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Hands-On テオ・オフレのトゥールビヨン・ア・パリはいかにして過去と現在そして未来を繋ぐのか

前回私たちが取り上げてから3年が経ち、オフレ氏の物語、そして彼がいかにしてウォッチメイキングにおける自身の役割を拡げてきたかを改めて取り上げるのに、いいタイミングだと感じた。まずは彼の原点に立ち返ってみよう。そこに含まれるのは、おそらくあなたが知らないであろうジャン=バティスト・ビオという名前だ。

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私たちがフランス人時計職人テオ・オフレ(Théo Auffret)氏について書いてから、約4年が経った。元同僚のスティーブン・プルビレントが2021年1月に述べたように、スイスが腕時計づくりの中心地であるという考えには容易に陥りがちだ。ドイツと日本も高い評価を得ている。ロジャー・スミス(Roger Smith)も英国ウォッチメイキングの歴史を生かし続けている。しかし、アブラアン-ルイ・ブレゲ(Abraham-Louis Breguet)やルロワが当時世界で最も複雑な時計を生み出したことで、フランスは圧倒的な地位を築いていた。現代で最も有名なフランスの腕時計職人であるフランソワ-ポール・ジュルヌ(François-Paul Journe)氏は、現在ジュネーブに拠点を置いている。オフレ氏は今もフランスの工房に留まり、この記事も彼のトゥールビヨン ア パリに焦点を当てるが、彼もまたこの数年間で“フランスの時計職人が何者になれるか”というビジョンを拡げてきた。

Théo Auffret's Tourbillon à Paris

 FHHとF.P.ジュルヌがスポンサーとなったヤングタレントコンペティションで、オフレ氏が3人の受賞者のうちのひとりに選ばれた2018年以来、私は彼の作品をこの目で見てみたいと思ってきた。初期バージョンのトゥールビヨン・ア・パリ(Tourbillon à Paris)は未完成だったが、完成版は一部のインディーズコレクターのあいだで支持を集めた。8月に行われたGeneva Watch Daysにて私たちはついに顔を合わせ、私はトゥールビヨン・ア・パリのユニークピースを写真に収める機会を得た。比較的ニッチな美的感覚(伝統的だがスイス時計の典型的なスタイルとは異なる)は、フランスウォッチメイキングの歴史の優れた一例だ。私は感銘を受けた。

 とにかく私は普段、語るべき新しさや斬新さがなければ、時計や時計職人を改めて取り上げることを好まない。この時計は厳密に言えば、2019年から始まったスースクリプション(受注生産)シリーズと同じである。だが愛着のあるものについては特別に触れてもよいだろう。オフレ氏の近況と、彼がいかにして自らの作品で過去と未来を繋いでいるのか、まとめてみようという気になった理由はふたつある。まず過去から始めよう。私がオフレ氏の時計のいくつかを写真に収める機会を得たのはさかのぼること8月だったが、この記事を先延ばしにしたことで、シンガポールで行われたIAMWATCHに来ていたジャン=バティスト・ビオ(Jean-Batiste Viot)氏所有のクロノメーター・ア・パリという貴重な2本を写真に収めることができた。そして、ジャン=バティスト・ビオ氏の時計がオフレ氏にとってのインスピレーション源であることは明らかだろう。

Jean-Baptiste Viot Montre

ジャン=バティスト・ビオ氏のクロノメーター・ア・パリ。

 ビオ氏の名前はOne to Watchの記事内には登場せず、この記事ではビオ氏がパリでデニス・コルペショ(Denis Corpechot)氏の指導を受けたことについてある程度焦点が当てられていた。コルペショ氏は、古時計や腕時計の修理を専門としている。だがビオ氏の仕事がなければ、オフレ氏の存在はおそらくなかっただろう。

Jean-Baptiste Viot Chronomètre à Paris

 ビオ氏は現存する数少ない修復マイスターのひとりで、ブレゲと(ジャン=アントワーヌ・)レピーヌの作品を専門としている。つまり、彼はウォッチメイキングの歴史の保存においてきわめて重要な存在であるとともに、腕時計の世界では無名に近い存在である。それは残念なことだ。私たちには彼のような人間がもっと多く必要だ。彼の教育はパリ時計学校から始まり、次にヴァレ・ド・ジュウ時計学校に通ったが、修復技術の習得を追い求めた彼は最終的にラ・ショー・ド・フォンにある国際時計博物館の講座を受講した。

