しばしばブレゲは歴史的な老舗であり、卓越した伝統の時計づくりを旨とする古典的ブランドとして捉えられている。事実そのとおりであり、今年で250年を数える長い歴史を思えば当然であろう。あまつさえ創業者アブラアン-ルイ・ブレゲ(Abraham-Louis Breguet)は、摩耗部にルビーのシャトンを用いること(初めて時計部品として使用したというわけではなく、軸受けとしての実用的な価値を認識し、広範な時計製造に応用した)や、さまざまな脱進機構、トゥールビヨンを考案するなど、現代に受け継がれる機械式時計の多くのメカニズムを発明し、“時計づくりを200年早めた”という枕詞とともに知られている。だが、ブレゲの本質は、保守的な名門というよりも未知の領域を最先端の科学と進取の精神でもって切り拓く、そんなベンチャー的風土に支えられたメゾンであると捉え直すほうが正確かもしれない。
タイプ XX No.1780。1955年製。
そもそもアブラアン-ルイ・ブレゲは1747年、プロシア領だった時代のスイス・ヌーシャテルに生まれ、15歳でパリへ出たのちに時計師、そしてビジネスマンとして頭角を現した。フランス革命が勃発した当初、指導者のひとりだったジャン=ポール・マラー(Jean-Paul Marat)の勧告に従いスイスへと一時避難したが、時の体制を問わず、彼はマリー・アントワネットや、ナポレオン一族、そして王政復古期の外相タレイランなど錚々たる人物を顧客とし、王立海軍時計師の称号にこだわり首尾一貫してフランスに仕えた。王侯貴族から精密かつ華麗な懐中時計が求められただけでなく、時計が最先端科学の産物だった時代に、安全で正確な航海に欠かせない計器としてマリンクロノメーターを手がけたのもまたブレゲであった。
ルイ・シャルル・ブレゲ(Louis Charles Breguet)、1880〜1955年。
アブラアン-ルイ・ブレゲ以降も、代々ブレゲ家の人々は“時計師にして物理学者”であり、親戚縁者を見わたしても進歩的な科学者に囲まれていた。4代目のアントワーヌ-ルイ・ブレゲ(Antoine Louis Breguet)が電磁機器への興味を強めたことで、メゾン・ブレゲの時計部門は1870年、当時の工房主任エドワード・ブラウン(Edward Brown)に売却・譲渡された。一方で5代目のルイ-シャルル・ブレゲ(Louis Charles Breguet)は弟のジャック・ブレゲ(Jacques Breguet)とともにベル・エポック期であった1909年、当時勃興していた飛行機の研究と製造へ家業を移行。彼らは水上機やヘリコプターを考案し、第1次世界大戦を契機に軍用・民間用を問わず航空機を供給した。さらに1930年にはチャールズ・リンドバーグとは逆航路、つまりパリ・ニューヨーク間という東からの無着陸飛行をブレゲ19 TR スーパービドンという機体で成功させた。偏西風に向かっての大西洋横断を37時間強で可能にしたのは、軽量なアルミニウム合金、いわゆるジュラルミンを機体に早くから用いたブレゲのノウハウあってこそだ。
1950年代初頭、フランス空軍がパイロット用腕時計クロノグラフの入札を行った際、奇しくもその仕様要件をまとめた型式コードネームは“タイプ 20”という、戦前にブレゲの名を高めた航空機からの続き番号だった。ブラウン家に受け継がれていたメゾン・ブレゲが首尾よく入札に成功し、空軍向けとしてタイプ 20、海軍航空隊向けには“タイプ XX”、またこれらの民間用として“タイプ XX No.1780”と番号付きのモデルも生まれた。ほかにも入札した時計メーカーは少なくなかったが、フランス空軍の発展やエールフランス航空の創業にも名を連ねたルイ-シャルル・ブレゲはこの頃まだ存命であり、何かしらの影響がなかったとは考えにくい。フランス革命直後の海軍時計師だった高祖父のマリンクロノメーターと同様、その名を冠した時計は、第2次世界大戦から間もない頃には空海軍に制式採用され、ブレゲは再びフランス軍の公式サプライヤーに返り咲いたのだった。
プロダクトファーストで生まれ変わるブレゲ
