Photos by Tiffany Wade
アイクポッド(Ikepod)を本当に理解する唯一の方法は、このブランドのデザイナー、マーク・ニューソンを理解することにほかならない。このオーストラリア出身の巨匠は、おそらく世界で最も多くの作品を世に送り出しているモダンデザイナーである。日常生活を送るうえで、彼の作品に出合わないことはないだろう。アップル、フェラーリ、ナイキ、ハイネケンなど、さまざまな企業と仕事をしてきたからだ。2015年には、彼が手がけたロッキード社のラウンジチェアが370万ドル(約4億4200万円)と、存命中のデザイナーの作品としては史上最高となる金額で落札された。
また彼は時計ブランド、アイクポッド(Ikepod)の創設者でもあり、1994年の創設以来、そのデザインへの大胆なアプローチでほかの業界にまで多大な影響を与えてきた。
第1に、ニューソンは大きくて美しい唯一無二のデザインの時計を製造することへの飽くなき執念があった。アイクポッドは、ウルヴェルク、ドゥ・ベトゥーンなどのブランドの先駆けとして、真の“コンセプトウォッチ”を製造した最初の独立系時計ブランドのひとつである。当時のほかの時計とは異なり、アイクポッドの時計は大きかった。やがて、パネライやウブロといったブランドがアイクポッドの登場によってブームとなり、状況は一変することになった。そしてアイクポッドは、限定生産と高価格設定というアイデアを時計製造に持ち込み(ニューソンはほかのオブジェにもそのコンセプトを取り入れている)、それは単なる時計ではなく、たまたま腕につけていた高級なデザインオブジェという印象を与えたのだ。
現在59歳のニューソンは、自分自身と彼のデザインがこれまで達成した成功に自覚的であると同時に謙虚なようだ。
「クリエイターは作品がアイコニックなものになるか、その運命をコントロールすることはできません」と、彼は最近私に語った。「作品自らが進化するからです。それが私の作品の多くの局面で起こったことなのです」
ニューソンは時計と計時に長年魅入られてきた。彼は13歳のときに叔父からもらったタイメックスを分解し、そのために別のケースを作り、時計を分解して組み立て直したという話をよくする。
「私はいつも小さな機械的なものに興味を抱いていました。時計は、小さく機械的で複雑なものの最たるものです。10分の1の大きさのなかに宇宙があるようなものだったのです」。彼が育った1970年代は、誰もが小型化という概念に取り憑かれ、当時の機械的・電気的制約のなかで、より小さなものを作ることに取り組んでいたと説明してくれた。当時、時計もクォーツ技術が主流となり、大きな変革期を迎えていた。ニューソンは、コンコルドのデリリューム(デリリュームIVは現在でも最薄時計の記録を持つ)に魅了され、インスピレーションを受けたと振り返る。
「私のデザイナーとしての人生は、ディテールがすべてです。ディテールという概念を物理的なオブジェでどのように表現できるかを想像し、目の当たりにしたのは時計が初めてでした。だから、時計は私の残りの人生に大きな影響を与えることになったのです」
シドニー芸術大学でジュエリーと彫刻を学び、卒業したニューソンの最初のプロジェクトのひとつが時計だった。やがて時計に魅せられた彼は、アイクポッドを共同設立することになった。商業的には1990年代から2000年代初頭にかけてそこそこの成功を収めたが、2006年にブランドを閉じ、2008年から2012年にかけてわずかな期間の復活した後、再びブランドを閉じることになった。ニューソンの関与はそのときに終わり、数年後、彼は友人のジョニー・アイブと一緒にApple Watchのデザインに携わることになった。
アイクポッドブランドは2017年に新しいオーナーによって買収され、ニューソンの関与はなくなった。現在のアイクポッドはオリジナルデザインを参照しつつ、より低価格帯の時計を作ることに注力している。オリジナルのアイクポッドの最も認知度の高いデザインは、希望小売価格が金無垢で1万ドルから(90年代に!)だったが、現行アイクポッドの最初の数モデルは、1000ドル以下の価格設定になっている。
一方で、アイクポッドのオリジナルデザインは最近人気が急上昇し、知る人ぞ知るコレクターがこぞって買い求め、オークション価格もそれに比例して上昇した。これにはいくつかの要因があると思われる。(1)ニューソンとの直接的関連、(2)アイクポッドが属する独立系やネオヴィンテージのトレンド、(3)異質な時計(カルティエ クラッシュ、ウルヴェルク、ヴィアネイ・ハルターなど)へのトレンド、などだ。確かに『GQ』の表紙を飾るなど、セレブの手首に装着されていることもあるが、多くの要因が絡むと、あるブランド全体の人気上昇を数本の時計の目撃談に帰結させるのは、少し還元的な見方かもしれない。
