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Inside The Manufacture マニュファクチュールへの道:シャネル ウォッチメイキングの拠点

G&Fシャトランを前身とするシャネルの自社マニュファクチュールは、1993年の統合後、シャネルの時計におけるクリエイションを担う。ラ・ショー・ド・フォンで外装製造を極め続ける同社の、J12に代表される外装を多彩に生み出すその実力に迫った。

2000年の登場以来、瞬く間に時計界のアイコンになったJ12。機械式時計×セラミックというカテゴリーにおいて高級感を確立した時計であり、それを叶えた背景にはスイス、ラ・ショー・ド・フォンにある自社工房の存在がある。G&Fシャトランを前身とするこの工房は、シャネルによる買収以前はケースやブレスレットなど外装の専門工場だったが、長年にわたる設備増強によって現在では自社製ムーブメントの設計・組み立て、ジュエリーウォッチのジェムセッティングまでを賄う一大マニュファクチュールとなった。といっても、シャネルにおいて“マニュファクチュール”という言葉が示すものは他のメーカーとは異なるかもしれない。このメゾンには確かなアイコンと現在も続くクリエイションがあり、それを時計において表現するための担い手が“マニュファクチュール”なのだ。今回は初めて現地取材の機会を得たため、その全容をお伝えしたい。


シャネルのマニュファクチュールとは?〜外装〜
メジャーコレクションの外装パーツをほぼ内製する工房

 フランス最高峰のメゾンらしく、パトロネージュの精神を重んじるシャネルは、自社の基幹ファクトリーでさえも前身の社名を残している。スイスの名門G&Fシャトラン(以下、シャトラン)は1947年に2人の兄弟によって設立された工房だ。1987年、シャネルが初めて製造した腕時計・プルミエールの外装を手掛けたシャトランとの協業をきっかけに、シャネルのクリエイションを時計として具現化できることを証明。1993年にはシャネルがシャトランを買収したことでシャネルの自社マニュファクチュールとして歩みはじめ、生産を強化するために設備増強がスタートする。1997年、8000㎡の工場を設立し、2000年にはJ12を発表。2012年、ファインジュエリー工房の増設で1万4000㎡に拡張した。2016年にはウォッチメイキングのもうひとつの軸である自社キャリバーを発表し、Cal. 1の設計、組み立てを手掛けるようになる。

 現在、シャネルのマニュファクチュールでは60種類以上の職種で約480名の社員が働く。多くが9年以上勤務していて、なかには30年以上勤める方も少なくないというから、いかに労働環境が整備され、なによりシャネルで行われていることが業界でも最高峰のことであるかという証左だろう。なお、この1万4000㎡に及ぶ大きな工場で用いられるエネルギーの12〜17%は太陽光パネルによって賄われているそうだ。

 このように大型の工場内では、シャネルにおいて中〜大シリーズにあたるウォッチコレクションのパーツのほとんどが内製されている。文字盤やパッキン、風防のガラスといった特殊なパーツはサプライヤーからの供給となるが、セラミックやステンレスはもちろん、チタンやゴールドまであらゆる素材をここで加工し、ケースやネジのみならずブレスレットのバックルに至るまでを製造する。実はブレスレットは時計パーツのなかでも独自開発が困難でコストも高くつくため、内装しているメーカーは非常に稀だ。そこまでこだわるのは、シャネルがファッションメゾンであることが大きく影響しているだろう(なお同社のそうした側面に焦点を当てた記事はマライカ・クロフォードによるこちらを読んで欲しい)。装身具としての時計に欠かせないブレスレットの出来を、シャネルは自社でコントロールできるのだ。

他社も買い求めるセラミックのハイエンドな品質

J12 キャリバー 12.1 132万円(税込)

高耐性ブラックセラミックケース、38mm径、12.6mm厚。自動巻きCal. 12.1搭載。約70時間パワーリザーブ。200m防水

J12 キャリバー 12.1 132万円(税込)

