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スプラッシュダウン──知られざる海軍のフロッグマン、宇宙開発、そしてチューダーの物語

チューダーによる新作フィルムが、これまであまり語られることがなかった英雄たちと、彼らに選ばれていた時計の役割を描き出す。

1960年代は、アメリカ軍にとって困難と混乱の時代だった。ベトナム戦争という長く複雑な紛争は、兵士や水兵、そして航空兵たちを、当時の激しい政治闘争や抗議運動のただなかへと引きずり込んだ。だがその陰で、今ではほとんど語られることのない、真に英雄的な物語があった。1969年のアポロ11号による月面着陸を含むアポロ宇宙計画において、アメリカ海軍、とりわけ水中破壊工作部隊(Underwater Demolition Team)のフロッグマン(水中工作員)たちが果たした重要な役割についてである。

 あの歴史的な瞬間をリアルタイムで見ていなかった人でも、ニール・アームストロング(Neil Armstrong)が月着陸船モジュールのはしごを跳ねるように降り、「これはひとりの人間にとっては小さな1歩だが、人類にとっては偉大な1歩である」と語ったあの名場面は、映像とともに記憶に刻まれているに違いない。だがあまり知られていないのは、巨大なストライプのパラシュートに支えられた司令船が霞がかった熱帯の空をゆっくりと落下し、太平洋の荒波に大きな水しぶきを上げて着水する、その帰還のシーンだ。

 多くの人にとっての物語は、そこで終わりだ。シャンパンを開け、葉巻に火をつけて、任務達成を祝う。だが、真の終わりはそこではなかった。バズ・オルドリン(Buzz Aldrin)氏、ニール・アームストロング、マイケル・コリンズ(Michael Collins)の3人を乗せたカプセルは着水の衝撃で上下逆さまになってしまったのだ。狭く密閉されたそのカプセルを安定させ、宇宙飛行士たちを安全に救出する。その任務にあたったのが、東南アジアのジャングルから呼び戻され、きわめて専門的な訓練を受けた少数精鋭の男たちだった。

カプセルは“ステーブル2”と呼ばれる状態(つまり上下逆さま)で着水した。その後、空気で膨らむ浮袋によって自動的に正位置へ戻るしくみになっていた。

 私の経験上、時計にまつわる最高の物語というのは、実のところ時計そのものが主役ではないことが多い。この話もまさにそのひとつである。月面着陸やアメリカの宇宙開発計画といえば、オメガ スピードマスターが最もよく知られた腕時計だが、実際にはほかにも多くの時計が裏方として同様に興味深い役割を果たしていた。たとえば、ジョン・グレン(John Glenn)のホイヤー、スコット・カーペンター(Scott Carpenter)のブライトリング、ジャック・スワイガート(Jack Swigert)のロレックス、デイヴ・スコット(Dave Scott)氏のブローバ、ウィリアム・ポーグ(William Pogue)のセイコーなどだ。これらはいずれも宇宙に“飛んだ”時計たちである。言ってみれば、旅の同行者のような存在だ。だが水中破壊工作部隊の隊員たちが宇宙計画において担った役割がほとんど世に知られてこなかったように、彼らが着けていた時計もまた、長らく歴史の陰に埋もれた存在だった。そう、今日までは。

これは、かつてUDTおよび海軍特殊部隊(SEALs)の隊員であったスティーブ・ジュエット(Steve Jewett)が所有していたチューダー サブマリーナー Ref.7928である。彼はすでに故人となっているが、現在この時計は家族のもとにあり、その献身を象徴する存在となっている。ジュエットはアポロカプセル回収プログラムに参加していた。

