「"GRAIL WATCH" =聖杯なる時計、究極の時計」という言葉は、私がインターネットで時計の記事を読むようになってからずっと目にしてきたものだ。片思いの高級品を「聖杯」と呼ぶのは、ちょっと新鮮かもしれない。この言葉は、1180年にクレティアン・ド・トロワが書いた未完の作品に初めて登場した、聖杯の伝説に由来している。ほとんどの物語で聖杯は探求の対象であり、その達成はほぼ不可能なのだ。困難で何年もかかり、個人的に大きな犠牲を払いながら崇高な意思と純粋な心が必要とされる。追い求めることはあっても、目にできることはほとんどないのだ。
どうしても欲しい時計を手に入れようとすることは同じような気持ちだと感じることがある。もっとも、ノーチラス 5711を手に入れるのに純粋な心が必要かどうかは疑問だが。あるクラスのものを好きになると、最初は簡単に手に入ることもある。その後さらに深く知るようになると、欲望はどんどん大きくなり、しばしば非現実的なものになっていく。
しかし、「究極の時計」は考えたり、話したり、夢見たりできる楽しいものだ。私の場合、何年にもわたって数本のそうした時計があった(それが時計の究極に素晴らしいところだ。なぜ1本だけで終わらせる? 『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』 でハン・ソロが言ったように「私は想像力が豊か」なのだ)。
長年にわたって私の特別な「究極の時計」だったのは、1970年代に叔父の腕で初めて目にしたロレックスのデイデイトだった。このデイデイトについては、2016年にとても長い記事を書かせてもらった。振り返ってみるとそれは、アツいハートを持ち文学的におおげさなものを書いてしまう我々(たいていは思春期だが、ときには例外もある)が書く手紙のようなものだった。その相手が私のために時間を割いてくれそうもないのは5秒間の理性的な分析で明らかだが、愛しい相手なのだ。
わかっている。なんでまたゴールドのデイデイトを、と思う人もいるだろう。ただ、これは他にない時計なのだ。冷血で冷酷な犯罪の首謀者(『ユージョアル・サスペクツ』のカイザー・ソゼ)の時計として、また、イタリア系犯罪組織の無数の中堅幹部の腕にはめられた時計として、何度も映画に登場しているが、それもまた私にとっては魅力のひとつなのだ。心には理性では計り知れない理由があるものだ。ただ欲しかった。
2週間前、私はHODINKEEの記事執筆1000本を達成した。その1000本めの記事を書いた数日後、6年間私のやりたいようにやらせてくれたベン・クライマーから(彼がこれまでに示した最も強い反対意見は、私がバネ棒の発明者の記事を書いた日だったと思う。彼は自信なさげに私のデスクに歩み寄り、淡々と「それで......本当にこれを出すんだよね?」と言った)、オフィスで会って話をしないかと誘われた。この1年半のあいだ、お互いにめったに会えなかったことを考えれば、自然なことのように思えた。
言っておくが、もし彼がスパイとしての第二のキャリアを望むならば、何の問題もないはずだ。私は全く気づかなかったのだから。我々はたわいもない、しかし明らかに意味のある心のこもったおしゃべりをし、その最後に何の前置きも前触れもなく、彼はニヤリと笑い、私が見落としていた灰色の革製の小さな箱を棚から取って手渡してくれた。開けてみると、そこには36mmのイエローゴールドのロレックス デイデイトが入っていた。
手に入れた今では、運命が私の戯言に気づいてくれたように感じている。
彼が「1000記事達成おめでとう」と言ったのを憶えていると言いたいところだが、耳のなかで血が沸き立つような感じがしていた。叔父の手首の1803に初めて気付いたのは1971年だったから、50年も前から憧れていたことになる。感慨深いものがあった。根っからこの仕事が好きな私だったが、それに関しては長い片思いだった。クリスマスの朝のようにその日を迎え、自然と何かを期待してしまうものだった。本当に、その日私は会社から熱に浮かれたような感じで帰ったが、それは気温が33℃だったからではなかった。
