ペン先から手首へ
1924年製のモンブラン 万年筆。
アルプス最高峰の名を冠し、1906年にドイツで創業したモンブラン。文字どおり最高峰の万年筆を目指し生まれたこのブランドは、1924年には“傑作”を意味するマイスターシュテュックを発表。世界的にその地位を確立すると同時に、20世紀の知性を司る作家や知識人たちを虜にした。
その魅力は、現存する数少ない筆記具のマニュファクチュールとして、クオリティとデザイン、そして工芸品としてのエレガンスとを完璧に融合させた技術力にほかならない。万年筆の命とも言えるペン先は、35もの工程を経て形づくられ、さらに組み立てとテストを含めれば、1本の筆記具が完成するまでには100を超える工程が重ねられる。熟練の研磨工たちは、ゴールドのペン先が紙の上を滑る感触だけでなく、その音までも入念に確かめる。紙をひっかくことなく、連続したなめらかな音を奏でてはじめて、プロダクトとして陽の目を見るのだ。また工房には金細工職人や石留め職人といった宝飾品加工を専門とする職人も在籍し、“作家シリーズ”や“マスターズ オブ アート”に代表される、ジュエリーとしての華やぎをも備えたコレクターズ万年筆が生み出される。
ニコラ・リューセックのタイムライター クロノグラフ。
ミネルバ マニュファクチュールの前身である、H. and CE. Robert Watch 社を設立したシャルル・ロベール。
その信頼は、筆記具だけに閉じていない。レザーグッズやアクセサリー、そして時計へと広がるモンブランの世界において、共通しているのは、日々手に触れる道具をどこまで美しく、確かなものにできるかという姿勢である。ペンで書く。レザーを携える。時計を見る。モンブランが生み出す道具はそれぞれに用途は異なるが、いずれも使う人の所作に寄り添い、その人らしさを静かに映し出す。
実際に、モンブランのペンやレザーを愛用してきた人が、時計も同じメゾンから選ぶことは少なくないという。時計に深い知識を持つかどうか以前に、すでに手のなかで、あるいは鞄のなかで信頼してきたブランドがある。その延長線上で手首の上の道具を選ぶという感覚は、単なるトータルブランド化とは異なる。身の回りに置くものの質感や美意識を、自分のなかで揃えていくという、きわめて私的な選択なのである。
そして、モンブランの時計製造を語るうえで欠かせない存在が、1858年にスイスのヴィルレで創業したミネルバである。1908年にはポケットウォッチ用クロノグラフムーブメント、Cal.19/09 CHの製造を開始し、20世紀を通じて高精度な時間計測に取り組んできた名門だ。視認性、堅牢な機能美、精密なクロノグラフ製造への姿勢。それらは、モンブランが筆記具で培ってきた“手に触れる道具”への美意識と響き合う。
奇しくも、同じヨーロッパで記す道具と計る道具の精度を追い求めてきたモンブランとミネルバ。世界のあらゆる事象を確かめ、後世に遺そうとする人間の衝動は、ふたつの行為のあいだに深く通じ合う。スターレガシーは、その水脈をもっともクラシカルに、そして現代的に手首の上へと導いたコレクションなのである。
スターレガシーの現在地
モンブラン スターレガシー ムーンフェイズ 42 mm。Ref.134297。76万3400円(税込)
2018年に既存のスターコレクションを発展させる形で誕生したスターレガシーとは、まさしくそんな両者のエネルギーがひとつになり生まれたコレクションと言えよう。ミネルバのポケットウォッチをほうふつさせる丸みを帯びた古典的かつモダンなラウンドケース。オニオン型にシェイプされたリューズと、その先端に施されたホワイトエンブレムマーク。ダイヤルに奥行きを与えるエクスプローディングスターのギヨシェモチーフとフィレ・ソーテ。スターレガシー コレクションの、万年筆の美学に通じる抑制された美しさや精密なメカニズムは、時計メーカーとしてのモンブランの個性を明確に示してきた。
