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Bridge 100 Years of Innovation シチズンの軌跡を辿る100本の腕時計と未来を示すひとつの懐中時計

CITIZEN銘の入った懐中時計が生まれてから今年で100年を迎える。それを記念したHODINKEE Japanの読者を招いたイベントでは100本の時計を標本のように紹介するなど、さまざまな角度からシチズンのこれまでの歩みと未来へのビジョンに触れた一夜となった。#PR

「CITIZEN」ブランドの時計が生まれて、今年で100周年。その節目を飾るイベント、- The Essence of Time –が開催された。会場は登録有形文化財である旧山口萬吉邸をリノベーションした九段ハウス。趣のある建物のなかに展示された100本のアーカイブやスタディモデルは、暗黙知として蓄積されてきた“シチズンらしさ”を探るプロジェクトをベースとしたもので、デザインやそれを具現化するための技術・技能面から、時計を12のカテゴリーに分類し体系的にしたものだ。一見すると無関係に見える時計が、デザインや技術でつながっているという発見は好奇心を刺激するだけでなく、シチズンウォッチの多様性を表すものでもある。百花繚乱の時計たちはそれぞれの時代のニーズに合わせて、さまざまな技術やデザインを開発してきたことを示し、“永く広く市民に愛される時計”をつくってきたシチズンらしさであるとも言えるだろう。

イベント会場となった九段ハウス。1927年に建てられたこの邸宅は、97年間取り壊されることなく今の姿を伝える歴史的建造物だ。

九段ハウスは地下1階もある地上3階建て。談話室や和室、茶室など10を超える部屋を利用し、100本のアーカイブと周年を記念した懐中時計の計101本が並べられていた。

 

 シチズンらしさを振り返る上で、シチズンでは社内に保管されている約6000本の腕時計のなかから多くの社員が直感的に“シチズンらしい”と考える商品を選出し、そこから100本に絞り込んで展示された。それぞれの時計にはその時代背景や技術革新の歴史が詰まっており、つまりはどれもが特別なモデルということだが、残念ながらすべては紹介できない。そこで、アンティーク国産時計に精通するBQ Watch 本田義彦氏に、特筆すべき時計を4本選んでもらった。

 まずはシチズンの歩みを振り返り、その選出した時計について紹介する。これらの時計を通じてシチズンの100年の歩みを感じ取ってほしい。その後シチズンが描く、未来の100年に向けたブランドの挑戦と取り組みについても触れていく。


初代16型懐中時計(1924年)

1924年、尚工舎時計研究所より発売された国産懐中時計。

 始まりは時計貴金属商である山﨑商店の店主、山﨑龜吉が1918年に設立した“尚工舎時計研究所“にある。山崎は時計の国産化を目指して研究を重ね、1924年にこの16型懐中時計を発表する。その価格は12円50銭。現代の貨幣価値にあわせると5~10万円相当というから、まさしく市民のための時計としてつくられたのは明白だ。

 日本においてこの時代は、第1次世界大戦後の好景気によって産業が発展し、都市部に暮らす中間層が増加。デパートが各地に誕生するほど消費行動も活発になっていた。ラジオ放送が開始され、雑誌の創刊も相次ぎ、娯楽も充実。さらに1925年からは25歳以上の男性のみではあるが、ついに普通選挙が成立するなど、市民が力を持ち始めていた時代でもあった。そういった時代の中で、市民のための懐中時計は生まれたのだ。

 さらに細部に目を向けると、最後まで心血を注いでいることがわかる。温度変化、サビ、磁気に強い特殊な合金で製作されたモノメタルテンプにはチラネジがあり、調整によって高い精度に追い込めるようにしている。ダイヤルを含むムーブメントの厚みは約5mmで、堅牢でありつつ薄型のケースを実現させた。さらに内部は見えないケース構造ながら、ムーブメントのブリッジにはコート・ド・ジュネーブ仕上げが施されている。この時計を「CITIZEN」と命名したのは東京市長であった後藤新平で、永く広く市民に愛されるようにというメッセージが込められた。「CITIZEN」は1930年社名となり、シチズン時計株式会社が創立。今日に至る歴史が始まったのだ。


