trophy slideshow-left slideshow-right chevron-right chevron-light chevron-light play play-outline external-arrow pointer hodinkee-shop hodinkee-shop share-arrow share show-more-arrow watch101-hotspot instagram nav dropdown-arrow full-article-view read-more-arrow close close email facebook h image-centric-view newletter-icon pinterest search-light search thumbnail-view twitter view-image checkmark triangle-down chevron-right-circle chevron-right-circle-white lock shop live events conversation watch plus plus-circle camera comments download x heart comment default-watch-avatar overflow check-circle right-white right-black comment-bubble instagram speech-bubble shopping-bag

“La Pilota”―チューダーが公開した新動画は記録破りの飛行士と彼女の時計の物語を描く

並外れた女性であり、記録破りのパイロットでもある人物の生涯(そして彼女の時計)について。

ADVERTISEMENT

ギリシャ神話には、イカロスの有名な物語がある。高い志を抱いた若者イカロスは、羽根と蝋で作った自作の翼で大空へ飛び立つ。しかしその結末は教訓的だ。彼はあまりにも高く飛びすぎ、太陽に近づいたことで蝋が溶け、地上へ墜落してしまうのだ。だがもしカリーナ・マッソーネ・ネグローネ(Carina Massone Negrone)がイカロスの物語を知っていたなら、高高度で本当に恐ろしいのは太陽の熱ではなく、極度の寒さと酸素不足であると理解していただろう。1935年、このイタリア人女性飛行士は開放式コックピットを備えたレシプロ機で高度記録を樹立し、その記録は現在に至るまで破られていない。そして今回、チューダーはネグローネに関する短編ドキュメンタリー『La Pilota: The Daring Story of Marchesa Carina Massone Negrone(女性飛行家:マルケーザ・カリーナ・マッソーネ・ネグローネの大胆不敵な物語)』を公開した。この動画は飛行のパイオニアである彼女の驚くべき人生と、彼女が着用していた時計―もちろんチューダーだ―を取り上げている。

 カリーナ・マッソーネ・ネグローネは侯爵と結婚したことで、“マルケーザ(侯爵夫人)”の称号を持つ貴族となり、本来なら、ジェノヴァの邸宅で何不自由ない優雅な生活を送ることもできたはずだ。しかし彼女の冒険心は、1930年代のイタリアでは“淑女らしくない”と思われたかもしれない活動に彼女を駆り立てた。彼女は水泳やスキーの熱心な愛好家であり、地中海ではサメ釣りまで楽しんでいた。そして1933年、22歳のときにはイタリアの戦闘機パイロットから飛行訓練を受け、王立航空連合からパイロット免許を取得した初の女性となった。さらにそのわずか1年後には水上飛行機で5544mまで飛行し、高度記録を樹立した。しかしこれは彼女にとってまだ序章に過ぎなかった。

 現代のジェット旅客機の巡航高度は3万5000~4万フィート(約10.7~12.2km)だ。乗客は暖房と与圧が施された快適な客室で、眠ったり、薄いコーヒーを飲んだり、映画を見たりして過ごす。しかし与圧機の実用化まで約10年を残していた1935年、飛行免許を取得してわずか2年、24歳だったカリーナ・ネグローネは開放式コックピットのカプロニ複葉機で離陸し、1万2043m(3万9402フィート)まで上昇。極度の寒さと高高度での酸素不足に対処するため、彼女は電熱式の特殊ジャケットを着用し、圧縮酸素ボンベから酸素を吸入しながら飛行を続けた。これは並外れた偉業であり、プロペラ機における女性の高度記録を樹立し、その記録は今も破られていない。

la pilota tudor

カリーナ・マッソーネ・ネグローネと飛行機。

la pilota tudor
la pilota tudor

 カリーナ・ネグローネのような物語は数多く存在するが、その多くは歴史の闇に埋もれてしまう。イタリア・ボリアスコにある彼女の故郷にはネグローネの像が建てられ、彼女の肖像をあしらった記念切手も発行されている。だがおそらく読者の大多数はこれまでカリーナ・ネグローネという名前も、彼女の飛行記録も聞いたことがないだろう。時計とは不思議なもので、こうした歴史や人物の物語を現代へと伝える媒介になることがある。そしてこの話もまた、その好例と言えるだろう。

 チューダーは、あまり知られていない人物の偉業を掘り起こすことに強い関心を持っているようだ。長年の読者なら、ベトナム戦争中に銃弾を防いだチューダーの腕時計の話を覚えているかもしれない。Hodinkeeではその兵士たちを追い、50年を経ての再会、そしてチューダーによる腕時計の修復について、2本の短編映画を制作した。そしてチューダーは昨年、チューダー自身が、地球へ帰還したアポロ宇宙船のカプセル回収任務に従事した米海軍のダイバーたちを題材にしたドキュメンタリーを制作した。もちろんそこには時計が登場し、ブランドとしてのマーケティング的な側面もあるだろうが、こうした人間的な物語は人々の心を動かす力を持ち、それ自体で十分に価値があるのだ。

la pilota tudor

カリーナ・マッソーネ・ネグローネが所有し、『La Pilota: The Daring Story of Marchesa Carina Massone Negrone』で紹介された2本のチューダー。