高耐性ホワイトセラミックケース、38mm径、12.6mm厚。自動巻きCal. 12.1搭載。約70時間パワーリザーブ。200m防水

 今回の訪問で何より確認したかったのがセラミックの製造についてだ。旗艦コレクションであるJ12で用いられるセラミックは7つの工程を経ることでシャネルらしい黒と白の色を得る。①細かいパウダー状の原料を日本から買い付け、②ドイツの傘下企業でバインダと混ぜて粒状に加工する。なお、この原料の粉はシャネルのためだけに開発されたもので、ホワイトセラミックの独自の白さの秘訣でもあるという。シャネル自社製セラミックケースがユニークなのは、ここから③インジェクション(射出)成型によって一気にケースの形状に整えること。同社でもかつては焼成後に切削加工を行ってケースをシェイプしていたが、現在ではその必要がないそうだ。④焼成前の準備として溶剤に浸すことでケースの素からバインダを除去。衝撃を与えると崩れ落ちてしまうほどもろい状態だが、この時点でほぼ最終的なケース形状に整っている。⑤ケースは約1300〜1400℃の炉で焼成され、約30%の体積収縮が起こり、その後最終的な仕上げの工程へ移る。⑥ケース表面に研削を施して形状のニュアンスを強調するように調整し、⑦ポリッシングで輝きを与えていく。

 最後のポリッシングの工程では、石鹸水と研磨粉、添加剤が加えられた釜の中でケースが12時間にわたってコロコロと回される。これによりJ12特有の鏡面が生まれるのだが、シャネルでは微妙な仕上げの違いによって100以上のレシピを保有するという。これは、すべてのパーツで同じ見た目を与えるためには微妙に異なる仕上げをする必要があるからで、まさに独自に築き上げたノウハウだと言える。

バインダと混ぜて作られたセラミックの原料。

インジェクション成型で整えられたケースの素は、タワーのように並べられて一度に数百個ずつ炉の中で焼成される。

原料は2000BARのインジェクション成型で一気にケース形状へ

できあがったケースは全数が検査の対象だ。その後、ケーシングされ独自の厳しい基準に照らしたテストが行われる。J12では200m防水を叶えるための厳格な防水テストを課すモデルもある。

 なお、本工房は世界で3社しかない規模で最高峰セラミックの品質を叶える工場であり、ここで製造されたセラミックは他のスイスメーカーも買い求めている。それほど彼らのセラミックが特別なのは、上で説明した①、②、⑦の3つの工程をすべて社内で管理できているから。そしてなおJ12のセラミックが特別なのは、独自のインジェクション成型によってより複雑なケース形状を実現できるようになったことが最大の理由だ。シャネルでもかつては焼成と切削を組み合わせてケースを製造していたというから、現在までの進歩が目を見張るものであることが分かるだろう。インジェクション成型の質が向上した近年、よくよく見るとミドルケースの形が変わり、裏蓋の取り付け部分に角が与えられてメリハリの効いた精度の高い形状へと進化している。

多品種生産を叶えるためのクリエイションの要は切削加工の精度

 シャネルでは現在、伝統的なプレスによる加工と切削を使い分けてパーツ製造を行っている。とりわけユニークなのが素材から直接削り出す切削加工だ。通常は棒材などのマテリアルを旋盤の軸にセットして削り出しを行うことが多いが、この工房では機械加工の精度を極限まで高めたことで難しい形状のパーツほど直接削り出しを選択するのだという。シャネルで許容される公差は1000分の1mmほどで、プレス加工でこのような精度を得ることは難しい。シャネルはこの方法を取ることで工作精度が得られる上に“時間の節約になる”と語っており、だからこそ例えばプルミエールのブレスレットのような細かく複雑なパーツの製作が可能になったのだろう。

 元々同社では、ブレスレットとクラスプを1本の棒材から削り出して作っていたことからこうした工法が発達したというが、ここでは1つの旋盤で90種類のツールを用いることができ、170種類のパーツを削り出すことが可能だそうだ。33名のスタッフがこのセクションに従事して、多品種から構成されるシャネルのウォッチコレクションを具現化する。なお、これは顧客ごとにパーソナライズされたものを提供するというオートクチュールの発想に連なるシャネルの生産スタイルである。もちろん、それとほぼイコールと言える時計は同社がハイエンドに位置づけるオート・オルロジュリーだろう。通常コレクションのラインナップとでは作り込まれるディテールには大きな差があるけれども、それでもシャネルの時計が多品種で作り分けがなされていることに驚かされるはずだ。

シャネルが1987年、一番初めに手掛けたウォッチであるプルミエール。例えばブレスレットは312のパーツで構成されており、1つ1つのリンクは1.5mの棒材からダイレクトに切削される。ちなみに1つのリンクの切削に2分40秒が必要だという。

