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Freedom from Time フランク ミュラー 革命のアイコン“クレイジー アワーズ”を読み直す

“タイムレスなアイコンウォッチ”といえば、シンプルな機構の定番モデルを思い浮かべるかもしれない。だが、独立時計師の草分けであり、時間の概念ごと覆す斬新な表現や、高級時計ならではのていねいなつくりを持つフランク ミュラーの「クレイジー アワーズ」ほど新時代のアイコンにふさわしいシリーズはない。

今日、独立時計師やインディペンデントと呼ばれる少量生産の時計ブランドに寄せられる高い関心は、一過性のトレンドではない。高級時計に対して世界中のコレクターの理解が深まるなか、手仕事のクオリティや希少性、機械を通じて表現される時間や、さらにはその哲学へと、人々の関心や共感が広がり続けているからだ。ところがこうした価値観は、昨日今日に突然生まれたものではない。“独立時計師の手がける時計”、いわばつくり手本人の名前で選ばれる時計をさかのぼると、必ずやフランク ミュラーにたどり着く。

 個人としてのフランク・ミュラー氏はジュネーブの時計学校を首席で卒業したあと、1980年代を通じてオークショニアやミュージアム、コレクターたちによる古い時計の修復依頼をこなしつつ、ユニークピースの製作も請け負った。また同時に時計ブランドに属することなく自身の時計を製作したほか、メーカーからの依頼による時計製作も行った。まさに独立時計師の先駆けである。

 フランク・ミュラー氏は1986年に最初期のトゥールビヨンウォッチとなる1本を生み出した。それがフリー オシレーション(自動振動)トゥールビヨンだ。ジャンピングアワーダイヤル、ミニッツダイヤル、そして6時位置にありながらブリッジに遮られず、フェイス正面から眺められるトゥールビヨンを備えた3つの独立した表示機構のジャンピングアワー トゥールビヨンで、当時の国際的な時計見本市であったバーゼルフェアで発表され、華やかなデビューを飾った。そして同時に彼は、アブラアン-ルイ・ブレゲ以来、あくまで姿勢差や重力の影響を相殺して精度を保つためであった、“必要から生じた複雑なメカニズム”のトゥールビヨンを、1990年代の機械式時計のルネサンス前夜に、時の動きそのものを楽しむエモーショナルな機構に変えたのだった。

若き日のフランク・ミュラー氏。写真は1990年代初頭(1992年前後)に撮影されたもので、ちょうど独立時計師として頭角を現し、自身のブランドを設立した頃である。それまで影の存在だった独立時計師という存在を知らしめ、独自のアイデアと卓越したセンスにあふれた作品で、その地位をさらに高めた。

 フランク ミュラーの革新性は、いわば複雑機構を“時計師の個性”とした点にある。1991年にテクノウォッチ社(フランク ミュラー ウォッチランドの前身)を創業して以来、フランク ミュラーは自身の内に培ったスイスの機械式時計づくりの伝統を、最上の形で腕時計として表現し始めた。往年の懐中時計に通じるクラシックなローマ数字インデックスの「ラウンド」、あるいはアール・デコ全盛期を彷彿とさせる「トノウ カーベックス」や「ロングアイランド」など、古くからの時計愛好家を唸らせる一方で、この天才は数々の伝統的な複雑機構を設計し組み合わせ、これらのシリーズに搭載していった。2003年のバーゼルワールド&SIHHでは、時計メーカー各社から20数本ものトゥールビヨンが発表されたが、フランク ミュラーは水平と垂直の2軸方向にキャリッジが回転する多軸式トゥールビヨンを実現。まさしく時代の数歩先を行く“マスター オブ コンプリケーション”として君臨した。

 しかも同じ年、彼の視線、時間と機械式時計に対するヴィジョンがはるか先へ向かっていることを知らしめた作品として、もうひとつのモデルにも話題が集中した。それは一見すると単なる自動巻きのトノウ カーベックスだが、8時のインデックスが本来の12時位置にあって、うっすらとダイヤル上に浮き出たシャドウの数字もランダムに並ぶ、奇想天外な時計だった。これこそが「クレイジー アワーズ」だ。


