今から半世紀以上前、人類が初めて月へと飛び立った1960年代は、次世代を見据えたテクノロジーが次々と実用化されていったダイナミズムに満ちた時代だった。時計業界にも電子化の波が押し寄せ、外装面においてもそれに呼応する新たなスタイルが求められていた。
そうした中でシチズンは、宇宙開発競争の中で注目を集めていた“チタニウム”という素材に着目する。軽量であること、金属アレルギーを起こしにくいことなど、チタニウムは腕時計にとって非常に実用的な特性を備えていた。そして1970年、シチズンは世界初のチタニウム製腕時計「エックスエイト クロノメーター」を発表。その後シチズンは試行錯誤を繰り返しながら技術を進化させていき、現在では多様なバリエーションのチタニウムウォッチを世に送り出す唯一無二のメーカーとなっている。
1970年に発表された世界初のチタニウムウォッチ、エックスエイト(X-8)クロノメーター。純チタニウム外装ならではの、鈍い光沢を放つグレーが特徴的だ。
シチズンがチタニウムに注目したのは、新たな時代を切り拓くにふさわしい素材を求めていたこと、そして同社が当時夢見ていた“一生ものの腕時計”を実現したいという強い想いがあったからだ。1960年代当時の一般的な腕時計には真鍮にメッキを施したケースが主に使われていたが、メッキは剥がれやすくサビにも弱いため、長く愛用される製品には不向きであった。その点、宇宙開発など最先端の分野で用いられていたチタニウムは、軽量で装着感に優れ、さらに金属アレルギーも起こしにくいという特性を持っており、常に身につける製品である腕時計にとって理想的な素材であった。1960年代のシチズンは、このハイテク素材にこそ未来があると確信していたのである。
しかし、そこには多くの課題が立ちはだかっていた。工業用途とは異なり、腕時計のケースには宝飾品としての美しさも求められる。ところがチタニウムは、ケースの成型から最終仕上げに至るあらゆる工程で、非常に加工が難しい素材であることは、現在ではよく知られている。材料の状態から時計の形状にするプレス工程、形状を整える切削工程、美しい鏡面やヘアラインなどの意匠に仕上げる研磨工程――それらすべてにおいて、これまで扱ってきた金属とはまったく異なる、高度な技術が必要とされたのである。
ちなみになぜ、エックスエイトから世界初のチタニウムウォッチが出るに至ったのか。その疑問の答えを探して1970年代当時の広報資料をひもとくと、1969年の『シチズンマーケティングニュース』には、アポロ11号の月面着陸成功を受け、当時近代的とされた電磁テンプ式の「エックスエイト コスモトロン」が大きな反響を呼んだと記されている。1年間止まらずに動き続ける“夢の時計”という電磁テンプの近未来的なイメージが、チタニウムという素材と共鳴したことも理由としてあったことだろう。
理想的な素材である一方、扱うには難しさを伴うチタニウム。だがこの挑戦こそが、シチズンにとって新たな道を切り拓く原動力となった。同社は以後も、チタニウムの可能性を追求すべく研究と試行錯誤を重ねていくことになる。
チタニウムウォッチの歴史を大きく前進させた“デュラテクト”
壁が大きいからこそ実現した時のリターンは大きいし、なにより挑戦心が燃え上がる。そんな思いに突き動かされるように、シチズンの技術者たちは情熱を注ぎ、1980年代から1990年代にかけてチタニウムウォッチの加工技術を着実に進化させていった。プレス工程では熱間鍛造を導入し、切削工程ではドリルの素材や刃の形状、回転速度の最適化を重ねることでチタニウムの切削を可能にした。しかし、ステンレスと比べてチタニウムは表面が柔らかく、微細な凹凸が生じやすいため、高級感のある外観を引き出す研磨工程には並々ならぬ困難が伴った。
さらにシチズンは“見た目の美しさ”と“表面の硬さ”を両立させるため、表面処理技術の開発にも本格的に着手する。ステンレス鋼などに炭素を浸透・固溶させて表面硬度を高める技術は、実は当時すでに確立されていた。しかし、それをチタニウムに、しかも腕時計という小さなケースに応用するには工程や条件をいちから見直す必要があったという。何度も試行錯誤を重ね、あきらめることなく技術開発を続けた末に誕生したのが、シチズン独自の表面硬化技術“デュラテクト”である。そしてこの技術を用いた初のチタニウム製デュラテクトウォッチ、「アスペック ワールドタイム」が2000年にデビューを果たす。