株式を保有する独立系ブランドとのコラボレーションがもう1つの製造の軸

 なお、シャネルの製造体制が特殊なのは内製と外注を巧みに使い分けていること。こう書くと平凡に見えるかもしれないが、彼らがパートナーに選ぶのは一流どころだけで、ケニッシやローマン・ゴティエ、モントル ジュルヌ、今年からはMB&Fなどが名を連ねる。シャネルが元々備えていた製造能力は生かしながら、多くの独立系メーカーと協業関係にあるのがユニークなのだ。こうしたパートナーに発注するパーツは「内製するよりも彼らとのコラボレーションのもとで作った方がよい結果になる」と工場長が語るようなクオリティのものばかりで、「内製すればするほど“真のウォッチメーカー”と呼ばれることがあるが、自分たちのできることに集中してクリエイティビティを発揮する必要があるというのがシャネルの考え方」と理念を示してくれた。

 なお、ご存知のとおりケニッシからはJ12に用いるCal. 12.1のベースムーブメントの供給を受けるほか、オート・オルロジュリー用のハイエンドなムーブメントのパーツの一部はローマン・ゴティエから、そしてハイエンドモデルの文字盤にはF.P.ジュルヌ傘下のカドラニエ・ジュネーブ製のものを採用することもある。このように各フィールドで最高峰のパートナーと組みながら、他のどこにもないクリエイションのためにシャネルは自社のリソースを費やすのだ。


シャネルのマニュファクチュールとは?〜ムーブメント〜

J12 ダイヤモンド トゥールビヨンに搭載される、Cal. 5 ダイヤモンド トゥールビヨン(2022年)。クリエイション スタジオから大粒のダイヤモンドを乗せたトゥールビヨンキャリッジのアイデアが投げかけられ、120日間にわたる開発期間で378のCADファイルと178回の安全性シミュレーションを経て実現した。最終的には、当初、開発チームが試算した直径2.25mmから倍となる直径4.5mm(0.18ct)のダイヤモンドを採用。もちろん、このサイズのダイヤを乗せたトゥールビヨンは世界で唯一である。

8年間で5つの基幹キャリバーを開発。クリエイティブのために注がれる技術力

ムッシュー ドゥ シャネル 838万2000円(税込)

18Kベージュゴールドケース、40mm径。手巻きCal. 1搭載。約72時間パワーリザーブ。

 シャネルはムーブメント開発部門においてここ10年ほどのあいだ自社製造を模索し、2016年にCal. 1を発表。その後8年間で5つのキャリバー(派生形を含めて26バージョン)を開発し、まさに一気呵成といった勢いを見せた。そしてそのいずれもがブリッジに円状のシェイプを用いた、メゾンらしいデザインが光る。Cal. 2はカメリアの花をモチーフに、Cal. 5.1には獅子のメダリオン、Cal. 6にはマドモアゼルの姿を配するなど、自社のアイコンをいかに表現するかがシャネルの自社製ムーブメントのあり方である。“クリエイティブのためにテクニックを用いる”と開発陣は語ったが、Cal. 5では大粒のダイヤモンドを同社初のフライング トゥールビヨンキャリッジ上に配したり、Cal. 6のマドモアゼルはこれまた初となるオートマタであったりと、コンプリケーション自体が霞んでしまうほどにどこまでもシャネルらしいクリエイションが表現されている。

J12 ダイヤモンドトゥールビヨン 1782万円(税込、世界限定55本)

高耐性ホワイトセラミックケース、38mm径。手巻きCal. 5搭載。約42時間パワーリザーブ。50m防水。

J12 クチュール ワークショップ オートマタ キャリバー 6 3872万円(税込、世界限定100本)

高耐性ブラックセラミックケース、38mm径。手巻きCal. 6搭載。約72時間パワーリザーブ。50m防水。


シャネルのマニュファクチュールとは?〜アッセンブリ、ジェムセッティング〜

J12のブレスレット組み立ては、手作業と先進技術とが凝縮されていた。

 シャネルの工房内で担う組み立て作業は、ベーシックなコレクションのケーシング&ブレスレット、オート・オルロジュリー用ムーブメントのアッセンブリとジェムセッティングに大別される。それぞれのセクションには全く異なるノウハウを持った職人たちが所属しており、ひとつの工房内でこれほど幅広い組み立てをこなすのかと思わず舌を巻いた。