時計は読むためでなく、着ける人の自由な時間のために存在する

 今日、フランク ミュラーのアイコニックな代表作を「トノウ カーベックス クレイジー アワーズ カラードリーム トゥールビヨン」に見いだせる理由は3つある。ジャンピングアワーとトゥールビヨンが組み合わされた、彼ならではの複雑機構の組み合わせであること、時間の概念を変える独創性、そして当時の高級時計としては異例のカラフルな色彩表現という3本柱だ。

 2003年の「クレイジー アワーズ」を見た誰もがクレイジーだと感嘆した理由は、“レクチュール・デュ・タン(lecture du temps=時間表示の読み方、転じて時間の読み取らせ方)”という、古くから時計師が時計をつくる上で前提としていた概念をものの見事に転覆してみせたからだ。

 本来あるべき時間の流れを時計は内包し続けるが、それを着けている本人が時々読み取ることで正確な時間を知ることができる、そんな“時間と時計と人間”の関係をクレイジー アワーズは根本から変えた。時計とは、ただ連続的に流れる時間を知るツールではなく、時間の束縛から解放され、自由を享受するために人が着けるものであることを端的に示したのだ。

 ただしクレイジー アワーズは唐突に無から生み出された複雑機構ではなく、伝統的なジャンピングアワーを下敷きとしている。一見無秩序にジャンプしているように見える時針は毎正時に5時間ごと、150°間隔で、次の正しいインデックス数字へと瞬時に飛んではピタリと止まり、分針は通常どおり60分でダイヤル上を1周することで時針と分針が時・分を示し続ける。とはいえ慣れ親しんだ時・分針のポジションから直観的に時間を読み取ることができない以上、見る者は時計に魅了され、あえて一瞬一瞬に切り取られた、ほかとは異なる時間に意識を傾けることになる。そこにはクレイジー アワーズならではの秩序、時間からの解放という哲学がある。 

トノウ カーベックス クレイジー アワーズ カラードリーム トゥールビヨン

Ref.7880TCHCOLDREAM 5N 4042万5000円(税込)

バラバラに配置された数字の上を時針がジャンプして時を告げるユニークなクレイジー アワーズと、重力誤差を相殺することを追求したトゥールビヨンを融合させたコンプリケーションウォッチ。クレイジー アワーズが発表された翌年の2004年にロングアイランド搭載モデルが発表された。18Kピンクゴールドケース。ケースサイズ縦50.4mm、横36mm。日常生活防水。手巻き(Cal.FM2001-2)。約42時間パワーリザーブ、1万8000振動/時

 初代クレイジー アワーズは実用時計のセオリーに倣い、夜光塗料、つまり単色インデックスをまとっていたが、そもそも1~12という数字が通常の配列に従っていないため、決して均一の曲面ではない樽型のダイヤル上でバランスを取ることが難しかったと、開発当時のダイヤルデザイナーは回想している。しかもクレイジー アワーズと前後する時期に、「カラードリーム」が登場していることは、コンセプト面でもテクニカル面でも注目に値する。

 そもそもフランク・ミュラー本人は、時間とは無色透明ではなく移ろいゆくもので、豊かな色彩にあふれていると、述べる。特定の色や数字などが、記憶や心象と結びつくという照応感覚は、象徴派の詩人や印象派以降の画家たちが提唱してきたものだが、フランク ミュラーはこれを高級時計のダイヤルに大胆に採り入れてみせたのだ。

(左)ロングアイランド クレイジー アワーズ ダイヤモンド
Ref.1200CHD OG 1309万円(税込)
2000年に誕生したノヴェチェントスタイルのレクタンギュラーケースにクレイジー アワーズを収めた1本。トノウ カーベックスモデルと共に、クレイジー アワーズ登場時から製作されている。18KWGケース(ダイヤモンドベゼル)。ケースサイズ縦45mm、横32.5mm。日常生活防水。自動巻き

(右)トノウ カーベックス クレイジー アワーズ 

Ref.5850CH 5N 583万円(税込)
フランク・ミュラー自身が創作した、どこを向いても緩やかに湾曲した独自の3次曲線で立体的なフォルムを与えた革新的なトノウ カーベックスにクレイジー アワーズを搭載した定番。18KPGケース。ケースサイズ縦45mm、横32mm。日常生活防水。自動巻き