 チューダーはこのほど、彼らフロッグマンとアポロカプセル回収任務について描いた短編ドキュメンタリーフィルム『Splashdown: The U.S. Navy's Daring Role in the Moon Missions』を制作した。言うまでもなく、物語にはダイバーズウォッチが登場するが、それが主題というわけではない。ただし興味深いのは、1960年代後半のUDT隊員や海軍特殊部隊の大半が、機密文書によるとチューダーのサブマリーナーを官給品として支給されていたという事実である。このことは、モキ・マーティン(Moki Martin)のTalking Watches出演回『ロング・リターン:時を超えた生還(原題:The Long Return)』といった過去のプロジェクトを覚えているHODINKEE読者にとっては、もはや驚くべきことではないかもしれない。今回の新作ドキュメンタリーには、実際に撮影された写真と関係者の証言が収められており、アポロのカプセル回収任務に携わった男たちが、チューダーの時計を着け、そして活用していたことを証明している。

 この物語の核心に入る前に、チューダー サブマリーナーの歴史、そして軍との関わりについて簡単に振り返っておく価値があるだろう。チューダーの歩みがロレックスの影に寄り添うように存在してきたことは、もはや周知の事実である。1926年に設立されたチューダーは、ロレックスのより手ごろな代替品として誕生した。数十年にわたってロレックスの設計力と製造技術を活かしながら、堅牢で防水性の高いケース、リューズ、風防をサードパーティ製のムーブメントと組み合わせることで、価格を抑えつつ高い性能を実現してきた。これらの時計はしばしばロレックスの兄弟機に酷似しており、場合によっては“オマージュ”と呼んでも差し支えないレベルだった。たとえば、ロレックスのエクスプローラーに対してはレンジャー、デイトジャストにはプリンス オイスターデイト、デイトナには“ビッグ・ブロック”クロノグラフが用意されていた。そしてサブマリーナーに対応するチューダーのモデルは? その名も同じ、サブマリーナーである。チューダーのサブマリーナーは、ロレックスのそれに続いて1954年に登場した。世界各国の海軍がロレックスからダイバーズウォッチを調達していたことは知られているが(なかでも英国海軍が有名だ)、チューダーのサブマリーナーはよりコストパフォーマンスに優れ、なおかつ同等の性能を備えていたことから他国の海軍、特にフランスのマリーン・ナシオナル(海軍)やアメリカ海軍の関心を集めていた。そして1958年には、アメリカ海軍がこのモデルをダイバーや水中破壊工作部隊のフロッグマンたちに支給し始めている。

シャンダ・ジュエット(Shanda Jewitt)とマリー・ジュエット(Marie Jewett)、スティーブ・ジュエット(Steve Jewett)の娘と妻。

 アメリカ海軍が実際に支給していたモデルは、チューダーが1959年に初めて発表したRef.7928である。このモデルはチューダーのサブマリーナーとして初めてリューズガードを備え、ケース径も従来の37mmから39mmへと拡大された。Ref.7928は1969年まで継続的に製造されており、そのあいだリューズガードの形状や文字盤の表記に小さな変更が加えられていったが、製造終了後も現場では長らく使用が続けられ、多くの実戦を経験している。もちろん、チューダーと海軍部隊との関係は現在も続いている。とりわけ注目すべきはペラゴス FXDで、これはフランス海軍仕様のブルーモデル、“マリーン・ナシオナル”バージョンと、アメリカ海軍と密接に関わるブラックダイヤルのFXDの両方が展開されている。

UDT/SEALs隊員のビル・ジェブ(Bill Jebb、写真上段中央)は、スプラッシュダウン回収プロセスの構築時において、チューダー サブマリーナーをいかに使用していたかを語っている。

