スイスのほぼ北端、ライン川沿いに広がる歴史的な都市であり、ドイツ国境近くに位置するシャフハウゼン。 この地で創業された時計ブランドで最も有名といえるのが、かつてインターナショナル・ウォッチ・カンパニーという名で知られていたIWCです。同ブランドは150年以上前、ボストン出身のアメリカ人時計技師でありエンジニアのフロレンタイン・アリオスト・ジョーンズ(以降F.A.ジョーンズ)によって創業されました。
アメリカ人がなぜスイスで創業したのだろうと思われるかもしれません。当時、母国アメリカでは時計の需要が非常に高まっていましたが、国内の時計職人が不足しており、労働賃金も高騰していました。そこで注目されたのがスイスだったのです。今となっては信じられませんが、当時のスイスは労働賃金が比較的低い国のひとつでした(スイスの平均賃金は2024年のデータで世界1位)。
ジョーンズがスイス北部の小さな町シャフハウゼンを選んだのには理由があります。スイス時計産業の卓越した職人技を求めていたことはもちろんですが、鉄道へのアクセスが良く、発電機を稼働させて作業場や機械に電力を供給するために水力を活用できる土地である必要があったからです。シャフハウゼンは、スイスとドイツの鉄道網を結ぶ要衝であり、水力発電の優れた供給源として知られるノイハウゼン・アム・ラインファルに位置するヨーロッパ最大の滝、ライン滝にも近く、まさに理想的な立地だったのです。
こうしてインターナショナル・ウォッチ・カンパニーは 1868年に設立され、1875年にはライン川のほとりに本社が建てられました。IWCの本社社屋の一部には、この歴史的な建物が今も変わらず使われています。僕が最初に訪れたのは本社ではなく、シャフハウゼン郊外にあるIWCマニュファクチュールセンター(マヌファクトゥールツェントルム)と呼ばれる工場でした。
製造の中枢: IWCマニュファクチュールセンター
この施設は、IWCのCEOで建築家でもあるクリストフ・グランジェ・ヘア氏が設計し、IWC創立150周年を記念して2018年に設立されました。シャフハウゼン郊外にある理由は、ライン川と旧市街に挟まれたIWC本社は、それ以上は拡張することができなかったためです。
全体がホワイトとブラックで統一され、全面ガラス張りのモダンなファサードが印象的です。このデザインは、1929年にスペインのバルセロナ万博でミース・ファン・デル・ローエが手掛けたバルセロナ・パビリオンからインスピレーションを得ており、工場でありながら洗練された美しさを持つ佇まいとなっています。IWCマニュファクチュールセンターは、1万4000㎡の敷地面積を誇る非常に規模の大きな建物です。それもそのはず、ここではムーブメント部品の製造、組み立てからケース製造までが行われているのです。この施設では約300人が働いています。
エントランスをくぐると天井高9mの巨大なエントランスロビーが僕たちを出迎えます。美しいのは外観だけではないことがすぐにわかりましたが、なるほど、この工場は高品質な製造施設ということだけでなく、構想当初からパビリオンのように見学者を受け入れるために設計されていたからです。開放的なロビーはさながらラグジュアリーホテルのようです。
正面にある受付の背後には、クルト・クラウスが製作し、1985年に発表されたIWCのパーペチュアルカレンダーモジュールの大型模型が掛けられています。しかし、僕の目を引いたのは、その隣の壁に飾られた肖像画でした。そこには、IWCの創業者F.A.ジョーンズをはじめ、ギュンター・ブリュームラインやジョージ・カーンといった歴代の元取締役たちの肖像画が並んでいます。また、アルバート・ペラトンやクルト・クラウスなど、重要なムーブメントを生み出した時計師たちの肖像も掲げられており、歴史と伝統、そしてエンジニアリングを重んじるブランドの姿勢を感じました。
受付の左側にある扉を抜けるとムーブメント部品の製造エリアに直接アクセス。奥へ歩みを進めるにつれ、時計職人や工作機械が奏でる音が徐々に大きく聞こえてきます。
内部は先述のとおりゲストを迎えることを想定した構造になっています。ゲストのための通路はグレーの床と温かみのある木製のアクセントでまとめられ、製造エリアは清潔感溢れる明るい白い床で区分けされています。ガイドの説明のなかで特に驚いたのは、使用されているマシーンまで白にペイントされていることです。製造現場でありながら、視覚的な美しさが徹底的に追求されている点が印象的でした。
