ポーランドの南部、クラクフから45分ほど移動すると、リビョンシュという小さな村がある。石畳の道、曲がりくねった坂道、そして日の長い夏には午後10時ごろから始まる夕焼けが見られる、とても美しい町だ。
3年前の夏、私はそこで育った妻のカシアと一緒に訪れた。アメリカで正式に結婚した私たちは、結婚を祝うために訪れたのだ。そして、家族の全員を訪ねることにした。特に彼女の曾祖父母を。
妻の曾祖父の名前はヨーゼフ・リソウスキーだが、私たちはヨゼックと呼んでいる。ある日の午後、私たちは彼と一緒に居間に座って話をしていたが(カシアが通訳)、彼はたまたま私の時計に気がついた。私はロレックスのGMT マスターII(バットマン)をつけていた。彼は、黒いダイヤルに大きな白いマーカーが見やすいと言い、テーブルから立ち上がって何かを取りに行ったが、それが何かはわからなかった。
彼は時計を手に戻ってきて、その四角い金のケースのものをテーブルに置いた。それは輝いており、私はそれを持って光に当ててみた。その時計はグラスヒュッテだったが、私が慣れ親しんだグラスヒュッテとは違っていた。バイソンと呼ばれるもので、つまり……かっこよかったのだ。グラスヒュッテのマークの下には“Spezimatic”の文字があり、バイソンの下には“26 rubis”とある。しかし、ダイヤルの一番下にはもっと面白いことが書いてあった。
このブランドの現状を知っている私は“Made in Germany”の文字を期待していたのだが、そこには“Made in GDR (ドイツ民主共和国)”と書かれていたのである。
そう、ドイツ民主共和国とは、共産主義ドイツ=旧東ドイツの政治体制の名称だ。ポーランドも第二次世界大戦後から1989年までは共産党の支配下にあったから、彼がこのような時計を持っていたのもうなずける。
知りたいことは色々あったが(ほかにもたくさん!)、このバイソンがどのようなもので、どのようにして手に入れたのかを知りたかった。彼は私に語ってくれた。
ヨゼックは1931年12月14日、まさにこの町、リビョンシュで生まれた。18歳でジャニナ鉱山で働き始めたが、この鉱山は町のほとんどの住民を雇用しており、現在も雇用は続いていると言う。
彼は35年間、育った街の地下で鉱山労働者として働き、53歳のときに退職した。働き始めた10代のころは、学校に3日、鉱山に3日という生活を送っていた。鉱山の管理者が彼を探しに来たとき、タンスの後ろに隠れたこともあったという。すでにフルシフトで働いていても時にはダブルシフトに呼ばれることもあったのだ。
ヨゼックが本当によく働いたのは明らかで、それを裏付けるハードウェアも持っていたのだ。彼のブレザーについている記章(ずっとつけたままで、特別な時にしか着ない)は、優れた特別な労働に対しての昇級や表彰を表している。しかし、これらのすべてがメダルの形をとったわけではない。
鉱山での25年間の勤務に対する勲章は時計だった。それがこれというわけだ。彼は、時計を受け取ったわずか4人の従業員うちの1人だった。ポーランドの鉱山労働大臣が壇上で彼に授与したのだが、これは非常に大きな出来事だった。そして、彼の妻であるゾフィア(私たちは彼女をゾシアと呼んでいる)も、観客席でそれを見守っていた。
このバイソンを見て確かにわかるのは、彼がこれを身につけていたということだ(鉱山でつけていたことはない)。アクリル製の風防には6時位置近くにかなり大きな欠けがあり、GDRの文字が見えにくくなっている。金メッキのケースは、美しい放射状あるいはサンバースト状の仕上げが見えるが、特に角の部分には長年の摩耗が誇らしげに見える。オリジナルのストラップはすでになく、代わりにステンレススティール製のブレスレットがつけられているが、個人的にはこの時計の雰囲気に良く合っていると思う。
私が特に好きな部分は、ダイヤルを彩るさまざまな書体だ。昔ながらのスクリプトを使ったブランドのワードマークからフラットAスタイルのセリフ体のレタリングまで、視覚的な面白さが満載だ。また、ブラックのアプライドマーカーが針とマッチしており、ダイヤルとのコントラストが美しい。
裏返してみるとクローズドケースバックになっていて、そこには文字がびっしり書かれていた。ここに“14K Goldplaque(14金メッキ)”の表示があった。また、写真をよく見ると、2つの採掘道具が交差している小さな刻印と、勤続25年を表す25の数字があるのがわかる。
この時計は、1964年ごろから1980年まで製造されたGUB Cal.75を搭載している。Cal.74(1964年の発表当時、世界で最も薄い自動巻きムーブメント)とは異なり、これには日付表示が搭載されている。GUBはグラスヒュッテブランドの略称だ。この時計は、SpezialとAutomaticを合わせてSpezimaticと呼ばれている。バイソンという名前は、大きなケースに比べて細いラグが、大きな体のわりに足が細いバイソンを連想させることからついたものだ。
調べてみると、この時計は、20世紀半ばにヨーロッパの共産主義国の国々で非常に人気があったようだ。この時計を手にするまで、この時代のグラスヒュッテについてほとんど知らなかったため、不思議に思っていた。
この古い東ドイツのGUBの時計ついては、深掘りしがいのある探検があるに違いない。腕時計にこだわる私は、間違いなくその旅をすることになるだろう。しかし、私にとってこのような時計の一番の魅力は、所有者にとって歴史はほとんど関係ないと言うことだ。ヨゼックにとって大事なのは彼自身の思い出であり、四半世紀の勤務を経てこの時計を手にしたという記憶こそが、唯一の歴史なのだ。
その後、彼は鉱山でさらに10年を過ごし、最終的にキャリアを終えて、見事に装飾されたブレザーをクローゼットに飾ったのだ。彼は、ストラップが切れるまで何年もバイソンを愛用し、新しいブレスレットを買ってさらに愛用していた。視力が衰えてきたのでより見やすい時計を選んでいるが、夏の午後にダイニングテーブルで会話をするときには、この時計をすぐに取り出せるように今でもそばに置いている。
All photos, Kasia Milton
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