シチズンなりの社会貢献(1960年)

ヒンジを開け、文字盤上を指で触れることで時間を読み取る触読式時計。

 悲劇的な終戦を迎えた日本は、荒廃した国を復活させるだけでなく、困窮する人々を助けなければならなかった。戦後の福祉三法は、生活困窮者のための生活保護法、戦災孤児のための児童福祉法、傷痍軍人のための身体障がい者福祉法だったが、1951年には民間が福祉事業を行える社会福祉事業法が制定され、戦後の障がい者福祉の道筋ができた。

  “シャイン 触読式時計”が誕生したのは、そういった社会情勢の中だった。シチズン時計創立30周年記念として社会貢献を目的に企画された時計で、愛知県立名古屋盲学校へ福祉と教材を兼ねて寄贈された。

 風防を開き、針を手で触れて時刻を確認する時計であるため、多少強く針を触ってもずれないように設計された。さらに、触れるユーザーのために球面ボックス風防は温かみのある形状とし、円錐型インデックスは触り心地のよさまで考慮された。この時計は視覚障がい者のための時計だが、アラビア数字のインデックスも加えており、シンプルで読みやすい時計という点では誰にでも優しいデザインとも言えるだろう。

 社会福祉への取り組みが広がる中で、すべての人に腕時計をする楽しさを提供したいという思いが結実した時計なのだ。


クロノメーターの登場(1962年)

シチズン初、クロノメーター優秀級相当の高精度手巻き腕時計。

 スイスで始まった腕時計への転換は日本にも伝播する。シチズンが1931年に初の男性用手巻き腕時計“シチズン(F)”を生み出したのだ。そして1949年には国産初の本中三針構造の腕時計“ニューシチズン”が登場し、その後もカレンダーやアラーム、防水時計などを発売。さまざまな技術を駆使して、日本の時計産業をリードしていた。

 当時の日本は1961年から腕時計の輸入自由化という転換期を迎えており、各社はスイスの高品質時計にも負けない時計の開発に力を入れていた。シチズンにおいてクロノメーター級腕時計の研究が本格化したのは1958年ごろであり、パーツの製造技術の向上が精度追求を後押しした。

 シチズンでは薄型の自動巻きウォッチ“ジェット”を1961年に発売して技術的優位性を示し、翌1962年に満を持して発売したのが、このクロノメーターである。このモデルに搭載されたCal.0401はこのために新規設計されたもの。ムーブメント径を大きな30mmにすることで、トルクが安定した大型香箱を搭載できるようにした。また針やインデックスのデザインは力強く、スイス時計のライバルとして十分な存在感を示し、デザインと高精度の両面で自信にみなぎっていた。


デジアナの始祖(1978年)

国産では初となる本格的なデジアナコンビネーションウォッチ。

 1964年に夢の超特急新幹線が開業し、1969年に人類が月面へと到達。1970年には日本初の万国博覧会が大阪で開催された。想像しうる未来がすぐそこまで来ている…。そんな希望に満ちた1970年代は、パソコンや携帯型カセットプレーヤーなど、現代へと繋がる電子機器が続々と生まれた時代だった。シチズンでは1966年に、日本初の男性用本格的電子式腕時計“エックスエイト”を発売するなど、次世代時計機構の開発にも力を入れており、デジタル表示もそのひとつだった。

 当時はデジタルウォッチの市場が伸びている一方で、時間の感覚が分かりやすいアナログ表示へのニーズも根強く存在していた。そこでシチズンが出した答えが、デジタルとアナログを融合させた“DIGI-ANA”(1978年)だった。

 デザインのテーマは六角形。これはクォーツの結晶の形をイメージしたものだという。ケースのみならず表示窓も六角形でデザインすることで、最先端の時計でありながらデザインにまとまりがあり洗練されたカッコよさがある。これは時計としては珍しく、まずはデザインからスタートし、それに合わせてムーブメントを設計したのだという。

 当然このモデルは大ヒットとなり、その派生モデルも含めて今でも根強いファンがいる。それはシチズンのチャレンジ精神を感じることができる時計だからかもしれない。


通信技術と時計の融合(1993年)

