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カリ・ヴティライネン(Kari Voutilainen)は独立時計師界隈で最も忙しい男かもしれない。
フィンランドで生まれ、長らくスイスのモティエを拠点としてきた彼はこれまでに8つのGPHG賞を受賞し、自社製ムーブメント(マニュファクチュール)に加え、時計界で最も需要の高いダイヤル専業メーカーを所有・経営している。彼はまた、大小さまざまな時計メーカーとのクリエイティブなコラボレーションにも長けており、ときには大成功に導くこともある。
2020年GPHG授賞式でのカリ・ヴティライネン氏
しかし、彼のキャリアの初期にあたる1990年代半ばに仕事を請け負っていたウルバン・ヤーゲンセン社を買収するという千載一遇のチャンスが彼の足元に舞い込んできたとき、彼はその話に乗ることに抗えなかった。数週間にわたる噂やソーシャルメディア上の情報の錯綜を経て、2021年11月下旬、ヴティライネンが投資家グループを率い、かつてのデンマークのオーナー一族からウルバン・ヤーゲンセンを買収し、自らが新CEOに就任したというニュースが世界中を駆け巡った。
デレク・プラットがウルバン・ヤーゲンセン ソーナーのために製作したルモントワール付きトゥールビヨン懐中時計、1980年。Image, Antiquorum.
ウルバン・ヤーゲンセンは、前オーナーのピーター・ボームベルガー(Peter Baumberger)氏と時計師デレク・プラット(Derek Pratt)氏の尽力により、現代の独立系時計メーカーのパイオニアとして認められている。2010年にボームベルガー氏が亡くなって以降、ここ2年間で独立系時計メーカーに対する関心がかつてないほど高まったにもかかわらず、ウルバン・ヤーゲンセンはマーケット上での一貫したリーダーシップを発揮できず、コレクターのあいだで人気が低迷していた。
ウルバン・ヤーゲンセンから聞かれた最新の発表のひとつ、2019年のOne。
1996年にパルミジャーニ・フルリエで修理の仕事をしていたとき、初めてボームベルガー氏の目に留まったヴティライネン氏は、まさに新世代をリードするのにふさわしい人物だった。ウルバン・ヤーゲンセンとの関係、北欧時計文化への想い、ビジネス哲学、そして今後の展望を語ってもらった。
HODINKEE:ウルバン・ヤーゲンセンとの関わりについてお聞かせ下さい。
カリ・ヴティライネン: 当時、私は1996年にラ・ショー・ド・フォンの国際時計博物館で開催されたジラール・ペルゴ協賛のトゥールビヨン展示会に出展したトゥールビヨン懐中時計を完成させたばかりでした。この時計を見たピーター・ボームベルガーが購入を申し出たのですが、私は売りませんでした。しかし、それがきっかけで私は彼と仕事をするようになり、私たちのコラボレーションの始まりとなったのです。私は加工、組み立て、プロトタイピングやユニークピースの製作、メンテナンスサービスなど、あらゆる依頼に応じました。つまり彼は私が独立したばかりのころの最大の顧客だったのです。
ピーター・ボームベルガー氏の目を引いたカリ・ヴティライネン氏のオリジナルのトゥールビヨン懐中時計。
また、2005年か2006年ごろ、デレク・プラットが製作中だったオーバル型の懐中時計を私の工房内で完成させました。当時、彼は体調を崩していたため、ピーターがこの懐中時計を私に完成させてもらってもいいかと彼に承諾を取り付けたのです。このムーブメントの完成には1年以上かかりました。デレクは着手していたものの、15年以上も留め置かれた状態だったのです。その時計はフライングトゥールビヨンとルモントワール機構、デテント脱進機を搭載していました。ピーターとは常に紳士協定でビジネスをしていました。契約書はなく、握手だけ成立していましたが、彼にとってはそれで十分だったのです。彼と一緒に仕事をするのはとても楽しいことでしたし、とても良い友人になりました。その後、彼が亡くなると状況が少し変わりました。
何人かお名前が出てきましたね。故ピーター・ボームベルガー氏とデレク・プラット氏です。このふたりは現在のウルバン・ヤーゲンセンの神話に大きく関わっています。これからブランドを展開していく上で、ふたりの描いた理想に近づけていくのか、それともさらに進化させていくのか、どちらをお考えですか?
私がウルバン・ヤーゲンセンにいる理由のひとつは現在、そして過去の時計のスタイルが好きだからです。デザイン面での進化は考えていません。クラシック時計には普遍性があると思っていますから。
ジャックがA Week On The Wristで紹介しているとおり、ウルバン・ヤーゲンセンのリファレンス・ビッグ8はブランドの美学を象徴するモデルだ。
あなたがCEOになった今、最初のステップは何だとお考えですか? またウルバン・ヤーゲンセンでは現在何に取り組んでいるのでしょうか?
まず、アフターサービスの問い合わせに対応しています。過去に購入してくださったお客様を大切にするということが重要なポイントだと考えているからです。そして、もちろん記念モデルの準備もしていますよ。会社が250周年を迎える2023年には新しい時計を迎えることができるでしょう。
過去20年間、あなたは独立時計師して活躍されていました。その前はパルミジャーニと、これまた設立25年ほどの非常に若い会社にいらっしゃいましたね。歴史のあるブランドのリーダーになるのは初めてだと思いますが、それについてはどのように感じていますか? これまでとは違った考え方が必要ですか?
