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グランドセイコーといえば、私はみっつの顔を思い浮かべる。まず、グランドセイコーが最も得意とする9Sキャリバーに代表される機械式時計。ふたつめは、高級時計製造においてグランドセイコーの右に出るものはいない、秘伝の超高精度クォーツ。そして最後が、このブランドが同業他社を寄せ付けない唯一無二のカテゴリーであるスプリングドライブだ。グランドセイコーの近年の成功は、これらの異質なカテゴリーを横断するデザインの一貫性にあると言えるだろう。スイスブランドにはない、日本の“匠の技”を製品に盛り込むというひた向きな姿勢が、GSのコレクターへ訴求する魅力でもある。
世界有数の自社製ムーブメントメーカーとして知られるこのブランドだが、機械式クロノグラフは製造していない。もちろん、グランドセイコーはクロノグラフを作っている。しかし、それはあくまでスプリングドライブの土俵であり、市場にある完全な機械式クロノグラフと比較するのは不正確である。
数年前、グランドセイコーは次世代のハイビートムーブメントを発表し、技術、装飾、仕上げの精度を、すでに有名なダイヤルや超高級スプリングドライブムーブメントの水準にまで引き上げた。GSは9SA5を開発する一方で、コンスタントフォース( ルモントワール)機構を搭載したトゥールビヨンのコンセプトモデルの開発にも取り組んでいた。それがこのたび、限定モデル“Kodo”Ref. SLGT003に結実したのだ。
Watches & Wondersで発表されたKodoコンスタントフォース・トゥールビヨンは、グランドセイコー初のトゥールビヨン、そして初の機械式コンプリケーションだ(同社のGMTを除く)。セイコーは広義にはもちろんトゥールビヨンを作ったことがあるものの、当のFUGAKUトゥールビヨンは、グランドセイコーではなくクレドールブランドから2016年にデビューした。
62年の歴史を有するグランドセイコーが、今回初めて機械式複雑時計の分野に進出したことを考えれば、“Kodo(鼓動)”の持つ意味は量り知れない。それは、同社の進化、歴史の新たな章の幕開けを象徴する。東京・銀座に、スプリングドライブのマイクロアーティストスタジオに匹敵するような複雑な機械式時計のアトリエを構え、さらにヨーロッパでも有名な機械式時計のアトリエを構えることもその筋書きに含まれるようだ。今回のWatches & Wondersでは、グランドセイコーのブースでこの時計と共に過ごし、実物を撮影する機会を得た。
2020年、グランドセイコーは「T0」と名付けたケース無しのトゥールビヨンムーブメントのコンセプト機を発表した。グランドセイコーのR&Dエンジニアで時計師の川内谷卓磨氏とそのチームが5年かけて開発したCal.T0は、トゥールビヨンにコンスタントフォース(ルモントワール)機構を組み合わせたものであった。ルモントワールとは、本来、主ゼンマイと脱進機のあいだにある中間動力源を指す。その原理は、主ゼンマイが徐々に力を失い、脱進機に与える力が小さくなっていくのに対し、小さなゼンマイが長時間にわたって一定のエネルギーを供給するというものだ。
皆さんも機械式時計でこのような経験をされたことがあるかもしれない。ゼンマイの巻き上げが終わりに近づくと、時計はより速く動くようになる。これは動力の減少により、テンプの振角が落ちるためだ。ルモントワールは、時計のパワーリザーブが充足または不足しているときに動力供給を多すぎたり少なすぎたりしないように平準化することで、この現象を防ぐ目的を持つ機構だ。
主ゼンマイにルモントワール機構のゼンマイを巻き上げるのに十分なエネルギーが残されている限り、ルモントワールは脱進機に一定の動力を供給し続ける。川内谷氏設計のコンスタントフォース・トゥールビヨンは、ルモントワールとトゥールビヨンを組み合わせることで、機械式時計のクロノメトリー(等時性)に悪影響を与える要因である姿勢差(トゥールビヨン機構で対処)とエネルギー供給のばらつき(コンスタントフォース機構で対処)を両立させているのである。トゥールビヨンは様々な価格帯やブランドで見られるようになったが、コンスタントフォース(定力装置)はまだまだ珍しい存在だ。
同僚のジャック・フォースターは、T0コンセプトムーブメントの技術的な偉業を詳説したIn-Depth記事を執筆した。しかし、それはあくまでコンセプトモデルであった。ひとつには、その大きさゆえ、ケース入りで販売可能な時計に搭載することができなかったからだ。しかし、状況は変わった。Kodoのムーブメントは、時計コレクターの手首にフィットするように改良され、小型化されたのだ。
ふたつの複雑機構を密接に統合することで、シームレスな動力伝達を可能にし、時計本体のパワーリザーブ72時間のうちコンスタントフォースの約50時間の持続に対して良好な精度安定性を実現している。また、この機構はグランドセイコーの精度テストに新基準をもたらした。ムーブメントは6姿勢とみっつの温度環境で、それぞれ48時間ずつテストされる。さらに、1ヵ月以上(正確には34日間)かけて評価し、その結果は時計に添付される証明書に記録される。
