ザ・シチズンは、シチズン時計の創立65年を記念して1995年に誕生したブランドである。発表当時の新聞広告には「壊れないキカイはない。しかし、直す努力は続けられる」と謳われ、いたずらな付加価値でなく、本当に価値ある時計を目指す姿勢を訴えた。文字盤に掲げたイーグルマークには「常に先を見据え、理想を追求する」、「身に着ける方に永く寄り添う」というふたつの意志が込められており、まさに定冠詞・theの示す唯一無二の存在としてあり続けているのである。そして今年は30周年を記念し、藍染和紙文字盤などの限定モデルを始め、アイコニックネイチャーコレクションからもいくつかのリリースがあった。その最新作として注目されているのが、それぞれ日本の秋と冬をテーマにしたふたつのモデル、AQ4103-16WとAQ4100-22Aだ。
千年継承されてきた美を「をかし」の情緒のもとに描く
AQ4106-00A
不易流行。ザ・シチズンの歩みにはその言葉がふさわしいだろう。普遍的な価値という幹から、時代に即した変化という枝葉を伸ばすことで、伝統は継承され、文化は発展する。松尾芭蕉が『奥の細道』の旅路で到達した俳諧の理念である。その精神を映し出すアイコニックネイチャーコレクションは、2022年にザ・シチズンより発表された特別コレクションだ。その薄さ、丈夫さから高知県は日高村で製造される土佐和紙を文字盤に用いながら、借景窓に見立てたベゼルで情景を切り取る明確なコンセプトを持つ時計がラインナップされていた。そのモチーフとなったのは、古くから日本の詩歌や絵画のモチーフとなってきた春夏秋冬。移ろいゆく自然を表現した第1弾の4モデルに続き、2024年には花鳥風月をテーマとした第2弾が登場した。そして30周年記念モデルではその第3弾として、『枕草子』に描かれた情景をもととした4本を新たに発表。先の3月に発表されたAQ4106-00AとAQ4100-22Lはその先鞭であり、それぞれ千年前の京で人々が見ていた春夏の風景を文字盤に落とし込んでいる。
右からAQ4106-00Aに使用された雲龍紙と、AQ4100-22Lで用いられた典具帖紙。
コレクションを特徴づけるのが文字盤を飾る土佐和紙、そのなかでも特に薄さが際立つ典具帖紙と、繊維による印象的なパターンが目を引く雲龍紙だ。古くから障子や行燈などに用いられてきた和紙は、光の透過性を備えた光発電エコ‧ドライブの文字盤に適した素材であり、独特の風合いは日本古来の美意識を繊細に表現する。ザ・シチズンではこれを文字盤にあしらうことで、書院造や茶室などに見られる円窓をイメージさせる。とくに知られる京都・源光庵本堂の円窓は悟りの窓とも名付けられ、禅の悟りや宇宙の真理を意味する円相に外界の風景を絵のように切り取っている。実際にその姿を目にすると、本来地続きであるはずの借景窓から、まるで遠いどこかの地を覗いているかのような錯覚を覚える。手首の上の小窓から古きよき日本の風景を垣間見るザ・シチズンならではの感覚は、まさにこれに近い。さらに新作では和紙の独特のニュアンスに、にじみやかすれという表現を重ね、複雑でありながらより情感に訴える美しさを導き出した。そこで求めたのは「をかし」という日本の美的理念だった。
AQ4100-22L
「をかし」とは平安時代に貴族のあいだで使われた言葉で、興味深い、趣がある、優美、滑稽といった多くの意味が混在する。同時代の「あはれ」という言葉の持つ情緒や美しさへの共感性に対し、より主体的で客観的な感覚美を表す。見たものをそのまま美しいと思う感情や、その直感的な美意識であり、清少納言が『枕草子』で用いた「いとをかし」の表現でも知られる。まさに借景窓から臨む自然の光景に目を奪われるように、文字盤に表現された季節感とそこに刻まれる時の表現に「をかし」の情緒を感じるに違いない。
秋の夕日に輝く連峰、冬の雪朝に輝く雪面を文字盤に映し出す
AQ4100-22A
AQ4103-16W
『枕草子』の序文にはこうある。「秋は夕暮。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず」。今年の10月9日(木)に発売となるAQ4103-16W は、そんな秋の夕暮れの美しい一瞬を黒色の和紙文字盤に金箔を散らすことで表現している。文字盤の形状にした和紙に、版下を使って金箔を手で施すザ・シチズンとして初の技法だ。プリントでは表現できないこうしたかすれのニュアンスの上から、さらに10時方向に向かってオレンジにグラデーションする透明な上板を重ねることで、和紙の色味とさりげない濃淡が溶け合い、秋の夕暮れと空の移り変わり、深みが感じられる。そこに、メンズモデルとして初めてデュラテクトアンバーイエローを施したスーパーチタニウム™のケースが、ヴィンテージテイストを醸し出す。
AQ4103-16W。デュラテクトアンバーイエローの開発者は、その色調にヴィンテージウォッチに見られる温かみを求めたという。