広大なパーツ製造エリアでは、ムーブメントに使用される小さな歯車からベースプレート、自動巻きローター、ムーンフェイズディスク、さらにはパーペチュアルカレンダーの年表示パーツまで、主要なパーツの多くが製造されています。なかには、CNCマシンを使ってミクロン単位(1000分の1mm)で加工される極めて微細なパーツもありました。
次のプレアッセンブリー部門でベースプレートやブリッジには受け石がセッティングされ、その後、ストライプ仕上げやペルラージュ仕上げといった装飾が施されます。ロジウムメッキなどのコーティングがされたあと、すべての部品は人間によって品質チェックが行われます。マニュファクチュールセンターで組み立てられるムーブメントに使用される部品は、すべて施設内部でストックされ、それ以外はシャフハウゼンの本社へと送られます。
同じフロアを先に進むと組み立てエリアにたどり着きます。エアロックを通って入室するクリーンルームのため内部に立ち入ることはできませんでしたが、ガラス越しにその様子を見ることができました。
真っ先に気がつくのは、規則正しく整然と配置された時計師たちの作業デスク。それぞれの島ごとに担当しているキャリバー名と写真が掲げられています。奥の大きな窓からは自然光がたっぷりと差し込む設計で、建物の周囲に広がる緑豊かな景色が大きな窓ガラス越しに見え、作業環境を心地よいものにしています。
組み立てはすべて時計師たちによって手作業で行われます。ベーシックなムーブメントの場合、各時計師は10から12の工程を担当し、5つの時計を完成させると次の工程を担当する作業者に引き継がれる仕組みです。一定の期間その作業に従事したあとは座席を変えて別の作業に取り組みます。このやり方が導入されているのは、同じ作業を繰り返すことで技術が向上し、またミスも少なくなるためです。
時計師たちは異なる工程を経験しながらスキルを磨き、最終的にはハイコンプリケーションウォッチの組み立てを担当できるまでに成長していきます。ハイコンプリケーションウォッチの組み立ては、全工程をひとりの時計師が担当するのが特徴です。現在、この高い技術を必要とする組み立てを任されている時計師は、100人中わずか15人しかいないとのことです。
エレベーターで地下にあるケース製造部門へ。自社でケースの製造をそれも素材部分から手掛けるブランドはそう多くありません。ここでは、作業エリアが効率的にレイアウトされています。進行方向の左側には、素材が整然と並べられたラックが設置され、必要なパーツがすぐに取り出せるように管理されていました。右側には、CNC旋盤やフライス盤などの高精度な工作機械が並び、ケースの製造が行われています。
IWCではレッドゴールドやホワイトゴールド、プラチナなどの貴金属製の時計ケースは、あらかじめ成形されたブランクから作られますが、ステンレススティールやチタン、ブロンズ製といった卑金属製のケースは、IWC専用の金属棒が加工され製造されます。この工程には大型の重機などを必要とするため、非常に広いスペースが求められます。IWCマニュファクチュールセンターの設立前は、シャフハウゼン中心部の本社が手狭になったため、近隣のノイハウゼンに工業用スペースを借り、そこをケース製造施設として利用していたそうです。現在は一貫して同じ施設内で実現できるようになっています。
個人的に最も興味深かったのは、IWC独自開発のチタン合金素材であるセラタニウムのケース製造です。セラタニウムは、チタンの軽量さと堅牢性そしてセラミックに匹敵する硬さと対傷性能を備えています。プロセスはいくつかのステップに分かれます。まず精密に加工されたチタンのベースから始めます。チタンはステンレススティール同様に極めて緻密なパーツを作り出すことが可能です。
加工されたチタニウム部品は焼成プロセスに入ります。ここでのキーポイントは、炉内で極めて高い温度(約1000℃以上)に加熱されることです。この過程で、チタニウムの表面に化学変化が起こり、ジルコニウム酸化層が形成されます。この酸化層はセラミックに似た性質を持ち、非常に硬く、かつ傷が付きにくいという特性を素材に与えます。IWCのケースには、一貫した素材の均質性が求められるため、製造には高い技術力を必要となります。合計で80の工程があり、その製造方法を詳細にすべて把握するのは同社でも3人だけとのこと。外観の美しさと実用性を両立させた素材であり、IWCの革新技術を象徴するものと言えると思います。
