昨年、僕はローラン・フェリエの新工房を訪れるためにジュネーブを訪れました。そこで見たのは、効率や生産性よりも、完成度を優先する静かなものづくりでした。作業台に並ぶパーツや、ひとつひとつ丁寧に仕上げられていくムーブメントを前にすると、このブランドが決して派手さで評価される存在ではないことがよく分かります。
ただ、工房を見ただけでは分からないこともあります。実際にその時計が日本で何が魅力として受け止められ、どんな人の手に渡ってきたのか。そこには、売り手だからこそ知っている瞬間があります。
今回は、日本でローラン・フェリエを取り扱ってきた時計店の代表の方々に話を聞きました。僕が工房で見たものづくりと、彼らが店頭で見てきた時計愛好家の反応。その両方を重ねたとき、このブランドの輪郭はもう少し立体的に見えてきます。
彼らの言葉に共通していたのは、ローラン・フェリエを単なる“高級時計”としてではなく、長く付き合うことで価値が深まる時計として見ていることでした。見せるためではなく、自分のために選ぶ時計。そんなブランドとして、静かに支持を広げてきたローラン・フェリエに改めてフォーカスを当てます。
まず惹かれたのは、時計ではなく“人”だった - 桃井 敦社長(ザ・アワーグラス ジャパン)
クラシック・トゥールビヨン・ダブルスパイラル
最初に話を聞いたのは、ザ・アワーグラス ジャパンの桃井 敦社長です。日本でいち早くローラン・フェリエを扱った人物でもあります。
「そもそも最初は時計じゃなかったんですよ。人間だったんです」。パテック フィリップで長年キャリアを積んできたローラン・フェリエのことは、もともと知っていた。その彼がブランドを立ち上げると聞き、プレゼンを受けたうえで、「絶対にやろうと思った」と振り返ります。
まだブランドが立ち上がったばかりの頃、ラインナップはクラシック トゥールビヨン ダブルスパイラルの1モデルだけ。その段階で取り扱いを決めたのは、完成された実績を見たからというより、作り手そのものを信じたからでした。
桃井 敦社長(ザ アワーグラス ジャパン株式会社/アワーグラス銀座)
取り扱い始めた最初のクラシック トゥールビヨン ダブルスパイラルは、当時のトゥールビヨン像とは明らかに違うものでした。
多くのブランドがトゥールビヨンを“見せる機構”として扱うことが多かった時代に、ローラン・フェリエのそれは文字盤側からは見えないようになっていました。「なんなら1ミリも見えないじゃないですか」
知らない人が見れば、クラシックな3針時計のようにも映るはずです。にもかかわらず、裏返すとそこには緊張感のある仕上げが広がっている。ダイヤル側の控えめな印象と裏返してトランスパレントバック越しに見えるムーブメントの密度。そのコントラストこそが、このブランドの思想が凝縮されているように感じます。「普通なら見せたくなる機構なのに、あえて見せない。古典的で、ある意味潔い時計なんです」
桃井氏がこのブランドを“永遠の定番”と表現したのも印象的でした。「王道をゆくデザインで、奇をてらってない。だから飽きることがないんです」流行をなぞるのではなく、流れる時間のなかで価値が揺らがない形を選ぶ。その姿勢は、デザインだけでなくブランド全体に通じています。
さらに桃井氏は、このブランドの魅力として“作り手の顔が見えること”を挙げました。「大きなブランドになると、誰が作っているのか分からなくなる。でもローラン・フェリエは作り手の顔が見えるんです」
この感覚は、僕が工房で受けた印象とも重なります。ブランドの規模や演出ではなく、人の手と判断の積み重ねによって時計が作られている。その実感が、ローラン・フェリエには確かにありました。
静かな時計が求められる理由 - 上根 亨社長(神戸カミネ)
クラシック・トラベラー
続いて神戸カミネの上根 亨社長に話を聞きました。上根氏がローラン・フェリエに惹かれたのは、スポーティなハイエンドウォッチの勢いが強かった時代だったといいます。華やかさや存在感を競うような時計が増えるなかで、このブランドにはそれとは異なる時間が流れているように感じられたそうです。「ローラン・フェリエの時計に出会った時にほっとした」
その印象は、見た目だけにとどまりません。実際に時計を手にしたときには、「高級時計の備えるべき美観と重み、手ざわりのすべてをクリアしていました」とも語っています。その上、強く主張するのではなく、むしろ静かに手首になじんでくる。その感覚は、ローラン・フェリエの時計を語るうえでとても象徴的です。
上根 亨社長(株式会社カミネ/神戸カミネ)