 まず驚いたのが、J12のセラミックブレスレットの組み立て。コマの留め方が入念で、コマ同士をピンでつなげたのち裏側に配された空洞(穴)に接着剤を入れオーブンで焼き固めることでピンを固定するのだ。仕上がったブレスレットを見ると確かに裏側に穴があったような形跡を見つけることができるが、知らなければ気付けないレベルである。まさに、細部に神が宿っている。2023年11月から新たに、この接着剤の充填はロボットが行うようになったそうだが、それ以前は手作業だったとのこと。

ハイエンドなアッセンブリ部門は獅子のマークが目印

 シャネルがオート・オルロジュリーと位置づけるコレクションにおいて、機械式時計には必ず自社製ムーブメントが用いられる。このアッセンブリを担う職人たちの白衣には、胸部に獅子のモチーフが配されており一層の特別感が漂う。このセクションにはプロジェクトの進行によって20名前後のスタッフが従事し、1つのムーブメントを1人の時計師が最初から最後まで手掛けるスタイルをとっている。同時に最低でも2つのムーブメントを組み立てているところを見つけ、理由を尋ねたところ“どこに問題があるのか気づきやすくなるから”。ネジを締める際のテンションのかけ方、あがきの調整などいくつかのものを同時に触るなかでベストな感触へとキャリブレーションしてゆくのだ。なお、作業自体がマンネリ化しないという理由もあるようだった。

 ここでは、すべてのムーブメントを全時計師が組み立て可能だというが、難易度に応じてトゥールビヨンだけを専門で担当する人物もいる。特に、Cal. 5のトゥールビヨンキャリッジは、4.5mmの大きなダイヤモンドを乗せるためにウェイトのバランスがキモになる。何度も組み立ててはバラし、繰り返すことで適切な位置を見つけ出して規格値に揃えていくという。いかにパーツが設計値のあいだで製造されていても、その組み合わせや仕上がりによって微妙な違いはあるもの。ハイエンドな時計師にしか分からないほどの個体差が、彼らの感覚と技術によって理想的な動作と精度になるよう調整される様子には感動を覚える。しかも、機械式時計的には常識外れのデザインを持ったムーブメントでそれをやるのだから…。地味ながら特筆すべきポイントとして、オート・オルロジュリー用のムーブメントは基本的に二度組みされていたことも付け加えたい。

20名のジェムセッターを抱え、ジュエリーウォッチを3つの手法で製造

 ジェムセッティングのセクションは、20名の時計師が20〜60代までの9つの国籍を持った人々が男女半々で構成される。ここまで見てきたどの部門よりもダイバーシティに富んでいるのが特徴だ。大前提として、シャネルの時計に配される宝石は、機械も接着も用いずすべて手作業で固定されていく。その上で、どの程度手をかけていくのかが3つの手法に分けられる。①機械的準備をしたベースへの石留め(Le sertissage sur les pièces pré-usinées)、②伝統的手法(Sertissage traditionnel)、③ハンマー加工による石留め(Sertissage Martelè)がこの工房で用いられる手法で、①はほぼすべての時計師が習得済みでインデックスやベゼルへのセッティングなど一般的なものに用いられる。

 ①では、地金にあらかじめ石をセットするための穴が機械で削られ、そこに石留めを施していく。ジェムセッティングのベースとなる技術で、②、③を用いる時計であってもベースとする手法だ。例えばこの手法だけを用いた時計であれば50個のダイヤを大体30分ほどでセットできるといい、比較的アフォーダブルなモデルに対して採用される。そういっても抜かりがないのは、事前に石のキャリブレーションを行い、どこにどの石を入れるべきか個体差を識別する下準備が入ること。そのためセットされた石の面が歪まず均一な輝きを与えることができる。

 ②はより小さなオブジェにセットすることを目的に、手作業で留め穴を削っていく手法でスノーセッティングなどに用いられる。石をはめ、爪を起こしてセットすることで、石をより輝かせるのが特徴でもある。100個のダイヤセットに4時間半がかかるというこの手法は、石の大きさと爪のサイズを絶妙に合わせることが最も重要なポイントになるそうだ。