最終的に防水性や外観などの一連の複雑なテストを経て、ケース製造の工程が完了となります。IWCマニュファクチュールセンターは、物流センター、ITセンター、インフラストラクチャハブとしても機能しています。本社も引き続き完全に稼働しており、主な企業オフィスと多くの最終時計組み立て作業は従来通り同じ場所で行われています。
歴史と伝統あるIWC本社
IWCの本社は、シャフハウゼン駅から徒歩約10分、ライン川と旧市街に挟まれた場所に位置しています。F.A.ジョーンズが初めに借りた工場は別の場所にありましたが、事業拡大に伴い、1874年から1875年にかけてライン川沿いのバウムガルテン通りに新たな工場が建設され、これが現在もIWCの本社として機能しています。その後、2005年と2008年に東棟と西棟が増築され、現在の本社の姿が完成しました。
シャフハウゼンの旧市街は、ジュネーブのフランスな街並みとは異なり、どこかドイツ的な雰囲気を漂わせています。実際、第二次世界大戦中にはシャフハウゼンはドイツ領と誤認され、アメリカ陸軍航空軍の空爆を受けましたが、幸運にも工場近くに落ちた爆弾は不発に終わり、迅速な消火活動によって戦火を逃れることができました。このような歴史を背負いながらも、IWCの本社は変わらずその場所に佇み、今なお時計作りの伝統を守り続けています。
IWCマニュファクチュールセンターで組み立てられたムーブメントやケースなどのパーツは、本社に送られ、腕時計としての最終組み立て(ファイナルアッセンブリー)が行われます。そのフロアでは、多くの女性が作業に関わっている姿が目立ちました。聞くところによると、女性の方が同じ工程を繰り返す集中力や手先の器用さ、そして視力の鋭さに優れているためだそうです。作業中の時計に目を向けると、Watches & Wonders 2024で発表されたばかりの新作モデルが組み立てられているのが確認できました。
なぜすべての工程を新工場に集約しなかったのかという質問に対しては、「本社にも、ゲストが見学するための機能を持たせたかったのではないか」との説明がありました。
本社では出荷前の最終検査も行われています。ここは、完成までに200人以上の職人の手を経た時計が、最終的に品質チェックを受ける場所です。一晩おいたあとに耐久性や防水性能に問題がないか、風防や針、クロノグラフ機能などを慎重に検査します。また、埃や傷がないかも細かく確認されます。もし基準に満たない部分があった場合でも、本社内には補修を行うリ・ワーキング部門が併設されており、工場に送り返すことなく、その場で修正できる体制が整っています。
写真撮影が完全に禁止されていたものの、別のフロアにはテストラボが設置されていました。ここでは、12名のテクニシャンが時計を数週間で10年経過したかのような条件下でテストを行い、10年間の着用をシミュレーションしています。さらに、新作のプロトタイプや新素材もこのラボで厳密なテストを受けており、ケースに関しては3〜4ヵ月、ムーブメントについては6ヵ月間にわたる試験が実施されているとのことです。
IWCミュージアムで辿るヘリテージ
創立 125周年を記念して1993年にIWCの本社社屋内1階にミュージアムが開設されました。ミュージアムは西ウィングと東ウィングに分かれていてどちらからでも見学が可能です。決められた順路は特にありませんが、順を追ってIWCのヒストリーに触れたいなら西棟から見ていくのがおすすめです。
西ウィングでは、創設者F.A.ジョーンズがIWCをどのように創業し、いかにして水力発電を活用して事業を発展させたかといった初期の歴史から、名作ポルトギーゼのオリジナルモデルやパイロットウォッチの技術革新まで、IWCの歩んできた歴史と革新の数々が紹介されています。展示は、ブランドの伝統と技術力を深く理解できる内容となっており、IWCの進化の過程をたどることができます。
展示の冒頭でひときわ目を引くのは、1874年製の懐中時計で、ケースの蓋にミシシッピ川を航行する蒸気船のレリーフが美しく施されています。この時計は、F.A.ジョーンズがアメリカ市場向けにスイスで製造した初期の製品のひとつであり、IWCの歴史において極めて重要な役割を果たしています。
