2003年にオメガがリリースしたスピードマスターの限定版には、文字盤とケースバックにややユニークな要素が追加されていた。9時位置のスモールセコンド・サブダイヤルに、見る人を驚かせるイラストが描かれていたのだ。そして、人気コミックに登場するその犬が宇宙服を着用し、星空を背景に楽しそうに踊っているイラストの上には、「Eyes On The Stars(目を星に向けよう)」というフレーズが記されていた。ケースバックにも同様のイラストが描かれている。ひと目で分かるその犬とは、チャールズ・シュルツの有名な漫画『ピーナッツ』に登場する、冒険好きで想像力に富む元気なビーグル犬、スヌーピーに他ならない。
スヌーピーがスピードマスターに採用されたのは、50年前の4月13日に発生した、有人宇宙飛行史上最も有名である危機一髪の事故に端を発する。スヌーピーが最初にNASAとの深い関係を持ったのは、アポロ11号のリハーサルとして打ち上げられたアポロ10号にまで遡る。アポロ10号の司令船に「チャーリー・ブラウン」、月着陸船に「スヌーピー」というニックネームが付けられていたのだ(これらの名称は公式なコールサインでもあった)。
月着陸船の名称にスヌーピーが選ばれたのは、そのミッションがアポロ11号の月着陸に適した地面を「探索する(snoop around=嗅ぎまわる)」だったことに由来する。1969年当時、漫画『ピーナッツ』とそのキャラクターは、正真正銘、文化的現象となっていた。アニメ版「ピーナッツ」の第1作目である『チャーリー・ブラウンのクリスマス』が発表されたのは1965年のこと。その後、第一次世界大戦の追撃王として登場したスヌーピーは、レッド・バロン(マンフレート・フォン・リヒトホーフェン)と想像で空中戦を繰り広げたりもしていたが、『ピーナッツ』に登場するギャングたちの中でもおそらく最も注目を浴びるスターになったといえるだろう。
NASAは1968年、技術者やサプライヤー、サポートスタッフの中でも特に功績を残した人々を讃える方法を模索し、シルバー・スヌーピー・アワードを設立。同アワードは、宇宙飛行士によって実際に授与されるという点で珍しい賞である。宇宙飛行の安全性を大きく向上させ、ミッションを成功に導いたプロ根性や献身、卓越したサポートに対して、「In Appreciation (感謝の意を)」込めて贈られる。この賞を考案したのは、当時有人飛行センターの広報責任者を務めていたアル・チョップだった。各ミッションを成功させるために不可欠な業務につく多くの人々の間で、よりよく、より積極的な交流の促進を目的としていた。
これが後にアポロ13号へと繋がることになる。アポロ13号の打ち上げはNASAの“Most Successful Unsuccessful Mission”(輝かしい失敗)と呼ばれることもあるが、これにはもっともな理由がある。13号の打ち上げは月面探索への関心がやや薄れ始めた頃に行われたが、55:54:53(打ち上げから55時間54分53秒)に、非常に注目を集めた事故が起こった。
実際の事故は、1970年4月14日協定世界時3時6分(アメリカ東部標準時で4月13日午後10時6分)ちょうどに発生したと記録されている。機械モジュールにある2基の酸素タンクのうちの1つが、内容物の沈殿を防ぐためにタンク内部をかくはんする定期メンテナンス作業中に爆発したのだ。この事故は宇宙船に深刻なダメージを与え、ミッション遂行を不可能にした。
この事故により、宇宙飛行士と管制官たちはアポロ13号を無事帰還させるための打開策を模索することとなる。そこには、月着陸船を救命ボートに見立てて乗り込む計画も含まれていた。月着陸船と司令船は月の周回軌道に乗って地球に帰還する間、互いに接続された状態だった。
そして、クロノグラフが史上最も話題に上った瞬間がやってくる。着陸船のエンジンを逆噴射する必要が生じたが、宇宙飛行士たちは身に着けていたスピードマスターを使って14秒を正確に計測し、軌道を修正したのだ(月着陸船はそういった目的のために設計されておらず、月面着陸のサポートを目的とされていたため、宇宙飛行士と管制官たちにとっては不安な瞬間であった。結果として噴射は成功したわけだが)。
その燃焼タイミングは非常に正確で、アポロ13号の司令船は予定されていた回収ポイントからわずか1海里(1.852km)地点、回収船のイオー・ジマからわずか3.5海里(6.5km)離れた地点に着水した。NASAは1970年、オメガのスピードマスターが宇宙飛行士たちの無事帰還を成功へと導いたとして、その貢献を称え、オメガにシルバー・スヌーピー・アワードを授与したのである。