 のちにビオ氏は、ダニエル・ジェンドロン(Daniel Gendron)の工房で修復に従事し、その後ブレゲの自社工房で創業者の作品の修復に取り組んだ。やがてブレゲを去った彼はパリに戻り、フレンチスタイルの腕時計を作りはじめる。その結果、このクロノメーター・ア・パリが生まれた。

Jean-Baptiste Viot Chronomètre à Paris

 クロノメーター・ア・パリはわずか8本しか存在しないため、そのうちの2本が同じ場所に揃ったのは驚きだった。手でデザインされた(紙、鉛筆、計算機)この時計は、保守性(修復専門家らしいアプローチだ)にフォーカスし、ホワイトゴールド製のスリーパーツケースに、作業や交換が必要な場合に取り外せるねじ込み式のラグを備えている。

 ムーブメントはカリ・ヴティライネン(Kari Voutilainen)氏がオプセルヴァトワールに使ったプゾー製260キャリバーを採用し、これが優れたクロノメーターグレードのベースとなっている。他方のダイヤル面は、優雅で流れるような形状から直線的なブリッジデザインへと進化したジャン-アントワーヌ・レピーヌのキャリバーを思い起こさせる。

Jean-Baptiste Viot Chronomètre à Paris

 この時計にはチャーミングな手づくりのクオリティが宿っている。エングレービング、歯車、そしてブリッジあるいはエンドキャップの一部の形状に至るまで、すべてに若干のムラがある。これにより、この時計が発表された2009年よりはるか以前の時計のように見える。仕上げと構造はこれほどまでに進化しており、私がこの写真を何人かのコレクターに見せたところ、彼らはこの時計を絶賛した。そのうちのひとりは、ビオ氏に連絡を取ってもっとたくさんつくるよう依頼できないかと尋ねてくるほどだった。

 下記のオフレのキャリバーは、ビオ氏のアイデア(それ自体もさらに古い時計師たちのアイデアを復刻したものである)から多くを取り入れ昇華させている。おそらく最初に気づくのは、プレートの独特なシャルボネージュ仕上げで、洋銀の黄色い色味を帯びている。ブレゲスタイルのブリッジは美しい仕上げに囲まれており、そのすべてが典型的なフレンチデザインに寄与している。技術や構造面は数世紀を経て向上したが、簡素化されたメインプレートを用いることで、技術的に複雑なプレートやブリッジをつくることができなかった時代と繋がっている。

Théo Auffret's Tourbillon à Paris
Théo Auffret's Tourbillon à Paris

 小さなタイムディスプレイを前提に、ダイヤルを取り外してレイアウトをデザインするのは視覚的に複雑だが、ムーブメント側はシンプルながら完璧な面取りにより、プレートの仕上げに対してとりわけ上手く引き立っている。正直なところ、フレンチスタイルが私の第一の選択肢になることはこれまでなかった。それでもこれらの時計や写真を何度も繰り返し見ているうちに、そこには胸が締め付けられるほど美しい何かがあることを理解するに至った。

Théo Auffret's Tourbillon à Paris

 だがオフレ氏は、18世紀で見られたインダストリアルデザインの美的感覚を若干残している。私がシンガポールで撮影したユニークピースについて言うと、時間を表すインダイヤルは、サーキュラーサテン仕上げダイヤルの中心に、隆起した4面ピラミッドパターンのギヨシェ彫りを採用。針には付け根周りに正方形の部分があり、インダストリアルな質感を高めている。ただ、実に精巧かつ考え抜かれたつくりとなっている。

Théo Auffret's Tourbillon à Paris

 これはオフレ自身が個人的にデザインしたムーブメントで、ロービート(1万8000振動/時)で約50時間という長めのパワーリザーブを実現している。トゥールビヨンと香箱のフィンガーブリッジは、トゥールビヨン・ア・パリの初期の試作品ではフルタイプだったが、こちらではよく考えられたスケルトンタイプとなっている。この設計はおそらく調整機構の視認性を下げている(針と対比させられる空間が少ない)が、オフレ氏の仕上げとデザインワークを存分に堪能できる仕上がりだ。

