本特集はHODINKEE Magazine Japan Edition Vol.11に掲載されています。
文字盤を創造のキャンバスに見立て、伝統的な工芸技法を注ぐ装飾芸術は、この数年で一気に加速した感がある。メティエダールやサヴォアフェールといった熟練の職人の手から生まれる美の芸術は、内蔵する精緻なコンプリケーションの価値とも比肩するからだ。ショパールが発表した限定コレクション「Inspirations from Japan - Artistic Crafts in Time」は、メカニズムと芸術性という時計の二面性を表現した。追求したのは、日本から着想を得た、時を刻む芸術的クラフトマンシップである。
マニュファクチュールであり、ハイジュエラーとしての顔を持つメゾンにとって、それは取り組むにふさわしいテーマだったのだろう。だがそのスケールと内容に驚かされる。計7モデル、多彩なモチーフと技法を駆使した圧巻の布陣だ。そこには40年以上に及ぶショパール共同社長、カール‐フリードリッヒ・ショイフレ氏と日本との深い絆があった。
「これまで来日して時間が空く限り、京都など多くの場所を訪れ、日本の伝統に触れてきました。強く感じたのは、日常の品々を芸術の域にまで高める文化です。厳格な規律と審美性、謙虚さが融合し、完璧を追求する日本の職人技に魅了されたのです。その思いを表現するには数本では足りませんでした。ですが、とても満足いくものが完成し、満を持して発表したわけです」と振り返り、「日本が大好きだから、私の個人的な主観でコレクションを決めたんですよ」とショイフレ氏はほほ笑む。
自身でまずテーマを発案し、選定したモチーフをデザイナーや職人に投げ掛け、自由な発想でどのような技法で表現するかを練り上げる。そうした作り手との直接的な会話から作品は生まれたという。中心となったのは、エナメル装飾のクリストフ氏やフルリザンヌ彫りのナタリー氏といったメゾンを代表する熟練職人で、日本からは老舗漆器店である山田平安堂の熟練漆工芸職人、小泉三教(こいずみみのり)氏が参画した。特に小泉氏との協業は15年以上にわたり、名匠に全幅の信頼を置く。
それでも作業は容易ではなかった。オリジナルのモチーフを単に文字盤に落とし込むだけではなく、筆遣いといった独特な技法や道具の習熟も欠かせない。日本の伝統文化とスイスの時計技術という互いの魅力を引き出し、渾然一体させる必要があったのだ。まさにそこが難しかった、とショイフレ氏。さらにそこには技巧を超えた、哲学的な精神性も求められた。
L.U.C フル ストライク スピリット オブ ザ・ウォリアー 161947-1006 1億718万4000円(参考価格、世界限定1本)
コレクションは、いずれもL.U.Cを搭載した代表作がベース。前出のL.U.C フル ストライク スピリット オブ ザ・ウォリアーは、文字盤に武士の顔を覆う面頬(めんぽお)や大きく開いた口を大胆なエングレービングで刻む。ラグ間に守護的な鬼、ベゼルには伝統的な鎧兜の意匠である毛引縅(けびきおどし)などを精細に表現。荒ぶる武士の精神と武芸の美学に対し、澄んだミニッツリピーターの音色は相反する安寧への願いが伝わってくるようだ。
L.U.C XP 日本刀 161986-1001 528万円(世界限定25本)
L.U.C XP 漆 浮世絵 161986-0001 594万円(世界限定8本)
L.U.C XP サクラ バイ ナイト 131944-0001 2367万2000円(世界限定8本)
L.U.C XPをベースにしたモデルは3作ある。日本刀は、文字盤にダマスカス鋼を用い、120〜160層を重ねた鋼板を手作業で仕上げて生まれる模様は波紋を思わせ、無常観を説く禅の哲学が漂う。日本刀は武士の魂であり、武器という以上に神聖な精神性を象徴する。漆 浮世絵は、葛飾北斎の『東海道江尻田子の浦略図』にオマージュをささげ、漆工芸職人の小泉三教氏が制作した。唯一の日本人作家によるもので、それも日本古来の漆芸である蒔絵技法へのリスペクトからだろう。オリジナルの絵柄を生かしつつ、浮世絵本来の間を見事に表現する。サクラ バイ ナイトは、歌舞伎演目『二人椀久』での着物を着想源にした。ラッカー仕上げのブルー文字盤に、花弁をかたどったゴールドやマザーオブパールを立体彫刻した桜の花をあしらい、その中央にはダイヤモンドをセッティングし、彩色する。暗がりに浮かび上がる夜桜は、妖艶かつ幻想的だ。日本人は再生の象徴として桜の開花を祝い、やがて散りゆく定めに愁いを抱きめでる。繚乱する花はそんな心情を表現するのだ。
(上から)L.U.C クアトロ スピリット “瞑想する達磨” 161977-1007、L.U.C クアトロ スピリット “円相" 161977-1006、L.U.C クアトロスピリット “サムライ ラスト スタンド” 161977-5010 各935万円(各モデル世界限定8本)
L.U.C クアトロ スピリットをベースにした3モデルは、いずれもグラン・フー エナメルによるブラック文字盤にゴールドやプラチナで描く。瞑想する達磨はその名のとおり、安土桃山時代の公卿であり書家・画家の近衛信尹(このえのぶただ)の『瞑想する達磨』に着想を得る。そぎ落とした筆致の達磨は、壁に向かった9年間にわたる座禅の逸話を連想させ、静思へといざなう。一筆で円を描いた円相は、瞑想とマインドフルネスの行為として書き手の瞬間の心境を映し出すと同時に、見る者にも静寂、活力、動き、虚無といった感情を呼び覚ます。サムライ ラスト スタンドは、軍扇が破れても骨が残る限り戦い続ける不屈の精神を表す“破れ扇”から着想。人生のはかなさと逆境に立ち向かう決意を体現している。いずれも古典的な和のモチーフでありながら、独創的なジャンピングアワー機構と一体化し、モダンなグラフィックアートのような印象を与える。タイムレスな魅力は、まさに芸術に昇華した証しだろう。
こうした芸術的クラフトマンシップを注ぐコレクションを発表した理由に「私たちにはその義務があるから」とショイフレ氏は語る。
「それは時計産業にとって失われていく技術であり、ノウハウが一度途切れてしまったら再現できないかもしれません。だからこそ後世に技術を継承し、人材を育てなければいけないと思うのです。それができるのも私たちが独立系の一族経営だからでしょう。それに若い世代のほうがむしろ、こうした伝統工芸の芸術的価値を認め、欲しているのです」
ショパールの姿勢は常に一貫している。L.U.Cを中核に置く独自の技術開発であり、次世代につなげるための持続可能な素材への取り組みもしかり。それは高級時計の未来を示唆する。そうした長期的な視座に立ち、後世に残すという強い意志と使命感に、日本の伝統文化が手を携え、関わることができたのは至極光栄といえるだろう。
Words:Mitsuru Shibata Photos:Yoshinori Eto Styled:Eiji Ishikawa(TRS)