そんなモンブランが誇るスターレガシー コレクションに今年加わったのが、42mm径のムーンフェイズとクロノグラフ、そして36mm径のスモールセコンドである。いずれも古典的なポケットウォッチのデザインを現代的にアップデートしたものだが、アンスラサイトのスフマートダイヤルは、まるで滲んだ万年筆のインクのように奥深い発色を見せる。そしてモンブランのアーティスティック ディレクターを務めるマルコ・トマセッタがデザインし、熟練職人がフィレンツェの自社工房でつくったカーフレザーストラップは、万年筆のペン先を思わせるフォルム。モンブランのDNAを主張するこうした新鮮なディテールが、クラシックなデザインマナーをもとにつくられた3つの時計に、現代的な洗練を与えている。
42mm径のクロノグラフは、端正なローマ数字とリーフ型針が描くドレスウォッチの表情の内側に、経過時間を読み取るためのカウンターを備えた1本である。ブラックのカウンターとバトン型のクロノグラフ針は、装飾である前に読み取りのためのディテールであり、クラシックな顔立ちを崩さぬまま、計時の道具としての輪郭をほのかに浮かび上がらせる。一方、同じ42mm径のムーンフェイズは日付表示と月相表示によって、時間の移ろいをより詩的に映し出すモデルだ。クロノグラフが経過時間を切り取る時計だとすれば、ムーンフェイズは夜空のリズムを手首に留める時計なのである。
スターレガシー スモールセコンド 36mm。袖口に収まる端正なケースサイズが、ドレスウォッチらしい控えめな存在感を際立たせる。
スターレガシー コレクションのレザーストラップ。万年筆のペン先(ニブ)を思わせる剣先と、輪郭に沿って施されたステッチが特徴だ。
36mm径のスモールセコンドは、その名のとおり6時位置に小さな秒表示を置いた、もっとも静かな佇まいのモデルである。ロジウム仕上げのインデックスとアラビア数字を組み合わせたダイヤルに、30個のブリリアントカットダイヤモンドが控えめな光を添える。華美に振れるのではなく、秒針のまわりに小さな焦点をつくる。そのバランスが、36mmというサイズの端正さをいっそう際立たせている。
スタイリッシュではあるが決して無機質ではなく、どこか繊細で優しげな表情をもつこのコレクションは、性別やシーンを選ばず自由に着けこなせる点も魅力のひとつ。30個の美しいダイヤモンドがセットされた36㎜径のスモールセコンドモデルも、決して華美な印象は感じさせないので、男女を問わず、カジュアルからビジネスシーンにまでしっくりとなじむ。そしてモンブランのペンと同じように、そのステータスを静かに語り、所作に知性をまとわせるのだ。
コレクションの象徴たるニコラ・リューセック
モンブラン スター レガシー ニコラ・リューセック クロノグラフ リミテッド エディション 821。Ref.136359。135万800円(税込)
そして、このコレクションの思想をもっとも象徴的に体現する存在が、スターレガシー ニコラ・リューセック クロノグラフである。モンブランがミネルバの時計製造の記憶とともに追い求める、時を記すという試みには、ひとりの先駆者が存在する。その名はニコラ・リューセック。19世紀のパリで宮廷に仕える時計師だった彼は、2枚の回転ディスクとインクの詰まった固定ペン先を備えた“タイムライター”を発明する。競馬場で馬がゴールラインを通過するたびにペン先からインクが1滴落ち、ディスク上にその時間を刻むリューセックの革新的な装置は1821年に発表され、パリの科学アカデミーが認定するとともに、史上初めてクロノグラフと名付けられた。
モンブランがこの偉大な発明に敬意を表し、現代の腕時計として再解釈してきたモデルこそがスターレガシー ニコラ・リューセック クロノグラフである。固定した針の左右で2枚のクロノグラフディスクが回転し、その経過時間を指し示すという構成は、一般的なクロノグラフとは明らかに異なる。針が盤面を走るのではなく、時間のほうが固定された指標の下を通過していく。その視覚体験こそ、200年前のタイムライターの発想を、機械式腕時計の言語に置き換えたこのモデルの核心だ。
スターレガシー ニコラ・リューセック クロノグラフのストラップ裏面には、1821年にその発明が披露されたパリへのオマージュとして、古地図を思わせる意匠がプリントされている。
そのために搭載されるのが、自動巻きマニュファクチュール モノプッシャークロノグラフムーブメントのCal.MB R200である。スタート、ストップ、リセットの操作をひとつのプッシュボタンで行うモノプッシャー式という点も、古典的なクロノグラフの作法を思わせる。ストーリーだけでなく、表示方法とムーブメントの構成そのものが、モンブランの“書くこと”とミネルバの“計ること”を結びつけているのだ。