2000年に登場したアスペック。シチズンがチタニウムにデュラテクト加工を施した、最初のモデルである。
だがチタニウム特有のねばり特性によって加工中に削り屑がケース表面に付着し、それが研磨時に酸素と反応することで発火してしまうという問題も発生したりもした。こうした課題に対してシチズンは、ザラツ研磨をはじめとした複数の研磨技術を組み合わせるとともに、各加工工程ごとに独自の洗浄プロセスを導入。そうした積み重ねによって、チタニウム素材においても“美しさ”を表現することに成功していったのである。
そしてデュラテクトのカギを握るのは、物理蒸着法(PVD)と呼ばれている成膜技術。これは高い真空条件で製品に硬質の薄膜を物理的に施す技術で、イオンプレーティング(IP)やスパッタリングといった方法がある。また真空装置にガスを封入し、時計部品に熱処理を施して素材表面を結晶化し、硬化層を形成させるガス硬化技術を用いる場合もある。表面を硬くすること、素材自体を硬くすること、そしてその両方を融合させること。これら3種類の技術を巧みに組み合わせることで、シチズンは現在までにさまざまな種類のデュラテクトを開発してきたのだ。
何種類もの洗浄液を使用し、各工程前にチタニウムの削り屑を洗い流す。
チタニウムのパーツは最終的に、真空状態で加工が施される。
美しい時計をつくるだけでなく、その美しい状態を維持することで長く愛してもらう。それは市民のために広く受け入れられる時計をつくり続けてきた、シチズンの使命でもある。その願いは独自の素材、スーパーチタニウム™という形で結実したのだ。
チタニウムウォッチの可能性を広げた豊かな色彩表現
写真のモデルに使用されているのは左から、デュラテクトピンクゴールドにデュラテクトDLCブルー、デュラテクトDLCの結晶チタニウム。スーパーチタニウム™での表現は現在多岐にわたっている。
スーパーチタニウム™は軽くて肌に優しく、傷に強くてサビにくい。それだけでも十分に魅力的な素材だが、シチズンは腕時計の持つ“着用者の個性を引き立てる装飾品”としての価値を追求し、より幅広いデザインのニーズに応えるためにチタニウムウォッチでの多彩な表現を追求し始めた。デュラテクトのように耐傷性に優れたチタニウムでこれだけ豊かなバリエーションを揃えているのは、現在においてもシチズン以外にはない。以下に紹介する新色を含めて今では12種をラインナップしており、たとえば「デュラテクトチタンカーバイド」は、チタニウム特有の精悍さを持つシルバー色が特長。ドレスウォッチとしてもっと高級感のある輝きを出したいときには、プラチナさながらの輝きが長く続く「デュラテクトプラチナ」が用いられる。スポーツウォッチには素材の表面を結晶化させ、硬化層を形成して素材そのものの強度を上げる「デュラテクトMRK」が最適だ。そしてさらなる堅牢性を目指すなら、素材自体の表面を硬質化させた上から硬質被膜を加える「デュラテクトMRK+DLC」もある。
時計に求める機能性や、表現に合わせてデュラテクト技術を使い分ける。これはシチズンのスーパーチタニウム™にしかない強みだ。
多彩な種類のデュラテクトによって、デザインの可能性は広がった。それは嗜好品として腕時計を楽しむ現代のニーズにも合致している。この春登場した“デュラテクトアンバーイエロー(以下、アンバーイエロー)”は、落ち着いたイエローゴールド色を特長とする最新色。今回理想とする淡いゴールド色を出すためにはニッケルの使用が不可欠とされているが、それでは金属アレルギーに配慮した時計つくりは叶わない。シチズンはニッケルの代わりにニオブという金属を使用することで、金属アレルギーに配慮しつつ、ヴィンテージウォッチのように柔らかなゴールド色を目指したものだという。18Kのイエローゴールドは割金に使う銅や銀が硫化することで退色してしまうし、時計もわずかだが重くなる。しかも柔らかいので傷がつきやすい。もちろんアンバーイエローのスーパーチタニウム™なら、そういった心配とも無縁だ。現時点ではアンバーイエローのスーパーチタニウム™を使用しているのはレディスモデル1型の展開となっているが、今後メンズウォッチが登場すればゴールドウォッチにおいて合理的な選択肢となるだろう。
アンバーイエローをケースとバンドに使用した、xC(クロスシー)の最新作。
