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2008年の金融危機が我々の時計観にどのような影響を与えたのか、そして時計のデザインにどのような影響を与えたのか、まったく異なる意見を持つ2人のHODINKEEライターが考察する。ジャック・フォースターは、不況の影響で保守的でノスタルジックな傾向が生まれ、それが今も続いていると主張する。一方、コール・ペニントンは、デザインの革新性がかつてないほど高まっているという見解を示している。読者の皆さんには是非両記事をお読みいただき、コメント欄でご意見をお聞かせ願いたい。
「困難な時代には嗜好が保守的になる」というのはよく聞くが、ある面で事実だ。2008年、世界的な金融危機により、世界経済は大恐慌以来の混乱に陥り、過剰な装飾は成功のお祝いというよりも、単に時代にそぐわない、悪趣味なものと見なされるようになった。
1929年、突然破産した金融マンたちが絶望のあまりビジネスタワーからウォール街の峡谷に落ちていったとき、1920年代の過剰なまでの自己満足と豪華さは - それ自体が戦争時代の恐怖と窮乏への反動だったのだが - 同様に時代遅れになった。時計のデザインでは、アール・デコ末期の簡素な幾何学模様とシンプルなデザイン言語がそれを表している。
大恐慌の時代の例として、カルティエの「タンク アギシェ」がある。この時計は、フラットで飾り気のないサテン仕上げされた金属製の長方形ケースという、限りなくシンプルなものだった。文字盤の要素は、ジャンピングアワーとミニッツを表示するためにケース前面に設けられた小さな開口部のみ。1930年代(この時計は1929年に発表された)の金やプラチナのタンクは、誰にとっても低予算で購入できるものではなかったから、その時計はまだ紛れもない高級品だった。だが、その抑制されたデザインは、20年代に流行した装飾的で奇抜で遊び心のある時計とは明らかに対照的だった。
2000年代初頭は、1920年代と同様に、時計のデザインが意図的に過剰になった時代だった。事実、近年の製造技術によって、かつてないほどにクレイジーで大げさなデザインが可能になり、何千、何万という単位でコンプリケーションを作ることができるようになったので、それ以上の時代だったと言える。しばらくのあいだ、大きくて派手で、人目を引きつける時計が横行した。確かにその間、多くのエキサイティングな技術革新も行われていたことは間違いないだろう。多軸トゥールビヨン、脱進機における実験、オイルフリームーブメントなど、軍用潜水艇にちなんだ55mmの時計以外にも色々あった。バーゼルワールド(覚えているだろう?)は、まるでウィリーウォンカの時計工場のようで、やりすぎは罰せられるどころか、むしろ奨励されていたのだ。
毎年開催される展示会では、365日の製品開発サイクルが義務づけられたかのようで、技術革新に対する非現実的な期待や新しさへの飽くなき要求が高まっていたが、それは欠点ではなく特徴だった。時計業界がかつて経験したことのない「過剰の時代」であり、誰もがそれを楽しんでいたようだった。
そんな状況が2008年にピタリと止まった。それまで欲しいと懇願していた時計から、突然逆に買ってほしいと懇願されるようになったのだ。自分の純資産が減っているときに、手首につける派手な装飾を考えようとする人はいない。半年前には数千ドルで売られていた時計が、狂気じみて値引きされたり、グレーマーケットに投売りされたりしていた。文字通り、小銭のような価格で売られたものもある。そして、期待の若手ブランドたちは、雪解け水のように展示会から姿を消していった。
このようなことが人を変える。いざというときに頼りになるような、より永続的な価値を感じられるものを求めるようになる。つまり、時の試練に耐え、苦境から見事に脱出させてくれるようなものだ。また、中流階級が「常に犠牲になる」のではなく、「生涯安定している」ことをしのばせるものであれば、なおさらいい。このようにして、時計収集の歴史のなかでかつてなかったノスタルジア・ブームが起こったのだ。
そして、2008年に他に何が起こったか知っているだろうか? HODINKEEがスタートしたのだ。当時、銀行で働いていたベン・クライマーは、時間をもてあましていることに気づいた。そして時計と時計製造への深い愛情、起業したいという欲求とも相まって、Squarespaceを利用したささやかなブログが生まれた。その後のHODINKEEの成功には様々な要因があったが、創業者がヴィンテージウォッチの収集に夢中になっていたことが、金融危機後のノスタルジーブームと重なったことも大きかったようだ。
そして、時を経て(というほどでもないが)、ノスタルジーはそれ自体がひとつの産業となった。何十年も前に自分たちで作って忘れていた時計への関心の高まりに驚いたブランドは、ノスタルジアのカードを切ろうと躍起になり、それを繰り返し実行した。昔のデザインの焼き直しは、ますます一般的になっていった。熟成されたトリチウムやラジウムを再現した夜光は、今ではあちこちで見られる(文字通りのユビキタスではないが、確かにそんな感じだ)。現代の時計ブランドは、過去の栄光を再現した時計(実際に栄光でなかったとしても、そのように見えるようにマーケティング部門が慎重に再パッケージ化したもの)をより多く生産しようと互いに競い合っている。
そして不思議なことに、革新性や新規性は、古い時代の最も特徴的な産物である「ヘリテージ・コレクション」にその座を奪われてしまった。
そして、少なくとも長年業界を見守ってきた一人(私)からすれば、それが現在の状況だ。パンデミックは「古き良き時代」へのノスタルジーに火をつけたわけではなく、「目新しさ」という名の棺桶に最後の釘を打ち込んだだけなのだ。
これをよいことだと思うかどうかは、あなたの好み次第だ。もしあなたが『シーラブ2021』に出てくるようなダイバーズウォッチや『マッドメン』(ともにアメリカのテレビドラマ)』で出てくるドレスウォッチなど、歴史を表すテイストの時計を好むのであれば、今は素晴らしい時代だと言えるだろう。だがもし危機以前の創造性への興奮と革新への飽くなき探究心を懐かしく思うのであれば、そうでもないわけだ。
興味深い、あるいは革新的な時計製造や時計デザインが行われていないというわけではない。しかし、例えばカルティエのヴィンテージがかつてないほどホットになっていることや、クラシックな時計がかつてないほど求められていることは、偶然ではないと思う。そもそもノスタルジーブームを後押ししたインターネットの影響もあり、独自の大げさで過剰な動きも生まれているのだ(ヴィンテージのロレックスは一体いくらだ??)しかし、純粋にデザインの観点から見ると、ヴィンテージ時計の象徴性とそれが一般の時計愛好家に育んだデザインの嗜好性は、今日の時計デザインにおける最大の要因となっているように思える。