 では、チューダーの時計はカリーナ・ネグローネの物語とどのように結びついているのだろうか。まず言えるのは、彼女が高度記録を打ち立てた飛行の際に腕時計を着けていたかどうかは誰にもわからず、仮に着けていたとしても、それがチューダーだったかどうかを確認する術はないということだ。しかしネグローネが晩年まで愛用していた2本のチューダーは、現在も家族のもとに残されている。1本は1950年代のアドバイザーで、チューダーが製造したツインリューズ仕様の機械式アラームウォッチだ。もう1本は小径のダイバーズウォッチ、ミニサブ Ref.73090。これはおそらくネグローネが深海釣りや水泳といった水辺での活動に使うために購入したものだろう。一方、アドバイザーは毎日のアラームとして使われていたと、本動画に出演し、私がこの記事のためにインタビューしたネグローネの孫であるヨス・ネグローネ(Jos Negrone)氏が語っている。幼いころ、すでに飛行を引退していた祖母が階下に住んでおり、祖母の時計の機械的な振動音を今なお覚えているという。私は彼に、祖母の時計に対する思いを尋ねてみた。

 「彼女が時計を愛していたと言うのは正確ではないと思います。彼女は時計を収集していたわけではありませんから。むしろ、彼女には時計が必要だったと言うほうが適切でしょう。それはまったく別のことですよね?」

la pilota tudor

カリーナ・マッソーネ・ネグローネの飛行記録には、高度1万2043mに到達した記録飛行が記されている(右下ページ)。

la pilota tudor

ネグローネのチューダー ミニサブ。

la pilota tudor

ネグローネのチューダー アドバイザー。

 確かにそのとおりだ。1950年代、ベッドサイドクロックであれ腕時計であれ、機械式アラーム時計が最も確実な目覚めの方法であり、彼女はその後も何十年にわたり、アドバイザーを愛用していた。またその後に打ち立てた数々の飛行記録の際にも、その手首にはチューダーが着用されていた可能性は十分にある。イタリアのブレシアからエジプトのルクソールまでの3000kmを飛行し、平均時速約300kmという驚異的なスピードを記録した飛行でもそうだ。しかしなぜチューダーだったのだろうか? 20世紀半ばの冒険を愛する貴族の女性が身に着ける時計としては、ロレックスやオメガのほうがむしろ自然で、いかにもありそうな選択に思える。

ADVERTISEMENT

 「チューダーは、我が家では常に賢明な選択だったんです」とヨスは私に語った。「ロレックスと同等の品質を備えながら、価格は少し抑えられていたからです。品質は求めるけれど、高価な時計を身に着けて見せびらかす必要はないという人たちにぴったりでした」

 ヨスは続けて、ネグローネ家ではチューダーの時計がよく贈り物として贈られていたと話してくれた。彼自身も18歳の誕生日にチューダーのビッグブロック・クロノグラフを贈られたという。両親の考え方について、彼はこう語っている。「必要最小限の金額で、最高の品質のものを贈ります。光り輝くロレックスのような高価なものは、欲しければ自分で買えばいいのです」

la pilota tudor

ネグローネのチューダー ミニサブ。

 『La Pilota』は豊富なアーカイブ映像や写真を軸に、孫のヨスとマダレーナへのインタビュー、さらに航空博物館の学芸員による解説を織り交ぜながら、ネグローネの功績の背景を描き出している。もちろん、ネグローネが愛用したチューダーへの言及も随所に登場する。しかしそれは決して押しつけがましいものではなく、物語へと入っていくためのきっかけとして自然に機能しており、ストーリーそのものの主役にはなっていない。『Splashdown(スプラッシュダウン)』と同様に、チューダーはマーケティング作品でありながら、商品を過度に押し出さない絶妙なバランスを実現している。そこから感じられるのは、偉業を成し遂げた人々に光を当てることが、その人たちが選んだ時計の価値をも高めるという、ブランドとしての自信だ。加えて、こうした歴史や人物に光を当て続けようとする一貫した姿勢も見て取れる。おそらく今後も、このようなドキュメンタリーやストーリーは、引き続き制作されていくことだろう。

 最近の時計コンテンツは過剰に演出され、どこか不誠実で、誇張されているように感じられるものが多い。だからこそチューダーが制作したこの映像作品のように、ひとりの人物とその感動的な功績、そして時計が果たした“脇役”としての役割に焦点を当てたストーリーは実に新鮮だ。私のモットーは、「大切なのは時計そのものではなく、それを身に着けて何をするかだ」というものだ。それは大海原に浮かぶ宇宙船を回収することであれ、酸素の薄い高空へ飛び立つことであれ、あるいは私たちが自ら生み出すどんな挑戦であれ、同じことだ。時計はお守りであり、仲間であり、思い出の保管者であると同時に、新たな高みを目指すためのインスピレーションとなるのだ。

ADVERTISEMENT