 アメリカ海軍の海上特殊作戦部隊のルーツは、第2次世界大戦中に設立された海軍戦闘破壊部隊(NCDU)、水中破壊工作部隊(UDT)、強襲偵察隊(S&R)、そして戦略諜報局(OSS)の海上部門にさかのぼる。これらの専門部隊は1944年6月のノルマンディー上陸作戦(D-Day)に代表される強襲上陸に際して事前に敵海岸への接近ルートを偵察し、水中の障害物を除去する任務を担っていた。これらのチームは、戦闘部隊というよりもむしろ問題解決を専門とする部隊だった。夜間の任務が多く、装備は水着、フィン、ダイビングマスク、ナイフ、そして腕時計程度という極めて簡素なもので、海岸に上陸しては爆薬を設置し、陸軍や海兵隊の上陸を妨げる障害物を破壊していた。1960年代初頭には、少数精鋭による奇襲型作戦の有効性が実証され、UDTの役割は急襲任務などへと広がっていった。これらの作戦はしばしばボートから、あるいは潜水艦から展開されることもあった。やがてこの部隊は、新たに編成された戦闘部隊、海軍特殊部隊SEALsと並び立つ存在となる。SEALsとUDTはベトナム戦争におけるゲリラ的で非正規な戦闘に適応した部隊として、東南アジア沿岸や河川デルタ地帯で頻繁に運用されるようになった。この時期には、記録によると大多数の隊員が支給されたチューダー サブマリーナーを着用しており、ラバーストラップのほか、ファブリックの引き通しストラップ、あるいはカスタムでエングレーブが施されたオランガポ製のスティールカフに取り付けられていた。

 1960年代、国論を二分した戦争が続くなか、アメリカ合衆国は冷戦という大局の一部で野心的な宇宙開発計画も進めていた。1950年代後半に始まったマーキュリー計画(最初は弾道飛行、のちに軌道飛行。いずれも搭乗は1名)に続き、ジェミニ計画(軌道飛行、2名搭乗)へと移行。ケネディ大統領による「人類を月に送り、安全に地球へ帰還させる」という声明に後押しされ、ついにアポロ計画が動き出した。この声明の前半、「月に送る」部分は、優れた資質を持つテストパイロットたちの英雄譚として語り継がれているが、「安全に地球に帰還させる」という後半の工程にはまったく別のタイプの英雄たちが必要だった。海上で揺れる宇宙カプセルを確保・回収するという特異な任務には、UDTフロッグマンの専門技術がまさに適していたのだ。彼らはどんな状況でも動じず、不快な環境にも平然と身を置き、厳しい水中作業に耐えられるよう訓練された、きわめて順応性の高い存在だった。アポロ回収任務に選ばれた者にとって、ジャングルでの戦闘任務から突然、宇宙船を扱う作業に転じるのは戸惑いを伴う経験だったに違いない。しかしそれは同時に名誉ある任務であり、非常に特別な意味を持つ配属でもあった。

ビル・ジェブ:元UDT/SEALs隊員、アポロ回収プログラム構築チーム所属

アポロ計画期を物語る記念品。とくに回収プログラムに関連する品々。

 ここ数十年の有人宇宙飛行しか知らなければ、宇宙飛行士の帰還といえば、海ではなく硬い地面、地上に着陸するのが当たり前だと思ってしまうのも無理はない。というのもつい最近までNASAは、国際宇宙ステーションとの往復輸送をロシアに委託しており、そのため宇宙カプセルの帰還は地上着陸が基本となっていたからだ。着地の際は、“ドスン”という衝撃とともにかなり激しく地面に叩きつけられる。こうした地上着陸方式はユーリイ・ガガーリン(Yuri Gagarin)の時代から続く旧ソ連の方針であり、これに対してアメリカは一貫して海へのスプラッシュダウン(着水)方式を採用してきた。いずれの方法にも、それぞれ特有のリスクと利点がある。

ウェズリー・T・チェッサー(Wesley T. Chesser):元UDT/SEALs隊員、アポロ11号回収任務におけるSwim#2(宇宙飛行士の安全確保や装備の設置を実施)担当

