入念な手仕上げが行き渡る優れた審美性を湛えるクロノグラフムーブメントは、稀ではあるが他社にもある。しかしA.ランゲ&ゾーネのダトグラフは、構造やパーツの造形までもが美しいという点において、誕生から四半世紀を経た今も唯一無二の存在である。開発を主導したのは、当時のCEOにして、ブランド再興の立役者ギュンター・ブリュームライン。彼は新生A.ランゲ&ゾーネを、他に比肩するものがない時計ブランドにするひとつの手段として、スイス時計業界では未踏の地であった自社製高級クロノグラフムーブメント開発を選択した。果たしてその思惑は功を奏し、ダトグラフは、その後の高級時計の方向性までも決定づけた時計史に残る傑作となった。
1994年の復興、そして1999年の伝説
1989年11月10日、世界の歴史は大きく動いた。市民の手でベルリンの壁が破壊され、ドイツは長い分断の時代に終止符を打ったのである。この吉報を受け、旧西ドイツに亡命していた4代目ウォルター・ランゲはすぐさま動いた。故郷グラスヒュッテに戻り、旧国営企業GUBが所有していたA.ランゲ&ゾーネ・グラスヒュッテ/SAの名を譲り受け、1990年にブランドを再興したのだ。彼のプロジェクトを支えたのは、当時IWCとジャガー・ルクルトを擁していたLMHグループの総帥ギュンター・ブリュームラインであった。ブリュームラインはまず、ドイツの財閥マンネスマンコンツェルンから資金援助を取り付けた。そしてIWCのクルト・クラウス、ルノー・エ・パピ(現オーデマ ピゲ ル・ロックル)を設計者に起用。ジャガー・ルクルトでパーツを製造し、IWCで技術者を育成した。これらすべてが1994年、新生A.ランゲ&ゾーネによる4つのファーストモデルとして結実した。この年の10月24日にドレスデン王宮で発表されたランゲ1、アーケード、サクソニア、そしてトゥールビヨン“プール・ル・メリット”がある。アシメトリーなダイヤルデザイン、大型日付表示のアウトサイズデイト、腕時計初のチェーンフュジーという独創性と圧倒的な審美性によって、A.ランゲ&ゾーネは、高級時計の超新星となったのである。
衝撃的なデビューから5年後、A.ランゲ&ゾーネは再び時計界を震撼させた。舞台となったのは、1999年のバーゼル・ワールド。主役は、ダトグラフであった。4つのファーストモデルで、その実力が認められていたA.ランゲ&ゾーネであったが、よもや自社製クロノグラフを生み出すとは誰も予想だにしていなかった。パーツ形状が複雑で、かつ点数も多いクロノグラフの自社開発は極めて困難であり、クォーツショック以前からスイスでは夢物語だったからだ。それを再興して間もないドイツの時計ブランドが成し遂げたのだ。しかも当時ほぼ忘れ去られていたフライバック機構を復活させ、オフセットインダイヤルという個性も打ち出して、である。スイス時計業界未開の地であった自社製高級クロノグラフを実現したことで、新生A.ランゲ&ゾーネは時計市場で確固たる地位を築き上げた。
すべてを支えた人物
東西ドイツの統一がかなった1989年当時、A.ランゲ&ゾーネは半世紀もの間休眠状態にあり、時計界では忘れられた存在だった。ゼロからのスタートだった復活劇を成功に導いたのは、ギュンター・ブリュームラインの手腕によるところが大きい。1943年、ドイツ・ニュルンベルクに生まれ、エンジニアとなった彼は80年からユンハンスで時計界でのキャリアをスタートさせた。翌年には、自動車の計器製造を主力とするドイツVOD社からIWCのコンサルタントとして招き入れられた。84年には、同じくVDO傘下にあったジャガー・ルクルトの戦略担当責任者に就任する。
当時、スイス機械式時計は冬の時代。彼はIWCとポルシェデザインを結び付け、スイス時計界の新風を吹き込み、一方でクルト・クラウスに永久カレンダーの開発を命じた。またジャガー・ルクルトでは、レベルソを復活。彼は、新たなデザイン性、精巧なメカニズム、一目でそれと分かるアイコンという3つの武器でふたつのブランドを立ち直らせたのだ。さらにこれらは、機械式時計復活への道筋となった。IWCのダ・ヴィンチやグランドコンプリケーションで試みた、汎用のエボーシュに複雑機構のモジュールという組み合わせも彼のアイデアであり、のちに多くの他社が模倣した。そのグランドコンプリケーションの設計をクルト・クラウスとともに託されたのが、ルノー・エ・パピであった。
「グランドコンプリケーション用のミニッツリピーターモジュールは、ルノー・エ・パピにとって最初の仕事でした」と、ドミニク・ルノー氏は振り返る。「ブリュームライン氏は、ビジネスにおいていつも正しい考えを持ち、若い起業家であった私たちに多くのアドバイスをくれました。彼は偉大な先見の明の持ち主であり、製品を分析し、細部に至るまで非常に正確な意見を持ち、それを商業的、経済的に成功に導く能力を兼ね備えていました」
