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2447。これはホイヤーが1963年に初代カレラを発表した際、その新しいレーシングクロノグラフを覚えやすくするために与えた、4桁のリファレンスナンバーである。カレラ 2447は、オメガ スピードマスター 2998(簡略化された番号。後ほど説明する)や、ロレックス デイトナ 6239といったほかの4桁の数字と競合し、優良ブランドの仲間入りを果たした。
早いもので月日が経ち、今年タグ・ホイヤーはリファレンスナンバー、CBS2210.FC6534を持つ新しいカレラ グラスボックスを発表した。1960年代のシンプルな4桁のリファレンスナンバーと比べると、これは13文字もある。タグ・ホイヤーだけではなく、ナンバーが長いことで有名な現代のオメガのリファレンスシステムも14桁あり、そしてブライトリングも12文字のシステムを採用している。またロレックスのモデルを表記するとき、通常6桁の数字を使用するが、実は完全なリファンレンスはこれ以上に長く、例えばスティール製のサブマリーナーデイトはM126610LN-0001になる。パテック フィリップも同様で、4桁のベースリファレンスにこだわっている数少ないブランドのひとつだが、フルリファレンスになるともう少し長くなる。新型ホワイトゴールドのノーチラスのリファレンスナンバーは、5811/1 G-001である。数字を見て頭がクラクラしてきただろうか?
過去数十年のあいだに、リファレンスナンバーは数桁の覚えやすい数字から、レイモンド・バビット(映画『レインマン』に登場するサヴァン症候群の男性)でさえ思い出すのに苦労するような、長く複雑な文字列へと進化していった。なぜそのようになったのか。これは人間とコンピュータ、そしてそれらがどのように影響しあっているかの物語である。
すべてのものをあるべき場所に
リファレンスナンバーを語るということは、腕時計も語ることになる。第1次世界大戦中に、兵士のあいだで腕時計の人気が高まると、メーカーは大量生産に力を入れ始める。
“1923年、パテック フィリップは腕時計に傾倒した”と、書籍『Treasures From The Patek Philippe Museum Collection』で、著者のピーター・フリース博士(Dr. Peter Friess)は述べている。“すぐに、それが同社のビジネスの基幹となった”と。当初の腕時計は1点ものの特注品であり、その進化の元となった懐中時計によく似ていた。しかし間もなくして、腕時計は独自の美学を築くようになり、腕に巻いて時刻を確認する人が抱える新たな問題を解決するために独自の技術革新を遂げていった。
パテックにとって、カラトラバのリファレンス96は、初めてシリアルナンバーを入れて長期的に生産をした腕時計である。2桁のリファレンスナンバーはシンプルで潔く、なによりブランディングの練習のようなものだった。スイスではパーツ交換が可能な腕時計の大量生産が一般的になったため、彼らは互いに部門を超えて、またサプライヤーとのコミュニケーションの際に、これらの製品をすばやく簡単に参照する方法を要した。リファレンスナンバーの時代に突入したのである。
ほかの時計ブランドも同様に、短いリファレンスナンバーから続々とスタートしていく。ロレックス、オメガ、ホイヤーはすべて4桁のリファレンスナンバーで統一され、またほかの多くのメーカーも60年代までは、3桁か4桁のリファレンスナンバーを使用していた。多少行き当たりばったりではあったが、各メーカーのシステムには内部的なロジックがあった。
どのブランドもナンバリングに論理性を持たせようとしたが、目も当てられないほど失敗している。
– – フレッド・マンデルバウム(FRED MANDELBAUM)、ブライトリングコレクター・歴史家 例えば、ヴィンテージホイヤーの4桁のリファレンスナンバーは以下のように設定されていた。
- 最初の2桁: キャリバー
- 3桁目: コレクション
- 4桁目: ケース素材
自動巻きのカレラ1158を例に挙げると、11は自動巻きCal.11を、5はカレラコレクション、そして8はゴールドケースを指しているということになる。そして文字盤を表す文字を末尾に加えるのだ。例えば、最もよく知られているのは1158CHNで、これはシャンパンダイヤルとブラック(ノワールのN)のインダイヤルを有していることを意味する。