 1961年、マーキュリー計画の宇宙飛行士バージル・“ガス”・グリソム(Virgil "Gus" Grissom)は、リバティ・ベル7号のハッチが突如として開いたことで海水が流れ込み、溺れかけた経験がある。彼はかろうじて脱出に成功したが、宇宙服のなかは急速に水で満たされ、最終的にはヘリコプターによって救出された。一方、カプセルそのものは海底に沈み、その回収は1999年まで行われなかった。この事故をきっかけに、NASAとアメリカ海軍はUDTスイマーの支援を得て、宇宙カプセルの安全確保と浮遊装置の展開を行うようになったのである。1965年にはソビエト連邦の宇宙カプセル、ボスホート2号が史上初の宇宙遊泳を成功させたアレクセイ・レオーノフ(Alexei Leonov)を乗せて、シベリアの人里離れた山中に不時着した。着陸地点は予定から大きく外れ、無線も通じない状況だった。レオーノフとパーヴェル・ベリャーエフ(Pavel Belyayev)は極寒のなか3日間を生き延び、最終的にはスキーで9kmを横断して、ようやくヘリの着陸地点にたどり着いた。

 海へのスプラッシュダウンというのは、決して単純な作業ではない。当時の技術、たとえば計算尺や今のスマートフォンよりも性能の劣る大型コンピューターでNASAが宇宙船を月まで送り込んだという事実は、いまなお驚異としか言いようがない。しかし、月を周回したその司令船を、広大な太平洋のなかでごく限られた1点に正確に帰還させるためには、再突入角度の計算、スラスターによる微調整、大気圏突入時の高熱から守るヒートシールドの展開、そして巨大なパラシュートによる減速着水といった、数々の精緻な技術が必要とされた。それはまさに、NASAの技術陣が担うべき領域だった。だが、カプセルが海面に触れたその瞬間からは任務はアメリカ海軍の管轄となる。海軍は1961年のアラン・シェパード(Alan Shepard)による最初のマーキュリー飛行以来、回収任務を担当しており、その手順を長年にわたり洗練させてきた。

カプセルの上空をホバリングしているヘリコプターは、シコルスキー社製SH-3 シーキング。その後方には、同機が発艦した空母ホーネットが控えている。

 空母ホーネットこそが、アポロ11号回収任務を担ったアメリカ海軍の艦艇であった。艦には“Hornet Plus Three”と記された巨大な横断幕が掲げられていた。これは、もうすぐアームストロング、コリンズ、オルドリンの3名がこの艦に加わることを意味していた。このとき、もうひとりの重要人物が艦上にいた。リチャード・ニクソン(Richard Nixon)大統領である。たとえばわずかな計算ミス、機材の不具合、あるいは天候の狂いがあった場合、カプセルの着水地点は数百マイルずれてしまう可能性があった。そこで海軍は、3つの回収チームとシーキングヘリコプターを待機状態に置き、即応態勢を敷いていた。着水前日には、予定されていた海域に荒天の予報が出されたため、着水地点は急きょ240マイル離れた別のポイントに変更。空母ホーネットはその夜を徹して新たな海域へ航行することを余儀なくされた。

 そして1969年7月24日、アポロ11号の司令船が雲を突き抜けて姿を現したとき、その速度と迫力には息をのむものがあった。「まるで彗星が大気圏を突っ切ってくるようでした」と、当時のUDTスイマー、ウェズリー・チェッサーはそう振り返っている。

UDT公式マニュアルの85ページには、標準支給装備の一部としてチューダーのダイバーズウォッチが描かれている。

 カプセルは大気圏を突入してくる灼熱の飛翔体のように、ホーネットの甲板上に3連の衝撃波を響かせた。その直後、3つのパラシュートが一斉に開き、減速しながら落下。ホーネットの風下約12マイルの海面に、凄まじい勢いで着水した。ここから、周到に準備された回収手順が一気に動き出す。

 カプセルはハッチが密閉されているため防水性があり、海上に浮かぶことができる。ただし、着水時の姿勢によっては逆さま(Stable2)になることもある。その後、上部に設置された大型のフローテーション・バルーンが自動的に膨らみ、カプセルをゆっくりと正しい向きに戻していく。とはいえそのあいだ、内部の3名の宇宙飛行士は身動きが取れず、フロッグマンによる救出が来るまで閉じ込められた状態にあった。UDTスイムチームの最初の任務は、カプセルを正位置で安定させ、漂流しないように固定することである。フル装備のスキューバギアとウェットスーツを着たUDTスイマーのジョン・ウルフラム(John Wolfram)が荒波のなかへ飛び込み、カプセルまで泳ぎ着き、流れを抑えるためにシーアンカー(パラシュート型の装置)を取り付けた。そのあとを追うようにウェズリー・チェッサーとマイケル・マロリー(Michael Mallory)が続き、カプセルの周囲にフローテーションカラーを取り付けて膨らませたうえで、ふたつの膨張式救命いかだを配置し、それぞれをカプセルに結びつけた。