本稿ではアイクポッドの最も重要なデザインを探るニューソンとの対話に加え、アイクポッドのオリジナルウォッチのコレクターが増え続けている事実についても触れている。時計コレクターにとって最も興味深いアイクポッドのモデルはどれか、そしてそれはなぜか? 彼との対話により、彼のデザインとその背景をより深く理解することができれば幸いだ。彼自身が語っているように、クリエイターは“作品の運命を決められない”のであり、それはコレクターの手に委ねられているである。しかし、もしそれが私たち時計コレクターの特権であるならば、クリエイターの声を聞いても損はないのではないだろうか。
大学を卒業して間もなく、ニューソンは最初の時計、ラージポッドの制作に取り掛かった。彼は学生時代にいくつかの時計を作ったことがあったが(“恐ろしくポストモダン”だと彼は語っている)、ラージポッドは違っていた。アルミニウム製で直径60mm。まるで宇宙飛行士がスピードマスターを宇宙服の外側に装着するように、服の上から装着できるように設計された。
「その時計には、ふたつの遊び心がありました。ひとつ目は、時計のスケール感です。80年代半ばにビッグサイズの時計という発想はありませんでしたからね」とニューソンは言う。「ふたつ目は、針ではなくドットで時刻を知らせるというアイデアです。ジャガー・ルクルトのメモボックスやロンジンのコメットなど、あらゆる時計がドットを使っているのを見て、そのコンセプトを自分のデザインに取り入れたかったのです」
「それが、CNC(コンピュータ数値制御)技術を使った製造業への最初の進出でした」と、彼は語る。ラバーストラップも自分で作り、その進化形が30年後にApple Watchに採用され、おそらく世界で最も認知度の高い時計ストラップとなる基礎を築いた。ラージポッドは、飛行機に乗って高度6000m上空に到達するまではうまく機能していた。気圧の変化で、圧入されたアルミニウムダイヤルがケースから飛び出す恐れがあったのだ。
ラージポッドは、ニューソンが学業を終えて最初に制作したオブジェのひとつで、彼自身の手によって作られた初期の作品だ。アルミニウムの継ぎ目のないケースであるポッドウォッチは、《ポッド・オブ・ドロワーズ》や《オルゴン》のような、今やニューソンの多くのデザインの先駆けでもある(ポッド・オブ・ドローワーズはオークションで頻繁にヒットし、105万ドル(約1億2631万円)という高値で落札された)。2021年12月、クリスティーズでラージポッドの個体のひとつが2万7500ドル(約315万円)で落札された。クリスティーズによると、その個体は4本セットのうちの1本で、ニューソンの友人のコレクションから出品されたものだという。確かに、汎用ムーブメントを搭載した60mmの時計としては高額だが、ニューソンのほかの重要な作品と比較すると、理解しやすいと思う。ラージポッドはニューソンのほかの作品(時計とそれ以外の作品)を先取りしており、このような初期の作品に対する評価は、時計とデザインの両方のコレクターによって、時とともに高まっていくように感じられる。
「ラージポッドの時計は、今見ると、おそらくそれまで私が作ったなかで最もモダンで純粋な形態でした」とニューソンは言う。「装飾的な飾りが一切ありませんからね。このサイズにしては、非常に合理的なオブジェなのです。この時計は、その後の私のデザインした時計だけでなく、いろいろな意味で、ほかの多くの作品の先駆けでした。本当に多くのアイデアの源となったのです」
ラージポッドの後すぐに、ニューソンは時間を計るためのアイデアを手首からほかの物へと発展させたいと考えた。
「ラージポッドで、私はすでに特大サイズの時計の世界に飛び込んでいました。そして時間を知らせる、より彫刻的なフォルムに興味を持ち始めたのです。1920年代から40年代にかけてのカルティエの“ミステリークロック”や、目に見えない形で魔法のように時間を知らせるというアイデアに、文字どおりインスパイアされたのです」。そこでニューソンは、独自のミステリークロックの制作に取り掛かった。
「ミステリークロックは、壁にかけても違和感のない彫刻的なオブジェを作ろうという私の実験的作品でした。たまたま時間も知らせてくれる彫刻だったのです」。その結果、ミステリークロックのダイヤル上に、魔法のように同心円を描いて移動するように見えるふたつの小さな球体を持つ掛け時計が誕生した(ニューソンは、このマーカーを動かすために磁石システムを考案した)。このふたつの小さな球体は、ダイヤルを周回して時間を知らせる。
