カルティエは多くを語らない。「沈黙は金」を地で行くこのメゾンは、ややこしいことに同じコレクションのなかでまったく個性の異なる時計を多く製造する。「タンク」「サントス」がその代表で、特に現在はサントスのラインナップが多彩だ。人によって、サントスという響きからイメージする時計が違うだろうから、今回はその個性の違いを少し見ていきたい。
まず、サントスという名から連想される時計は、このサントス ドゥ カルティエを思い浮かべる人がもっとも多いだろう。現行モデルは2018年にアップデートされたもので、現在おなじみとなっている、ブレスレット/ストラップのクイックチェンジ機構や1200ガウスまでの耐磁性を備えたCal.1847 MCなど、カルティエのモダンなウォッチメイキングのスタンダードを設定したモデルでもある。
端を発するのは1978年に発表されたサントス ガルベというモデルで、そのデザインは現行モデルにも色濃く受け継がれている。意外に最近なんだな、と思った方はまさにその通りで、カルティエの歴史においては非常に新しい時計だといえる。ご存知のように1970年代はラグジュアリースポーツウォッチ、つまりブレスレットを備えたステンレス製の薄型ウォッチを大手時計メーカーがこぞって開発していた時代だ。それまでクラシカルな角型ケースにレザーストラップの時計製造を得意としていたこのメゾンは(というか、そもそもこのスタイルを確立したのがカルティエのサントスといっても過言ではない)、外部のあるサプライヤーからブレスレット付きウォッチの開発を提案され、カルティエ流のデザインコードを盛り込んでサントス ガルベに結実させた。80〜90年代に流行したSS×YGのコンビ仕様がこのモデルにおいてもアイコンデザインであり、それは今も健在だ(僕が所有しているからというだけでなく、MM、LMサイズともにラインナップされているという事実は見逃せない)。
サントス ガルベが“現代的サントスらしさ”を確立し、以来40年以上にわたって時代の空気を取り込んだアップデートがされてきたが、時計の顔である文字盤については基本的に「白ベースにレイルウェイ、ローマンインデックスに青焼き針」というスタイルを堅持。それはカルティエウォッチ全体にいえることではあるが、一部の限定モデルを除いて文字盤に手が加わることはほとんどなかった。それは、このスタイルが腕時計全体においてもベーシックなデザインになっているからに他ならない。現在では、オールステンレスモデルの人気も高く、ブレスレット付きウォッチのひとつのスタンダードともいえるだろう。
しかしここ2年、ついに山が動いた。それも単なるカラーバリエーションというより、インデックスはシルバーへ時分針は夜光付きへと改める調整がなされ、ブルーとグリーン文字盤が登場した。これらは、黒文字盤をベースにラッカーを薄く吹き付けて色にグラデーションをもたせたもので、単色のラッカーが印象的なタンクの方向性ともまた異なっている。カルティエはサントス ドゥ カルティエのカラーバリエーションを、ビビッドなカラーダイヤルとしてではなくあくまで控えめなニュアンスの範疇での表現にとどめたかったのかもしれない。事実として、これらの新色は光の加減によって黒に見えることも多く、トレンドだけを追求したカラバリでは決してないのだ。
サントス ドゥ カルティエが帯びた使命はそれだけではない。このコレクションにはMM、LM、XLと3つのサイズが展開されているが、基本的には自動巻きのCal.1847 MCを、クロノグラフには自動巻きCal.1904-CH MC(なんと一体型クロノ!)、スケルトンモデルには手巻きキャリバーと、クォーツのラインナップがないのだ。共通したデザインコードを持つレディス向けのパンテールとの棲み分けのためか、サントス ドゥ カルティエは一貫して王道的な機械式時計としての役割を担っているのである。
サントスが持つ二面性
さて、多くの方にとってサントスとは前述のものでお腹いっぱいかもしれない。だが、サントスは二面性のあるコレクションであり、王道機械式モデルのサントス ドゥ カルティエに対して、クラシカルな雰囲気満点でよりオリジナルモデルを思わせるのが、サントス デュモンのコレクションである。現行モデルは、2019年にクォーツモデルのみ登場し、翌年以降XLサイズに手巻きモデルが追加された。サントス全体を俯瞰すると、2008年に終了したCPCP(コレクション プリヴェ カルティエ パリ)にラインナップされたサントス デュモン以降、同名モデルはそのデザインを少し違った方向に向けていた。ベゼルのアイコニックなビスは廃され、サイズも時代に合わせてやや大型化。シンプルではあったが、サントス デュモンらしさを抑えたモデルであったように思う。
久しぶりに返ってきたサントス デュモンは、サントス ドゥ カルティエとの明確な個性の違いを備えて、また新たな役割を帯びて戻ってきたようだ。