ブリュームラインとルノー・エ・パピとの交流はその後も続き、A.ランゲ&ゾーネのファーストモデルのひとつトゥールビヨン“プール・ル・メリット”として花開いた。
独創的な機構の数々を生み出すクロノードを率いるジャン-フランソワ・モジョン氏も、IWCに在籍中にブリュームラインの寵愛を受けた一人だ。そしてルノー氏と同じく、「私は特に、彼のブランドと製品戦略に対する非常に明確なビジョンに感銘を受けました。 彼は全体像から細部に至るまで、稀有な能力を持っていました」とブリュームラインの経営手腕に絶大なる信頼を置いていた。
さらにルノー氏は、「彼の静かな強さは、私たちを彼の言葉に耳を傾けさせ、彼に従わせ、彼をボスとして愛させた」と、モジョン氏は「彼はすべての人の個人的な状況に気を配っていました。 私は彼のような人と仕事ができてとても光栄でした」と、ともに人柄を大絶賛する。
そんな人物だからこそ、ウォルター・ランゲは、ブランド再興を任せられたのだろう。再興プロジェクトに際し、ブリュームラインは、明確なビジョンを描いた。ひと握りのコレクターに向けた、少量生産の高級時計、である。そして前述した新たなデザイン性、精巧なメカニズム、一目でそれと分かるアイコンという3つの要素を、高級機に先鋭化してみせた。デザイン性とアイコンの象徴がランゲ1、精巧なメカニズムはアウトサイズデイトと鎖引き機構プール・ル・メリットである。そして4つのファーストモデルですでに、今後のA.ランゲ&ゾーネが歩むべき道が示されていた。
"ギュンター・ブリュームラインがいなければ、A.ランゲ&ゾーネは存在しなかったでしょう。そして、グラスヒュッテが再びドイツ高級時計製作の中心地になることもなかったでしょう。"
– ウォルター・ランゲ商品開発ディレクターのアントニー・デ・ハス氏は「私は20年以上ランゲにいますが、振り返ってみて、ランゲとはなにか、ランゲのフレームワークとはなにかが、すべて細部にわたってすでに考え抜かれていたことに驚くばかりです。分かりやすい例としては、すべてのムーブメントを未処理のジャーマンシルバーで作ることは、ブリュームライン氏のこだわりでした。これは高級で複雑な懐中時計のムーブメントは無垢のジャーマンシルバー製だったことに倣ったものです」
A.ランゲ&ゾーネのコレクションは、オリジナルのデザインを大幅に変えるようなデザインの変更をすることはないが、これもブリュームライン氏の考えが反映されている。「デザインは、トレンドに流されず、長期間にわたって楽しめるタイムレスな美しさを持つことも、彼が示した方向性でした。また、針の長さやダイヤルのマーカーの長さなど、非常に細かいディテールに至るまで、慎重に設計しています。例えばモデルごとに針の長さを微妙に調整しているのも、ランゲらしさのひとつ。多くのブランドがコスト削減のために針の長さを変えないなかで、ランゲは細部にまでこだわる姿勢を貫いています。すべてに一切手を抜かず、完璧なバランスと美しさを保つように設計することは、ブリュームライン氏が遺した教えです」
2000年、彼が率いたIWC、ジャガー・ルクルト、A.ランゲ&ゾーネを擁するLMHグループは、リシュモングループ傘下となり、ブリュームラインはグループ全体の時計責任者として手腕を振るうはずであった。しかしそれはかなわず、2001年に58歳の若さで急逝。「ブリュームライン氏は、時計業界を再び軌道に乗せたビジョナリーの一人です。彼は非常にエネルギッシュでカリスマ的な人物でした」とアントニー・デ・ハス氏は話す。
彼の遺志は、現在もA.ランゲ&ゾーネに確かに受け継がれている。
25年目のダトグラフ
ギュンター・ブリュームラインが、A.ランゲ&ゾーネ再興時に思い描いた“ひと握りのコレクターに向けた、少量生産の高級時計”とのビジョンを具現化したひとつが、1999年に誕生したダトグラフである。当時はまだ、スイスの高級時計ブランドのクロノグラフは、どれもバルジューやレマニア、ラ・ジュー・ペレのエボーシュ頼りで、自社製は存在していなかった。しかし熱心なコレクターは、他社にはないムーブメントを望む。彼らに向けて完成したダトグラフは、手巻き、キャリングアーム式水平クラッチ、コラムホイール、1万8000振動/時のロービートという、時代錯誤的な、それゆえ通好みな設計であった。フライバック機構の復権も、稀少性を高くする。