ミステリークロックは20個の限定生産が予定されていた。現在までに、おそらく6個が知られており、ニューソンの初期の重要な作品として認識され、非常に人気が高い。2020年、シカゴのライトオークションにて7万7500ドル(約837万円)で落札された個体が存在する。
ちなみに、私の家には丸いNestのサーモスタットがぶら下がっていて、回転させて温度を設定できるようになっている。ニューソンの同心円状の回転する不思議な時計のデザインが、Nestに影響を与えた可能性を考えないわけにはいかない(そういえば、Nestの創業者トニー・ファデルは時計、特にアイクポッドのファンであることも知られている)。これは、我々の身の回りのあらゆるデザインにニューソンが影響を与えている一例だ。Nestは、文字どおり、ミステリークロックから直接インスピレーションを受けたのだろうか? しかし、ニューソンの美学は我々の周りに遍在しているため、その影響は意識的であると同時に潜在的なものであったかもしれない。
1990年代初頭までに、ニューソンはラージポッド、ミステリークロック、スモールポッドといういくつかのタイムピースを制作した。最後のモデルは、ニューソンが時計の量産と販売に乗り出そうと試みた作品である。スモールポッドは100本ほど製造・販売したが、結局は赤字で、ニューソンは寝室で時計を作りながら(「惨めでしたよ」と彼は付け加えた)、この取り組みに終止符を打ったという。
ニューソンは、広くアピールできる商業的な時計を開発する必要があると考えた。そしてこの時計が真剣に受け止められるためには、おそらくスイスで生産される必要があると考えた。そこで1994年、マーク・ニューソンはビジネスパートナーのオリバー・アイク(当時は家具販売業者だったスイス人ビジネスマン)と共同で、アイクポッドブランドを立ち上げた(その頃、ニューソンは有名な家具デザイナーになっていた)。ニューソンの説明によると、当初は1本の時計を製造・販売するために設立され、それがシースラッグ(Seaslug)になったという。
シースラッグはニューソンによるダイバーズウォッチで、椀型のケースにすり鉢状の大胆なベゼル、そしてニューソンのほかの多くのオブジェを思わせる滑らかで有機的なディテールが特徴である。シースラッグは、ふたつ目の内部ベゼルリングによりGMT機能も備えていた。アイクポッドはこの時計をスイスで生産し、「本物の、成熟した時計工場がありましたから」とニューソンは言い、クロノメーター認定のETAムーブメントを採用した。「ぎりぎりのところで成功した」と彼は言う。当時、ほかのどの時計ともまったく違うシースラッグのデザインにより、アイクポッドは大きな注目を浴びることになった。しかしシースラッグはまだ高価で、1996年当時でラバーストラップが約1800ドルだった。結局、ニューソンはアイクポッドが長く続くブランドとして成功するには、もっと野心的な時計をデザインする必要があると判断した。
それでも、このアイクポッドという奇妙な新ブランドに注目するコレクターも現れ始めた。アーティストであり、時計コレクターでもあるフィル・トレダノ(Phil Toledano)氏は、ここ数年、アイクポッドの時計を何本か購入しているが、1990年代に、何かおもしろいものはないかと立ち寄った洒落たブティックでアイクポッドに出合ったと振り返る。90年代のアイクポッドは、国際的に有名になりつつある若いデザイナーが率いる、まったく奇妙で異なるデザインの、ちょっと目立たない時計ブランドだったのだ。
アイクポッドは、デザイン性の高い新しいタイプの時計ブランドとして認知され始め、一般のファッショナブルな人々の目を引くと同時に、コアな時計コレクターからも注目されるようになった。その絶好の例として、ロビン・ウィリアムズ(Robin Williams)の2018年の遺品である、彼が2000年に購入したアイクポッド ヘミポッドが注目された一方、マックス・ブッサー(MB&F)も注目し、Talking Watchesで彼のアイクポッドを見せてくれた。
現在、一部のコレクターにとってシースラッグは、たとえそれが後述するいくつかの後発デザインほど人気も知名度もないとしても、新しいアイクポッドブランドの最初のデザインとして、人気が高まっているのである。アイクポッドの“アイコニック”なデザインだけを所有したいのであれば、シースラッグは最初の目的地ではないかもしれないが、アイクポッドを語る上で重要な最初の目的地であることは間違いない。例えば、現行アイクポッドは最近、オリジナルのアイクポッドの未使用品(NOS)を5000ドルで販売したが、これは現在市場にあるアイクポッドのオリジナルの個体のなかでも、比較的手に入れやすい価格帯だ。