 1~12のビザン数字は、ひとつずつ異なる12色で目に飛び込んでくる。加えてそれらは、ドレスウォッチの伝統仕上げであるギヨシェ彫りの上に、立体的なインデックスとして印刷ではなく手作業で色付けされている点にも注目したい。ひとつひとつの色が小さな注射器のような専用ツールから、ほんのわずかな量だけ塗料を載せることで、微妙に肉盛りされた質感を醸し出しているのだ。またインデックスが載せられる以前に、ギヨシェダイヤルの表面にはコールドエナメルが多層重ねされている。ダイヤル内のシャドウ数字はこの層のなかで、手でマスキングしては乾燥させて剥がし、また層を重ねるという工程を経て、うっすらと表されている。

トノウ カーベックス トータリー クレイジー
Ref.5850TTCH OG 874万5000円(税込)
2005年に発表されたクレイジー アワーズの発展形。時間表示だけでなく、ダイヤルセンターの日付表示にもクレイジー アワーズ同様のジャンピング機構を取り入れた。18KWGケース。ケースサイズ縦45mm、横32mm。日常生活防水。自動巻き

 クレイジー アワーズのダイヤルは華やかであるばかりか、ハイエンドな機械式腕時計にふさわしい手作業でしか実現できない、精細で温かみのある細部と全体の均衡を追求したハイレベルな審美性を貫いている。ちなみに通常の12時位置に8ではなく2を配した逆配列は、スペシャルモデルにのみ許されたディテールだ。

 フランク ミュラーは時計師の立場からブランドを運営することで、1990年代から2000年代にかけての機械式時計の復活を牽引しただけではなく、時計づくりの哲学と技術が、ひとつの時計のなかに共存するものであることを示した。


機械式腕時計が復活を遂げた21世紀初頭を代表する1本として

ヴァンガード クレイジー アワーズ/2020年

ヴァンガード クレイジー アワーズ 20周年限定/2023年

グランド カーベックス クレイジー アワーズ カラー/2025年

トノウ カーベックス クレイジー アワーズ ミニッツリピーター トゥールビヨン/2026年

 かくしてクレイジー アワーズはフランク ミュラーの看板シリーズのひとつになった。2005年発表の「トータリー クレイジー」は、時・分針と同軸のポインターデイト針までもがジャンプ(7日先に)することで正しい値を指すという発展版だ。さらにロングアイランドやヴァンガード、レディスモデルなど、クレイジー アワーズは他のシリーズにも派生し、“マスター オブ コンプリケーション”と“時の哲学”の融合者たるフランク ミュラーの、シグネチャーモデルといえる存在になっていった。

 今日においてもフランク ミュラーはクレイジー アワーズを再解釈し続け、そのマジックはいささかも古びていない。最新作の「トノウ カーベックス クレイジー アワーズ ミニッツリピーター トゥールビヨン」では、クレイジー アワーズ トゥールビヨンだけに飽き足らず、さらに美しい音で時を報せるミニッツリピーターまで組み込んだ。これにより、クレイジー アワーズはついに時間だけでなく“視覚”からも着用者を解放してみせた。

 ファレル・ウィリアムスが自身のオークション・プラットフォームとして立ち上げたジュピター(JOOPITER)が昨年夏、初の時計専門オークションとして「The Art of Time」を開催した。これに際して選ばれた27点のキュレーションピースのなかに、3本のフランク ミュラーが含まれていたことは見逃せない。そのうちの1本はホワイトダイヤルのトノウ カーベックス クレイジー アワーズ カラードリーム トゥールビヨンであり、ほかの2本もダイヤモンドがセッティングされたジュエリーモデルではあるが、マスターバンカーと初期のトノウ カーベックスだった。これらキュレーションピースは、ファレルやその友人らのお眼鏡にかなった“近い将来のニュー・クラシック”であると見立てることができるだろう。

 通常の時計が“時間を効率よく読む道具”だとすれば、クレイジー アワーズは“時間を待ち、驚き、味わう道具”である。フランク ミュラーはスイス伝統の機械式時計づくりを受け継ぎつつも、時間表示の秩序を破壊することなく時間と人との関係を決定的に変えたのだ。

 時間を情報から体験へ、機構を機能から感情へ変えた、時計史においてもまれに見る特異なタイムピース、クレイジー アワーズ。作り手の手仕事のクオリティや希少性、機械を通じて表現される時間やその哲学に人々の関心や共感が寄せられる今こそ、再び注目すべき時計ではないだろうか?

Photos:Jun Udagawa Styled:​Eiji Ishikawa(TRS) Words:Kazuhiro Nanyo