私は、基本的な夢の実現ということに、もう少しニュアンスのある見方をすべきだと感じた。結局のところ、それは願望の実現であり、それは長い間育んできたもので、感傷的なものではあるが、それでも願望には違いないのだ。長年にわたり、私は禅宗から多くのことを学んできた(ただし、実際に戒律を守ることに関しては、なんとか......いや、正直なところ、まったくできていない)。この仕事をしていてよく思うことのひとつは、欲望とは(仏教の観点から見れば)最大限の慎重さをもって向き合うべきものだということだ。
また、仏教徒が欲望を問題視しているというのではない。ソクラテスは「私が楽に持ち運べるだけの黄金を持たせてください」と祈ったことがあるし、この2500年の間、ほとんどすべての著名な哲学者が同じ気持ちを表明してきた(ただし、マルキ・ド・サドについてはまだ審査が終わっていない)。
つまり、イエローゴールドの36mmのデイデイトが欲しかったとき、私はその欲求を、他には文句のつけようがない倫理的な生活のなかの無害な欠点、いわば無意味な古い倫理基準の無作為な震えだと考えることができた。しかし、手に入れた今では、運命が私の戯言に気づいてくれたように感じている。 ああ、確かに私は欲しかった。そして実際に手に入れた今、私は見苦しいほどの恍惚感に満たされている。
しかし、単純な事実として、これはとてもクールな時計だ。これは1803(50年前に叔父がつけていたのと同じリファレンス)のノン・クィックセットで、いわゆるフルセットのものだった。付属書類によると、1967年に香港の米軍基地でジョン・C・エルベンという人物が購入したものだ。売渡証には、彼の階級が「少佐 (相当) 」と書かれているが、これが何を意味するのかは不明である。少佐(相当)のエルベンはよい1年を過ごしたのだろう。彼はブレスレット用の追加出費は控えたようだ(この時計には当時のロレックスのストラップとゴールドのバックルが付随していたが、私は現在、アフターマーケットのゴールドのイタリア製ブレスレットを付けている)。
この時計を手にして最初の週に、手で日付を6月30日から7月1日に進める必要があった。 これは思っていたほど面倒なことではなかったし、5分ほどしかかからなかった。午前0時を過ぎて針を進めると、曜日と日付が切り替わり、午後9時頃に針を戻して再び午前0時過ぎまで進めると日付だけが切り替わり、曜日は進まない。50年を過ぎた時計にしては、動作が非常にしっかりしていると感じたが、これは私が手に入れる前に受けたサービスのおかげでもある。曜日のジャンプはとてもエキサイティングで、満足のいく音を立てて所定の位置に飛び込んでくる(例えば、車好きの人がヴィンテージのミウラの再生されたエンジンを始動させることほどエキサイティングではないが、私は時計ライターなのだから仕方がない)。
ムーブメントはロレックスのレパートリーでも定番のものだ。Cal.1555は、ムーブメントの25石に加えて、スムーズな動作と摩擦を減らすために、カレンダー部分にも石が使われている。ブレゲのオーバーコイル・ヒゲゼンマイ、マイクロステラナットのタイミングウエイトを備えたフリースプリングテンプを搭載しており、この2週間正確に時を刻み続けている。ロレックスらしく。
「ヒーローに会うことを恐れてはいけない」という言葉がある。2016年に2つのデイデイトと1週間過ごし、身につけることを楽しんだ経験から、私はこの言葉の意味を知った。私が知らなかったのは、もちろん、実際に所有したときの感覚だ。ある程度時間が経たないと分からないこともある。HODINKEEのコミュニティメンバーや時計愛好家の中で、"ビッグワン "のために節約しお金を貯め、実際に手に入れてみて、結局なじまなかった経験をしたのは私だけではないはずだ。
しかし、今回は違った。もしかしたら、この時計が個人的な節目を祝っていることと何か関係があるのかもしれない - 実際、そうだと思う。でも本当は、私がこの時計をずっと欲しがっていて今非常に満足しているのは、理性ではわからない理由があるからだと思う。朝この時計をつけて、それが一日中腕の上で光っているのを見るのは、まったくもって理不尽な喜びであり、理不尽であるがゆえに、その喜びはいっそう強くなるのだ。
All photos by Tiffany Wade.