シースラッグは、ニューソンに“より野心的な”時計をデザインする必要性を確信させた。この考え方が、おそらくアイクポッドが最も有名になった時計、ヘミポッドにつながったのだろう。
「シースラッグは、商業的に一歩前進するための試みでした」とニューソンは言う。「非常にオーソドックスな方法で作られていたため、比較的簡単に製造することができました。しかし、私はそのような意味でのありきたりらものには満足していませんでした。複雑で異なる、普通の時計とは違うものをデザインしたかったのです」。周りを見渡すと、当時は型破りな方法で作られた時計が少ないと感じていたニューソン。シースラッグで彼は製造の経験を積み、どのようなリソースが利用できるか、また技術的な限界も理解していたのだ。
「ヘミポッドは、これらすべての集大成でした」とニューソンは言う。ヘミポッドのケースは、オリジナルのラージポッドのアイデアをもとに、本体とベゼルの2ピースで構成されている。ベゼルが本体にねじ込まれているのだ。そのため、ニューソンと彼のチームは、すべてをダイヤル側から組み立てる方法を考案しなければならなかった。
ミステリークロックと同様、ニューソンはヘミポッドケースの “ミステリー”性を愛した。もちろん時計マニアには、パテック フィリップのノーチラス Ref.3700で有名なモノブロック構造がよく知られているが、ヘミポッドは時計愛好家向けだけでなく、大胆でファッショナブル、ひと味違う時計を好む層へ向けてもデザインされている。
直径44mmのラウンドケースは、ひと目でヘミポッドとわかるデザインで、それ以前にも以降にもない時計だ。よく見ると、ニューソンデザインの特徴であるシームレスな曲面、ケースとぴったりと重なるクリスタル風防、完璧な楕円形など、多くの特徴を備えている。針や裏蓋の小窓、そしてそのクリスタル面に描かれたアイクポッドの鳥のロゴ(ロゴの正体はミフウズラという飛べない小鳥)など、一風変わったディテールが加わり、ヘミポッドがアイクポッドの時計としてカルト的人気を誇る理由がそこにあるのだ。最初のシースラッグは約2000ドル、金無垢のヘミポッドは1万ドル(現行ロレックス サブマリーナーの2倍以上)と、アイクポッドが時計に高い値段をつけ始めたのもこの時期である。
「この時計には、ほかのあらゆる時計にも欠けている幾何学的な純粋さがありました。“なぜ、みんなそうしないのだろう?”と思っていました。もちろん、その理由もわかりました。形状や局面の連続性を破綻させずに平面を作り出すのは難しいからです」。CNC技術は当時まだ黎明期にあり、ニューソンがヘミポッドに求めた滑らかな楕円形の形状を作るのは簡単なことではなかったのだ。同様に、ラバーストラップもラージポッドなど初期の作品から改良が重ねられてきた。ストラップはケースと同じ高さに取り付けられ、ニューソンが言うところの「ふたつの形態が純粋に交差する」形状になっただけでなく、ストラップの先端部がバックルの下に入り込むようになった。表現が難しいのだが、最終的にこの機能が実装されたApple Watch Sport Bandを装着したことがある人なら、何のことかおわかりいただけるだろう。
アイクポッドはヘミポッドケースをさまざまな金属(あらゆる色の金無垢、スティール、チタン、さらにはプラチナ)で、多くの異なるリファレンスに採用した。クロノグラフ、GMT クロノグラフ、グランデイト(12時位置に大きな日付窓のあるクロノグラフ)。これらのヘミポッドにはデュボア・デプラ(Dubuis-Depraz)社製クロノグラフモジュールを搭載したETA 7750キャリバーが使用されていた。
今日において、ヘミポッドは多くの時計コレクターが知っているアイクポッドの時計である。大きく大胆で、すぐにそれとわかる外観だ。4つのインダイヤル(3つはクロノグラフ、ひとつはセカンドタイムゾーン)を持つヘミポッドは、おそらく最も多くコレクションされているモデルで、グランデイトよりもダイヤルのバランスが取れているように感じられる。特にYGやPGのヘミポッドケースは実物の存在感が大きく、まるで金無垢のUFOが手首に墜ちてきたかのようだ。
