私は大層な時計コレクションをもっていないが、もっている時計は私にとって非常に重要なものだ。以前の記事を読んでお気づきの方もいるかもしれないが、そのうちのいくつかは、私が受け継いだものか、家族の誰かが所有しているものだ。ほんの数週間前、HODINKEEラジオに電話をかけてきた人が、高価な時計をもっていて、それが家族の死という不幸な状況を経て自分が所有するに至った場合、その時計をもつことの罪悪感についてどう考えるかという質問を投げかけてきた。その人は特に、若くして、どういう経緯でそうした贅沢な品をもつようになったのかを他人に判断されることに対する考えを提起した。正直に言うと、私もそういったことで悩んだことがある。自分で購入したのではなく、家族から受け継いだ時計があるからだ。そのうちの1つが、ツートンカラーのロレックス デイトジャストである。この時計は、気楽に身に付けられるようになるまで何年もかかった時計で、自分にとって最も大切なものの1つになっている。
さて、ヴィンテージロレックスの世界にデイトジャストがある。 ツートンカラーのデイトジャストは、次の2つのカテゴリーのいずれかに入ることは間違いない。この時計はしばしば“おじいちゃん”の時計、もしくは時に“ベイトマン(映画『アメリカン・サイコ』の主人公。バットマンではない)”の時計と考えられている。ある人にとっては、単なるロレックスにすぎない。ツートンカラーのデイトジャストは時計収集の対象だろうか? まあ、違うだろう。実際、ほとんどの人がシリーズの中で最も収集価値があると考えているものは、ツートンカラーのモデル以外の全てだということが分かった。しかし、私にとって、この時計は潜在的に収集価値がある時計として考慮する価値がある。少しの間ハンター・S・トンプソンの言葉を借りるならば、一度本格的な時計収集に没頭すると、ツートンカラーであっても行けるところまで行く傾向にあるということだ。
ツートンカラーと共に大人になった
ツートンカラーのデイトジャストは、私が育った環境にあった時計だ。この時計についてはいくつかのバリエーションに触れてきたこともあり、私にとってデイトジャストとは、ロレックスと同義になった。今日、時計についてより積極的に関わるようになった私は、デイトジャストの膨大なコレクションと多様性に感謝するようになった。実際、デイトジャストは、まるで無限のバリエーションがあるように思えるというところでは、34mmのオメガ シーマスターに似ているといえるだろう。デイトジャストには非常に多くのモデルが存在しており、この時計には様々なインデックスやフォントスタイルを備えた極めて豊富なダイヤルのバリエーション(バックリー、パイパン、シグマ、リネン)があり、ブレスレット、クラスプ、素材にも様々な種類がある。これら全てを把握するのは不可能に近い。
幸運なことに、私が触れることができたのは、良くも悪くもツートンカラーのデイトジャストに限られていた。さて、私は祖父のロレックス サブマリーナーの話など、時計と家族のつながりについて、いくつかの話をしてきた。その中で、祖父の時計が購入された場所と時間を知るために行ったちょっとした調査について取り上げた。その調査によると、1967年のある時、祖父がおそらくドイツでマットダイヤルのサブマリーナー Ref.5513を購入したことが分かった。この時、祖父は別の時計も買っていた。それがシャンパンダイヤルとジュビリーブレスレットをもつツートンカラーのデイトジャストであり、1968年に父が大学を卒業した際に、祖父が卒業祝いとして贈ったものだった。父は自分でサブマリーナー(これについてはあとでお話しする)を購入して以降、祖父から贈られた時計を着けることはなくなり、その時計を着けているところを見たことはなかったが、私はその時計の存在を知り ながら育った。