 別のヘリコプターから4人目のスイマーが海へ飛び込み、いかだのひとつによじ登ると、動きにくい防護服(ハズマットスーツ)を身に着けてカプセルへ向かって水面を漕ぎ進んだ。彼の名はクランシー・ハトルバーグ(Clancey Hatleburg)。除染スペシャリストであり、月から持ち帰られた未知の汚染物質が空母ホーネット艦内へ持ち込まれることのないよう徹底するのが彼の任務だった。ハトルバーグは迅速にカプセルのハッチを開け、なかに防護服を3着投げ入れてから再びハッチを閉じ、カプセルの外装に消毒液(ポビドンヨード※ベタジン)を噴霧し、月からの帰還に伴うあらゆる可能性のある微生物を除去した。その後、宇宙飛行士たちをカプセルからいかだへと誘導し、カーウォッシュ用のミットで漂白剤を用いて身体を洗浄。そして彼らを吊り上げ用のネットに収容し、待機中のヘリコプターへ引き上げて空母ホーネットへ移送した。宇宙飛行士たちは、到着後すぐに特別に改装されたエアストリーム社製の隔離トレーラー(MQF)へと収容され、英雄としての歓迎を受けることとなった。そのあいだにフロッグマンたちは宇宙カプセルにヘリコプターの吊り上げ具(ホイスト)を接続し、海からの回収を完了させた。任務完了である。

少尉補ジョン・マクラクリン(John McLachlan)の潜水チーム。回収任務に使用されたSH-3 シーキングヘリコプターの前に整列。

USSホーネット、海・空・宇宙博物館にてインタビューを受けるマクラクリン少尉補。背後には隔離トレーラー(MQF)、司令船のモックアップ、そしてSH-3 シーキングが展示されている。

支給されたチューダー Ref.7928の多くは数十年にわたり使用された。そのため、多少のパティーナ(経年変化)が見られるのも珍しいことではない。

 この回収手順はすべてのアポロ計画において実施され、改良を重ねながらも一貫して行われていた。だがその多くは一般に公開されることなく、その裏で行われていた膨大な訓練と準備もまた、広く知られることはなかった。「宇宙飛行士が宇宙にいるあいだは」と、チェッサーは語る。「我々はリハーサルに次ぐリハーサルを繰り返していました」

 UDTのスイマーたちと回収チーム全体は、あらゆる状況を想定して何週間にもわたり訓練を行っていた。夜間のスプラッシュダウン、凪、荒波、深海での回収、さらにはサメが現れる可能性すら含まれていた。「ヘリが降下してくると、ローターの風で水面が激しく波立つ。それがサメを引き寄せるのです」と、フロッグマンのジョン・マクラクリンは語る。彼はさらに続ける。「ある晩、タイミングよく飛び込んだら50匹以上のサメの真ん中にいたんです。もうやれることはひとつしかありませんでした。カプセルまで泳いでいって、フローテーション・カラーによじ登るだけ。あれには興奮しましたね」。まさにフロッグマン特有の控えめなユーモアである。

