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本稿は2020年2月に執筆された本国版の翻訳です。
Photos: Kim Westerskov - Antarctica New Zealand Pictorial Collection, NASA, British Antarctic Survey.
2019年6月19日、eBayに“希少、刻印入りダイヤル”という見出しのセイコーが出品された。それがRef.6306であることは写真を見て明らかだった。出品物をクリックする前から、ジャスティン・クチュール(Justin Couture)はそれがどのような時計であるかを見抜いていた。“刻印入りダイヤル”を持つRef.6306のバリエーションはひとつしかない。ダイビング用品メーカーと共同で製造された、かの有名なスキューバプロ450だ。
と、そう考えていた。
ジャスティンとは、Instagramでセイコーマニアのディープな世界を通じて知り合った。彼が投稿した謎のRef.6306を初めて見たとき、彼がeBayでそれを見つけたときと同じように、私もこの時計に好奇心を抱いた。これは確かなストーリーを持った時計であり、今回はその謎がどのように解き明かされたのかを紹介しようと思う。
Buy It Now(今すぐ購入)の価格はセイコー Ref.6306としてはかなり高く、1000ドルを少し超える程度だった。Ref.6306は広く愛されているRef.6309とほとんどの点で同じだが、日本国内向けに製造されたことを示す漢字の曜日表示と秒針停止機能を備えたムーブメントを搭載しているため、かなりのプレミアがつくことが見込まれる。説明文には、6時位置の“Water 150m Resist”とその上の“MSST1979-80”というシンプルなマーキングに関するバックグラウンドは何も書かれていなかった。グーグルで検索してみると、“McMurdo Sound Sediment and Tectonic Study”(マクマード海峡の堆積物と地殻変動に関する調査)に関するフォーラムの投稿がいくつか見つかった。興味深い、とジャスティンは思ったが、時間を無駄にするような余裕はなかった。彼が引き金を引くか、あるいはほかの誰かが購入するかのどちらかだった。その時計は本物のように思えた。心は決まっていた。全容を理解する前に、彼はその時計を購入したのだ。
ありがたいことに、少なくとも後世のために、よく言えば人類の発展のために、あらゆる事実を正確に記録するのが科学者の仕事である。“MSST1979-80”というのは、ダイヤルに示された期間に南極大陸で行われた科学的研究を指すものだ。ジャスティンには大きな課題が山積みだったが、パズルのピースはすべて揃っていた。彼はただ、それらをひとつにまとめる必要があったのだ。Googleで “MSST”を検索すると、ビクトリア大学ウェリントン校の報告書がヒットした。出だしは好調だった。
時計はまだジャスティンに発送されていなかったが、巧みなインターネット検索により、報告書に登場する科学者の何人かがまだビクトリア大学ウェリントン校の教員であることが判明した。ピーター・バレット博士(Dr. Peter Barrett)は、このミッションの主要科学者のひとりであると同時に(執筆当時)同大学の南極研究センターの名誉教授でもあり、メールアドレスが教員プロフィールに記載されていた。
ジャスティンがその時計を購入したのは19日だったが、20日には科学者の居場所を突き止めることに成功し、郵送途中だったその時計の歴史について問い合わせたのだ。
そして、21日には答えが返ってきた。
マクマード海峡の堆積物と地殻変動に関する調査
97.6%が氷に覆われている南極極大陸の氷は、全世界の氷の約90%を占めるものだという。南極大陸は、アメリカ大陸とほぼ同じ大きさの東南極氷床と、海面下に浮かぶ島々や山々を覆う西南極氷床のふたつの氷床に分かれている。西南極氷床の氷は西に流れ、東南極氷床の氷は東に流れる。両者を隔てているのは南極大陸を横断する山脈である。東南極氷床の厚さは3マイル(約4.83km)にも及ぶ。1973 年には早くも、早期における東南極氷床と南極大陸横断山脈の歴史の関連性を立証する画期的な発見がなされていた。氷河の歴史と山脈の移動は、南極大陸横断山脈の前線に沿った地震シーケンスに見られる厚い堆積層に刻まれていると考えられている。この堆積層のサンプルを調査する方法は、掘削してコアサンプルを採取し、それを分析することである。
それが、マクマード海峡の堆積物と地殻変動に関する調査(MSSTs)の目的である。このプロジェクトは、マクマード海峡を掘削して堆積物サンプルを採取し、南極大陸の歴史、特に氷が少しずつ大陸を覆っていった5000万年前から1000万年前の重要な時期について詳しく知ることを目的として、1979年10月21日の第1回目のコアリングによって幕を開けた。
このプロジェクトはビクトリア大学ウェリントン校と日本南極地域観測隊との共同事業であり、米国とオーストラリアの団体も協力している。
地質学者、掘削作業員、地球化学者、生物学者からなるクルーは、マクマード海峡の海氷上に出て、まず厚さ約6フィート(約1.83m)の氷を貫通する巨大なドリルを稼働させる。そしてドリルは195フィート(約60m)の深さまで掘り進み、堆積物を採取する。その後、コアサンプルは“スプリットチューブ”で地表まで運ばれ、水圧により10フィート(約3m)間隔で回収される。
