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デジタル空間はすべての人の物語を支配する。私たちの多くは自らそれを受け入れている。情報への無制限なアクセスと、他人の無限のアイデアによって、私たちは共同体感覚を得ることができるからだ。画面の向こう側で固い絆が結ばれているのだ。別にそれを非難するつもりはない。私自身、オンラインコミュニティで積極的に活動し、参加しているのだから。私はインターネットがきっかけでこの趣味に関わるようになった。曖昧なことを学び、廃刊になったファッション雑誌のバックナンバーをデジタルアーカイブでスクロールし、新しい友人を作り、インターネット上で最高の生活を享受している。
しかし私たちの多くは物理的なコミュニティの感覚を切望している。だからこそ、Watches & Wondersのような見本市や、ファッションウィークのような業界イベントは、それぞれの業界内のコミュニティの結束を確固たるものにするために必要不可欠なのだ。毎年、あるいは季節ごとの出合いが、時代を動かしていると言っていい。私は時計とファッションの両分野において、人と人とのつながりを切望している。ファッションショーを見ていると、純粋にアドレナリンが出てくる。それは目眩がするほどスリリングだ。パレクスポの見本市会場で、インターネット上の友人たちが一堂に会し、最も好きなものについて語り合う様子がオーバーラップするようだ。満足感を得るためには実物を見て、アイデアを共有し、対話する必要があるのだ。
今日デジタル文化は私たちの消費行動にも影響を与えている。しかし生地の重さや質感を感じたり、ブレスレットのクラスプをパチンと閉めたりする触感は、ほかでは味わえない。フリーマーケットやヴィンテージショップ、アンティークジュエリーショップをぶらぶら歩くことほど私の好きなことはない。美味しく触覚的な消費なのだ。実際に何かを買う必要はなく、物色し、豊富な質感や色、雰囲気を味わうことがすべてなのだ。
時計が好きでもファッションが好きでも、あるいはその両方が好きでも、コミュニティと消費へのアプローチには明らかに重なる部分がある。もちろん違いもあるが、ファッションを軽薄なものと一蹴するのは短絡的過ぎる。ファッションはポップカルチャーのほぼすべての領域で影響力を持つからだ。私が思うに、時計界はファッション界が取り入れたより現代的なアプローチのいくつかを拝借することができるはずだ。時計は時代の流れのなかでより大きな役割を担うべきだと信じたいし、時計も同じように影響力を持つべきだ。
収集とは、さまざまな角度からアプローチできる。パリでスタイルやデザインに対する先天的な感性を持つ人たちと話すことによって、より広い時計コミュニティにはそのような人たちが必要だという自分の信念を再確認することができた。時計収集に重要性の序列など存在しない。技術面だろうがデザインだろうが、同じ土俵で評価されるべきなのだ。また、いずれかに厳密に区分けする必要もなく、その中間と位置付けたり、技術性と審美性のいずれも 高く評価する意見があってもいい。
最終的に人々は結束して、このデジタル化の進んだ時代に私たちの愛するアナログの趣味を守ることが大切なのだ。
パリで親しく、また協力してくれたジュリアン・トレットに感謝を込めて。