歴史の重みはブランドによって異なるが、ブレゲほど創業者の影が色濃いブランドはないだろう。スイスで生まれたアブラアン-ルイ・ブレゲは、フランス革命の前後にパリで財を成し、時計製造のほぼすべての分野で功績を残した。彼は時計製造史上、最も傑出した博学家といえるかもしれない。飽くなき実験家であり、時計製造の発明家でもあった彼は、デザインの才覚にも優れ(彼の時計のデザインや構成は、ジョージ・ダニエルズなど、歴史上偉大な時計職人にも影響を与えた)、自身の作品のマーケティングにさえ成功している。その一例がスースクリプション懐中時計であり、手ごろで高品質なタイムキーパーの注文を頭金で請け負い、残金は納品時に支払いを受けるというビジネスモデルである。
それだけに、ブレゲが複雑時計に取り組むと、控えめに言ってもプレッシャーがかかるのだ。ブレゲがデュアルタイムゾーンの複雑機構に取り組んだのは、2011年に発表された最初のオーラ・ムンディだ(クラシックコレクションとして発表)。オリジナルのクラシック オーラ・ムンディは、43mm×13.55mmとクラシックなブレゲとしてはかなり大きなサイズながら、伝統的なブレゲを踏襲した外観を備えていた。ブレゲは一般的に、すべての条件が同じだとすれば、より薄い時計を好む時計師と考えられているが、技術的な必要性があれば、彼はムーブメントに広いスペースを与えることも厭わなかった。
今年初めに発売されたオーラ・ムンディの最新作に、Watches & Wonders 2022開催中にジュネーブで触れることができた。新モデルはマリーンコレクションに属し、ブレゲがマリンクロノメーターのメーカーとしての歴史を有し、特にマリーンコレクションは、海洋の雰囲気を湛えていることからも、打ってつけの組み合せではないだろうか。この新しいマリーン オーラ・ムンディは、ホワイトゴールドとイエローゴールドの2モデル展開で、これまでのオーラ・ムンディのなかで最もラグジュアリーで豪華なモデルであると公言して憚らない。トラベルタイムウォッチのなかでもファーストクラス級(ある意味、プライベートジェット級)の時計であることは間違いない。
新しいマリーン オーラ・ムンディは、43.9mm×18.8mmとクラシックコレクションモデルよりも若干大きくなっているが、クラシックの30m防水に対して、100m防水に強化されている(また、マリーンの名にふさわしく、ブレスレットオプションのひとつに非常に肉厚で快適な、よくできたラバーストラップだ)。マリーン オーラ・ムンディは、機能的にも技術的にも先代モデルとまったく同じだが、審美面では新しい世界を表現している。ダイヤル下部には、手作業で施されたギョーシェ彫りで様式化された波が描かれ、その上をサファイア製ディスクが全体を覆い、そこには水平方向にサテン仕上げが施されたメタリックな大陸が描かれている。
ダイヤルは非常に奥行きがあり、文字通り夜光ではないものの(針とアワーマーカーを除く)、3時位置に配されたデイ/ナイト表示の手作業で打ち付けた太陽と月の輝きが、紺碧の輝きをより一層際立たせている。6時位置には都市時刻を示す小窓があり、12時位置の小窓には日付が表示される。
デュアルタイムゾーンウォッチの愛好家であれば(あるいは単に観察力のある愛好家なら)、何かが欠けていることに気づくだろう。デュアルタイムゾーン表示付き時計(GMT表示付き時計と呼ばれることもある)には、通常2本の時針がある。ひとつは1時間単位で設定可能で、現地時刻を表示する針だ。ロレックス GMTマスターⅡは、その実用性とシンプルな操作性から人気の高い複雑機構であり、その代表格である。しかし、ブレゲはオーラ・ムンディ専用コンプリケーションのために、一風変わったものを考え出した。それは、ローカルタイムとホームタイムのどちらかを操作で呼び出すデュアルタイムゾーンウォッチだ。