言うなれば、私は自分で自分の歴史を作ってきたようなものです。一方で250年間途切れることなく存在してきたウルバン・ヤーゲンセンが18世紀や19世紀に生み出したものは独自のスタイルを持った懐中時計でした。それは本当にすばらしいことだと思います。
そのような歴史を目の当たりにすると、畏敬の念を抱くと同時に当時彼らがやっていたような、何か特別なことを成し遂げる責務があると思います。それは忘れてはならないことだと思うのです。
しかし、それは必ずしも昔ながらの製法に執着するということではありません。私たちの創造性は無限なのです。私たちはオープンマインドでなければなりません。古典的な手法も選択すれば、新しいことも選択できます。この会社の何かを生み出すことへの飽くなき挑戦と可能性は本当にすばらしいものです。
スイスのビール/ビエンヌにあるウルバン・ヤーゲンセンの工房は、2017年に改装された。
ウルバン・ヤーゲンセンは歴史的にはデンマークの会社ですが、あなたはもちろんフィンランド出身ですね。北欧時計文化についてお聞かせいただけませんか? また、それはあなたの経営にどのような影響を与えているでしょうか?
北欧には時計文化と呼べるようなものはありません。デンマークではヤーゲンセンファミリーが唯一の存在でした。昔から時計職人はいましたが、時計産業としては未開の地だったのです。
デザイン面では、北欧デザインは南欧に比べてより純粋で、よりクリーンです。とても美しいのですが、装飾的ではありません。クリーンかつ色数も少ないです。とても対照的だと思います。
ウルバン・ヤーゲンセンのように、あなたには自社でムーブメントを製造するノウハウや技術があります。あなたが開拓した技術とウルバン・ヤーゲンセンの既存の技術が相乗効果を生むことはあるのでしょうか?
私の工房の規模は非常に限られています。他社のために時計を作る余裕はありません。私たちがウルバン・ヤーゲンセンで展開することは完全に別物と考えています。違ったタイプの製作方法になる予定です。もちろん、会社としてのつながりはありますから相乗効果は期待できます。ただ、それでもムーブメントも時計も別のスタッフが別の施設で製作することになるでしょうね。
ヴティライネンのムーブメントの構造と仕上げの一例。
ウルバン・ヤーゲンセンは自社製ムーブメントも擁する。これは“アルフレッド”に搭載されているCal.P4。
多くの時計コレクターはあなたを単に独立時計師だと思っていますが、ビジネスマンでもありますよね。ご自分の事業をお持ちです。今やあなたはまったく別の会社のCEOも務めています。あなたのビジネス哲学についてお聞かせください。
私は時計職人です。作業台で一日中過ごすこともありますが、会社を持つ、もちろん工房も会社ですが、生き残るためにはビジネスとして考えなければなりません。長期的な視野に立っていなければならないのです。来年、5年後、10年後、20年後に何をしたいのか。そして、その目標に向かって努力しなければなりません。
Talking Wathesで紹介されたマックス・ブッサー(Max Busser)氏が所有するカリ・ヴティライネンのVingt-8(ヴァントゥイット)。
そのためには利益を生むビジネスにしなければなりません。利益なくして未来はないのです。また自分たちの時計を欲してくれるお客様を見つけるコミュニケーション能力も必要です。広告をたくさん出したり、ブランドアンバサダーを起用したりする会社もあります。いろいろな方法があると思いますが、私はこれまで個展を開くことしかしてきませんでした。それが私のできる範囲のマーケティングだったからです。私の生産量は少ないので、ひと握りの顧客を見つけるために大きな広告を打つ必要がなかったのです。
ウルバン・ヤーゲンセンの場合はまた違うアプローチが必要になるでしょう。どうやって顧客を見つけるのか、どうやって伝えるのがいちばん効率的なのかを今後考えなければなりません。
最近聞いた話では、ご自身のブランドの時計の年間生産能力は65~75本とのことでしたが、ウルバン・ヤーゲンセンの場合は当然それ以上の生産能力があると思います。ウルバン・ヤーゲンセンでは年間どれくらいの数の時計を生産を見込んでいますか?
その潜在能力はもっともっと大きいと考えています。昨年、私の工房では1万6000点の部品を使って67本の時計を仕上げました。私の工房には30人のスタッフがいます。しかし私たちは手作業で部品を仕上げています。私は自分たちがやっていることを“現代の工芸的時計(contemporary artisanal watch)”と呼んでいます。現代の工作機械を使って時計を作りますが、それを手作業で仕上げるのです。
ウルバン・ヤーゲンセンでは昔からやっていることなので多少の外注は可能ですが、私の工房ではヒゲゼンマイ、主ゼンマイ、受け石以外はすべて自分たちでやっています。いちばんの目的は生産本数ではなく、同じ品質できちんとやることです。すべてのバランスが均衡することこそが大切だと考えています。
カリ氏の娘であるヴェンラ・ヴティライネン(Venla Voutilainen)氏も同じく時計職人である。
あなたの娘さんはウルバン・ヤーゲンセンの業務の一部を手伝っていますね。彼女は何を担当しているのですか?
私の娘は時計職人です。この2年間はシンガポールのアワーグラスで働いていました。今は戻ってきてウルバン・ヤーゲンセンのアフターサービス部門を担当しています。よく知っていて、信頼できる人と一緒に仕事ができるのはすばらしいことですね。本当にそう思います。
あなたは複数の会社の経営やウルバン・ヤーゲンセンの買収で多忙を極めていらっしゃいますが、余暇は何をして過ごしていますか?
主にスポーツをして過ごしています。ハイキング、スキー、自転車などです。家族と一緒に過ごすのも好きです。クロスカントリーやダウンヒルスキーを楽しんでいます。休暇で海に行くよりは山に行ってハイキングするのが好きですね。そういえば去年の夏、息子とフィンランドに行ってヘルシンキからラップランドまで950kmを自転車で1週間かけて走破しましたよ。
それぞれのブランドの詳細は、カリ・ヴティライネン公式サイト、およびウルバン・ヤーゲンセン公式サイトをクリック。