その後、大学を卒業した父は、中学校の教師、ロースクールの学生、そして弁護士になったが、その間ずっとデイトジャストを身に着けていた。1982年、スイスへの旅行中、父は自分のロレックスを購入する用意ができた。さて、結論からいえば、父は2本の時計を購入していた。1本は自分用に、もう1本は祖父のための贈り物としてである。1つはマットダイヤルのサブマリーナー Ref.5513。そしてもう1本は、シャンパンダイヤルとジュビリーブレスレットを採用したツートンカラーのロレックス デイトジャストだ。父は、祖父が15年前に買ったのと同じ2つの時計を買っただけでなく、祖父が父のために買った時計と実質的に全く同じ時計(後に説明するが、完全に同じではない)を、祖父のために買ったのだった。なぜそんなことをしたのかと聞くと、父はツートンカラーのデイトジャストが“最高の時計で、好きだったからだ”と答えた。そういわれると反論の余地はなかった。祖父は、父からの贈り物のデイトジャストをその後10年ほど着用していたが、父と同じようにタイメックスを買ってからは着けなくなっていた。
つまり、2本のデイトジャストは早々に使われなくなり、家宝のように狭く暗いところへ押し込められることとなった。2本の時計が一時的に行き着いたのは、幼い頃に住んでいた家の地下にある時計ケースだった。こっそりと地下へ降りていっては、家宝となったスティールとゴールドを組み合わせた2本の時計を見たことを覚えている。私は当時、その2本を見分けることができなかった。その後、2本の時計はそれぞれの主を見つけることになる。1967年モデルは現在、弟が所有しており、18歳の誕生日に父から贈られた。1982年モデルは現在、私が所有していて、祖父が亡くなった後、私のものとなった。
そして、私の家族にはまだ3本目のツートンカラーのデイトジャストがある。1970年代後半から1980年代前半に、やはり父が購入したこの時計は、ツートンカラーでシャンパンダイヤルを採用したデイトジャスト オイスタークォーツだ。父は後にダイヤルカラーをブルーに変更したが、当時はまだロレックスがダイヤルの変更を認めていた。その時計は現在、兄が所有している。私はこれを家族の伝統だと思っている。オイスタークォーツは、それはそれで興味深く希少なモデルだが(25年間の生産で2万5000本しか生産されなかったといわれている)、今回は、20年近く時間を置いて同じ方法で購入された、2本のツートンカラーのデイトジャストに焦点を当ててみたいと思う。
新旧モデルを比較
一見すると、2本の時計は同じ時計に見えるが、私の父でさえ、今でも見分けるのに苦労している。しかし、実際には全く違う時計であり、その違いこそがこれらの時計を比較することの面白さとなっている。こういった違いを調べることは、ロレックス収集の大きな世界への第1歩である。非常に細かいことや、一見取るに足らないように見えることにも目を向けることが大切なのだ。それ以上に、これらの2本の時計を比較することは、一般的なヴィンテージ時計の見方の縮図でもある。まずはよく見て、それからさらにじっくりと細部まで見比べてみて欲しい。
どちらの時計も“1601”から始まるレファレンスナンバーをもつ(1982年モデルは16013)が、これは同一性を表す一部分に過ぎず、ダイヤルと時計内部の両方の要素による組み合わせによって示される。1601とそれに続くレファレンスナンバーをもつ時計は、非常に長い間生産されていため、時間の経過と共に変化が生じことになった。一見すると、この2本の時計は作られた時代が異なるだけで同じベーシックなモデルのように見える。1本は1967年にツートンカラーのデイトジャストで、もう1本は82年に作られたものだ。しかし、この2本にはたくさんの細かな違いがあり、デザインの微調整によるものもあれば、経年変化によるものもある。
一例を上げると、67年のデイトジャストのダイヤルは明るく、ほぼマットな仕上げとなっているのに対し、82年のデイトジャストのダイヤルは、今日では一般的なサンレイ仕上げとなっている。67年モデルのシャンパンカラーは、サンレイ仕上げのダイヤルよりもはるかに明るい色をしているが、これは経年変化による可能性がある。67年モデルのダイヤルは、マットな質感を持っているにもかかわらず、光を多少反射することで、グラデーションのような色合いを帯びている。全体的に見て、マットなダイヤルはさらなるヴィンテージの美的価値観を与えている(文字通りヴィンテージなので、本当の意味で“美的“ではないが)。