とはいえ、その魅力は単なる穏やかさや端正さだけではありません。上根氏が強調するのは、ローラン・フェリエの時計が「ただ美しいだけではない」という点です。実際、このブランドの時計にはナチュラル脱進機のように、技術的に大変複雑な機構が組み込まれています。これは、かつてアブラアン-ルイ・ブレゲが構想しながら、当時の技術では実現できなかった機構として知られるものです。控えめな外観の奥に、時計史に連なる強い意思が秘められている。その二重性こそ、ローラン・フェリエの大きな魅力なのだと思います。
そしてこの“静けさのなかにある強さ”は、「時計だけでなく、作り手本人にも通じるものだ」と上根氏は言います。一方で、フェリエ氏はル・マン24時間レースで3位に入った経歴も持っています。静かな佇まいの奥に、強い意志や競争心が宿っている。そのあり方は、外見の静けさのなかに確かな技術と芯の強さを秘めたローラン・フェリエの時計そのものにも通じて見えます。
この点については、僕自身も強く共感する部分でした。ジュネーブでローラン・フェリエ氏に会い、実際に話を聞いたとき、まず印象に残ったのはその穏やかさでした。ですが同時に、言葉の端々からは、長年第一線で時計を作り続けてきた人物の確信のようなものも感じられました。その静けさと強さの同居は、まさに彼の時計にもそのまま表れているように思えます。
カミネ創業110周年モデル
さらに上根氏は、カミネ110周年のために39mmのワンオフモデルを実現させました。長くこのブランドを扱ってきた関係のなかで、同氏は文字盤や針だけでなく、ケースサイズにまで踏み込んだ要望を伝えたと言います。もともと40mmだったマイクロローターを、どうしても39mmで作れないか。そう粘り強く交渉した末に完成したのが、110周年記念のワンオフモデルでした。周年モデルは、単なる記念品ではなく、ブランドとの結びつきの深さが具体的な形になった1本だったのです。
そして今年、カミネは創業120周年を迎えます。今回もまた、ローラン・フェリエとの新たな限定モデルが生まれるといいます。周年ごとに特別な時計が実現しているのは、単に付き合いが長いからではないはずです。どこを変え、どこを守るべきか。その感覚を共有できる関係が、いまも変わらず続いているからこそだと思います。
上根氏は最後に「若い世代ほど、独立系で数を作らないブランドを求めています」と語ります。大量生産ではなく、少量で、確かな思想を持って作られた時計。しかも日常で使えること。「そのニーズに応えられるブランドが、ローラン・フェリエだと思います」
“上がり時計”として選ばれる理由 - 飯間 賢治社長(アイアイイスズ)
香川・高松で時計店を営むアイアイイスズの飯間 賢治社長は、顧客の視点からローラン・フェリエを語ります。飯間氏の店では、このブランドを選ぶ顧客にはある共通点があるそうです。「派手な時計を経験してきた方が、徐々に徐々にあまり目立たず、でも真にいいものを求めていく。そのなかで選ばれるケースがすごく多いです」
この言葉は印象的でした。時計好きが最初からこのブランドにたどり着くというよりも、むしろ一度、ある種の“分かりやすい魅力”を経験したうえで、そこから少し距離を置いたときに見えてくる時計だということです。 「いわゆる“上がり時計”に近しい時計ですね」
飯間 賢治社長(有限会社アイアイイスズ/アイアイイスズ)
興味深いのは、飯間氏自身も最初からこの時計を理解していたわけではないという点です。「なぜこの価格なのだろうというところからスタートして」と飯間氏も語るように最初はその魅力や価値が分かりにくい。しかし理解が進むにつれて評価が変わっていく。この“時間差”もまた、このブランドの特徴のひとつなのかもしれません。
購入後に返ってくる評価については、日常への取り入れやすさにもあると飯間氏は言います。「使い勝手がもう究極にいい」ただ、この言葉をそのまま“機能性の高さ”として受け取ると少し違うように感じました。むしろ重要なのは、使う上で余計なストレスや引っかかりがないこと、そして自然に日常に溶け込んでいくことなのだと思います。
それは、ローラン・フェリエの時計に共通する、細部に対する徹底した配慮にあります。一見すると控えめに見えるそのデザインは、単なる造形ではなく、使うことを前提に整えられたものです。たとえばクラシックラインに見られるガレケース。小石のように丸みを帯びたフォルムは、見た目の柔らかさだけでなく、シャツの袖に引っかからず自然に収まるよう設計されています。装着したときの違和感を極力排除する、その意識が形になっているのです。
同様に、スポーツラインであるスポーツ・オートもまた、ケースからブレスレットへと続くラインに一貫して曲線が取り入れられています。一コマ一コマの造形にまでその思想が行き届いており、見た目の統一感と同時に、着用時の一体感にもつながっています。