今年発表された新作は、タイムライターが披露された1821年、シャン・ド・マルス競馬場でのレースの模様をダイヤルに描いた、821本の限定モデル。ブラウンを基調としたダイヤルには、19世紀の挿絵のように4人の騎手と馬が描かれ、アラビア数字、時分針、クロノグラフカウンターに施されたゴールドカラーのアクセントが、セピア色の記憶を照らす。美しくコバを磨き上げた自社工房製ブラウンカーフレザーストラップの裏には、当時のパリの地図がプリントされている。
見返しリングに刻まれたフランス語のふたつの文言は、1821年にリューセックの発明を認定したパリの科学アカデミーにちなんだもの。そしてケースバックから眺められるローターには、パリの石畳に由来するクル・ド・パリのモチーフが刻まれている。43mmのステンレススティールケースのなかに、ニコラ・リューセックとパリという都市、そしてクロノグラフという言葉が生まれた瞬間までが凝縮されているのだ。
時を刻む手元に、記すことの美学を
万年筆のブランドとして誕生したモンブランは、その長い歴史を通じて、スイスの時計工房ミネルバや、イタリアの革工房をその傘下におさめ、現在では幅広いジャンルの高品質なプロダクトを生産する体制を築き上げている。ただそれらを単なるトータルブランド化とみなすのは間違っている。モンブランがつくってきたものは、いつの時代も人の手元に置かれ、日々の所作を支える道具だったからだ。
道具とは、ただ機能を果たすだけのものではない。長く使い続けるほどに、その重みや質感は記憶となり、持ち主の時間のなかに沈殿していく。モンブランの筆記具やレザーを信頼してきた人が、次に時計を選ぶとき、そこには未知のブランドを選ぶのとは異なる親密さがある。すでに手が知っている質感の先に時計があるのだ。
人類が文字を発明して以来、記すという行為を通じて探し求めてきたものは、形のない時を視覚化する方法にほかならない。その意味では、筆記具と時計とは、目的を同じくする近しい存在なのである。であるならば、ミネルバの遺産を受け継ぎ、“時を記す”という物語を現代へとつなぐスターレガシーは、モンブランが長く追い求めてきた本質と近い場所にあるのかもしれない。
紙に記された文字に、その瞬間ごとの感情が宿るように、手首の上で刻まれる時にもまた、生のエネルギーに満ちている。モンブランの時計とは、時間を知るためだけのものではない。“時を記す”道具を使う手元には、時間を超える美学が宿るのだ。
モンブラン スターレガシー ムーンフェイズ 42 mm。Ref.134297。76万3400円(税込)
ステンレススティールケース、レザーストラップ。ケース径42mm、ケース厚11.38mm。5気圧防水。自動巻き。Cal.MB 24.31:25石、2万8800振動/時、約42時間パワーリザーブ。
モンブラン スターレガシー クロノグラフ 42 mm。Ref.136357。83万7100円(税込)
ステンレススティールケース、レザーストラップ。ケース径42mm、ケース厚14.29mm。5気圧防水。自動巻き。Cal.MB 25.13:27石、2万8800振動/時、約48時間パワーリザーブ。
モンブラン スターレガシー スモールセコンド。Ref.132887。63万1400円(税込)
ステンレススティールケース、レザーストラップ。ケース径36mm、ケース厚10.75mm。3気圧防水。自動巻き。Cal.MB 24.16:31石、2万8800振動/時、約38時間パワーリザーブ。
モンブラン スター レガシー ニコラ・リューセック クロノグラフ リミテッド エディション 821。Ref.136359。135万800円(税込)
ステンレススティールケース、レザーストラップ。ケース径43mm、ケース厚15.01mm。5気圧防水。自動巻き。モンブラン マニュファクチュール Cal.MB R200:40石、2万8800振動/時、約72時間パワーリザーブ。
Photos:Tetsuya Niikura Styled:Eiji Ishikawa(TRS) Words:Eisuke Yamashita