1955年の時点で、タイプ XXおよびタイプ 20はメゾン・ブレゲの時計としては最後発でありながら、科学的な視座や実践から新たな地平を切り開くという、啓蒙の世紀(17世紀後半から18世紀にかけての時代)以来のブレゲの伝統を再確認させるモデルであった。それは軍用時計にとどまらず、民間向けモデルとしても発展的に派生した。かつてのアブラアン-ルイ・ブレゲの時代と変わらず、当時のフランスにおいて新たな時代の要請を満たすためのタイムピースだったのだ。少し大げさかもしれないが、ブレゲは18世紀から続く老舗でありながら、科学と技術革新による進歩を奉じるテックブランドとしての一面を持っているのだ。
そして創業250周年を迎えたブレゲは“タイプ XX 2075”を開発し、手巻きムーブメントを38.3mmのゴールドケースに納めた2種類の異なるクロノグラフとして世に問うた。70年前のタイプ XX No.1780の仕様をスタイルになぞらえてはいるものの、これは単なる復刻やリメイクモデルではない。2023年に発表された新世代のタイプ XX 2067およびタイプ 20 2057がケース径42mmのモデルであることを鑑みれば、ゴールドケースをまとったこの2075は、シリーズの70周年とメゾンの250周年に寄せた重層的オマージュであるのはもちろん、よりクラシックなコードに則って戦略的に放ったハイエンドモデルと言える。1930年の大西洋横断飛行とタイプ XXのあいだに直接の繋がりはなくとも、そのストーリーをタイプ XX 2075の着想のもととした理由を、ブレゲは次のように語る。
「タイプ XXは航空技術の歴史に深く根ざしたコレクションであり、ブレゲはこの分野で決定的な役割を果たしました。タイプ XX 2075において私たちがパリ・ニューヨーク間初飛行の物語を語ることを通じて、航空史上の冒険にオマージュを捧げたかったのです」
ブレゲ タイプ XX クロノグラフ 2075のレギュラーモデルとなる、ブラックダイヤルバージョン。ケース径は38.3mm、厚さは13.2mmで、1955年の歴史的モデルのサイズ感を受け継いでいる。ダイヤルの素材はアルミニウム。マットなブラックは航空宇宙分野で用いられているアノダイズド仕上げによるもので、耐久性に優れた仕様となっている。無論、アルミニウムを使用したのは1920~30年代当時の先進素材だったジュラルミンによるボディワークを得意としたブレゲの航空機を想起させるものだからだ。ちなみに7時半の位置には控えめに、アルミニウムを示す“AL”を表す記号がある。
オリジナルとなるNo.1780は3本のみイエローゴールドケースで製作されたが、2075のケースとベゼル素材は75%のゴールドに銀、銅、パラジウムを組み合わせた18K“ブレゲゴールド”を用いている。可能な限り貴金属をケースに使うのはアブラアン-ルイ・ブレゲからの伝統であり、先立って発表されたクラシック スースクリプション 2025から採用されているブレゲ独自のこの新しい合金素材は、色味のバランスや変色耐性、長期的な安定性にも優れるという。過去のNo.1780よりも細部のエッジが際立ち、かつべゼル表面にヘアライン仕上げが施された2075は、肌なじみのいい色合いも相まってモダンな印象を与えつつも、逆に丸みを帯びたサファイヤガラス風防はクラシックですらある。
ブレゲ タイプ XX クロノグラフ
Ref.2075BH/99/398 596万2000円(税込)
18Kブレゲゴールドケース、カーフレザーストラップ(18Kブレゲゴールド製ピンバックル)。ケース径38.3mm、厚さ13.2mm。5気圧防水。手巻き(Cal.7279)
3時位置の15分積算計がやや拡大された、左右非対称の2つ目クロノグラフに黒文字盤という構成要素はNo.1780と同様だ。このあたりは、3レジスタークロノグラフである現行のタイプ XX 2067とは、大きく異なるところでもある。しかも時・分表示と9時位置のスモールセコンドは、オリジナルのNo.1780同様のシリンジ針だが、先端が細く、より視認性に優れる。15分積算針とフライバック針のクロノグラフに関する表示がリーフ型とロザンジュのポイントでまとめられているところは、読み取りやすさに寄与しながらクラシックさを損ねないディティールと言えるだろう。
歴史的正統性にこだわった新しいタイプ XX
一方で、世界限定250本となるシルバーダイヤルモデルは、タキメーターをダイヤル外周に収めた左右対称の2つ目フェイスだ。搭載されるムーブメントはCal.7278と、レギュラーモデルとは異なる。このダイヤルも実はタイプ XXの初期モデルに存在したデザインであり、ヴィンテージのタイプ XXの最大計測時間が仕様によって異なっていた歴史に由来する。レギュラーモデルもリミテッドモデルも、構成要素はかつてのプロダクトに忠実でありながら、今日的なブラッシュアップによって本来の気品を新たにした1本と言える。