ホイヤーと同じくして、この時代の多くのナンバリングシステムはケースの素材、キャリバー、および機能の有無を迅速に伝えるために確率されたものだった。ユニバーサル・ジュネーブ、オメガ、ブライトリング、その他多くのブランドも同様のシステムを採用していく。なお場合によっては、追加の情報を伝えるためにピリオドやスラッシュの後ろに文字を加えることもあった。
どのブランドのシステムでも、いちど理解してしまえばこれらのリファレンスナンバーは“人々が判読できる”。ユーザーが製品を認識して、カタログ化するための簡単な方法である。仮にあなたがホイヤーの社員なら、リファレンスナンバーのNかSを探すだけで、それぞれブラックダイヤルかシルバーダイヤルか判断がつく。これは、スイスの時計産業が工業化され、時計の部品を手作業で生みだしていた職人産業が発展し、近代的な機械を使用するようになった一方で、機械の操作や部品在庫の追跡、一般的な製造業ビジネスの調整には、依然として人間が重要な役割を果たしているという事実を反映していた。3桁または4桁のリファレンスナンバーは、時計について知っておく必要がある、すべての情報がわかるわけではないかもしれないが(ストラップなのかブレスレットなのかなど)、情報としては十分だろう。いずれにせよ、人間の手によって全体の作業を調整しているため、途中で考える余地はあった。
タグ・ホイヤーのヘリテージディレクターであるニコラス・ビーブイック(Nicholas Biebuyck)氏は、“当時、サプライヤーがこうしたコンベンションの多くを推進していた可能性もある”と述べている。20世紀半ばまで多くのブランドが、ダイヤルはシンガー社またはスターン社、ケースはエプサ社、またはスピルマン社など、数社の主要サプライヤーに依存していたことを思い出して欲しい。メーカーを問わず、リファレンスナンバーは同じ情報を伝えるために同様のフォーマットをとっている。そして時には、同じ数字が同じことを意味することさえあった。具体的に、“8”という数字は、当時ホイヤーとロレックスの両社でゴールドケースを表すのに使われていた(例えばゴールドのカレラ 1158や、ゴールドのサブマリーナー 16808、GMTマスター 16758など)。あとでわかるが、70年代には多くのブランドが同じような形式のリファレンスナンバーを採用していた。メーカーは多くのサプライヤーと迅速かつ容易にコミュニケーションをとる必要性を動機付けにし、このリファレンスナンバーに参加したと考えられる。
一方で権限を持つスイスの一貫性のない、非論理的なナンバリングシステムを海外の流通業者が嫌っていたという証拠がいくつかある。
ブライトリングの歴史家でコレクターのフレッド・マンデルバウム氏は、“どの販売業者もブライトリングのナンバリングシステムの体系を守っていなかった”と語る。“同ブランドの世界で最も重要な代理店であったブライトリングUSAは、ナビタイマー 806を9113と呼び、イギリスは独自の4桁システムを使っていた”。各地のブライトリング代理店はそれぞれモデルのナンバリングと在庫管理のための独自のソリューションを持っていたと、彼は説明している。
“どのブランドもナンバリングに論理性を持たせようとしたが、目も当てられないほど失敗している”とマンデルバウム氏。“それは単にスイス人がナンバリングシステムを考え出そうとしていることの不条理さを表しているだけだ”。ひとつ例を挙げると、60年代半ばのロレックスのカタログを開いたとき、次のリファレンスが隣り合わせに掲載されているのがわかる。
- 1002 - オイスターパーペチュアル
- 1003 - オイスターパーペチュアル、エンジンターンドベゼル
- 1012 - ゴールドオイスターパーペチュアル
- 1013 - ゴールドオイスターパーペチュアル、エンジンターンドベゼル
- 1016 - エクスプローラー
- 1018 - オイスターパーペチュアル(36mm)
- 1019 - ミルガウス
- 1024 - ゴールドメッキのオイスターパーペチュアル
いくつかのナンバリングロジックは明確になったが(例えば最後の1桁はベゼルタイプを表している)、特定モデルのリファレンスの割り当ては飛び飛びになっている。これが1960年代までのほとんどのブランドのやり方である。
OK コンピュータ
1962年、オメガが新しいナンバリングシステムをいち早く採用し、時計を変えることなく8文字の英数字に切り替えた。例えばスピードマスター CK 2998-62は、モデルはそのままにST 105.002へと変更された。オメガはこの記事に対するコメントを否定したが、長年にわたって使用されてきたリファレンスシステムのロジックから十分に立証されているのは事実だ。