シルバー・スヌーピー・アワードは、受賞者に与えられる小さな純銀製のバッジ(宇宙服を着て踊るスヌーピーの形をしている)がその名前の由来となっている。そして、これらのバッジは実際に宇宙にも行ったことがある。1度目はアポロ計画として、そして後にスペースシャトル計画として上空に打ち上げられた。
驚くことに、オメガがシルバー・スヌーピーのスピードマスターを初めて発売したのは、2003年のことだった。シンプルなスピードマスターだが、文字盤とケースバックにシルバー・スヌーピーのエンブレムが入っている。5441本限定で作られ、数量は少なくないにもかかわらず、現在は元の定価をはるかに超えた価格で売られている。購入を考える人は気を付けて欲しい。同モデルは通常のスピードマスターとして生産された型番が付随しているが、文字盤とケースバックが後に交換されている。
もう1つのスピードマスター シルバー・スヌーピー・アワードは、より新しいモデルであり、2015年のバーゼルワールドで発表された(タイピングしながら私はしばし考えた。今後5年間がフェアの進化という点でどれ程予測不可能であるかを)。
オメガがアポロ13号の宇宙飛行士からアワードを授与された1970年にちなんで1970本限定で作られ、文字盤のほか、裏蓋にもシルバー・スヌーピーのモチーフがデザインされている。軽快に踊る宇宙服姿のスヌーピーが入った2003年モデルと比べ、こちらはうつぶせポーズのスヌーピーがデザインされている(犬小屋の屋根に横たわり、眠っている間もバランスを保つスヌーピーは、物理学の法則に反していると考える人もいるが)。
また、スヌーピーの頭の右側には、映画『アポロ13』の中でNASAの主任管制官、ジーン・クランツを演じたエド・ハリスが口にした「Failure is not an option(失敗という選択肢はない)」というセリフが吹き出しで入っている。スーパールミノバが塗布されており、夜間でもスヌーピーの姿を見ることが可能だ。また0秒~14秒までの間には「What could you do in 14 seconds?(14秒で何ができた?)」との言葉が記されている。これはアポロ13号の宇宙飛行士らがスピードマスターを用いてロケットエンジンを噴射する14秒を正確に計測し、軌道修正を行って無事地球に生還した出来事にちなんでいる。
興味深いことに両モデルとも中古市場での価格は驚くほど高騰している。シルバー・スヌーピー・アワード・スピーディが発表される前の2013年、フラテッロ・ウォッチズ(Fratello Watches)のロバート=ジャン・ブロア(Robert-Jan Broer)氏は、既に中古市場における2003年モデルの希少性と価格の高騰を嘆いていた。スピードマスター シルバー・スヌーピー・アワードも同様に、発売時の定価から考えて妥当な価格で見つけることが難しくなってきている。スピードマスターの比較的ニッチなモデルとしては驚きの結果だ。例えば昨年9月のサザビーズでは、同モデルの1つがハイ・エスティメート(落札予想価格の高いほう)の7000ドルを上回る2万3500ドル(約250万円)で落札されている。
どちらか1つ選べと言われると、選ぶのは非常に難しい。2003年モデルはスヌーピーのスピードマスターらしさがあり、楽しさが溢れるスヌーピーのイラストを気に入っている。アポロ時代の楽観主義や、やれば出来るという姿勢をよく表しているように思える。
2015年のシルバーモデルは、スヌーピーが夜間に光るという点で抗えない純粋な魅力を放っている。このことは、多くの熱狂的なファンがこれ程までにこのモデルに魅力を感じる理由に大いに関係しているのだろう。(“Talking Watches”に登場した、時計専門誌『Revolution』を創刊したウェイ・コー氏もファンの1人だ)。
話題の記事
WATCH OF THE WEEK アシンメトリーのよさを教えてくれた素晴らしきドイツ時計
Bring a Loupe RAFの由来を持つロレックス エクスプローラー、スクロールラグのパテック カラトラバ、そして“ジーザー”なオーデマ ピゲなど
Four + One 俳優である作家であり、コメディアンでもあるランドール・パーク氏は70年代の時計を愛している