季節は深まり、AQ4100-22A は文字盤に冬の情景を描く。ここで再び、『枕草子』の序文を引いておきたい。「冬はつとめて。雪の降りたるは、言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭もて渡るもいとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし」。表現するのは、徐々に夜が明け、朝日に照らされて神秘的に輝く冬の早朝の雪景色だ。砂子蒔きと言われる伝統的な技法によって手作業でプラチナ箔を雪のように舞い散らせ、6時方向へと淡くグレーにグラデーションする上板を重ねることでにじみを演出する。美しい雪氷を思わせる白文字盤は角度を変えるとより濃淡を増し、異なる表情を見せ、厳しい冬の寒さに温もりをもたらす炭に見立てたグレーの秒針やレザーストラップが程よいアクセントとなっている。いずれのモデルも、時の移り変わりによって自然がより美しく感じる瞬間を切り取り、時計に落とし込んでいるのだ。
AQ4100-22A。ケースのベース素材はチタンでありながら、デュラテクトプラチナの加工によって美しい光沢を湛えている。
こうした自然に息づく日本の美意識の表現に欠かせなかった素材が土佐和紙だ。手がけるのは高知県日高村の「ひだか和紙」。製造する典具帖紙のなかには、厚さ0.02mm、1㎡あたり重さ2gと紙として世界最薄を誇るものもあるという。清流・仁淀川が流れる恵まれた自然のなか、天然の楮(こうぞ)を手作業で処理したのちに機械で漉く。一般的な手漉きに比べてより薄く均等、かつ丈夫さに仕上がり、品質管理やサイズの調整もしやすい。こうして伝統的な技法と工業技術の組み合わせから完成した極薄和紙は、文化財修復の観点からも注目を浴び、いまやルーブル美術館や大英博物館、メトロポリタン美術館といった世界30カ国以上の美術館や博物館で使用されている。歴史的な芸術作品の保護を支える、日本が誇る現代のクラフトマンシップだ。
ひだか和紙にて製造される世界一薄い紙とも言われる、典具帖紙。Photograph by Akihiro Yamanaka
向こう側が透けるほど薄い和紙は、エコ・ドライブの発電効率を大きく妨げない。Photograph by Akihiro Yamanaka
和紙文字盤は、情感溢れる美観と唯一無二の個性をもたらすばかりでなく、その内に秘めた光発電エコ・ドライブの駆動にも十分な光の透過性を併せ持つ。じつはザ・シチズンにおける和紙の採用も、当初は日本の伝統工芸への着目というよりも、文字盤でのより美しい白の表現にあったという。それまでの樹脂文字盤にはない白の質感を求め、たどり着いた結果が和紙だったのだ。先進技術の求める機能性を、日本の伝統素材が満たす。もちろんそこには多くの試行錯誤と研究開発があったことは言うまでもない。その厚みや繊維のけば立ち、さらに静電気の発生や透過率の追求など、工業製品が相手でないだけにひと筋縄ではいかなかった。さらに藍染めや金箔、プラチナ箔といった装飾を施した際も、そのつど実験を積み重ねた。生産者と培ってきた膨大な知見や技術、品質の追求が、そこには凝縮している。ちなみに、シチズンが開発した世界初のアナログ式光発電エコ・ドライブは、来年誕生50周年を迎える。よりよい未来につながる新たな技術への先見性は、天然素材と人の手を介した伝統的な技法と結びつくことで、さらなる可能性を広げたのである。
向こうが透けて見えるほどに、典具帖紙は薄い。
平安中期、それまでの唐風文化に変わって国風文化が栄え、かな文字による女流文学の発達とともに日本独自の文化や感性、表現の世界が花開いた。「をかし」はそうした背景から生まれた言葉だ。語源は「をこ」であり、本来からかうような意味合いではあったが、それを文学的に洗練させ、新たな意味を持たせたのである。それは現代に生まれては消えていく言葉遊びにも通じ、豊かな感受性に溢れる清少納言が京で見たであろう夕暮れの山の稜線、早朝の雪景色への心情を30周年記念モデルは呼び覚ます。世代によってそれはけっしてリアルな体験ではないだろう。だが、日本の原風景として確かにあり続ける。これは時間という見えない存在と同様に、DNAの記憶の奥深くに刻み込まれたものなのかもしれない。そんな思いとともに、独創の技術と伝統的な装飾を時計としてまとめあげた。ザ・シチズンは、そんな日本ブランドならではの美意識が詰め込まれた時計だ。そのさまこそ、いとをかし。
ザ・シチズン30周年記念限定モデル新作ギャラリー
AQ4103-16W
47万3000円(税込)
スーパーチタニウム™ケース(デュラテクトアンバーイエロー)、LWG認証のワニ革バンド。文字盤は典具帖紙に金箔。38.3mm径×12.2mm厚。重量56g。10気圧(日常生活用強化)防水。Cal.A060:光発電エコ・ドライブによるクォーツ駆動。フル充電時約1.5年連続駆動(パワーセーブ時)耐磁1種を備え、精度は±5秒/年。時・分・秒表示に加えてデイト、パーペチュアルカレンダー機能を搭載。10月9日(木)発売予定、限定400本。詳細はこちらから。
スーパーチタニウム™ケース(デュラテクトプラチナ)、LWG認証のワニ革バンド。文字盤は典具帖紙にプラチナ箔。38.3mm径×12.2mm厚。重量56g。10気圧(日常生活用強化)防水。Cal.A060:光発電エコ・ドライブによるクォーツ駆動。フル充電時約1.5年連続駆動(パワーセーブ時)。耐磁1種を備え、精度は±5秒/年。時・分・秒表示に加えてデイト、パーペチュアルカレンダー機能を搭載。10月9日(木)発売予定、限定400本。詳細はこちらから。
Photos:Jun Udagawa Styled:Eiji Ishikawa(TRS) Words:Mitsuru Shibata