Théo Auffret's Tourbillon à Paris
Théo Auffret's Tourbillon à Paris

 ケースのデザインも、荒削りな印象と考え抜かれた要素が融合したスタイルが維持されている。スリーピースデザインのサテン仕上げミドルケースにより、この部分は時計のほかの部分よりも若干シンプルに感じられる。ラグも私が見慣れてきたものに比べてやや奇妙だが、本作のほかの部分によく調和している。レジェップ・レジェピ(Rexhep Rexhepi)氏のクロノメーター コンテンポランのヴォーシェ社(Vichet)製ケースのようなものは、この時計の場合にはうまく機能しなかっただろう。ドーム型の風防もよく考えられたディテールのひとつで、立体感を加えている。

Théo Auffret's Tourbillon à Paris
Théo Auffret's Tourbillon à Paris

 これは私にとって、立ち戻って自分の手首につけた状態で眺めたい、お気に入りの時計のひとつだ。手首に乗せた際の完璧かつ優雅な収まりには特別な何かがあり、このレベルの繊細な技術はある意味でロジャー・スミスを思い起こさせる。調整機構の視認性は最高とは言えないが、時間を確認するために必要なひと手間をかけるだけの価値はある。直径38.5mm、高さ12mmで、適切なサイズのバランスを実現した非常につけ心地のよい時計だ。オフレ氏はスースクリプションシリーズをプラチナ、ゴールド、スターリングシルバー、スティールから選べるようにし、素材に関わらず同一価格で販売した。2019年の販売開始当初の価格は12万2000ドル(日本円で約1330万円)だった。4年間で20本を製作するというスケジュールだったため、トゥールビヨン・ア・パリの製造が完了した今、オフレ氏は次のプロジェクトに取り組んでいる。

Théo Auffret's Tourbillon à Paris

 今年行われたGeneva Watch Daysで、私は“そのほか”の取り組みのひとつを目にした。それがオフレ氏のトゥールビヨン・グランドスポーツのユニークプロトタイプだった。これはその初期ムーブメントを進化させたモデルだ。自身のモデルをより幅広いオーディエンスに届けようとしたのは、オフレ氏にとって賢いやり方だ。直径41mm、高さ13mmで、より大胆でモダンな雰囲気を持ちながらもきわめてつけ心地がよい。このムーブメントはダイヤルの4時位置にパワーリザーブインジケーターを格納し、より伝統的な時刻表示のために調整機構のディスプレイを除外するという進化を遂げた。トゥールビヨン・グランドスポーツは4本セットのうちの1本としてつくられ、それぞれ13万4000ドル(日本円で約2100万円)で販売された。つまり、グランドスポーツとトゥールビヨン・ア・パリというふたつのモデルのあいだに位置する時計を購入する機会は、現時点ではほとんど存在しないということだ。

Théo Auffret's Tourbillon à Paris

 さらに、彼はオフレ パリという名で別の時計製作に取り組んでおり、正式に発表があった際には取り上げたいと思っている。ところで、この数年オフレが関わったなかで最も興味深かったのは、彼がスペースワンと共同で作った作品だ。

SpaceOne Jump Hour

 私たちが初めて大々的にスペースワンについて取り上げたのはつい先日だが、比較的最近Kickstarterを行った同社は、マイクロブランドシーンの寵児となっている。以来同社は、ジャンピングアワーのバリエーションを次々と生み出しており、新作のテリリウム(すぐに売り切れとなった)と合わせて、どちらのモジュールもテオ・オフレ氏がデザインを手がけているのだ。独立系時計製造ブーム(自分がこの話を嫌になるほど繰り返しているのはわかっている)のあとで、多くの時計愛好家は10万ドル(日本円で約1570万円)を超える時計を購入できるわけではないが、それでもクリエイティブなデザインに対する情熱を持っており、より手の届きやすい価格でそのデザインを楽しむ権利がある。インディーズブランドがそのことを忘れていないのはとても喜ばしいことだ。これが私にとって、ハイエンドな技術と手ごろな価格が融合した、ウォッチメイキングの未来なのだ。

SpaceOne Tellurium

 オフレ氏は、より一般のオーディエンス向け(価格は1800ドルから最大で3000ドル、日本円で約28万~47万円を若干超える程度)に数百本の時計を製作できること、そして自身とスペースワンのチームに安定したキャッシュフローを呼び込めることに、とても満足しているようだ。それと同時に、スペースワンとともにこのプロジェクトに取り組むことで、高級時計ブランドとしての地位との距離を保ち、オフレ氏の名を損なうことなくハイエンドな作品づくりを続けることができるのだ。