アイクポッドの人気の高まりは、ヘミポッドの価格上昇に最もよく表れているだろう。ほんの3年前、金無垢の個体は3000〜4000ドルで売れたかもしれない(その個体はこちら)。しかし現在では、金無垢モデルが1万5000〜2万ドルで取引されている(こちらとこちらの個体)。これらは、セレブリティ(少なくともセレブリティな時計コレクター)が購入するのを目にするアイクポッドだ。さらに重要なのは、ヘミポッドがニューソンのデザインと時計における最初の10年間の仕事の集大成であるように感じられることだ。その有機的なフォルムとシームレスな構造は、彼のほかの作品のストーリーとシームレスにフィットし、単なる時計ではなく、この世代で最も重要なデザイナーのひとりによるデザインのオブジェとなっているのだ。
次のアイクポッドの時計に移る前に、このあたりで初期のアイクポッドのコレクター性を議論するいい機会を設けたい。多くの時計には9999を上限にシリアルナンバーが刻印されるが、どのモデルもこれほど大量に生産されるには至らなかったことは確かだ。最も人気のあるモデルでも、せいぜいその50%程度だったのではないだろうか? 金無垢のモデルには999の上限値が振られていたが、やはりこの数字には届かず、初期のアイクポッドは数字以上に生産数が少なかったのだ。
私にとっては、PGのヘミポッド クロノグラフ GMT(4つのインダイヤルを持つモデル)とそれに合わせたピンクダイヤルこそ、1本しか持てないなら買うべきアイクポッドといえるだろう。まず一般的に、PGはYGやスティールに比べて少ないと思われている。そして、確かに腕につけるとゴールドの塊ではあるが、ケースにサテン仕上げが施されているため、ギラギラしすぎることはない。でも正直なところ、アイクポッドをつけていたら、きっとみんなに気づかれるから、身構えた方がよいかもしれない。時計コレクターがダイヤルもケースもピンクのパテックに熱狂するように、私もピンク一色のアイクポッドに熱狂している。
アイクポッドの第1世代のなかでも、トゥールビヨンという複雑機構を搭載したモデルは実に珍しい。アイクポッドはトゥールビヨンを6時位置に露出させたヘミポッド トゥールビヨンを約30本生産した。90年代、アイクポッドはすでに時計製造の限界に挑戦していたが、トゥールビヨンを搭載することで、そのコンセプトウォッチを絶対的な限界に押し上げたのだ。
ヘミポッドに続いて、アイクポッドはさらに大きなメガポッドを発表した。ニューソンは、「自分のデザインした時計のなかで、メガポッドがいちばん好きですね」と語っている。1999年にニューソンがメガポッドをデザインした頃、大型時計の時代が到来した。パネライやウブロなどのブランドが急成長を始めていたのだ。メガポッドは、ヘミポッドより2mm大きい46mmにサイズアップしている。
「このモデルはチタンのような新素材を試す機会を与えてくれました」とニューソンは言う。時計を大きくすることで、理論的に有用と思われる視覚効果も追加された。
「当時、チタンを使っていたのはIWCとポルシェデザインのコラボモデルだけでした」と、マックス・ブッサーはTalking Watchesのエピソードでメガポッドについて語っている。「それにこの鮮やかな色使いです。時計づくりは真剣でしたが、これは真面目一辺倒ではなく、芸術的なデザインでした」
「パイロットに身につけてもらうためにデザインしました」とニューソンは説明した。「もちろん、最近のパイロットはナビゲーションや計算のために時計を使うことはありませんが、それでもパイロットが必要とするすべてのことができるものでした」。オリジナルのメガポッドは、ダイヤルにイエローとグレーの濃淡色を巧みに使い、多くの情報を伝達していた。ふたつの対数目盛りを操作することで、燃費や距離の計算、単位の換算が可能だった。スタートとストップのボタンは、パイロットがアクセスしやすいように、従来とは異なりケースの左側に配置された(ニューソンもその方が、デザイン的にバランスが取れると考えた)。また、メガポッドはデュアルタイム機能を備え、インナーベゼルは回転するようになっていた。
ニューソンがメガポッドについて語るとき、ダイヤルの上に凝縮された素晴らしい、しかし最終的には役に立たない機能を笑顔で説明しながら、これこそが彼を動かし、時計に魅了し続ける要因であることが明らかになってきた。もちろん、それは彼がデザインしたほかの何千ものオブジェにもいえることだが、おそらく彼の時計デザインに最も顕著に表れているのは、その機能性がとっくに陳腐化しているにもかかわらず、ロマン溢れるものとして残っていることだろう。