ブレゲ タイプ XX クロノグラフ
Ref.2075BH/G9/398 621万5000円(税込)
18Kブレゲゴールドケース、カーフレザーストラップ(18Kブレゲゴールド製ピンバックル)。ケース径38.3mm、厚さ13.2mm。5気圧防水。手巻き(Cal.7278)。世界限定250本。
9時位置がスモールセコンド表示で、ブランドロゴがアプライドであるところはレギュラーモデルと同じだが、3時位置は30分積算計で、12時と6時のアラビア数字インデックス、残りのアワー表示バーインデックスともにアプライドとなっている。リーフ型のクロノグラフ針はブルースティールで、シルバー925製ダイヤルと高いコントラストを生み、視認性に優れる。インデックスの夜光塗料をあえて省いたこと、さらに7時と8時のあいだにさりげなく記されたAg925の控えめな刻印も、その高貴な雰囲気を引き立てる。ストラップのカーフレザーは、レギュラーモデルがアンスラサイトグラデーションにベージュゴールドを利かせたステッチであるのに対し、限定モデルではブルーグラデーションで同色のステッチが採用されている。
レギュラーモデルのCal.7279、そして限定モデルに搭載されるCal.7278も、ともに60時間のパワーリザーブを備えた手巻きムーブメントで、シースルーバックから見える地板にはヨーロッパ大陸からニューヨークへ飛行するブレゲ19の雄姿が手彫りレリーフで再現されている。限定モデルの裏蓋には、シリアルナンバーが彫られている点も特徴だが、双方に共通するなかでもっとも見逃せないディテールは、パリー・ニューヨーク間の無着陸飛行に用いられたブレゲの航空機の愛称でもあった“ポワン・ダンテロガシオン(クエスチョンマークのこと)”まで、きちんと刻まれていることだ。
機体の手彫りレリーフの横にあるBREGUETロゴの下に刻まれている“RETOUR EN VOL(レトゥール・アン・ヴォール)”と“5Hz”の文字は、それぞれ前者が“フライバック”、後者は“振動数(=3万6000振動/時)”の意でありムーブメントのスペックを表している一方、RETOUR EN VOLの文字は“飛行(空)からの回答”という意味にもとれるダブルミーニングでもある。機体名の由来たるクエスチョンマークを生じさせた問い、つまりリンドバーグの往路における無着陸飛行の成功に対しての返答が、この復路で達成した偉業そのものだった。
“ポワン・ダンテロガシオン”とはルイ-シャルル・ブレゲと2人の飛行士、ディウドネ・コストとモーリス・ベロントにとって、絶えず目の前にある現状を見直し続ける態度、すなわち“我思う、故に我あり”という哲学的、科学的に物事を見つめ続ける探求心を象徴していた。また、裏蓋に刻印された“TYPE XX”の“Y”の文字は、よく見ると3枚羽根のプロペラになっている(2023年登場の新世代のタイプ XXおよびタイプ 20ともに)。新時代の特別なクロノグラフにブレゲが込めた想いや遊び心をさりげなく主張するユニークな仕上げと言えよう。
変貌を遂げるブレゲ、アイコンとなるタイプ XX
2023年に4世代目となる新たなタイプ XX/20シリーズが登場してからわずか2年。ブレゲが早くも新たなタイプ XXを2モデルも発表した事実に、もしかしたら時計愛好家たちは驚きを感じているかもしれない。ミリタリークロノグラフというタイプ XXのポジションは、そもそも伝統的なオート・オルロジュリーの権化とも言えるブレゲのラインナップからすると珍しい存在だ。これまでのタイプ XXシリーズも、ブレゲの本流たる輝かしい歴史、そして軍用量産モデルという出自ゆえのツールとしての性質や大衆性という、ともすれば両極端の世界観をはらんできた。
新しいタイプ XX クロノグラフである2075において、38.3mmというケースサイズと手巻きムーブメントを選んだ理由をブレゲはこう答えた。
「着想の原点は常に初期モデルの精神を尊重するところから、オリジナルの仕様からもたらされるものです。我々はヘリテージやブレゲのDNAとして認知されうるもの、そして我々のクラフトマンシップを示すことができ、ちょっとしたモダンさをもたらすものに焦点を当てています。これらは常にバランスがとても重要なのです」