現行サントス デュモンを表現するうえでのキーワードは、「薄型」「クラシックスタイル」「アヴァンギャルド」だ。この3つをもって、サントス ドゥ カルティエとはまったく違った個性を紡いでいる。まず「薄型」は、当初クォーツのみの展開で先鞭をつけ、手巻きCal.430 MCの搭載を基本としていることからも明らか。クォーツ採用のSM、LMモデルがともに7.3mm厚、手巻きキャリバー搭載のXLモデルでも7.5mm厚とドレスウォッチとしても上質なシェイプを有している。それは、今年登場したストーンインデックスを用いたXLモデルも7.5mm厚を堅持していることから、このケースシェイプこそがデュモンの性格を決定づけていると見て間違いない。
ドレスウォッチ的見た目から「クラシックスタイル」であるというのはすぐにわかるけれど、これはカルティエにおいてもクラシックであるという意味も込めた。つまりは、1904年発表、1911年にリリースされたオリジナルサントスのスタイルが色濃いのだ。それは、余白の多く取られた文字盤に小さなビスの配されたベゼル、隆起したカボションが優雅なシェイプを描くリューズである。インデックスの形状やレイルウェイは現代的にアレンジされているが、オリジナルのキャラクターが濃厚なこの時計たちはやはりクラシックだ。
となると、「アヴァンギャルド」というのはいかにも不適切なワードに思えてくる。クラシックとは対極だろうとは僕も思うけれど、それこそカルティエがこの時計に施した二面性といえるだろう。メゾンは、近年サントス デュモンで多くのオマージュモデルを発表し、サントス=デュモンが愛用した飛行機などのモチーフをデザインに用いてきた。ただ、ここ2年は様子がガラリと変わった。昨年、文字盤とケースにラッカー装飾を施したモデル(PT、PG、SSがある)を発表すると、今年はスケルトンモデルやストーンインデックスを採用したモデルを怒涛の勢いでリリース。大メゾンでおなじみの緩やかな変化からすると、異常事態ともいえることがこのサントス デュモンに起こったのだ。
スケルトンはカルティエのお家芸ともいえるものだが、このストーンインデックスにおいては時計業界初、もちろんカルティエにとっても初めての試みで(なぜそうなったのかはわからない)、薄いケースにパッケージングできるよう、極薄にカットして強度を保つことのできる天然石を探すところから始まったそうだ。ちなみに、さすがのカルティエをしても、厚さわずか0.4mmの天然石を複雑なローマ数字にレーザーカットするのは困難を極め、今のところXLサイズの大きさでしか実現は難しいようだ。正直、そこにそんなに手をかけるの!? というほどの狂気に…いや、新しいディテールに挑戦するアヴァンギャルドさに感銘を受けた。
スケルトンはカルティエのお家芸、と書いたが、ここへきてその手法も進化している。このサントス デュモンには、カルティエ初のマイクロローターを搭載して、パリの地図を思わせるデザインのこれまでにないスケルトンモデルを誕生させた。ただ、カルティエのこと、マイクロローターという機構の開発が目的だったわけではない。サントスが乗ったラ ドゥモワゼル号のモチーフをスケルトンダイヤル上で表現する、というアイデアから最適な手段としてマイクロローターが選択されたのだ。しかも、ケースいっぱいにムーブメントが広がるLMサイズで実現するのだから途方もない。
本機のデザインを担当したカルティエ本社のデザイナーは、ムーブメント云々の前に、まずデザインデッサンを数十枚単位で書き起こし、やがてどこにどういう仕上げを施していくべきかの検討を重ねた、と話してくれた。2Dのデザインから始まって、実際の寸法が決まってきたところで3Dプリンターでプロトタイプを製作。シリル・ヴィニュロンCEOから直々のGOサインが出たところで、ようやくデザインがフィックスするそうだ。果たして、ムーブメントも含めて完成したデザインが、実現可能な時計なのかどうかはカルティエ マニュファクチュールの出番となるのだが、彼らにとってはいつものフローのようで、時計ができなかったことは一度もない、と彼は笑顔で語った。
サントス デュモンに見られる多くの野心的な試みは、悪い意味ではなくサントス ドゥ カルティエでは見られない。繰り返すけれど役割の違いであり、同じ名のもとで二面性を持つことにサントスの深みを感じるのだ。オリジナルはメンズウォッチの始祖ともされ、一方でガルベに端を発するサントス ドゥ カルティエは時代のニーズから生まれながらも、カルティエらしさを失わなかった傑出の時計。
クラシックなはずのサントス デュモンでアヴァンギャルドな試みが次々となされ、モダンな印象の強いサントス ドゥ カルティエでは、逆に伝統的機械式時計として緩やかに着実なアップデートが重ねられる。その出自とサントス全体に散りばめられた個性とを体感していくと、その二面性、言い換えればギャップを発見することになる。自分自身に響くギャップに遭遇したとき、サントスという世界はカルティエにおいても無二の広がりを見せるのだ。
Words:Yu Sekiguchi Photos:Akira Maeda(MAETTICO) Styled: Eiji Ishikawa(TRS)