従来のオープントゥールビヨン表示に範を取り、この複合機構もスモールセコンド表示となるが、Kodoの場合、コンスタントフォースのキャリッジ上のルビーが秒針として機能し、デッドビートセコンド(ステップ秒針)となる。下の画像の6時位置にある機構内の3本の大きなアームを持つ上部の物体に注目してほしい。これはトゥールビヨン/コンスタントフォース機構にかかるブリッジだ。その下にあるのはコンスタントフォースキャリッジで、ルビーインジケータを備えたものを含む3本のアームがある。さらにその下にはトゥールビヨンキャリッジがあり、こちらも3本のアームを備えている。静止画では2つのキャリッジを見分けるのは難しいかもしれないが、1秒単位で運針するコンスタントフォースキャリッジと、その下のトゥールビヨンキャリッジがスイープ運針する様子を見れば、より簡単に見分けることができるだろう。
グランドセイコー初のスケルトンウォッチである“Kodo”は、ダイヤルそのものがムーブメントを構成している。そのため、例えばグランドセイコーの他の名作と比較した場合、ムーブメントの構造やインターフェイスの重要な部分は、繊細な質感のダイヤルや真っ白なエナメルキャンバスがないことを補って余りあるものである。様々な角度から光が差し込み、明暗を際立たせているからだ。アトム・ムーア氏による撮影画像の針やインデックスを拡大してみると、部品のひとつひとつに一切の隙がないことが見て取れる。
手首に着けてみると、そのオープンな構造と針やインデックスの仕上げにより、まるで光と影が魅力的なハーモニーを奏でるようだ。時針の先端に下向きに傾斜したファセットがあることに注目してほしい。この針がなくても誰も批判する気は起きなかっただろうが、この針の存在により光を反射させるもうひとつのポイントが生まれるのだ。ムーブメントには、6本のスリットが入ったネジが使われている。
実際に手にしてみると、やはり“Kodo”は圧倒的な存在感を放っている。直径43.8mm、厚さ12.9mmの体躯は、着けていること否応なく意識させるものだ。しかし、この種の時計としては決して大きくはなく、仮にもっと小さく華奢であったとしても、背景に埋没してしまうような存在感の時計ではない。サイドから眺めると、ケースは緩やかなカーブを描き、手首にフィットするラグとボックス型クリスタル風防が時計の高さの大部分を占めているのがわかる。また、ストラップを取り付けるラグ部分には、ムーブメントと同様、6本のスリット入りネジを採用している。一方でシースルーケースバックは、汎用的なネジで固定されている。
プラチナ950とブリリアント・ハードチタンを組み合わせたケースは、グランドセイコーの特徴であるザラツ研磨により、光の反射をより美しく表現している。
プレス画像でひと目見て、ガルーシャ(エイ革)ストラップかと思った。しかし、そうではない。カーフスキンに、日本の木から採取した樹液で作った本物の漆を塗った姫路 黒桟革と呼ばれる素材である。漆は日本の美術品や食器に使われることが多い素材だが、この“Kodo”のストラップでは、黒一色の美しい表情と質感が、時計にさらなる深みを与えている。ストラップが防水仕様と聞いて意外と思われるかもしれないが、漆は箸や味噌汁椀など、水に触れる機会の多いものに使用されることを知れば納得である。
KodoのトゥールビヨンSLGT003は、グランドセイコーが位置づけるとおり、まさにマスターピースだ。そして、グランドセイコー初のWatch&Wondersジュネーブに登場したその姿は、ブランドの進化を感じさせた。
A.ランゲ&ゾーネ、ヴァシュロン・コンスタンタン、オーデマ ピゲなど、ジュネーブ パレクスポの会場では、ハイエンドウォッチの記念碑的な作品が人々の目に触れるようになった。時計産業における最も重要なブランドのいくつかが、Watches & Wondersに参加し、初めてジュネーブ現地で開催されたこの時計見本市に参加した。注目すべき時計には事欠かないが、2022年のハイコンプリケーションで、今のところ最も話題を集めたのはグランドセイコーであったとことに異論はあるまい。
グランドセイコーKodoコンスタントフォース・トゥールビヨン Ref. SLGT003 手巻きキャリバー9STI搭載、2万8800振動/時、44石。72時間パワーリザーブ(コンスタントフォースの持続は50時間、日差+5~-3秒の精度)を実現。100m防水、プラチナ950とブリリアント・ハードチタン製、ケースサイズ43.8mm×12.9mm、ザラツ研磨仕上げのケース。価格:4400万円、20本限定製造予定。
撮影:アトム・ムーア(Atom Moor)
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