“マピックス(MAPICS)と呼ばれる、新しいリファレンスナンバリングシステムが1962年に導入され、以降製品がグループに分類されるようになった”と、スピードマスターの学術書である『Moonwatch Only』内で解説されている。『Moonwatch Only』によると、オメガのマピックスシステムは導入後も開発が続けられたために、100%正確な参照表(リファレンステーブル)を確立することが難しくなったとしている。
70年代に入ると、多くのブランドがオメガのあとを追い始め、リファレンスシステムを見直して新しい方法を実装し始めた。マンデルバウム氏は、3桁のリファレンスナンバーを使用していたブライトリングは単に適切なリファレンスナンバーを使い果たし、4桁のシステムに移行しただけだと述べている。70年代後半、ロレックスは4桁のリファレンスナンバーから5桁のものへと変更を始める。ほかのブランドのシステムと同様、これらのシンプルな数字はモデル、ベゼルタイプ、ケース素材を表していた。
なぜこのような変化が起こったのか理解するには、60年代初頭から時計業界以外のビジネスの世界で何が起こっていたのかを思い出し、広く捉えることが重要である。3文字で言うと、IBMが原因だ。第2次世界大戦後、IBMはコンピュータ技術に徹底して力を入れ、賢明な実業家たちはビジネスの世界でコンピュータの応用を模索し始めた。その用途のひとつがサプライチェーン・マネジメントであった。IBMは1960年に最初のMRPシステム(材料資源計画、現代のERPの前身)の開発に貢献。その直後、IBMは初の商用データベースシステムを発表した。
そして1972年、IBMの元従業員のグループが今日では世界最大のERPソフトウェアプロバイダーであるSAPを設立した。その後同社のソフトウェアはますます強固になっていったが、機能が追加されるたびにさらなる複雑さが加わり(リファレンスナンバーのように聞こえ始めているだろうか?)、アナリストやコンサルタントの世代を混乱に陥れた(短期間、そして最終的には失敗に終わった在職期間中、私は“システムインテグレーション”という謎めいたタイトルのプロジェクトに取り組む、困惑したコンサルタントのうちのひとりだった)。
あらゆるビジネスがそうであるように、時計業界もコンピュータの登場に適応し始めていく。
コンピュータやエンタープライズ(法人向け)ソフトウェアが広く使われるようになると、リファレンスナンバーは単に人間が製品を理解して(かつ垣根を越えて)コミュニケーションをとる手段ではなく、材料や在庫について人間がコンピュータと情報交換する手段のひとつになった。リファレンスナンバーは、請求書やサプライヤーとの電話で使用できるような短縮形から、より具体的な何かを表すデータベース内の1行のコードへと進化していったのだ。
タグ・ホイヤーのビーブイック氏は、“今日では、どのブランドにもマスターリソースプランニング(効率化を重視したシステム)が導入されているため、リファレンスナンバーを決めるとなると、ソフトウェアにとって簡単で柔軟性のあるものが選ばれている”と話す。この変遷はメーカーが初歩的なコンピュータやデータベースシステムを使い始めた60年代から70年代にかけて始まった。リファレンスナンバーは人間の非論理的なロジックで開発されたものから、コンピュータやデータベースが理解しやすいように策定された反論の余地のないコンピュータロジックへと発展を遂げていく。人間は二の次だった。
すべてがうまく収まる
70年代から80年代にかけて、企業のソフトウェアやデータベースシステムがますます強固になって多くのデータを扱うようになり、また多様なプロセスを調整するようになっていくと、ほとんどの時計ブランドが長いリファレンスナンバーの採用へと歩みを進めた。ホイヤーはオメガと同様に4桁から5桁に変更され、XXX.YYZ形式の同様の6桁システムを導入した(XXXはムーブメント、YYはケースまたはモデル、Zはケース素材を指す)。この場合も、文字列の末尾にダイヤルの情報を追加して発信していた。
1988年、オメガはPICシステム(プロダクトアイデンティティコード)に変更された。この8桁のナンバリングシステムは、それまでのマピックスシステムに加え、文字盤の色とストラップの素材をコード化したものである。さらにブライトリングは1990年頃に、COSCとキャリバーの識別、ケースの仕上げ、ダイヤルカラーとデザインを示す12桁のナンバリングシステムへと切り替えた。
