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Grails ついに出会った聖杯たる時計と、買わなかった理由〜セイコーのイエローモンスター

10年におよぶ探索の果てにタイにやってきた私を待っていたのは、意外な結末だった。

私はヴィンテージウォッチの大半をバンコクのチャトゥチャック・ウィークエンドマーケットで買い求めてきた。エキゾチックな野生動物から職人技による石けんまで売る、テント張りの小さな店たちによる大規模な集合体だ。このマーケットはヴィンテージウォッチについて、どんなウェブサイトや雑誌よりも多くのことを私に教えてくれた。

チャトゥチャック・マーケットは昔の時計にまつわる風変りで古びた雑貨の宝庫だ。

このマーケットで、私の古いセイコー SRP775とよく似た6306を購入した。

 2010年から2016年にかけて私がタイに住んでいた頃、2週間に1度、10数店のヴィンテージウォッチのディーラーを訪ねていた。時が経つにつれて、彼らは私の好みを理解し始めて時計を取り置きしてくれるようになったが、彼らが何を探しているのかと尋ねるとき、私の答えはいつも同じだった。それは2004年のバンコクフェアで発表された300本限定版の、入手困難なセイコーのイエローモンスター。2006年のフェアで目にして以来、私はこの時計に惚れ込んでいたのだ。

文字盤上のLIMITED EDITIONの文字は見逃しようがない。

 この時計には新参者のコレクターが求める要素が揃っている。私が持っているお気に入りのオレンジとブラックのモンスターに似ているが、鮮やかな赤で「LIMITED EDITION」の文字が入った眩しい原色イエローのダイヤルと、日付表示の上にサイクロップレンズがある点が異なっている。内部に搭載されるは、頼れるCal.7S26に類似しているが、21石でなく23石を使った7S36ムーブメントだ。全て大文字で強調された「LIMITED EDITION」が目を引く赤文字で顕著に示されていることも、魅力のひとつであり、当時は限定ウォッチを持っていても、周りのみんなもそれが限定版だと知っていてくれなければ、全然嬉しく思えなかったのだ。

スタンダードなブラックモンスターと、ブラックのチャプターリングとWatchadooブレスレットでカスタマイズしたオレンジモンスターを含む、2006年前後の私のコレクション。

 バンコクに移住してこの時計を本格的に探し始める前に、この時計が売りに出されているのをネット上のフォーラムで時折目にした。最初は、2000年代中頃に1000ドルちょっとで売り出されていて、1年か2年後には2000ドル程だった。これはスタンダードなオレンジもしくはブラックのモンスターがだいたい200ドル程だった頃のことだ。イエローモンスターは私にとって究極の時計ではあったが、7S26をベースとしたセイコーに1000ドル以上? ありえないと思った。

 移住する際には、タイに住んでいればデジタルプラットフォームを通さずに、訪れる小さな店のひとつから直接この時計を買えるだろうと、私は愚かにも思っていた。タイの時計コレクション市場は、まだ対面での取引に頼るところが大きかったが、この頃になってようやくデジタルへと移行してきていた。もしかすると、インターネット上に出回る前に、イエローモンスターを捕らえられるかもしれなかった。

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 2012年までに、第二世代の「Fang(牙)」ダイヤルによって、セイコーは明らかにモンスターを新しい方向性へ進めており、イエローモンスターのようなモデルが消えゆく兆しが見えていた。「ソフトになった」モンスター第二世代の発表前の「クラシック・モンスター」の限定モデルについても、私の好みからすると奇妙でテーマ性が弱くなり始めていた。PVDケースとマルチカラーインデックスを備えた「Zamba」は、文字盤にぎらつく太陽モチーフを配した第二世代の限定モデル「サンモンスター」に道を譲った。セイコーはモンスター限定モデルを、2000年代初頭に最高レベルのコストパフォーマンスへと導いた、堅牢かつ有能な基本特性とは全く違った方向へと進めていった。

素晴らしい色使いの 「Zamba」。

「サンモンスター」 はとてもスペシャルな時計だ。

 モンスターが進化していくほどに、イエローモンスターがいよいよ魅力的になっていった。不意に、2000ドルがまったくばかげた価格だとは感じなくなった。それでも2016年に、私はイエローモンスターを手にすることなくタイを去った。

イエローモンスターは、通常生産のモンスターで標準となっているハードレックスクリスタルではなく、ミネラルクリスタルを採用している。

 今年に入ってバンコクに戻ってくると、チャトゥチャック・ウィークエンドマーケットの時計市場では、新型コロナウイルス感染症によって店舗数が激減していた。私はかつてにぎやかだったマーケットをふらふらと歩き、セイコーを売っている店が1軒だけ開いているのを見つけ、ぬかりなくイエローモンスターはあるかと尋ねた。私は全く期待していなかったし、やはりそこにはなかった。

新型コロナウイルス時代の前は、これらの店のひとつひとつにヴィンテージウォッチと、その売り手と買い手があふれていた。今では鉄のシャッターが下ろされ、買い物客の姿は見えない。

