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Magazine Feature 大空の時を刻み続けるパイロットウォッチという矜持

パイロットウォッチを形成し、発展させてきた4つのモデルについて。

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Hero Image: ブライトリング ナビタイマー B01 クロノグラフ、118万8000円

本記事は、2022年7月に発売されたHODINKEE Magazine Japan Edition Vol.4に掲載されたものです。Vol.4は現在、Amazonなど各種ネット書店にてご購入いただけます。HODINKEE Magazine Japan Editionの定期購読はこちらから。

時計はツールである以上、目的に沿った機能や仕様を備える。ドライビングにおけるクロノグラフ、水圧に耐えるダイバーズウォッチもそう。翻ってパイロットウォッチを見れば、本来の機能の恩恵に浴する持ち主はけっして多くはないだろう。だがそれでも人気は尽きない。別々の時代に異なる人々に愛され必要とされてきたパイロットウォッチ。このジャンルを形成し、発展させてきた4つのモデルを取り上げる。


カルティエ サントス

 パイロットウォッチであるとともに、世界初の紳士用高級腕時計とされるカルティエ サントスを語るには、まず誕生の背景となった大きな時代の転換期について認識しておくべきだろう。

 19世紀末から20世紀初頭、産業革命に端を発する技術革新は実用域に達し、さまざまな機械化や情報化を促し、生活、文化、価値観などあまねくものを変えていった。それは大衆の時代の到来でもあり、旧特権階級に代わるネオブルジョアジーが台頭。彼らは旧態然とした社会慣習に飽き足らず、よりアクティブに活動し、時代をリードした。ファッションにしてもトップハットやステッキといったフォーマルな伝統様式を脱ぎ捨て、自分たちの新たなジェントルマンスタイルを作り上げた。それを補完し、より個性を演出する道具となったのがライター、シガレットケース、万年筆といったアクセサリーだ。そして腕につけられるようになった時計もそのひとつだったのである。

サントス=デュモンの操縦する飛行機の公開実験。機体の開発設計も担当した。Courtesy Hulton Archive/Getty Images

市販された1916年製のサントス。100年以上の年月を感じさせない。当時としては珍しいプラチナと18KWGをケースに採用(カルティエパリ製)。

 そんな時代を駆け抜けた男がアルベルト・サントス=デュモン。ブラジルのコーヒー王の息子として生まれ、自身は飛行家だった。パリのシンボル、エッフェル塔で飛行船での周回記録を打ち立て、時代の寵児となり、やがて飛行機へと情熱を傾けた。それは自動車のエンジンを利用し、自ら航空機を設計するほどで、興味は空を飛ぶことに関わるすべてに注がれたに違いない。

 ある日サントスは、友人のルイ・カルティエに相談をもちかけた。それは飛行用の腕時計についてだった。当時も腕時計は存在していたが貴婦人用の装身具が主であり精度は求められていなかった。大空への挑戦においては、正確な時間計測は不可欠。それには操縦桿から手を離すことなく時間が読み取れ、片手で操作できなくてはいけない。しかも懐中時計とは異なり、つねに外部にさらされ、衝撃に耐え、精度や信頼性も必要だ。この相談を受け、1904年にルイがデザインした時計がサントスなのである。以降、それはサントスのシンボルになるばかりか、空の冒険を支える大切な相棒になったのだ。

カルティエ サントス デュモン エクストラフラット(左、コレクター私物)。カルティエ サントス デュモン ウォッチ、63万2500円(右)

 サントスを羨望したのは飛行家だけではなかった。つねにスーツ姿にタイドアップし、マウンテンハットを被ったサントス=デュモンはファッションリーダーであり、華やかな社交界のセレブでもあった。その腕に収まったサントスはまさに新たな時代を象徴し、最新鋭のハイテクツールのように多くの男たちを魅了した。そして当初のワンオフから1911年には一般にも販売されたのである。

 いま見ればオリジナルのスタイルは、パイロットウォッチというよりもドレスウォッチというべきだろう。ラグを一体化したケースは、強度を重んじて設計されたかは不明だが、滑らかな曲線を描き、エレガンスと先進性を漂わせる。スクエアの文字盤にしても機能性というよりも、ラウンドの懐中時計へのカウンターカルチャーだったのかもしれない。その進取の精神と気骨ある意思は現行モデルにも受け継がれている。

 懐中時計のように正確な時間を刻む実用性とドレスウォッチのような装身具としての役割を兼ねそなえ、初めて世に生まれた男のための腕時計、サントス。それが脈々と続くパイロットウォッチの興りであったというのも、なんともロマンをかき立てる。


ロンジン ウィームス&アワーアングルウォッチ

ロンジン アワーアングルウォッチ(左)。ロンジン ウィームス(右)

 大空を自在に飛翔するには、大いなる情熱と勇気ばかりでなく、透徹した論理と高度な航法知識がなくてはならない。1920年代、航空時代の黎明期にアメリカ海軍士官学校の指導官フィリップ・ヴァン・ホーン・ウィームス大佐は、六分儀や星の位置から現在地を判断する天測航法を研究し、改良を続けた。研究者であり、指導者であると同時に、彼は発明家でもあった。1927年には長距離航法をサポートする独自のセコンドセッティングを考案したのだ。

