務員の初任給が1万2000円であったことから鑑みても、グランドセイコーが“高嶺の花”であったのとは対照的に、キングセイコーは“頑張れば手が届く”という価格帯だった。おりしも、この時代は腕時計の輸入自由化が始まり、スイス時計の到来と共に“時計を愛で、装い、楽しむ”という文化が始まった時期でもある。
さらには戦後の傷が癒え、若者の人口も増加し(いわゆるベビーブーマー)、ユースカルチャーが力をもち始めた時期でもある。ロックやジャズといった音楽、デニムやミニスカートといったファッション、そしてヒッピーや学生運動などのカウンターカルチャーの大きなうねりの中で、国産時計は、王道である“スイス的な時計”とは違った当時のライフスタイルに合った時計を模索する必要に迫られていった。
そうした時代の空気にフィットしたのがキングセイコーであり、特に1965年にデビューした直線的でシャープなデザインをもつ第2世代の「KSK」は大いに支持された(キングセイコーにおいて最も多く生産されたシリーズだったのではないかと言われている)。初代モデルと比較すると、ケースが防水化され、リューズを引き出すと秒針が停止する秒針規制機構も追加。より正確な時刻合わせが可能になったのも大きな進化だった。
時計愛好家が語る キングセイコーが国産時計の歴史に残した足跡
1961年にデビューし、高級国産時計として確固たる地位を築いたキングセイコー。その歴史的重要性や時計としての実力はどのようなものだったのか? 今回、国産時計を中心に扱うアンティ-クウォッチサイト「antique mecha BQ」のオーナーでもあり、時計愛好家でもある本田義彦氏に話を伺った。
「グランドセイコーは、到達すべき目標を高くもち、それをクリアするために研鑽を積んだブランドであったため、どうしても高価になります。一方で、キングセイコーはそれよりは価格がこなれていて買いやすい。“手の届く上質な時計”として生まれた時計といえるでしょう。端的にいうと、グランドセイコーは買える人が買う時計、キングセイコーは頑張って買う時計だったのです。アンティークウォッチの世界では、グランドセイコーの人気が非常に高いですが、時計としてのキングセイコーの品質はグランドセイコーに引けを取らないくらい、十分ハイレベルです。多少の価格差はありますが、これはグランドセイコーよりもキングセイコー、特に2代目のKSKの販売本数がとても多かったという理由もあるでしょう」
「キングセイコーのデザインは、ダイヤルや針も含め、シャープでモダンな雰囲気をもっています。このKSKによって確立されたモダンなデザインが、国産時計に与えた影響は小さくありません。現代のグランドセイコーへと受け継がれているデザイン文法“セイコースタイル”は、1967年にデビューしたグランドセイコー 44GSによって完成しましたが、その特徴であるフラットなダイヤルやケースは、キングセイコーが発祥と言えるものです。これはキングセイコーが量産を見据え、コストも考えながら製造工程や仕上げを決めていった過程があったからで、その結果としてモダンでシャープなデザインが生まれたと考えられます。言うなれば、キングセイコーというのは現代へと繋がる日本のモダンウォッチの始まりとなった時計なのです」
現在、一般的には“知る人ぞ知る”存在のキングセイコーだが、愛好家の世界では高く評価されているのである。
細部まで忠実に再現された セイコー創業140周年記念限定モデル キングセイコー “KSK”復刻デザイン
日本におけるモダンウォッチの萌芽となった、キングセイコー KSK。セイコーの創業140周年、そして、キングセイコーの誕生60周年でもある2021年に、その特徴的なデザインを受け継ぐ形で復刻された。
「全体のバランスは秀逸。ケースの直径、そして厚さもサイズアップはわずかな数値に収められていて、そのシェイプは見事です。ここまで丁寧に作りこんできたことには、正直驚きました。デザインのベースとなったオリジナルのKSKとの違いはデイト表示があることですが、違和感なく馴染んでいるので十分に許容できます」と、本田氏もその出来栄えを評価する。
では、どれほど忠実に再現されているのか。その完成度の高さを検証するため、オリジナル(左側に掲載している画像)と復刻版(右側に掲載している画像)で比較してみたい。
まずは12時位置のインデックス。“W”の形状をもつ多面カットによってメリハリのあるきらめきを引き出しているだけでなく、テン面の部分には“ライターカット”と呼ばれる斜めのカットも取り入れている。
太いラグとフラットでキレのある斜面は、まさにKSKの特徴である。各斜面をザラツ研磨により下仕上げしているため、美しい輝きとキレのある稜線が生まれた。
キングセイコーは、 2代目シリーズから防水化されたことにより実用性が高まった。防水性能は新旧ともに5気圧防水。リューズにはロゴの他、防水仕様の証であった“W”の文字が入っている。
流麗な書体で“Seiko”と書かれた美錠もオリジナルスタイルを再現した。オーナー以外は気付きにくい個所ではあるが、こういった細部へのこだわりが、満足感を高める。
新旧モデルを並べて置いてみると、2つのモデルが驚くほど似ていること分かるだろう。確かにケースサイズにおいては、オリジナルは36.7mmで、復刻は38.1mmなので多少サイズは異なるが、違いはほとんど分からない。最大の違いは3時位置にカレンダーが入っていることで、さらに風防もアクリルガラスからサファイアクリスタルに変更された。ムーブメントも手巻きから自動巻きへと変更されているが、これはあくまでも現代的なアップデートに伴うもので、全体的なプロポーションは変わらない。ちなみに6時位置のKING SEIKOのロゴの下にムーブメントの石数が表示されているが、オリジナルは25で復刻は26。この石数の違いはムーブメントが異なるためだが、「5と6は形が似ているので、復刻の精度が高まっていて嬉しいところですね」と、本田氏も細部のこだわりを評価する。
オリジナルモデルに合わせて、裏蓋にはキングセイコーの盾の紋章のメダリオンをはめ込んだ。そのためムーブメントを見ることはできないが、プレザージュのプレステージラインのみに用いられているCal.6L35を搭載する。自動巻きながら3.85mmという薄型設計のため、ケース厚は11.4mmと手巻きのオリジナルモデル(10.9mm)と比べてもわずかな変化に留められている。
翻って現代。ニューノーマルな時代の中で、時間に対する考え方は大きく変化しているように感じられる。これまでは忙しい日々の中で流れ去っていた“時間”が、いつしか、かけがえのない大切なものとなった。外に出掛けたり、大切な人に会ったりする時間そのものが、より一層“特別なこと”になったからこそ、その時を刻む時計は、自分らしさを主張し、心を動かすものでありたい。
控えめだが、個性も楽しめる、かつて一時代を築いたモダンな高級時計「キングセイコー」は、現代にもフィットする時計といえるのではないだろうか? そして、時計の高額化によって選択肢が失われつつある30万円台というミドルレンジの選択肢を補完する意味でも、KSKの復刻は市場に一石を投じる可能性を秘めている。歴史を振り返り、文化と伝統を堪能するキングセイコーは、今という時代を楽しむための時計なのである。
Photos:Yoshinori Eto Words:Tetsuo Shinoda Special Thanks:Yoshihiko Honda