 私はマーケットをさらにさまよって、デジタルに移行したかあるいは去っていった店の閉ざされた間口を通り過ぎ、新しいセイコーを売る小さな店にたどり着いた。失うものは何もなく、思い切って尋ねた。「イエロー モンスターはありますか?」何百回も「ありません」という返答を受けてきて、それはほとんどジョークのようになっており同時にすでにおなじみだった。

 カウンターの向こうにいた店員はかがみ込み、店の裏側にまわってしばらく待つように言った。店の反対側に面した小さなガラス製ショーケースは、2000年代のレアなセイコーでいっぱいだった。

 運が向いてきたようだった。

 ニュー(New)という名の店主が黒いボール紙の箱を手に現れ、それを私の前のショーケースの上にそっと置いた。彼が箱を開けると、中にはタグからあらゆる書類まで全てがそろった新古品のイエローモンスターがあった。私は茫然自失の状態だった。長年にわたる探索の末に、夢にまで見た時計が眼前にあり私とその時計を隔てるのはただ多額の金銭だけだった。イエローモンスターについて興味深い点は、中古時計のウェブサイトにログインしても、法外な値段のものでさえも見つけることができないことだ。その理由は単純に、売りに出される数があまりに少ないからである。

店のオーナーでセイコーの限定モデルの類まれなコレクターであるニュー氏。

 「それで、このイカした時計はいくらかな?」と私は聞いた。

 「24万8000バーツ(約86万7000円)」とニュー氏は答えた。

20年近い時を過ごした古びた箱に注目。

 私は心のなかでざっと計算して、こう思った。「とんでもない、ありえないぞ。7000ドル以上じゃないか!」 私はまず直感的に、ニューは言い間違えただけで、本当は800ドルあたりではないかと思った。誰でもそういったミスを犯すものだ。

 しかし今回はミスではなかった。彼は本当に7962ドル(約87万6000円)という対価を欲していたのだ。彼は確認のために、電卓にタイバーツで数字を打ち込み、私に見せた。

 ニュー氏に、なぜそんなに高額な値を付けるのかと尋ねたところ、彼はこの時計のナンバーが168であり、これは中国人コレクターにとっては特別なのだと教えてくれた。興味をそそられて、私はGoogleで手早く調べてみた。「168」は標準中国語では「イーリョゥーパァ」と発音し、繁栄への一路を意味する「一路發(イーローハー)」と非常に音が似ているのだ。中国の伝統では、この数字のものを持っていると、素晴らしい成功と好運に恵まれるとされている。

長年切望してきた時計が私の手中にあるが、さあどうする?

 しかし、私の手持ちの運のほうは尽きていた。その瞬間に5000ドルが詰まったカバンが空から降ってこない限り、それは私が支払おうと思える金額ではなかった。しかし、その時計を手首にあてたときに別の何事かが起こった。予期していなかったことだ。

 長い年月のあとについにこの時計を手にしてみると、私のなかでこの時計への情熱が、思いがけなくしぼんでしまったのだ。文字盤の「LIMITED EDITION」の記載は、「fuel injected(燃料噴射式)」や、「automatic transmission(オートマチック・トランスミッション)」のマークが付いた80年代のスポーツカーを思わせた。2006年以来、多くの物に対する私の好みは変化してきたが、あの時代のポップパンクへの賞賛は確かに薄らいでいない。それなのになぜ、時計の好みはそうでなかったのだろう。私が所有しているモダンウォッチの多くは比較的控えめで、この時計もモダンの範疇に入る程度には古いと思えたが、60年代や70年代のスコッチライトダイヤルのダイバーズウォッチのように鮮やかで派手なものを身に着けて楽しむには、私にとっては新しすぎた。 

 私はそれを返して、歩き去った。

 提示された法外な価格が主たる理由ではないと装うつもりはないが、私は単にその時計を卒業したのだ。追い求めている時間の方が、実際に手首にはめたときよりもはるかにエキサイティングだった。この時計は実際に身に着けるものではなく、私の人生のひとときと、コレクションの旅路の一時期を象徴するものとなった。

これまでの歳月、実はこの時計を探していたのではないのだと気がついた。私が繰り返し得ようとしていたのは、時計を発掘すること、インターネット上の膨大な情報をむさぼり読むこと、曖昧な限定版というものを遠い地からリサーチすること、同じことをしている人々とつながることの、伝播する喜びだったのだ。

 結局のところ私はその時計の入手を見送ったが、探し求める間にたっぷりと楽しむことができた。とにかく、「新しい私」は所有することが過大評価されていると知っている。自分のものでない時計との関係を深めることや執念さえ抱くことは、最初は不健全であるように思える。しかし、時計はより大きな何かへと通じる媒体に過ぎないという考えに至れば、遠くから眺めて楽しめるようになる。いやしかし、それは私が今、適正価格のイエローモンスターを買わないという意味ではない。もし販売したい方や取り引きをしたいという方がいれば、ぜひとも私までご連絡を。