 ③は他のモデルで流用ができないようにカットされた石をセットする場合の手法。石を固定する際に、周辺の地金をピッカーハンマーで軽く叩いて押し込むようにして留めていく。この叩く作業で金属自体にもニュアンスが生まれ、その表面部分をさらに磨くことで石をより輝かせる効果を生む。石自体、よりしっかりと固定され耐久性の観点からも優れた手法となっている。

 ②と③は習得に最低4〜6年ほど費やす必要があるそうで、主にオート・オルロジュリー用の手法だ。もちろん、各手法が必要に応じて組み合わせて用いられ、目的のクリエイションに即した技術が選ばれていくのは他の部門と同じシャネル流のスタイルだ。


すべてはアルノー・シャスタンのクリエイションからスタートする

アルノー・シャスタン:1979年、フランス生まれ。ストレート・スクール・オブ・デザインを卒業後、10年間ほかの時計・宝飾ブランドに在籍。その後2013年にシャネル ウォッチメイキング クリエイション スタジオ ディレクターに就任。以降J12や、マドモアゼル プリヴェ、プルミエールの新作の数々のほか、ボーイフレンド(2015年)やコード ココ(2017年)といった話題作を手がける。また、2016年に発表されたキャリバー 1のほか、5つの自社製ムーブメントのデザインコンセプトにも携わる。

 シャネルの時計づくりは、パリのヴァンドーム広場にある“クリエイション スタジオ”と呼ばれるアトリエから始まる。このクリエイションの中心人物がアルノー・シャスタン氏だ。彼のデザイン哲学は、シャネルの伝統を尊重しつつも革新的な視点を加えることにある。時計は単なる時を測る道具ではなく、身に着ける芸術品であるという信念が、彼の作業の根底にある。アイデアから時計の製作がスタートするという点が、他にないユニークさを生んでいる。

 デザインのプロセスはスケッチから始まり、全体のバランスや視認性、装飾性を考慮した設計が行われる。例えば、シャネルのアイコニックな時計のひとつであるムッシュー ドゥ シャネルは、アルノー氏のビジョンがCal. 1という自社製ムーブメントに投影されることによって誕生。デザインの段階で表側からは見えないムーブメントのデザインも構想され、スイスの工房内のオート・オルロジュリー部門によって、それを実現するための構造が具現化される。例えば、ムーブメントの部品1つひとつが細部まで設計され、試作と改良を繰り返す。つまり、機械式としての品質とデザイン的にシャネルらしくあるかどうか、その両方の観点からスイスとパリで意見が交わされて製作が進むのだ。こうした一貫したプロセスが、デザインと技術の両立を可能にしている。

シャネルのアイコンである香水のシャネル N°5。そのボトルストッパーを思わせる、シャネル最初の時計プルミエールの設計図。

アルノー氏が復刻版のデザインを手がけた、プルミエールのブレスレットに編み込まれていくレザー。この複雑な手作業もスイスの工房内で行われている。

 先述したCal. 5の、大粒のダイヤモンドを配したフライング トゥールビヨンも、アルノー氏のアイデアなくしては生まれなかった時計だ。“アイデア”というのが、元からサイズの指定があるわけでなく、とにかく彼の審美性に叶ったのが結果的に4.5mmサイズのダイヤモンドだったわけだ。そこに至るまで、マニュファクチュールの設計士もフライング トゥールビヨンとしての設計を無視して提案しているわけではもちろんない。コンプリケーションとして機能する前提でその都度設計をし直し、パリからの要求に応えようとダイヤモンドのサイズの限界を極めていったのだ。

 フライング トゥールビヨンのキャリッジに重たいダイヤを乗せて回転させることは、精度追求のために生まれたコンプリケーションとしての原点に照らせば、背徳とも取れる行為だ。ただ、それでもシャネルとしての正しいクリエイションに到達するために別の正義をアルノー氏は貫く。こういうデザインをしなければならないという制限がないフィールドで、あくまで独自のものを作るために、無限のクリエイティビティによって装飾をしてムーブメントを具現化していく。アルノー氏がかつてHODINKEEに語ったように、シャネルのメティエダール(職人の手仕事)は表現したいものを表現するために存在するのだと、シャネルのマニュファクチュールで目の当たりにしたことで大きな確信に変わった。

その他、詳細はシャネル公式サイトへ。