 時速数百キロで移動する航空機では、わずか数秒でも距離と位置には大きな差が生じてしまう。そこでウィームスが考え出したのは「秒針で調整するのではなく、秒目盛り自体を動かす」という画期的な機構だった。60秒スケールを刻んだ回転式インナーディスクを設け、時分針の動きを止めることなく、秒単位で正確に時刻を同期させた。この革新的な機構を備えたパイロットウォッチの製造を担ったのが、ロンジンだ。1919年から国際航空連盟(FAI)の公式サプライヤーを務め、ロンジンはウィームスと共同で1927年にセコンドセッティングウォッチを開発し、空のパイオニアを支えた。

リンドバーグが描いた図案からアワーアングルウォッチは誕生した。Courtesy Longines

ロンジン リンドバーグアワーアングルウォッチ、83万500円。

 航空機や航法技術の発達とともに、より完成度を増したパイロットウォッチが大空への門戸をさらに開いたことは言うまでもない。チャールズ・リンドバーグもその発展に貢献したひとりだ。1927年リンドバーグは、33時間30分におよぶノンストップの大西洋横断単独飛行という偉業を成し遂げ、航空の歴史に新たな1ページを加えた。それは、飛行時間と地形で位置を確認する推測航法による快挙だったが、多くの課題も残した。そこでリンドバーグはウィームスに師事し、翼下で航空ナビゲーションについて学んだ。セコンドセッティングの改良に加わり、そのシステムに自らの飛行体験を加え、推測に頼らず、より正解に位置を測定できる新たな時計を発案。ロンジンに依頼し、1931年に誕生したのがアワーアングルウォッチだ。太陽の時角(アワーアングル)を測定する回転ベゼルに加え、秒針ではなく回転するセンターダイヤルで秒を合わせることで、現在地を測定する。この本格ナビゲーションウォッチは以降、多くの名飛行士に愛用され、数々の冒険飛行の偉業を支えた。

 航空時代の幕開けをリードしたロンジンのパイロットウォッチは、いまもカタログにラインナップされている。けっしてノスタルジーだけでなく、ブランドのアイコンとしてあり続けるのだ。セコンドセッティングウォッチの幅広いフラットベゼルはヴィンテージ感を醸し出し、60秒スケールからはかつて空の冒険を支えた機能美が伝わる。アワーアングルウォッチがローマ数字のインデックスを採用しているのも興味深い。ほかのアラビア数字と明確に分け、誤読を防ぐためだろう。それにも増してクラシカルなエレガンスに、飛行士の腕を飾ったロマンチシズムが漂う。

 2本を並べて見れば、互いに切磋琢磨し、大空に情熱を傾けたウィームスとリンドバーグの思いが伝わってくるようだ。それは人類の英知の軌跡であり、時空を超越し、まさに“翼のある砂時計”をロゴにするブランドにふさわしい。


IWC マークシリーズ

 空路の開拓が進む一方、空の時代をさらに進めたのが軍事利用だ。戦争という不幸な歴史が導いたものではあっても、航空機や計器などの機能は研ぎ澄まされ、普遍的なスタイルは時代を超えて魅了する。第2次大戦においてイギリス国防省(MoD)が12社の時計メーカーに製作依頼したミリタリーウォッチもそのひとつ。“ダーティダース”と呼ばれ、製造を担った1社がIWCだ。これにさかのぼること、1936年にはすでに英国軍にブランド初のパイロットウォッチを納入していた。ブラックダイヤルにハイコントラストの時分針を備え、さらに矢印のマーカーのついた回転式ベゼルを分針に合わせることで経過時間を計測する。この時計はマークIXと名付けられ、IWCの輝かしいパイロット・ウォッチの歴史はここから始まることとなった。1940年には、オリジナルのポケットウォッチムーブメントを搭載し、視認性に優れた大きなセンターセコンドを設けたビッグ・パイロット・ウォッチが登場。そしてマークⅩを経て、いよいよ歴代パイロット・ウォッチでも最も名高いマークXIが登場する。エポックメイキングとなったのが耐磁性という新たな性能だった。

イギリス国防省が定めたマークXIの仕様書

12時のバーインデックス左右にドットをつけたホワイト12。のちの三角マーカーでもこの意匠は確認できる。

 当時、機内にもレーダー機器が装備されるようになったが、そこから発する高磁気は時計の精度に大きな影響を与えた。この対策として考案されたのが軟鉄製のインナーケースであり、ムーブメントを覆うことで磁気から保護したのである。この世界初の耐磁性を備えたパイロット・ウォッチは、誕生した1948年から改良を重ね、1984年まで40年近く生産が続けられたのである。マークXIの名声を高めたもうひとつの技術がCal.89だ。毎時1万8000振動にレバー脱進機を備え、両側を固定した香箱、センター秒針を動かす特許の駆動機構、チラネジ付きベリリウム合金製テンプ、ブレゲヒゲゼンマイを採用し、しかもハック機能を備えていることも見逃せない。手巻き式の傑作であるばかりか、設計したアルバート・ペラトンがこれをベースムーブメントにペラトン自動巻きを発明したことでも知られる。こうしたパイロットウォッチから生まれた技術がIWCの礎になっているのだ。