その仕組みは次のとおりだ。まず、7時位置のリューズでホームタイムの都市を選択する。次に、3時位置のリューズを使って、時刻、日付、デイ/ナイト表示を設定。さらに、7時位置のリューズで第2都市を選択する。リューズを回すと、時刻、日付、デイ/ナイト表示が選択した第2都市に合わせて正しい位置に更新される。ふたつの都市を設定した後、7時位置のリューズを押し込むと、時針、日付、デイ/ナイト表示が自動的に2都市間で瞬時に切り替わるのだ。
デュアルタイムゾーンシステムの操作はシンプルだが、その背後にある仕掛けはそうではない。時針の位置、日付、デイ/ナイト表示は2個のカムで制御されており、それぞれが選択された2都市間をプログラムしたカムとなっている。
7時位置のプッシャーは、2本のレバーを制御する。これを押すと、2本のレバーの先端のうちの1本がふたつのカムのうちのひとつに介入する(押すたびにどちらのカムを押すかが交互に切り替わる)。レバーの先端がカムに介入すると、カムが回転し、レバーの先端がカムの最下点で止まる。クロノグラフのゼロリセットを思い起こされた読者は、まさにその通りだ。クロノグラフのゼロリセットに使われるハートカムは、まったく同じ原理で動作し、実際、まったく同じ形状をしている(基本的にカージオイドと呼ばれる幾何学図形だ)。カムが回転すると、それに伴って時針も回転し、カムがプログラムされた都市に対応する時刻に切り替わるのだ。
ふたつのカムのあいだに配置された差動機構により、時針の位置がスムーズに切り替わり、デイ/ナイト表示と日付表示が必要に応じて同時に前後に切り替わる。
この機構は独創的だが、使い方がシンプルで、ユーザーが戸惑う可能性がまったく見受けられない。これで、純粋に時計製造の観点から、なぜ大きな時計となったか理解できただろう。リューズをワンプッシュするだけで、すべての表示がスムーズかつ瞬時に切り替わる追加モジュールをダイヤル下に追加したため、より大きなスペースが必要になったからだ。確かに、この複雑な機構、そして時計のサイズと装飾的なインパクトは、この時計に別格の雰囲気を与えている。問題は、それがあなたにとっても特別に感じられるかどうかということだ。コストの問題はさておき、特にマリーン オーラ・ムンディ、そしてオーラ・ムンディコンプリケーションは、複雑で意外性のある技術的ソリューションを愛する人、そして視覚的な華やかさを愛する人に訴求するのではないかと私はみている。
時計製造における技術に興味があると公言している時計ライターとして、私はマリーン オーラ・ムンディに魅力を感じた。都市ごとに表示が切り替わるのは、クロノグラフを操作しているときのような不思議で直感的な楽しさがある。クロノグラフとオーラ・ムンディというコンプリケーションについて考えてみると、その根底には多くの共通点があることに気づく。操作の楽しさはもちろんのこと、見た目の美しさにもノックアウトされる。確かに、GMTマスターⅡのような余裕のある魅力はなく、機能面でも審美面でも、これ以上ないほど対極をいくものだ。もし触感の楽しさと視覚的な深みを求めているならば(そしてもちろん、ちょっとした派手さを好む旅行者で、予算があれば)、マリーン オーラ・ムンディは、あなたが乗り込むべき船なのかもしれない。
ブレゲ マリーン オーラ・ムンディ:ケース/WGまたはRG、43.9mm×13.8mm、サンバーストブルーダイヤル、二層ギヨーシェ彫り、サファイアプレート。ムーブメント/ブレゲ Cal.77F1、シリコン製レバー、ガンギ車、ヒゲゼンマイ、2万8800振動/時(4Hz)で作動、55時間パワーリザーブ。レザーストラップ、ラバーストラップ、またケースと同色同素材のブレスレット(個人的に旅行でおすすめなのはラバーストラップ)。100m防水。ストラップ付き価格/WG・RGともに892万1000円(税込)。
但し書きがない写真は、全てティファニー・ウェイド(Tiffany Wade)の撮影によるもの。
マリーン オーラ・ムンディの詳細については、ブレゲ公式サイトをご覧ください。
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