ダイヤル中央にアンテナを配して電波を受信した個性的な1本。

 正確な時間は、社会を円滑に動かすための大切なルールである。社会が高度化し、多くがデジタル化されると、時計もこれまで以上に高い精度が求められる。そのため社会を動かす標準時は原子時計が定めるようになり、その時刻情報を標準電波という形で発信して、あらゆるものを正確に動かしていた。

  正確な時刻は、時計メーカーにとって永遠のテーマであるため、シチズンでも電波受信を利用した高精度な腕時計の開発を1989年にスタートさせた。アンテナの小型化やICの省エネ化などをクリアし、さらにはアンテナの感度を高めるべくベゼル素材にセラミックを用いるなど、さまざまな技術を駆使して、1993年に世界初の多局受信型電波時計“Radio-Controlled”が完成する。ちなみに“多局式”とは、日本とドイツとイギリスの標準電波に対応するという意味である。

 現在では多局受信型電波時計が標準的な技術となり、アンテナの進化によってデザインも洗練された。だからこそ、アンテナが中央にセットされた初代モデルの思い切りのよいデザインが新鮮に見える。この時計は機能がデザインになった究極の機能美といえよう。そして正確な時刻を市民に届けたいという技術者たちの努力の結晶でもあるのだ。


感情をつかむ時計づくり

 ここまで、特徴的なデザインの時計と、それを叶えた技術・技能面について振り返った。「シチズンはスタンダード、ビジネスウォッチといった王道寄りのイメージを持たれがちですが、その裏にはチャレンジ精神が感じられる時計も数多く存在しています」。こう語るのは現代のシチズンを支える現職のデザイナーたちだ。彼らはシチズンの過去の遺産と未来へのビジョンを融合させ、独自のデザイン哲学を追求し続けている。

 「古くはエックスエイトやツノクロノ、近年でもエコ・ドライブ ワンなど、技術とデザインが高いレベルで融合した商品を生み出してきました。シチズンはアウトプットを統一するような方針で商品を生み出してきたというよりも、いくつものチャレンジや進化のつながりが撚り合わさって、組紐のようになりながら歴史を築き上げてきたのだと改めて感じました」

 2023年、シチズンは新たなデザインフィロソフィーとなる“感情のデザイン”を定義した。これは2016年に暗黙知として蓄積されてきたシチズンらしさを探るプロジェクトがベースとなっている。「綿密なリサーチから、シチズンが考えるデザインの役割は“使用者の感情を揺さぶる”ことだという仮説を立て、外部アドバイザーとの議論や社内のワークショップを経て定義しました。そのデザインを一般的に表現するなら、“つける人の心を動かすデザイン”とも言えるでしょう。腕時計が持つ“便利な道具”というだけの立ち位置では、何十年も先を見据えた場合、やがては腕という場所を離れてしまうかもしれません。しかし腕時計の最も重要な提供価値は、“つけるその人にとって意味のあるもの”であること。それはこれからも変わらないと思います。ステータスやファッションであり、思い出の品であり、自分へのご褒美や、誰かへのプレゼントでもある。デザインへの一目ぼれでもいいですし、十人十色の価値がある。それを想像しながらデザインすることが大事なのかなと思っています」


次の100年を見据えた今(2024年)

「CITIZEN」ブランド時計 100周年記念 懐中時計

 そんな100周年という節目に原点に立ち返るのは珍しくないが、今年発表された“「CITIZEN」ブランド時計 100周年記念 懐中時計”は、これまで歩んできた100年の歴史がしっかりと詰め込まれている。デザイン自体は当時のスタイルをベースにしているが、ダイヤルは電気鋳造表現によって、先人たちの思いが降り積もったかのような立体感で仕上げた。

 ケースにはシチズンが得意とするチタニウム素材を採用。チタニウムは熱の伝導効率が低いのでヒヤッとせず、しかし温まりやすい性質なのですぐに肌になじんでくれる。ムーブメントに搭載されたCal.0270は2万8800振動/時で駆動し、テンプはフリースプラング方式。平均日差-3~+5秒という高精度を実現した。最大巻き上げ時の持続時間は約55時間だ。