IWC マーク XI(左)。IWC パイロット・ウォッチ・マーク XVIII、56万1000円(右、2022年時の価格)

 現役を引退したマークXIの意思を継ぎ、1993年に民生用として登場したのがマークXIIである。きっかけは創業125周年を記念して。それだけブランドにとって重要なシリーズに位置づけられたのだろう。以降XⅤ、XVⅠ、XVIIと熟成進化を重ね、現在マークXVIIIに至る。特徴は、前身の41mm径から40mmにダウンサイジングし、デイト表示も3日分から1日に変更。マークXV以来になる6と9の数字インデックスが復活し、時計の上下を明示する12時位置の三角マーカーもインデックスの内側に移し、オリジナルへの原点回帰を思わせる。

 精度や堅牢性、視認性や操作性を併せ持つパイロット・ウォッチは、時計に求められる基本要件を高次元で満たす。だがそれも技術革新や時代の要請によって進歩してこそ完成度を高める。マークシリーズにしても変遷は多彩で、なかには12時のバーインデックスの左右にドットをつけたホワイト12と呼ばれるような仕様も存在する。そうして生み出された機能美は普遍的であり、時代を超越するのである。


ブライトリング ナビタイマー

 第2次世界大戦が終了し、世界は復興に向けて再び動き出した。1950年代になると、さまざまな分野における技術革新が人々の興味や好奇心をこれまで以上にかき立てた。空の世界も例外ではない。パイロットウォッチも大きく発展し、これを導いたのがクロノグラフだ。そのリーディングブランドであり、航空界の進歩とともに歩んできたブライトリングにとっても大きなステップアップの時期だった。1915年に独立したプッシュボタンを備えた世界初の腕時計型クロノグラフを発表し、航空用クロノグラフの先駆けとなったブライトリングは、1936年にイギリス空軍の公式サプライヤーになるなど空との絆を深めていた。そして1941年に世界初の回転計算尺を組み込んだクロノマットを発表。ナビタイマー誕生のカウントダウンはこのとき始まった。

ブライトリング ナビタイマー B01 クロノグラフ 43、124万3000円(左)、ブライトリング ナビタイマー Ref.806(右)

 クロノマットの名は“数学者用クロノグラフ”の造語であり、時速や平均速度、単位の変換などあらゆる数学的計算を可能にした。これにインスピレーションを得て1952年に開発がスタートしたのが、近代パイロットウォッチの金字塔とたたえられるナビタイマーである。回転計算尺をさらにパイロット用に進化させるため、航空用計算尺E6Bを搭載。ちなみにこの理論を考案したのは、アメリカ海軍のウィームス大佐であり、当時の航空界をリードした知見がそこに注がれたことがわかる。かくしてナビタイマーは、パイロットがフライトプランを立てる際に必要なあらゆる航空計算を可能にし、まさにナビゲーションとタイマーに由来する名にふさわしかったのだ。

 ナビタイマーの誕生と普及を促した、もうひとつの大きな存在がAOPA(国際オーナーパイロット協会)だ。1939年に設立された世界最大のパイロットクラブで、このAOPAに公式タイムピースとして採用され、ナビタイマーという名も1954年にAOPAによってアメリカで登録されたのである。そのため製造初期ロットにはAOPAロゴが冠され、翌1955年から一般向けとして初めてブライトリングの名が掲げられた。こんなエピソードも発展する航空界との強い結びつきを物語る。

50年代の広告では、航行計器と共通する機能と世界観を強く訴求した。Courtesy Breitling

 今年開発から70周年を迎え、ナビタイマーは新たな一歩を踏みだした。回転計算尺や3カウンターの個性はそのままに、従来のタキメータースケールを省き、フェイスはよりすっきりとした。そして初代AOPAの翼ロゴ復活も愛好家にとってはうれしいところ。それは、パイロットウォッチという域を超え、人生という旅を計画し、針路を定めるシンボルになったのである。モダンに進化を遂げた新生ナビタイマーについて、ブライトリングのジョージ・カーンCEOはこう語る。「機能性や基本デザインを崩さず、スポーツシックなテイストでモダンな雰囲気を持たせました。現代のダイバーズウォッチやSUVがそうであるように、日常生活ではその機能は必要なかったとしてもこうした力強いイメージは誰もが欲するものですから」

 今後のパイロットウォッチについて、航空機はそれ自体が感情を呼び覚ますストーリーを持ち、それを時計に投映していきたいと語る。「ただ私たちはけっしてヴィンテージブランドではなく、豊かな歴史を背景としたモダンレトロなブランドでありたいのです」。込められた思いは新旧ナビタイマーから真摯に伝わってくる。

Photographs by Yoshinori Eto, Styled By Hidetoshi Nakato