まず気づいたのは静寂。そして泡がないこと。私はフランス領ポリネシアのトゥアモトゥ諸島にある孤立したサンゴ礁が形成したランギロア環礁の水深15mにいた。泡が出ないということは、いつもならスキューバシリンダーの空気漏れを意味する。しかし今回はクローズド・サーキット・リブリーザーを使っていた。その名のとおり吐いた息から二酸化炭素を除去して再利用し、再び呼吸を可能にするハイテク機器だ。泡で魚の群れを驚かせることなく泳ぐことができ、ダイビングパートナーとマウスピースを通して会話もできる。技術の進歩、操作の簡便さ、そして手に入れやすい価格により、この水中生命維持装置の人気は高まっている。だが本当の利点はその静寂性よりも時間との関係にある。呼吸を再利用するリブリーザーは、水中での滞在時間を大幅に延長。最大で3時間、場合によってはそれ以上にもなる。これは洞窟ダイバーやレック(沈船)ダイバー、海洋生物学者たちにとって明らかな利点だ。
クローズド・サーキット・リブリーザーを長年愛用するダイバーのひとりが、フランス人写真家・海洋生物学者のローラン・バレスタ氏だ。過去10年間、ゴンベッサ・エクスペディションで、アフリカ沿岸の深海から南極まで、地球上のあらゆる場所でダイビングしてきた。彼のダイビングは論理的に複雑で難しいが、700匹ものサメが夜な夜な餌を食べる様子、水深100mに生息する生きた化石魚シーラカンスなど、その結果得られる写真や発見には驚かされる。バレスタ氏は過去10年間、主要スポンサーであるブランパンの支援を受けながら活動してきた。そこで同氏がブランパンのマーク A. ハイエックCEOにまったく新しい時計のアイデアを持ちかけたところ、ハイエック氏はそれに耳を傾けた。
ハイエック氏は、普通の時計ブランドの最高責任者ではない。情熱的なスキューバダイバーで、バレスタ氏の探検に同行するほど経験豊富なテクニカルダイバーであり、リブリーザー愛好家でもある。1953年に世界初のダイバーズウォッチを発表したブランパンにとって、彼は完璧な責任者だ。フィフティ ファゾムスは、ユニークな裏蓋の密閉システム、逆回転防止ベゼル、視認性の高い文字盤と針など70年前に革命的な存在であった。探検家や軍の潜水部隊に何十年も愛用され、腕時計の1カテゴリーの原型となったのだ。しかし、バレスタ氏がハイエック氏に説明したようにリブリーザーを使うダイバーには新しいタイプの時計が必要だった。この時計はブランパンが10年にわたるゴンベッサ・エクスペディションとのパートナーシップを記念して名付けられた、上級ダイバーのニーズに応える新ラインなのである。
ダイバーズウォッチといえば、回転ベゼルが特徴だ。しかし水中で2~3時間過ごすこともあるリブリーザーダイバーにとって、これはあまり有益ではない。バレスタ氏がこの時計のアイデアを思いついたのは、GMT機能を備えたフィフティ ファゾムスを身につけて探検していたときだった。この時計には24時間針があり、別のタイムゾーンを追跡できる。ダイビングの合間に、24時間針ではなく3時間針で文字盤を一周することはできないかと考えたのだ。3時間ベゼルを改良して使用すれば、より長いクローズド・サーキットの潜水時間を計るという問題を解決できるだろうと。ハイエック氏はこのアイデアをすぐに気に入り、ブランパンは新しいタイプの効果的なダイバーズウォッチの発明に着手したのである。そう、再び、である。
3時間針を動かすためにムーブメントの歯車を調整し、ベゼルのマークを変更することは技術的な複雑さはないが、エレガントでシンプルな解決策であり、まさに画期的だ。バレスタ氏とハイエック氏はこの革新的な複雑機構に関する特許を共有している。ダイバーズウォッチは70年ものあいだ、ほぼ変わることはなかった。酸素ボンベを装着してサンゴ礁を1時間泳ぎ回るダイバーのほとんどにとって、今でも問題なく機能している。しかし、デジタルのダイビングコンピュータが普及した現代において、多くはノスタルジックな遺物と化しているのだ。だから、より現代的なダイビングのためにまったく新しい時計を発明することは、ブランパンにとって重要なことなのである。また、リブリーザーダイバーは、潜水時間、酸素濃度、水深を記録するために腕に装着する高性能のコンピュータを使用しているが、バレスタ氏は長時間の潜水にはバックアップがあると便利だと説明してくれた。高気圧に覆われた潜水室でのダイビングでは、リブリーザーのランタイムが実際の水中時間と異なって表示されるため、アナログのダイバーズウォッチは非常に重要だとも言う。
ベゼルと3時間タイマーだけでなく、ブランパンは時計のあらゆる面に目を向け、改良を加えた。ケースは軽量で、耐磁性、耐腐食性に優れたグレード23チタンから削り出されたものだ。ストラップは長くしなやかなラバー製で、従来のバネ棒ではなく、チタン製の補強材でケースと一体化。視認性は光を97%吸収するディープブラックの文字盤と大胆なマーカーや針とのコントラストによって確保されている。夜光は通常の時刻表示にはブルー、3時間で一周するダイビング用の針とベゼルにはグリーンと目的に応じて色分けされている。ムーブメントは5日間のパワーリザーブとシリコン製の耐磁性ヒゲゼンマイを備えた、オーバービルドのワークホースだ。この時計は、何も調べずに作られたものではない。ローラン・バレスタ氏による数ヵ月間の水中でのテストも行われた。
彼ほど広範囲ではないものの、私はテック ゴンベッサをテストする機会に恵まれた。比較のためにフィフティ ファゾムス オートマティックを装着し、ランギロア環礁に水を出し入れする壮大なティプタ峠で数日間ダイビングを行った。鮮やかな黄色のリブリーザーを装着し、初めてクローズド・サーキット・ダイビングを体験したのだ。私の腕には、まさにフィフティ ファゾムス テック ゴンベッサが装着されている。私はダイビングに集中していたが、ベゼルのマーカーを3時間針に合わせることで、潜水時間を計ることができた。ボタンを押す必要もなく、ダイビング用の針は標準的な時針の4分の1の速度で常に動き続ける。それほどのシンプルさだ。長いラバーストラップはウェットスーツの袖によくフィットし、47㎜の時計と完璧なバランスを保っている。その大きさにもかかわらず、チタン製のテック ゴンベッサは、ラグのない一体型ストラップのおかげで、水中でも地上でも快適だ。視認性は、予想通り最高だった。しかし、その一方で、まったく新しい時計に出合ったという感覚もあった。多くの時計がそうであるように、無形のものが最も重要な意味を持つことがある。
一見すると、フィフティ ファゾムス テック ゴンベッサは画期的なモデルには見えない。よく見るまでは普通のフィフティ ファゾムスのようでさえある。しかし、それこそがフィフティ ファゾムスの魅力のひとつ、親しみやすさと革新性のバランスなのだ。ダイバーが重いガスタンクを背負い、貴重な空気を吐き出すことがない日が来るのだろうか。少なくともリブリーザーはレクリエーションダイバーたちにも人気が出てきている。1953年にブランパンがスキューバダイバーのニーズに応えるために時計を発明したように、彼らは新しい世代のために70年たった今、再びそれを行っているのだ。
Words:Jason Heaton Photos:Tetsuya Niikura (SIGNO), Gishani Ratnayake, Etienne Menager Styling:Eiji Ishikawa (TRS)