80年代半ばから90年代初頭にかけて、コンピュータの使用は時計製造やそのほかの産業のあらゆる側面にまで広がっていく。アイクポッドの時計について、デザイナーのマーク・ニューソン(Marc Newson)氏に話を聞いたとき、彼は80年半代ばに初めてCNC(コンピュータ数値制御)加工について学んだ時期だと話していた。CNC加工とは、加工ツールをコンピュータで自動制御し、生産性と精度を大幅に向上させることを可能にした機械加工のことである。CNCは、ニューソン氏が約30年後にApple Watchに採用されることになるラバーストラップを設計することができるほど優れた技術である。
同様に、コレクターのジョン・ゴールドバーガー(John Goldberger)氏は、1985年か1986年を現代の時計製造の始まりとしているが、このときは“コンピュータが製造工程の大部分を占めるようになった”頃である。ケースやムーブメントなど、手作業で仕上げることを重視したブランドは減少していき、これらの工程をオートメーション化することで生産数を増やしていったのだ。
MRPがERPに進化したのもこの時期であり、またERPという言葉が1990年に作られたのも偶然ではない。初期のMRPが製造工程の調整のみに重点を置いていたのに対し、ERPは組織全体のすべての部門を統合したのだ。これが何を意味しているのか、もうおわかりいただけただろう。長いリファレンスナンバー誕生へと繋がるのだ。90年代には、製造部門だけのコミュニケーションだけではなく、営業やマーケティング、経理、その他組織のあらゆる部門と連絡を取り合うようになっていた。
“SAPのERPで、時計を構成するあらゆる要素をコード化する必要がある”と、タグ・ホイヤーのビーブイック氏は述べている。“カレラのプラズマを例にとると、あの時計についているすべてのダイヤモンドには、個別の部品番号がついている”。このようなマスタープランニングがなければ、タグ・ホイヤーのように大規模なメーカー全体で何十もの部門とバラバラの業務を調整することは不可能だろう。ケース部門のジャン-クロード(Jean-Claude)氏に電話をして、1158のケースバックはどこにあるのかと聞く時代はとっくに終わっているのだ。
ブライトリングのマンデルバウム氏はこうも言う。“もはや白い文字盤と黒い文字盤のどちらを箱の中に入れるべきかを人々が判断することはない。コンピュータによる在庫管理に移行したため、これには正確なナンバリングシステムが必要だったのだ”。
完全に姿を消す方法
2007年、オメガは熱狂的なファンが嫌う現在の14桁リファレンスのPICシステムへと更新をした。しかしオメガだけではなく、オリスとタグ・ホイヤーは13文字、ブライトリングは12文字も使用している。IWCとカルティエは良識的な8つの文字列を使用しているようだ。またオーデマ ピゲで最も人気のある、いくつかのリファレンス(あるいは16202だけかもしれないが)に5桁の省略したものが使われているのは周知されているが、実際のリファレンスナンバーは17文字と、最も長いかもしれない。
短いリファレンスナンバーの時代を懐かしむのは簡単だ。現在、ヴィンテージロレックスのコレクターたちは、初心者には少し異言のように聞こえるが、4桁の数字の羅列を明確に言うことができる。今となってはカレラやナビタイマーの現代のリファレンスナンバーを知る人はいないし、むしろ6桁のロレックスの基本リファレンスでさえ覚えるのは難しいだろう。
“5桁になると、私たちは型番を覚えるのをやめてしまう”とマンデルバウム氏。“特定のリファレンスナンバーを明確に示す能力を失ったのだ。もちろん今ではロジカルなものだが、以前のように明快にリファレンスナンバーについて話すことはできない”。
マンデルバウム氏の言うことは正しいが、それはある程度までだ。ロレックスの1675と言えば特定の時計のように感じるかもしれないが、人によっては違ったイメージを思い浮かべることができる。それはヴィンテージのGMTマスターのなかでも、SSなのか、ゴールドなのか、文字盤はギルトかマットか、ベゼルの種類は何か、ストラップもしくはブレスレットか? といった風に。これらのディテールのいくつかは、その場限りでしか重要視されないものもあるが(比較的最近までポインテッドリューズガードかスクエアリューズガードかを気にしていた人が大勢いたとは想像しにくい)、それもまた重要なポイントである。短いリファレンスナンバーは、メーカーがサプライヤーに部品を注文し、次に何が売れるかを見るために部品を組み合わせて一致させていた時代の名残だ。ほとんどの場合、それは人と人との共同作業だった。20世紀後半を通じて、コンピュータはサプライチェーンのあらゆる工程に深く関わるようになり、それに伴って非効率性や人的要素、そしておそらくは時計製造から魅力の一部を奪うようになった。