67年モデルのデイトジャストのダイヤルに施された印字は、まるでハンドペイントような質感をもっている。以前にもヴィンテージウォッチとそれに影響を受けた時計の両方について同じことを言ったが、ダイヤル上の印字のわずかに不完全な特徴は、本当に美しい効果を生み出す。67年モデルのダイヤルを見てみると、“PERPETUAL”の“A”と“CHRONOMETER”の“M”が、太字になっているという不完全な部分が目立って見える。これらが製造当時のダイヤルにおける特徴なのか、それとも時間や経年変化(おそらくインクや塗料のにじみ)が影響しているのかは分からない。全体的に、67年モデルのダイヤルの印字は太く、よりくっきりとしていて、さらにコンパクトになっている。このダイヤルは文字の装飾が控えめで、より道具のような魅力がある。ダイヤル上部のロレックスのロゴとそれに付随する印字も、後に発売された82年モデルに比べて高い位置に配置されている。
1967年モデルは、くさび形インデックスを採用し、6時位置と9時位置のインデックスは長方形になっている。この時計のインデックスの夜光塗料も経年変化によって、ほぼミントアイスクリームのような色になっている。針は伝統的なスティック形だが、夜光塗料は経年変化でわずかに脱落している。欠けた痕跡が見えるはずだ。ミニッツトラックは、全ての長さが均一で、各アワーインデックスではわずかに太くなり強調されている。
次に82年モデルをより詳しく見てみると、より均一かつ正確で、現在作られているダイヤルの品質からほど遠くないように見える。ダイヤルの印字は、特徴的な装飾付きの字体のままだが、より細く、67年モデルよりわずかにすっきりとしている。そして、ダイヤルには取り立てて言うほどの不完全な部分はない。
82年モデルは、ダイヤル全体に伝統的なスティック形インデックスを採用している。この時計のインデックスの夜光塗料も同じように経年変化しているが、むしろ黄褐色やカスタード色になっていて、経年変化するにつれて全体的なダイヤルの美的価値観に調和しているといえる。針の夜光塗料は、もはや機能していないが、欠けや、脱落と言えるものは全くない。この時計のミニッツトラックは、強調される部分の長さが(完全なサイズに部分と4分の1サイズの部分)交互に変わり、67年モデルと同様にアワーインデックスのところが太くなっている。
類似点としては、2つの時計はラグ穴付きでゴールドのフルーテッドベゼルを備えた同じ36mmのオイスターケースを採用している。また、ダイヤル下部にある“T Swiss T”の印字、デイトジャストの象徴的な“J”の文字、ゴールドのロレックスクラウン、サイクロップレンズのデイトウィンドウ、トリチウムの夜光塗料、アクリルの風防といった点も同じだ。さらに、パティーナ(経年変色)は、ダイヤルだけでなく、ケースとブレスレットにも生じる。67年モデルのデイトジャストでは、82年モデルに比べて、パティーナが進んでいることが分かる。ゴールドのフルーテッドベゼルやエンドリンクには、ほとんど紫色、もしくはピンク色に変色したようなゴールドの酸化が見られる。何年も前に、この67年モデルのデイトジャストをオーバーホールに出した際に、ブレスレットの“伸び”について何とかならないかとロレックスに尋ねたことを思い出す。それ以来、私は考えを変えて、これを欠陥ではなく、ヴィンテージの魅力として考えるようになった。見方によっては、67年モデルのゴールドがローズゴールドのように見えても不思議はない。
どちらの時計も伝統的なツートンカラーのジュビリーブレスレットを採用しているが、全体的に厚みが異なり、新しいモデルの方がはるかにしっかりした感触をもっている。違いはクラスプを見た時に再び表れる。67年モデルでは、古いオイスタークラスプを採用していて、先端のロレックスクラウンを使ってクラスプを開くことができる。後に発売された82年モデルは、長年ロレックスの定番となった、標準的な長方形のクラスプを採用していて、このクラスプには王冠が刻印されている。