シチズンが先行して研究開発を進めたチタニウムの表面硬化技術だが、実はほかの高級時計ブランドでもDLCやPVDといった技術を取り入れたモデルは散見される。しかしこれだけのカラーバリエーションを揃えるブランドがシチズンのみなのは、すべて自社で開発しているからだ。たとえばデュラテクトDLCブルーは、薄膜⼲渉(無色透明のシャボン⽟が虹⾊に⾒えるのと同じ現象だ)の原理を利用して深みのあるブルー色を引きだした。表面に施す膜のわずかな厚みのずれががそのまま色に出てしまうため品質管理が難しく、量産が可能なレベルまで条件を調整するのに苦労したという。外部サプライヤーを使用していては、実現は難しかったかもしれない。
また、一般的な表面硬化技術の主流は工業機器が対象であるため、製造工程時に金属アレルギーの要因となるニッケルやクロムを使用することが多い(そのほうが機能性が高まるためだ)。しかしそれでは、長く愛してもらえる金属アレルギーに配慮した時計をつくることは難しい。だからこそシチズンは、頑なに表面硬化技術の独自開発にこだわるのだ。
「優れた時計を、長く快適に使って欲しい」。この変わらぬ願いを胸に、シチズンは時代の変化やユーザーの声に敏感に反応し、進化を続けている。豊かなカラーバリエーションの展開もそのいち例であり、近年増加傾向にある金属アレルギーへの対応もまた、シチズンが誠実に取り組んでいる課題のひとつだ。また、スーパーチタニウム™の美しい色彩を長く保つために、現在でもなお既存のデュラテクトにおいても常に改良を続けている。現状に甘んじることなく、常によりよいものを目指し、目の前の課題に向き合い続ける。シチズンがフィロソフィーとして掲げる“BETTER STARTS NOW”の精神は、まさにこうした姿勢そのものを体現している。
スーパーチタニウム™で“一生もの”の腕時計を追求し続けるシチズン
優れた機能性と美しいカラーリングを実現したスーパーチタニウム™。その魅力に光を当てるイベントが、3月14日(金)に東京・西麻布にあるカリモクリサーチセンターで開催された。会場には加工前のチタニウムや精巧なエックスエイト クロノメーターのレプリカ、初代アテッサなども展示され、さらにはデュラテクトのカラー技術を表現したインスタレーションも行われた。さらに会場を移動した第2部では、デュラテクトの開発に携わる佐藤利磨氏とデザイナーの黒田昭彦氏を迎え、HODINKEE Japan編集長・関口によるトークショーも開催。美しいだけでなく、人にやさしく、長く使える時計を開発したいという熱い思いや開発秘話が語られた。
黒田昭彦氏。プロダクトデザインを担当しており、プロマスターの立ち上げにも参画した人物。これまでにチタニウムウォッチの多くのデザインを担当。
佐藤利磨氏。外装開発を担当しており、この春登場した、アンバーイエローの開発者でもある。
そもそもチタニウムとは、実のところ地球上に非常に多く存在する金属であり、現在においては宇宙産業や航空分野はもちろん、身近なところではメガネやアクセサリーなどにも幅広く活用されている。チタニウム加工のパイオニアとしての矜持を持つシチズンは、自社独自の技術であるデュラテクトを他社にも提供している。「将来的にはデュラテクトがより広い分野で採用され、時計業界に限らずどの業界においても”技術ブランド”として当たり前の存在になって欲しいですね」と語るのは、この日登壇していた佐藤利磨氏だ
その姿勢を象徴する例のひとつが、2025年6月6日(金)※に2度目の月面着陸に挑む、民間企業による「HAKUTO-R」プログラムである。シリーズ1ランダーの着陸脚部に、シチズンのスーパーチタニウム™が使用されていることは、いまやよく知られた事実となっている。
美しいだけでなく、その美しさを長く保ち、人々の時間をより豊かにしてくれる技術。それが、シチズンのデュラテクトであり、スーパーチタニウム™なのだ。“一生ものの腕時計”を追い求めるシチズンの旅は、これからも終わることなく続いていく。
※2025年4月時点の想定
HODINKEE Japan × シチズン エクスクルーシブナイト2025の様子はこちら
Photos:Tetsuya Niikura[still], Keita Takahashi[event] Styled:Eiji Ishikawa(TRS) Words:Tetsuo Shinoda