ニューソンの最初の時計であるラージポッドは、とんでもなく大きな代物で、ダイバーや宇宙飛行士のツールウォッチから、そしてクールだからという理由でドレスシャツの袖口の上からダイバーズウォッチをつけていたオシャレな故ジャンニ・アニエッリ(元フィアット会長)から同じくらいインスピレーションを受けている。機能性とファッション性、このふたつの考え方がニューソンを刺激し、常に緊張関係を保っているのだ。
多くの人が言うように、優れたクリエイティブ作品はふたつのアイデアのあいだにある緊張感の結果であるとすれば、多くの時計ブランドは、それぞれの派閥の信奉者を満足させるために、中途半端な方法や妥協でこの緊張感を緩和しようとして苦心している。しかしニューソンはこの緊張感を表面化させ、それをコントロールしたり重荷にしたりするのではなく、緊張感と遊びながら、完全な機能性とファッション性を兼ね備えたデザインを創り上げているのだ。
ラウンド型の時計が多いなかで、ヘミポッドがラウンドとして認知されているのは、実に不思議なことだ。もちろんヘミポッドは、例えばカルティエのペブルと同じように、丸いということで注目されている。しかしニューソンのようなデザイナーにとって、時計づくりにおいて形状で遊び心を発揮するのは時間の問題であり、それがアイクポッド マナティー、プラティパス、そして最終的にはソラリスといった時計で結実したのだ。
「ヘミポッドこそが(丸い)フォルムの究極的表現だと考えていました」とニューソンは語る。「だから、そこにとどまりたかったのです」。メガポッドのあと、ニューソンはラウンドシェイプに磨きをかけ、「あとはスクウェアしかない」と感じた。2000年代初頭に発表されたマナティーは角が丸く、ワールドタイマーを搭載したレクタングル(長方形)の時計である。
シースラッグと同様、マナティーもヘミポッドやメガポッドほど人気があるわけではない。状態にもよりけりだが、4000〜7000ドルの価格で出品しているディーラーを見たことがある。しかし10年前までは1000ドル以下で売られており、誰も見向きもしなかった。一方、ソラリスはもうひとつデザイン上の特徴を備えている。それは、表裏のダイヤルがそれぞれ独立して時刻を知らせるリバーシブル仕様であること、そしてそれぞれに専用のクォーツムーブメントが搭載されていることだ。2012年の2度目の会社解散まで生産された、アイクポッド最後の新デザインである。ニューソンは、お気に入りのヴィンテージウォッチとしてジャガー・ルクルトのレベルソを挙げており、ソラリスがそこからインスピレーションを得ていると見るのは自然なことだろう。しかし、“リバーシブル”ウォッチの実現方法は、レベルソとはまったく異なるアプローチを採った。
繰り返しになるが、ソラリスはヘミポッドほど人気があるわけではない。ほかの多くのアイクポッドモデルと異なり、クォーツであることに加え、2008年に発表されたため(最初のヘミポッドから10年)、よりモダンであり、現在ネオヴィンテージと呼ばれるカテゴリーにはまだなじんでいないからである。
ニューソンは、初期の時計製作の取り組みであるラージポッドとスモールポッドが、必ずしも商業的なヒット商品ではなかったことを認めた。その後のアイクポッドブランドは、ニューソンがいうように「辛くも成功」を収め、多くのモデルを製造・生産したが、ビジネス上の苦悩が同社の歴史を特徴づけている。2006年に倒産し、2008年にアートコレクターのアダム・リンデマン(Adam Lindemann)とのパートナーシップで再スタートを切った。現在では、この2代目アイクポッドの時計を第2世代または“Gen2”と呼ぶ人もいる(1994年から2006年までの時計は“Gen1”)。リニューアルに際して、ヘミポッドのシェイプをベースにした新しいデザイン、ホライゾンも発表された。
42mmと44mmのおなじみのヘミポッドケースに、凸型で立体的に見える新しいアーキテクチュアルなダイヤルを採用したのがホライゾンだ。これは宇宙物理学におけるブラックホールの境界線から先には光さえも戻ってこられないという概念、“事象の地平線”にちなんだものだ。この概念で遊ぶことは、ニューソンの初期の作品テーマであり、おそらく最も有名なのは“イベント・ホライズン・テーブル”であろう(その個体は軽く10万ドル以上の価格で取引されている)。このテーブルは、ニューソンの“オルゴンチェア”や“ストレッチ・ラウンジ”とともに、有機的であると同時に工業的とも感じられる、滑らかなエッジを持つ、磨き上げられたアルミニウムの家具という新しい家具の美学を定義したコレクションの一部であった。彼の時計のように、レトロフューチャーである。