現在では、タグ・ホイヤーのプラズマで使用されているラボグロウンダイヤモンドから、Instagramで提供されている広告に至るまで、ウォッチメイキングに関するすべての工程が完璧に調整・計画されており、コンピュータがそれをコード化している。そしてリファレンスナンバーは、そのすべてを実現するのに役立っているのだ。
余談: 私たち人間の記憶力について
人間の記憶に関する大規模な研究は数多く存在する。1956年、ハーバード大学の心理学者ジョージ・ミラー(George Miller)が発表した『マジカルナンバー7+-2』という論文には、若年成人の短期記憶の持続時間は平均7項目、または情報の“塊”を正確に思い出すことができると書かれている。これは、70年代と80年代のリファレンスナンバーが、おそらく短期的な認知能力の限界に達していたことを示唆している。一方でスピードマスターのST 105.003-65は7文字以上であるが、4つのきちんとした“塊”に分割されているため、短期的にでも記憶しやすくなっているというわけだ。後のミラーの研究では、情報の塊を記憶する能力は、実際には4つの情報の塊が限界であることが示唆されている。
しかし心理学の研究を重ねなくとも、ムーブメントのなかの石数よりも桁数の多いリファレンスナンバーを覚えるのは不可能に近いということはわかる。ほとんどのブランド、自社の従業員が覚えられないほど長く複雑なリファレンスナンバーを付けて、コンピュータの乗っ取りに応じているのだ。
その中間はロレックス、パテック、APが行ってきたことを試すことである。ベースナンバーは何年も使われてきたリファレンスナンバーに近く(ほとんど根付いているからだ)、残りの情報は一般の人が気にしないようなナンバーに隠されている。現代のロレックスの6桁システムは、私たちの精神力の限界を試しているかもしれないが、それは数十年前のリファレンスに基づいているという事実によって助けられている。私が現代のエクスプローラーIIのリファレンスナンバー(226570)を覚えているのは、80年代(16570)のリファレンスナンバーに基づいて設定されているからだ。
実際のところ、このようなリファレンスナンバーへのアプローチは同じブランドが実際の製品に取り組む方法と似ている。何年もかけて微妙に変更、調整、追加を行っているが、何世代にもわたってすぐに認識できるDNA根付いている。
イカれたアンドロイド
現在のリファレンスナンバーは、オリジナルのパテック 96のように、人間が素早く認識するためというよりは、ある種のコンピュータコードのようなものに近い。時計の素材や部品について、人間同士が簡単にコミュニケーションをとるための方法から、コンピュータ同士がコミュニケーションを取って時計製造のあらゆる側面を調整するための、データベース内の1行のコードへと進化していったのだ。
リファレンスナンバーの歴史は、まさに腕時計の歴史そのものである。20世紀初頭、機械と工業化によって時計の長期生産が可能になったメーカーは交換可能な部品を持つ時計を製造していくようになり、製造業者同士やサプライヤーと話すときに、これらの製品を参照する簡単な方法を要したのだ。それから現代のリファレンスナンバーが誕生したのである。
20世紀後半を通じて、コンピュータとテクノロジーは時計の製造と生産に大きな役割を果たすようになり、最終的には時計製造における人間の要素の多くを置き換えていった。リファレンスナンバーは、時計製造に関するコンピュータやデータベースと人間が情報をやり取りする手段だった60年代と異なり、20世紀末には時計製造のあらゆる面でコンピュータが普及し、数十年前には考えられなかったような精度、効率、生産レベルを可能にした。
コンピュータが時計製造や身の回りのあらゆるものを変えたように、リファレンスナンバーもまたコンピュータが作り変えてしまった。そしてその過程で失われた人的要素を嘆く部分もあるだろうが、コンピュータは依然として増え続けている状況だ。
しかし人間的な側面が完全に失われたわけではない。例えばレジェップ・レジェピ(Rexhep Rexhepi)氏がクロノメーター コンテンポランをリリースしたとき、それは“RRCC01”という、とてもシンプルなリファレンスナンバーが付けられていたのである。