 この懐中時計は毎日使うものではないだろう。しかし藍墨(あいずみ)色に染色した正絹の組紐が付属するので、特別なシーンを彩るものとして楽しむのもいい。さらには一人で過ごす静かな夜に、ゆっくりとゼンマイを巻き上げながら時計と対話する時間も楽しそうだ。目まぐるしく変化する社会の中で、ゆっくりとした時間が欲しいと願う時計愛好家のニーズに、一番合っている時計なのかもしれない。

HODINKEE Japan編集長の関口 優とシチズン時計開発センター土屋建治氏によるトークショー。土屋氏が独自にまとめたという、時計にまつわるエピソードやシチズン秘話が次々と語られた、濃密な30分間だった。

 3日間かけて開催された- The Essence of Time –では本記事で示した時計や当時のテスト映像、若手デザイナーによるスタディモデルなどが展観されたが、HODINKEEとのエクスクルーシブ ナイトでは、HODINKEE Japan編集長の関口 優とシチズン時計開発センターの土屋建治氏によるトークショーが特別に行われた。本トークショーではシチズンの過去、現在、そしてこれからといったシチズンのDNAについて掘り下げられ、参加者たちは貴重なインサイトを得る機会となった。

 「新しい懐中時計をつくりたいと思っても、色々な面を考慮すると我々の会社でも普通は無理なんです。しかし今回は100周年ということで、初代へのオマージュを込めた懐中時計をつくろうという話になりました」(土屋氏)

 「今の時代に手巻きの懐中時計をつくるのは、夢のような体験だったわけですね」(関口)

 「もちろんただの復刻ではなく、ムーブメントは新規で設計しましたし、昔の図面からブリッジの曲線などを参考にしたりと、クラシックなムーブメントデザインを意識しました。ケースはチタニウム合金です。懐中時計は人に寄り添う時計でもあるので、あまりにも重すぎるのはよくない。チタニウムケースであってもムーブメントの重量があるので軽くなりすぎない絶妙なバランスになりました。組み合わせの妙といいますか、そのときどきの最適解を楽しんでもらいたいんです」(土屋氏)

 「今回の展示を見て、シチズンはその時代のニーズに合わせて最適なものを取り入れてきたのだと理解しました」(関口)

 「ある意味、感性が高いのでしょう。シチズンにはその時代の最適化を目指そうという意識がある。100年の歴史がありますが、それぞれの時代ごとに、技術者やデザイナーが思ったことを形にするという積み重ねがありました。だから時計だけ見ると一貫性がないようにも思えますが、やはり何か共通する特徴があるのです」(土屋氏)

 「シチズンの時計は、その時代でなければ生まれなかった時計たちなのですね」(関口)

 「時計の基本技術は成熟していて、何百年もの培われた最適解があります。ただ今でも、部品の製造方法などの技術革新はありますし、素材や機構もそれが現代の理想と考えるなら取り入れることが許される。そこが時計のおもしろさだと思いますし、これからも時代のニーズに合わせた時計をつくっていきたいですね」(土屋氏)

シチズンが選んだ100モデルの関係性や薄型化、高精度化などの系統を示した図。これを見るだけで、一見関係性がないように思える時計でも、実は点と点が線で繋がっていたという発見が得られる。

 光発電技術のエコ・ドライブや年差クォーツ、世界5局対応の電波時計や衛星電波受信など、時計を便利かつ高精度に進化させてきたシチズン。しかしその歴史を紐解くと、多くの機械式時計の傑作や画期的なデザインを生み出してきたことがわかる。

 一方で時計というのは常に人々や社会と寄り添いながら愛されてきた製品でもあるため、時代の変化に翻弄されやすいとも言える。だがシチズンには“市民に愛される時計”をつくるというブレない哲学がある。だからこそ、時代ごとに市民のニーズを理解し、デザイン力と技術力を駆使して、その時代に合わせた最適な時計をつくることができるのだ。きっとこれからも、シチズンは前進し続けるだろう。こういう時計があったらうれしいというニーズがある限り。

 

Words:Tetsuo Shinoda Photos:Tetsuya Niikura(SIGNO)、Cedric Diradourian Styled:​Eiji Ishikawa(TRS)