ホライゾンも同じような美学を持っている。イベント・ホライゾン・テーブルの個体は、実際に1990年代にアイクポッド名義で生産されており(彼のビジネスパートナーであるオリバー・アイクが家具販売業者だったことを思い出してほしい)、ホライゾンとテーブルの類似点はすぐにわかるだろう。ホライゾンのダイヤルの効果は、テーブルのエナメル加工の内側と同様で、目の錯覚を起こし、対象物の認識を狂わせるのだ。二次元なのか、三次元なのか判然としない。またホライゾンでは秒針が廃止され、ロイヤル オークやノーチラスなどのラグジュアリーウォッチを思い起こさせる。それもまた、ふさわしい選択だったのかもしれない。ブラックホールの近くでは、時間の流れが遅くなる。オーデマ ピゲやパテック フィリップが「秒単位で時間に追われる必要がない人のための高級時計」といったように、ブラックホールの近くでは秒単位で時間を計算する必要はないのだ。
アーティストで時計コレクターのフィル・トレダノ氏は、ホライゾンをアイクポッドのなかで最も好きなモデルと語っている。
トレダノ氏はホライゾンについて、“最も時計らしくないダイヤル”と述べている。「ほかのアイクポッドの作品はまだ時計のように見えますが、ホライゾンは完全に彫刻のようです」。当初、アイクポッドはチタン、RG、プラチナといった数種類の金属でホライゾンを66本だけ生産する予定だった。最終的には、販売店向けにダイヤルの色を変えたり、アーティストKAWSとのコラボレーションなど、さまざまな限定モデルを生産した。しかしアイクポッドの現在のオーナーは、ホライゾンの生産数は300本以下と推定している。デザインに加え、この希少性がトレダノ氏のようにアイクポッドに惚れ込んだコレクターからホライゾンが愛されている理由なのだ。私もこれまで扱ったアイクポッドのなかでは、いちばん好きなモデルだ。ヘミポッドと比べると、少しスマートで洗練された印象を受ける。秒針という邪魔なものがないぶん、デザインだけをじっくり鑑賞することができる。
「当時、私が得意としていたシェイプやパターンを生かすために、ダイヤルを楽しみながら使うことができました」と、ニューソンは語っている。
ホライゾンへの評価は高まっているが、少なくともニューソンデザインの世界では、まだ比較的手が届きやすい価格帯にある。PGのホライゾンを尺度にしよう。数年前なら、5000〜7000ドルのあいだで販売されていたものが、今では1万ドルを少し超える程度になっている。しかし、ほかの多くの時計に見られるような、不合理な熱狂による大混乱には陥ってはいない。時計やデザインのコレクターは、ホライゾンがいかに希少なモデルであるかを理解しているため、このアイクポッドに対する評価は、ほかのモデルよりも急速に高まる可能性を秘めている。
アイクポッドに焦点を当てているため、ニューソンが手がけたジャガー・ルクルト アトモスのデザインに触れることはできないが、アイクポッドブランドでは、時計ではない別の時計、アワーグラスを制作しているのでご紹介したい。ミステリークロックと同様、アワーグラスは時間を知らせる彫刻的なオブジェを作るという試みだった。ニューソンはアワーグラスを「時刻を教えてくれない、時間についてのオブジェ」と呼んだ。
「時間について語るオブジェでありながら、実際には時間が経過するのを見ているような、コンセプチュアルなアイデアでした。波や燃える火を眺めるのと同じように、時間を瞑想的な機能として使うという考えでデザインしたのです」
アワーグラスは、スモール/ラージバージョンがあり、それぞれ10分/60分の計測が可能だ。それぞれ1枚のガラスから手吹きで作られているが、これはNetflixの番組を見たことがある人なら、信じられないほど難しいプロセスであることがわかると思う。それぞれのアワーグラスのなかには、何百万個ものナノボールが入っており、ガラスを通り抜けるときに魅惑的な音を奏でる。
そう、ニューソン アワーグラスは、笑えるほど高価で、信じられないほど不必要な物体なのだが、初めて聞いたときに私は理解した。まるでホログラムの熱帯雨林のような音で、その小さなナノボールが滴り落ち、目も耳もそらせないトランス状態に陥り、現実との境界が曖昧になるのだ。
アワーグラスは何度も限定生産された(そう、まさに当サイトのためのものも含めて)。フィリップスのチャリティセール“Time For Art”では、ドゥ・ベトゥーン(De Bethune)とのコラボレーションによる30分間のユニークな作品がオークションに出品される。フィリップスは1万2000〜2万4000ドルの落札予想価格を提示しているが、最近のアワーグラスの実績からすると、それ以上になると予想される。ミステリークロックのように、アワーグラスは時計コレクターとデザインコレクターの橋渡しをするもので、両方の興味を引くものだからだ。
