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本記事は2016年12月に執筆された本国版の翻訳です。
最近、"badass (イカしている)"という言葉がよく使われる(我々もよく使うから本当だ)。この時計は個人が日常使いしているものとしては、私が見てきたなかでもあらゆる意味で最も“イカした”時計だと確信している。この時計にはパテック フィリップがジュネーブ天文台計時精度コンクールのために特別に製作したトゥールビヨンムーブメントが搭載されており、フィリップ・スターン(Philippe Stern)氏の個人的な時計としてケースに収められ、実際に着用されものだ。
このムーブメントには長い歴史がある。1945年に完成したこのムーブメントは、名時計師アンドレ・ボルナン(André Bornand)によって設計された。ボルナン(1892-1967)はジュネーブ時計学校の教授を務め、20世紀を代表するトゥールビヨンの専門家でもあった。
ムーブメント No.861115は、ジュネーブ天文台コンクールのためにアンドレ・ジバック(André Zibach/1948年から1959年のあいだに7回にわたって調整を行った)と、1963年にマックス・シュトゥダー(Max Studer/パテック フィリップ・ミュージアムにて)によって特別に調整されたものである。ふたりの名前を挙げたのは、彼らが当時のスイス時計業界のスーパースターだったからだ。ジュネーブ天文台計時精度コンクールの厳しい審査は、ただでさえ高精度を保つように調整するのは非常に難しかった。ましてトゥールビヨンは推して知るべしである。なお、このムーブメントにはバイメタルのギョームテンプとスティール製ブレゲ巻き上げヒゲゼンマイが搭載され、2万1600振動/時で動作する(ギョームテンプはバイメタル製の温度補正テンプのなかでも最も洗練されたもので、ロレックスの有名な“キューA”クロノメーターにも採用されている)。
20世紀のパテックによる天文台トゥールビヨンウォッチは製造本数が非常に少なく、設計や調整は黒魔術のようなものだったが、年を追うごとにノウハウが蓄積されていった。上の写真は同じくアンドレ・ボルナンが設計したムーブメントで、50秒で1周回する珍しいトゥールビヨンを搭載している。ムーブメント No.866503/Cal.34Tは、ルネ・マッセイ(René Mathey)がコンクールのために調整したもので、いくつかの興味深い特徴を持つ。No.861115と同様、ギョーム式補正テンプとスティール製ブレゲ巻き上げヒゲゼンマイを搭載しているが、ケージにはベリリウム鋼ブロンズを使用している。この金属は非磁性体であり、スティールよりも質量が小さいため、トゥールビヨンキャリッジには理想的な素材だったのだ。
Cal.34Tは、パテックの角型Cal.34Sをボルナンが改良したもので、57時間のパワーリザーブを備えている。パテック フィリップ・ミュージアムによると、1958年から1966年のあいだに合計5本のモデルが製造され、「…すべてのモデルが1級クロノメーター認定を取得し、2本のモデルがジュネーブ天文台計時精度コンクールで部門1位を獲得」したという。ムーブメントは1958年に一等賞(Bulletin de Première Classe)を受賞した。このモデルは1983年になってようやくケースに収められ、現在はパテック フィリップ・ミュージアムに保管されている。
フィリップ・スターン氏(パテック フィリップ名誉会長)。
1980年代初頭、上に掲出したラウンドムーブメントがフィリップ・スターン氏の目に留まり、彼の希望で1987年に自らが身につけるためのケースに収められ、Ref.3699と命名されたのだった。
究極の腕時計、そしてもちろん究極のパテック フィリップの定義も十人十色だ(私には日常使いの時計として、それぞれ10本ほど候補が思い浮かぶ)。しかし、Ref.3699には別格の純粋さを感じる。漠然としたラグジュアリー感ではなく、コンセプトも設計も揺るぎない絶対的な自信に支えられた純粋さだ。それは当時の最先端技術と、スイスやそのほかの国ではほとんど絶滅してしまった伝統的製法と微調整技術の融合を具現化したものだ。時計製造の最高峰を示す精密さと高度な技術の組み合わせに魅了されている人にとって、史上最も美しい時計のひとつと言えるかもしれない。
時計とムーブメントの画像はすべてジュネーブのパテック フィリップ・ミュージアムより提供。