 いまや時計愛好家なら誰でも、オメガ スピードマスターが“ムーンウォッチ”として選ばれた経緯や、アポロ13号の危機的なミッションで果たした役割について知っているだろう。これは、1965年にエド・ホワイト(Ed White)が宇宙遊泳の際にスピードマスターを着用して以来、オメガがNASAとの結びつきを前面に出した強力なマーケティングを展開してきた成果でもある。だがそれに比べ、アポロのカプセルを回収し、宇宙飛行士を引き上げたUDTスイマーたちが着用していたダイバーズウォッチについてはこれまでほとんど知られてこなかった。一般にダイバーズウォッチは水中での潜水時間を測るためのものと捉えられているが、実際にはミッション全体のタイマーとしても活用されていた。アポロ計画においては、打ち上げからスプラッシュダウンまでの一連の工程すべてが秒単位で管理されており、フロッグマンたちも同様に正確なタイミングを把握している必要があった。スピードマスターをはじめ、宇宙飛行士たちが宇宙で着用していた腕時計の役割が着水時点で終わるのに対し、任務時の時計は全員が無事に回収艦に戻るまで止まることはなかった。宇宙が過酷な環境であるのと同様に、海もまた容赦のない環境である。マーキュリー計画の宇宙飛行士スコット・カーペンターが着用していたブライトリング コスモノートの末路を見れば明らかだ。塩水が手巻きクロノグラフに優しいわけがない。

支給されたRef.7928のいくつかは、1965年版の水中破壊工作部隊マニュアルの上に置かれて展示されている。

 チューダーの映像に登場する複数の元UDTスイマーたちは、エリート部隊への選抜後、必要装備のひとつとして腕時計が支給されたと証言している。いまでこそヴィンテージとして評価されるそれらの時計も、当時はミッション遂行に不可欠な装備のひとつだった。ランデブーのタイミング、作戦行動、潜水時間、減圧停止、爆薬の起爆タイミング、任務全体の時間管理などそれらすべてを支える道具として、腕時計は扱われていた。「ほかの重要装備とまったく同じように扱っていました」と、宇宙カプセル回収任務の責任者で元SEALのウィリアム・T・ジェブ(William T. Jebb)氏は語る。

 このカプセル回収任務に選ばれたスイマーたちは、この任務専用に時計を支給されたわけではない。彼らはベトナムでの派遣任務中にも同じ時計を着用しており、その任務内容は多岐にわたり、時に公にできないような内容も含まれていた。そのような過酷な環境において求められたのは、頑丈で、正確で、防水性の高い時計だった。記録によればほとんどの場合、それはチューダーのサブマリーナーだったという。アポロのカプセル回収にあたったUDTスイマーたちが実際に所有・着用していた時計のいくつかは、現在チューダー社によって保管され、アーカイブに収められている。これらのヴィンテージピースの魅力を理解し、それ以上に“優れた時計の価値”を知る人物のひとりが、元海軍SEAL隊員にしてベストセラー作家のジャック・カー(Jack Carr)氏である。彼はチューダーの映像にも登場している。

 「これはもう、実用品というより“遺物”と言えるものです。しかも、本当に過酷な任務をくぐり抜けてきています」。カー氏は、自身のヴィンテージ チューダー サブマリーナーを見下ろしながら語る。「これは歴史を物語るものであり、誇りを持って生きた人生の証でもあると思っています」

 『Splashdown: The U.S. Navy's Daring Role in the Moon Missions』は、カプセル回収任務そのものを中心に描くというよりは、静かに、的確にその任務を遂行した勇敢な男たちに光を当てた作品である。そして、時計ファンの心をくすぐる要素も適度に散りばめられている。本作では、元SEAL隊員やUDTスイマーたち、そしてアポロ回収任務に関わったフロッグマンたちの遺族へのインタビューを通じて、“人間”にフォーカスしている。映画の公開タイミングはアポロ11号のスプラッシュダウン(1969年7月24日)に合わせられたが、その内容は実際には複数のアポロ計画に関わった隊員たちの任務全体を対象にしている。いずれのミッションも、すべて成功を収めた。そして、ほかの多くの素晴らしい時計の物語と同様に、この物語も実のところ“時計そのもの”の話ではない。それを身に着けて、何を成し遂げたか。そこにこそ、意味があるのである。

ドキュメンタリー作品『Splashdown: The U.S. Navy's Daring Role in the Moon Missions』の全編は、本記事およびチューダーの公式アカウントにて視聴可能である。