さらに、すべてのモデルで72時間以上のパワーリザーブが確保されている点も見逃せません。これは単なるスペックではなく、日常の中での使い勝手を見据えた設計です。こうした要素は個別に見れば小さな違いかもしれません。しかしそれらが積み重なることで、デザイン、装着感、実用性が自然にひとつの体験として結びついていきます。デザイン、装着感、実用性が一体となっているからこそ、顧客は長く使い続けるのでしょう。
さらにこのブランドの価値について、「いまは他人に見せるための時計が多い。でもローラン・フェリエは自分のための時計なんです」と表現しました。派手さがないことを物足りなさではなく、成熟として受け止められるかどうか。その感覚が、このブランドを理解するポイントなのかもしれません。
最後に飯間氏が“変えてほしくないこと”として挙げたのが、生産数をむやみに増やさないこと。「1本1本丁寧に作る姿勢は、これからも続けてほしいですね」この言葉は、ブランドの未来への期待であると同時に、ローラン・フェリエがいまの価値を保ち進化し続けるための条件でもあるのだと感じました。
なぜいま、ローラン・フェリエが選ばれるのか - 今岡 孝之社長(福岡今岡/大丸福岡天神店 時計売場)
ローラン・フェリエ クラシック・ムーン
最後に福岡今岡の今岡 孝之社長に話を聞きました。今岡氏にとって、ローラン・フェリエはもともと“簡単にはたどり着けないブランド”だったそうです。名前は知っていても実際に触れる機会は少なく、どこか距離のある存在だったといいます。そんな今岡氏が同ブランドに対して強い印象を持ったのは、ある1本の時計がきっかけでした。「最初に強く印象に残ったのが、クラシック・ムーンだったんです」
それは、ジュネーブのWatches and Wondersで初めてローラン・フェリエのブースを訪れたときのことでした。その年の新作として発表されたクラシック・ムーンを手にとって見ていたときに「ふらっと入ってこられた方がいて、それがローラン・フェリエさんだったんです」。
目の前にある時計と、その作り手が一瞬で結びついた。「この時計がローラン・フェリエで、眼の前にいる人がローラン・フェリエさんなんだっていう」単にブランドを知るというよりも、“誰がこれを作っているのか”を理解するきっかけになったといいます。
今岡 孝之社長(福岡今岡/大丸福岡天神店 時計売場)
その記憶と結びついたまま、クラシック・ムーンというモデルは、今岡さんにとって特別な存在になっていきました。実際に店頭で時計を扱うようになってからも、その印象は変わらなかったと言います。
「ちょうどこのクラシック・ムーンを買われたお客様がいらっしゃったのですが、女性だったんですよ」このエピソードはとても印象的です。ナチュラル脱進機とブランド初のムーンフェイズを搭載する本作。サブダイヤルにはアベンチュリンガラスが使用され、手作業でホワイトペイントを施した月と星のモチーフがエングレービングされています。選ばれた理由は、スペックやブランドの文脈ではなく、まずその佇まいにあったのではないかと今岡さんは考えています。柔らかな曲線と全体のバランス。その“見たときの心地よさ”が、そのまま選択につながっていたのではないでしょうか。
クラシック・ムーンは直径40mm、厚さ12.9mmと、決して小ぶりな時計ではありません。それでも女性が自然に選んだという事実に、僕はジュネーブでローラン・フェリエ氏に話を聞いたときのことを思い出していました。
ケースの曲線や着用感を最優先に設計しているというその言葉通り、この時計はサイズの数字以上に、手首の上での収まりや感覚が優先されている。その設計思想こそが、この選択の背景にあるのかもしれません。今岡氏も初めて手に取った時のことを振り返り「時計の方から寄り添ってきたというか」と表現されていました。ケースの収まりやリューズの感触、巻き上げたときのわずかな音。そうした要素を含めて、触れてはじめて分かる心地よさです。
そのどこか温かみのあるダイヤルデザインや柔らかなラインは、説明を必要とせず、まず感覚として届くものがあります。実際に手に取ったときの印象も、その延長にありました。強く主張する魅力ではなく、むしろ違和感がないこと、自然に馴染むこと。その感覚が先に立ち上がるような「五感で楽しむ時計」。この言葉は、ローラン・フェリエを理解するうえで重要なヒントだと思います。
いま時計市場は、分かりやすい価値や強い主張だけで評価される段階から、少しずつ変わり始めています。ローラン・フェリエは、その問いに対するひとつの答えとして選ばれている時計なのでしょう。