名門ブランドの重みと正対しながら、最新のテクノロジーを持って、コレクターだけでなく新しい世代にもブレゲの歴史性を魅力的に問いかけるアプローチには、複雑な方程式を解くような鮮やかな手並みが感じられる。
現在ブレゲCEOを務めるグレゴリー・キスリング氏は、貴金属の素材開発やマーケティング、商品企画に長らく携わってきた。彼のCEO就任以来、ブレゲは野心的なニューモデルを矢継ぎ早にリリースしている。18世紀そのままのパンタグラフ彫刻をグラン・フー エナメルのダイヤルに施したクラシック スースクリプション 2025、そしてこれまで手がけたことのなかったフライングトゥールビヨンを初めて採用したクラシック トゥールビヨン シデラル 7255しかり。これら250周年の節目に発表された記念モデル全般に言えるのは、ブレゲというメゾンの新たなあり方や、スタンスを表明する時計だということ。時計そのものが、単なる記念モデルではなく、自らの歴史を再評価し、同時に新たな挑戦を試みたプロダクトであることを主張している。
タイプ XX 2075も一連の新作と同じく、モダンでありながらオーセンティックな手仕事の熱量が、確かに感じられる。ブレゲの歴史的アイコンを着けることは単に権威をまとうということではなく、そのヘリテージやクラフトマンシップ、知的なスタイルへの共感へと繋がり始めている。
タイプ XXは、もはや単に歴史に根ざした“ブレゲ流のツールウォッチ”ではない。過去の偉大な遺産に敬意を表しつつ、現代のニーズに合わせた魅力的なプロダクトへと変貌を遂げようとしている。これら250周年を記念したモデルは、愛好家のみならず新しい世代に向けてその歴史と正当性を伝える存在であり、ブレゲの新たな夜明け、革新を体現する無言のメッセージでもあるのだ。
250周年を記念したエキシビションを開催
創業250周年を迎えた2025年、ブレゲは過去の豊かな遺産にスポットライトを当て、長い歴史のなかで培った卓越性を祝う展示を伊勢丹新宿店 本館1階 ザ・ステージにて開催している。
「Les Tiroirs du Temps(時の引き出し)」と名付けられたこのエキシビションでは、4月から発表されている新作のアニバーサリーモデルが一堂に会するとともに、6月26日に発表したばかりのブレゲ初となるフライングトゥールビヨンモデル、クラシック トゥールビヨン シデラル 7255(世界限定50本)も日本初披露。本作は伊勢丹新宿店先行予約となるほか、同じく同店先行予約の新しいクラシックコレクション(クラシック 5177)も用意されている。
「Les Tiroirs du Temps ~時の引き出し~」概要
■期間: 7月16日(水)~7月22日(火)
■場所: 伊勢丹新宿店 本館1階 ザ・ステージ
■問い合わせ先:伊勢丹新宿店 本館5階 ウォッチ/ブレゲ TEL 03-3352-1111(大代表)
タイプ XX クロノグラフ 2075BHコレクション
ブレゲ タイプ XX クロノグラフ
Ref.2075BH/99/398 596万2000円(税込)
18Kブレゲゴールドケース、カーフレザーストラップ(18Kブレゲゴールド製ピンバックル)。ケース径38.3mm、厚さ13.2mm。5気圧防水。手巻き(Cal.7279)
ブレゲ タイプ XX クロノグラフ
Ref.2075BH/G9/398 621万5000円(税込)
18Kブレゲゴールドケース、カーフレザーストラップ(18Kブレゲゴールド製ピンバックル)。ケース径38.3mm、厚さ13.2mm。5気圧防水。手巻き(Cal.7278)。世界限定250本。
スタイリング① シャツ7万2600円、パンツ7万7000円。ともに(ピーティートリノ)PT ジャパン 03-5485-0058/ニット6万1600円(ドルモア)バインド ピーアール 03-6416-0441
スタイリング② ジャケット16万5000円、パンツ8万8000円。ともに(ピーティートリノ)PT ジャパン 03-5485-0058/Tシャツ、スタイリスト私物
Photos:Tetsuya Niikura Styled:Eiji Ishikawa(TRS) Hair&Make:Tomokazu Akutsu Model:Taito(BRAVO) Words:Kazuhiro Nanyo