F.A.ジョーンズは、ムーブメントを主にアメリカ市場向けに輸出し、ニューヨークでケース、文字盤、針と組み合わせて完成品として仕上げていました。当時、IWCの拠点はシャフハウゼンではなくニューヨークにあり、このため当時の懐中時計のブリッジには「International Watch Co. New York」と刻まれていたのです。この懐中時計は、ジョーンズの国際的なビジョンと、スイスとアメリカを結ぶIWCの初期の展開を象徴する貴重な一品です。
西ウィングの展示品の中で特に印象に残ったのは、オリジナルのポルトギーゼとドイツ空軍向けに製造されたビッグ・パイロット・ウォッチです。IWCといえば、僕にとってはポルトギーゼとパイロット・ウォッチという二大モデルがその象徴ですが、そのルーツとなるオリジナルモデルを直接目にする機会は非常に貴重です。
ポルトギーゼは、1930年代にポルトガルの商人たちの要望で生まれたモデルで、当時の懐中時計ムーブメントを腕時計に搭載した斬新な設計が特徴です。その堂々たるサイズ感と優れた視認性が、現在のIWCを代表するアイコンモデルの礎となりました。一方、ビッグ・パイロット・ウォッチは、1940年代にドイツ空軍向けに設計された歴史的なモデルです。その大型のケースと優れた耐久性、さらに計器のような明瞭なデザインが、ミッション中の過酷な条件下でも信頼される存在となりました。これらふたつのモデルは、IWCの歴史と技術の進化を象徴するだけでなく、現在も多くのファンに愛され続けている理由がよくわかる展示品でした。
東ウィングでは、1970年以降に製造された時計が中心に展示されています。ポートフィノ、ポルトギーゼ、インヂュニア、パイロット・ウォッチ、アクアタイマーそしてダ・ヴィンチのコレクションを代表する時計が展示されていました。各モデルの歴史、用途、特徴が解説されています。
希少なピースが数多く展示されており、どれも紹介したいものではありますが、特にIWCのエンジニアリングの革新性を示すモデルをご紹介します。それは1985年に発表されたダ・ヴィンチ・パーペチュアルカレンダーです。
このモデルは、永久カレンダー機構とハイテクセラミックケースというふたつの技術革新を象徴しています。永久カレンダーは、クルト・クラウス氏が設計したもので、操作が非常に簡単でありながら、日付、月、年、世紀、さらには1000年までの表示が自動で切り替わるためユーザーによる調整を一切必要としません。この画期的な機構は、わずか83個の部品で構成されており、2199年12月31日以降も交換パーツを用いることで2499年まで表示が可能です。
一方、ダ・ヴィンチのもうひとつの革新は、1986年モデルで登場したセラミックケースの採用です。展示品のなかにはホワイトとブラックのセラミックケースを採用したモデルがありました。実機で見るのはこれが初めてです。このケースはジルコニアを主成分とし、約2000℃の高温で焼かれて成形されます。セラミックはスティールに比べて約30%軽量であり、非常に硬いため加工にはダイヤモンドを必要としました。
IWCマニュファクチュールセンターでは、セラミックとチタンを融合させたセラタニウムの現在のケースイノベーションに触れることができましたが、ミュージアムでは改めて過去に焦点を当てることができました。IWCが長い歴史のなかで続けてきたこうした素材への挑戦を、実際に目にでき非常に感慨深いものがありました。
最後の展示は、本社のエントランス脇にある小さな部屋に設けられていました。ここには、半世紀以上にわたり生産され続けたIWCの代表的な懐中時計ムーブメント、Cal. 52/53が設計図とともに展示されています。そして、このツアーで最も印象深かった展示のひとつがありました。それは、IWCが1885年以降に製造したすべての時計について、キャリバーやケース素材、納品日、受取人の名前などの詳細な情報が記された94冊の台帳です。今回は、そのなかから2冊が特別に展示されており、IWCの長い歴史と伝統を体感できる貴重な資料として目にすることができました。
創業者F.A.ジョーンズのビジョンから設立され、長年にわたり培われてきた技術力や素材への挑戦が、現在のIWCの時計作りにどのように反映されているのかが明確に伝わってきました。IWCは1903年からプローブス・スカフージア(Probus Scafusia)すなわち「シャフハウゼンの優秀な、そして徹底したクラフツマンシップ」というモットーを追求していますが、すべてにおいてそれを体現しているのだと実感するツアーとなりました。
詳細はIWC公式サイトへ。
Photographs by Yoshinori Eto and Masaharu Wada