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NO RECIPE FOR PRIVÉ 100年前のデザインを現代の感性で解く

カルティエの時計を語る際、僕たちはしばしば伝統やシェイプという言葉に安住しがちだ。しかし、メゾンのスタイル&ヘリテージを統括するピエール・レネロとの対話は、その認識がいかに表面的なものであるかを痛感させる。今年のハイライトは、なんといっても10周年を迎えた、過去の名作を現代によみがえらせるコレクションであるカルティエ プリヴェだ。しかし、ピエールはこう断言する。“プリヴェにレシピはない”のだと。単純な復刻は決して行わず、現代の着用感と美意識に照らし合わせ、ゼロからシェイプを再構築する。そのプロセスはもはや、伝統や復刻という言葉ではくくれない、静かなる革命なのだ。©Cartier ©Valentin Abad ©Cartier ©Julien T. Hamon

本特集はHODINKEE Magazine Japan Edition Vol.12に掲載されています。


Master of Crafts カルティエ自身は語らぬ技術の顕在化

 2015年、カルティエ プリヴェが明確に始動する前夜、現在から数えると記念すべき第1作目を飾ったのがクラッシュ スケルトンだった。そして2026年、再登場したそれは、11年前のモデルと比較しても、明確なブラッシュアップが施されている。開発のスタート地点は、ローマ数字をいかにシャープに見せ、読み取りやすくするかという純粋な美的追求であった。カルティエのスケルトンでは、そのインデックス自体をムーブメントのブリッジとして機能させるため、肉抜きをさらに追い込み、繊細な表情を際立たせた。この数字のシェイプを優先するがゆえに、専用ムーブメントが先に開発され、それに呼応してケースシェイプが決定された。スケルトン化による視覚的な軽やかさとバランスを取るため、ケースは前作よりも若干厚みを持たされている。

 いや、実は1967年の誕生以来、クラッシュはつくられるたびに微細な調整が繰り返されてきたのだ。有機的なカーブを描くケースは、その曲線ごとにどの程度のボリュームを持たせるかが感性的に決定される。この10年で培われた高級仕様のためのクラフトワークはある種の高みに至り、これまでのどのクラッシュよりも繊細なデザインを具現化させてみせた。今年のクラッシュはまさに進化の系譜の頂点にあるといえる。

クラッシュ スケルトン 1953万6000円(予価、世界限定150本 ※9月発売予定)©Cartier ©Valentin Abad

 他方、ひと際目を引いたのが、サントス デュモンの貴金属ブレスレットモデルだ。昨今の時計業界ではこのジャンルが再評価されているが、カルティエの回答は、ジュエラーとしての矜持とアーカイブへの深い洞察に基づいている。オブシディアン(黒曜石)のダイヤルに合わせられたのは、15連の細かな金のコマをつなぎ合わせた滑らかなブレスレット。特筆すべきは、ピエールがこのメタルブレスレットを“カルティエがつくるならば、自然とエレガントなものになるべき”と定義した点だ。1920〜30年代、一部の貴族階級や富裕層の顧客にとっては、社交の場で身に着けることが多い腕時計は革ベルトがお約束。今日でも続くドレスウォッチの作法のルーツである。一方で、彼らが少し“くつろいだシーン”で身に着けるためにオーダーしたと考えられるのが、アーカイブに見られる金属製のブレスレットが付いたサントスやタンクだった。ポロ競技に興じ、南仏のリビエラで余暇を過ごすような、最高級にカジュアルなシーンを彩ったのがこれらの時計である。現代によみがえったこのサントスのブレスレットが、ドレスウォッチのように極めて洗練された印象を与えるのは、それがエレガントな休息のための意匠だからだ。

サントス デュモンの繊細な15連ブレスレット。すべて、ラ ショー ド フォンの工房で組み上げ、薄く、滑らかな質感を実現。©Cartier ©Julien T. Ham

©Cartier ©Julien T. Ham

 近年、ウォッチメイカー オブ シェイプスとして名をはせてきたカルティエだが、強調されたのは“マスター オブ クラフツ”である。本来、このメゾンは何事も声高にアピールすることはない。高度な技術は美しいフォルムを実現するための前提であり、ことさら強調するものではないというスタンスを貫いてきた。しかし、フォルムの美しさが広く浸透したいま、その形を可能にするクラフトマンシップの存在を改めて示す年と位置づけた。

 「データに基づいたサイエンスではなく、私たちも消費者の一員であるという視点に立ち、現代人の美意識に照らすと何を美しいと感じるかを見極める。その美的感覚と技術が一体化していることこそが、カルティエの神髄なのです」

カルティエ プリヴェの節目としてプラチナ製でボルドーをキーカラーとした3部作を発表。©Cartier ©Valentin Abad


次なる10年のプリヴェの行方 サプライズを描けるのか

ロードスターは、スポーティな時計の定義を改めるような役割を帯びて復活。2サイズ全7型。SS、コンビ、ゴールドがそろう。©Cartier ©Valentin Abad

 カルティエ プリヴェはこれまで、主に第2次世界大戦前に生まれたクラシックデザインを現代につないできた。では、次の10年はどうなるのか。ピエールによれば、社内では戦後につくられたモデルの再解釈について、活発な議論が進んでいるという。今年、2002年初出のロードスターがレギュラーコレクションとして復活したが、そのルーツはプリヴェにもラインアップされるトーチュにあるように、カルティエのアーカイブは重層的だ。今後、“プリヴェ”の名を冠して登場するのは、単なるクラシックの枠を超えて市場をけん引するような“サプライズ”を伴うモデルになると、僕は予想する。それは、まだ誰も気づいていないカルティエの深淵をのぞかせるものになるに違いない。

カルティエ イメージ スタイル&ヘリテージ ディレクター ピエール・レネロ。©Jean-François ROBERT

 しかし、なぜカルティエは、これほどまでストイックにオブジェに美しさを追求し続けられるのか。ピエールが挙げた最大のキーワードは“Plaisir(喜び)”であった。「デザイナーも時計職人も、すべての部門がベストを尽くすことに喜びを感じています。互いを驚かせるサプライズを常に用意し、安易なアプローチは拒むのです」。社内では何が美しいかを巡って、ときにプライドが傷つくほどの激しい議論が交わされることもあるが、目的は最も美しいオブジェをつくること、そして顧客に対するコミットメントである。

 レシピがないということは、常に挑戦し続けることと同義だ。現代の感性というフィルターを通し、情熱と喜びを持って美を再定義し続ける。その規律ある探求心こそが、メゾンを唯一無二の存在たらしめる。

トーチュを源流としてデザインされたのがロードスターである。©Cartier ©Valentin Abad

Words:Yu Sekiguchi