時計の内部を見ると、67年モデルは、Cal.1575ムーブメントを搭載しているが、82年モデルは(当時としては)はるかに近代的なCal.3035ムーブメントが時を刻んでいる。2つのムーブメントにはいくつかの違いがあるが、ユーザーの観点から最も顕著なものは、Cal.3035には秒針の停止機能(ハック機能)に加え、デイトのクイックチェンジ機能があり、Cal.1575にはこれらの機能がないということだ。興味深いことに、世代の違いにもかかわらず、どちらのムーブメントも、午前0時に日付が瞬時に変わる機能を備えている。
現在のツートンカラー
明らかに、この2本の時計の間には理知的に掘り下げていくのに十分な違いがある。ではなぜ、ツートンカラーのデイトジャストの話をあまり聞くことがないのだろうか? いや、実際は聞いていると思う。この時計があまりにもどこにでもあり、有名になってしまったため、コレクション性や収集意欲という点で見過ごされがちになってしまったのではないだろうか。それ以上に、トレンドはステンレススティールウォッチであり、ヴィンテージウオッチの場合、より時代を超越していると考えられているのに対し、ツートンカラーの時計は時代遅れで、1980年代の映画『ウォール街』の投資家、ゴードン・ゲッコーの雰囲気を感じさせる。
確かにこれは“おじいちゃん”の時計だが、個人的にこの時計を身に着けることは特別なことだ。この時計を身に着けると、祖父が私に何かを残してくれたことを思い出させてくれる。もし祖父がいなかったら、私はツートンカラーのデイトジャストを所有していただろうか? おそらく所有していないだろう。だが、このことは時計の世界で他の人々が何よりも私の嗜好の形成に与えた影響について物語っている。この時計は、ある意味では私が夢中になるのが必然だった時計だ。実際、長い間この時計を所有してきたことで、時計収集に対するより深い見識をもてるようになったと感じている。何がいいかを人に教えられるより、自分で体験した方がいい。また、この時計は、サブマリーナーと同じぐらい象徴的で、ひと目見てそれと分かり、同じぐらい機能的だ。私は、伝説のシルビア・アールとダイビングに行ったジェイソン・ヒートンの記事を思い出す。その記事で、彼女はデイトジャストを身に着けていた。ハリソン・フォードは1990年代のスリラー映画『フランティック』でデイトジャストを身に着けていたし、時計界のスーパースター、ポール・ニューマンが『ハスラー2』で、この時計を着用していることはよく知られている。また、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領はゴールドのデイトジャストで知られている。
私は、結婚式の日に身に着けるためにこの時計を選んだ。この時計を見るたびにその日のことを思い出すし、すべての写真の中に、この時計を着けている姿が写っている。我々は、時計収集の世界と最近のヴィンテージウォッチにまつわる天文的な価格に捉われることがある。それでも、まだまだ探す価値のある時計があり、たくさんある未知の領域を探索するのは良いことだ。 ツートンカラーのデイトジャストは、ヴィンテージウォッチの次の領域を象徴するものだと思う。物事には周期性があり、1980年代の美的感覚から遠ざかるにつれ、我々はそれの良さが分かるようになると思っている。
私は、自分の家族の奇妙な時計の歴史を嬉しく思っている。意図的か否かは別として、祖父が購入したのと同じ時計を、父が15年後に購入したことには、間違いなく「真実ではないとすればあまりに奇妙」な側面がある。また、祖父が父のために買ったのと同じツートンカラーのデイトジャストを祖父に贈るという、ある種の面白さもある。こういったことの全てが、私が時計を愛する一因となり、時計趣味における基盤となっている。多くの人が私のような物語を、もしかしたら、もっと風変わりな物語をもっていると確信している。いつか私も家族の伝統を守り、父のために新しい36mmのツートンカラー デイトジャストを買う日が来るかもしれない。
写真:カーシャ・ミルトン