その開発は、ブリュームラインの右腕であった時計史家ラインハルト・マイスによるスケッチからスタートした。そこに描かれたダイヤルは12時位置にあるアウトサイズデイトと正三角形を成すよう、左右のインダイヤルがそれぞれ4時位置と8時位置にオフセットされていた。そしてアネグレット・フライシャーが、デザインに忠実になるようムーブメントを設計した。
デザインが先行するムーブメント設計は、時計界ではあまり前例がなかった。しかし「美しさは普遍的な価値」であると考えていたブリュームラインは、マイスにブリッジや抑えバネといったパーツのデザインまでも託した。決められたデザインという制約のなかで、フライシャーは丁寧に最適解を探った結果、ダトグラフのムーブメントは他にはない構造美を呈するに至った。インダイヤルを下げた結果、6時位置に配するクロノグラフ機構のためスペースが窮屈となったため、ハンマーやアームはそれぞれの干渉を避けるように複雑な造形となり、また上下に重なり豊かな立体感を生み出すこととなったのだ。
また秒積算計車と分積算計車のあいだに中間車を置くスペースが取れなかったため、苦肉の策として懐中時計の時代にあったレバーとカムで分積算計車を送る機構をフライシャーは掘り起こした。結果、1分毎に分積算計針がジャンプし、正確な視認を約束するプレシジョン・ジャンピング・ミニッツカウンターが誕生した。
ダトグラフのムーブメントは、今年25周年を迎えるまでのあいだ、数度の改良が加えられてきた。現行のCal.L951.6は2012年の登場。香箱と主ゼンマイの設計変更でパワーリザーブが38時間から60時間にまで伸び、それに伴いパワーリザーブ計が6時位置に追加され、モデル名もダトグラフ・アップ/ダウンに変更された。一方外観は、1999年の登場時から基本デザインをほぼ変えていない。デ・ハス氏が前に語っていた“タイムレスなデザイン”の、これが成果だ。
その普遍のダイヤルが、25周年を記念して初めてブルーに染められた。その色合いは、ムーブメントに使われるネジのブルースティールと酷似し、シルバーのインダイヤルとの組み合わせも、ムーブメントのカラーリングに似て、より印象的に装った。
ダトグラフの系譜を知るには、記事『Game-Changing Chronograph: すべてを変えたA.ランゲ&ゾーネのクロノグラフ』を参照。
ダトグラフ ルーメン
ダトグラフはまた、この25年のあいだにさまざまな複雑機構が盛り込まれてきた。2004年には分積算計までラトラパント化した世界初のダブルスプリットが誕生。2006年に永久カレンダーを統合し、それに2016年にはトゥールビヨンまでが組み込まれた。
ダトグラフのムーブメントは、インダイヤルを下げた結果、テンプが位置する12時方向に大きなスペースが生じている。そこにA.ランゲ&ゾーネ独自のストップセコンド機構が備わるトゥールビヨンを組み込んだのだ。クロノグラフ機構の基本設計は同じだが、クロノグラフ駆動車のブリッジの取り回しが変更されている。アウトサイズデイトによる永久カレンダーは、モジュール式。月・曜日・閏年・昼夜の各表示を、ふたつのインダイヤル内に振り分け、6時位置にあったパワーリザーブ計はダイヤル外周9-10時位置に移され、代わりにムーンフェイズを配した。すべてのカレンダーは、瞬転式。そして長く時計が止まってカレンダーがズレても、10時位置のプッシュボタンで全暦表示が一斉送りできる。優れた視認性と操作性は、まさにA.ランゲ&ゾーネらしさである。
もうひとつの25周年記念モデルは、このダトグラフ・パーペチュアル・トゥールビヨンをベースとし、A.ランゲ&ゾーネのファンにはお馴染みのルーメンに仕立て上げた。
スモーキーなサファイアクリスタル製ダイヤルからは、永久カレンダーとムーンフェイズのモジュールを透かし見せる。そして暗所ではダイヤル外周のチャプターリングとふたつのインダイヤル、針、ムーンフェイズディスク、アウトサイズデイトのフレーム内がグリーンの光りを放つ。夜の顔を持つルーメンを際立たせるため、9-10時位置にあったパワーリザーブ計を取り外したのは、慧眼である。
奇抜に思えるルーメンは、しかし暗所での視認性を高めるための工夫であり、歴代のモデルはA.ランゲ&ゾーネのファンからも絶大な人気を勝ち得てきた。さらにケースには、A.ランゲ&ゾーネ独自の18Kハニーゴールドを採用。レシピなどはアナウンスされていないないが、ホワイトとピンクの中間色のような淡いベージュカラーを特徴とし、既存の18金よりも硬く耐傷性に優れているという。
A.ランゲ&ゾーネ渾身のコンプリケーションを、独創的なダイヤルとケース素材とで包んだこの限定モデルは、ダトグラフ25周年を寿ぐにまさにふさわしい。
Words:Norio Takagi Photos:Tetsuya Niikura(SIGNO) Styling:Eiji Ishikawa(TRS)