最初の検査は海氷の上に建てられた“実験小屋”で行われ、その後サンプルは箱詰めされたうえでスコット基地(ロス海への2回の英国探検を率いたロバート・スコット船長にちなんで命名された)の研究室に送られる。米海軍のヘリコプター、ダッジパワーワゴン(軍用トラック)、そしてクローラトラクターに引かれたソリが合計41箱のサンプルを基地に運び、そこで地震波速度とガス組成の測定が行われた。その後、堆積学や地球化学の観点からの研究に加え、有孔虫、放散虫(海底堆積物の主要部分である鉱物化骨格を作る微小動物)に関する調査がなされた。
鳥居博士とのつながり
ここで、故・鳥居鉄也博士が登場する。著名な南極科学者であった彼は、そのキャリアを終えるまでに27年間で26回も南極を訪れている。そして、未知の鉱物であった塩化カルシウム6水和物“南極石”を発見した。南極のトリイ山とトリイ氷河は、彼の名にちなんで名づけられたものだ。彼が世界に残したものは日本極地研究振興会の事務局長として南極観測に生涯を捧げたことから生まれた知見とデータであるが、プライベートにおいては、一緒に仕事をした科学者たちに贈り物をすることでも知られていた。1972年に単独で南極大陸一周に挑戦したデヴィッド・ヘンリー・ルイス(David Henry Lewis)は著書『アイスバード号航海記(原題:Ice Bird)』のなかで、航海を助けてくれた鳥居博士からの贈り物に感謝を示している。
「帝人株式会社からはダブルの南極用寝袋と南極用衣類、そして小物一式を。株式会社服部時計店からはセイコーのダイバーズウォッチを惜しみなくプレゼントしてもらった。 これらの会社には本当に感謝している」
鳥居博士が贈った時計はこれだけではない。以前の“ドライバレー掘削計画”と呼ばれる調査では、“DVDP1973”と文字盤に書かれたセイコーの腕時計、Ref.6105を科学者仲間にプレゼントしている。彼は1979年のマクマード海峡の堆積物と地殻変動に関する調査に参加した3人の地球化学者のうちのひとりでもあり、参加した世界中の科学者たちに腕時計を贈っていた。2019年6月、eBayに出品されたのは、鳥居博士が同僚のひとりに贈った時計のうちのひとつだった。今では、ジャスティンのコレクションの中で最も大切な1本となっている。
時計購入後に彼が最初に連絡を取ったのは、当然その売り主だった。売り主は南極とのつながりをまったく知らなかった。時計の歴史について尋ねるジャスティンに、彼は正直に答えた。
「ノース・マートル・ビーチで見つけたんだ。記名はなく、少なくとも1年間は所有していたと思う。蚤の市に行ったとき、売り手はその時計を売りに出していなかった。ヴィンテージウォッチについて話していたら、彼がそれを引っ張り出してきたんだ。私は彼に断れないような額を提示した。買ってからずっと元気に動いている。海のなかで泳いだりもしたけど、何の問題もなかったよ」
そして売り主は、この時計が蚤の市に置かれることになった経緯についてもある仮説を立てていた。「あくまでそのときの会話から推測したことだけど、元の持ち主は軍にいたのでは、と考えている。その持ち主は売り手の父親に譲り、その父親が息子に譲ったんだ」
南極由来の時計であることは知らなかったとはいえ、軍用説には確かに信憑性がある。この売り手は、それほど的はずれなことは言っていないようだ。掘削現場からスコット基地へコアサンプルを持ち帰るために使われたさまざまな輸送手段を覚えているだろうか? そのなかには、米海軍のヘリコプターもあった。時計はパイロットに贈られたのかもしれない。それがきっかけで、結果としてアメリカに渡ったのだろう。そのほかは、時計のもらい手のほとんどがニュージーランドのクルーだったのだから。
ジャスティンからのメールで鳥居博士の時計であることを特定したのは、アレックス・パイン(Alex Pyne)だった。ジャスティンはビクトリア大学の報告書からパインを探し出した。彼はまだ大学に勤めていたので、彼と連絡を取ることができたのだ。遠征の最中、パインは核心に迫っていた。
「私はMSSTsの掘削計画に関与していたが、この時計を贈られるほどには上席ではなかった。鳥居鉄也博士が、MSSTsプログラムの上級メンバーに時計を贈るよう手配してくれたのだと思う」
MSSTsプロジェクトの主任科学者であったピーター・バレット博士は、その結び付きを認めただけでなく、問題のセイコーを鳥居博士から受け取っていたことを明らかにした。
「この時計は鳥居鉄也博士が1979年のMSSTs計画と日米NZ掘削計画の参加者に贈ったものだ。私の腕時計は今でも机の一番上の引き出しのなかにあるが……、かなり重い。私の普段使いの時計は、60ドルのカシオの100m防水時計だよ」
そしてバレット博士は、ジャスティンをプロジェクトのもうひとりの主任科学者であるピーター・ウェブ博士(Dr. Peter Webb)につないだ。彼は鳥居博士から前述のドライバレー掘削計画の際にセイコー Ref.6105を贈られていただけでなく、MSSTsのときにも受け取っていた。ウェブ博士はまだ両方の時計を持っているという。ジャスティンへのメールのなかで、彼はセイコーのふたつの時計の別の用途を提案してきた。
「ふたつのセイコーはまだ完璧に動くし、ボートのいいアンカーにもなるだろう。息子はいつ譲ってもらえるのかずっと聞いてきている。私の体温が数時間にわたって37度を大きく下回り、死後硬直が確認されたら君のものだ! と答えているよ。そのときがくるまでは、銀行のセキュリティーボックスのなかに保管されている」
このエピソードを紹介してくれたジャスティンに感謝する。