「この美しく、彫刻的で、魅惑的なオブジェは時間に関するものですが、誰も時間を知るために買うわけではありません」とニューソンは言う。今日、伝統的な時計はほとんどそうではあるが…。
アートコレクターのリンデマンが関わったこともあってか、第2世代のアイクポッドはもうひとつの新しい戦略、コラボレーションに挑戦している。今でこそ毎日新しい時計のコラボレーションが溢れているが、10年前はそうではなかった。そこでアイクポッドは、ファッションやアートなどほかの分野ですでに人気を博していたアイデアを時計に持ち込んだのである。アイクポッドが最も注目を集めたのは、アーティストのKAWSやジェフ・クーンズ(Jeff Koons)とのコラボレーションだった。今日、これらのアイクポッドのモデルは、その日の成り行きによって、4万〜5万ドル以上の結果を出すこともある。2012年に発売されたKAWS×アイクポッド ヘミポッドは、もともと1万4000ドルだった。アイクポッドはKAWSモデルを4色展開し、時針はKAWSのシグネチャースタイルである“X”を形成するようにユニークに配置された。昨年、現代のアイクポッドはハイスノバイエティ(Highsnobiety)とともに、オリジナルのKAWSのNOS4本セットをリリースしたが、その定価は何と15万3000ドルであった。
この第2世代のアイクポッドは、完全に再興することができなかった。4年後に再び解散し、ニューソンと同社の関係は2012年に終了した。しかしアイクポッド第2世代は、第1世代と同様に、時計だけでなく、時計業界に大きなインパクトを残した。それは、時計とアートやファッションの世界とのコラボレーションのあり方を示したことだ。時計コレクターは、その先進的なアプローチとデザインで初代アイクポッドに興味を持つかもしれないが、この第2世代の時計とコラボレーションは、時計の世界だけでなく、あらゆるタイプのコレクターを引きつけているのだ。
Apple Watch(およびそれに対するニューソンの関与)を指して、このユビキタスなスマートウォッチがアイクポッドの影響を幅広く受けているというのは簡単だろう。それは事実だが、アイクポッドが従来の時計業界に与えた影響は、それよりもはるかに大きいのである。
「私の最も大きな業績は、現在私たちが高級時計から連想する多くの品質、つまりシンプルさや基本的な優れたデザインといった品質を担保することを、当初から念頭に置いていたことです。当時の時計業界では、このような品質が追求されていなかったと考えています」
デザインへのこだわりだけでなく、アイクポッドは大型時計、限定版、時計の内部機構だけでは正当化できない高価格といった、時計の製造方法においても画期的なものだった。その後、MB&F、ウルヴェルク、ドゥ・べトゥーンなどの時計メーカーが、伝統的な時計製造の既成概念を打ち破り、新しいアバンギャルドな時計製造を始まる足がかりとなったのだ。
「アイクポッドは私たち時計業界における先駆者でした」と、マックス・ブッサーはTalking Watchesのエピソードで語っている。多くの人が先駆者であると表現する人物からの高い賛辞である。ここ数年、時計コレクターたちはアイクポッドの時計が、その大きく大胆なデザインや時計づくりに対する一般的なアプローチなど、先駆的な資質を持つことを認識し始めている。
「ある意味では、非常に喜ばしいことです」とニューソンは語る。「当時、業界はもちろん、一般の人々にも理解されなかったこれらの特性を人々が理解し始めたように感じられるからです」
アイクポッドのオリジナルの個体は、おそらく(いい意味で)風変わりなため、過去数年のあいだに多くの時計がそうであったような、価値の暴騰はないだろう。しかし時計コレクターのなかには、デザイン、時計業界への影響、90年代のノスタルジーなど、さまざまな理由でこの時計を愛するようになった人たちがいるのだ。
ニューソンも語ったように、クリエイターは自分の作品は手を離れてからコントロールすることはできず、作品自らが進化していくことが多いのである。販売店やオークション、あるいは現代的なマーケティングマシンではなく、情熱的なコレクターが牽引してきたのだ。
30年前、アイクポッドはまるで未来からやってきた時計のようだった。しかし、それは今も色褪せることがないのである。