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時計コレクター界隈でもとりわけニッチな存在であるが、官給品のミリタリーウォッチは非常に魅力的な対象となっている。第二次世界大戦のフィールドウォッチからミルサブ、エテルナのコンティキIDF(イスラエル国防軍)コマンド部隊モデルまで、軍に特化した歴史をもつ時計は、間違いなく非常に特殊な役割を背負った人々の生の証として生き残った、特別で希少なものだ。僕は、元々の持ち主が生きているだけでなく、今でもその持ち主に愛用されているミリタリーウォッチこそが至高の逸品であると信じている。これらは全て、僕がこれまでに出会った中で最も興味深く、謙虚なコレクターの一人であるフィリップ・“モキ”・マーティンを紹介する記事だ。ベトナム戦争の退役軍人であるモキ氏は、1965年に水中爆破チーム(Underwater Demolition Team, UDT)を卒業した後、支給された時計を今でももっているが、他にも海軍での生活と何らかの関連性のある時計を何本か所有している。
UDTからSEAL チーム1に移ったモキはマウイ島出身で、生来の水泳選手であり、アスリートでもあったが、ベトナムではあらゆる危険を伴う水中任務に従事していた。NATOストラップを装着したチューダー サブマリーナーは、頻繁に行われるダイビングや高高度降下低高度開傘(HALO) 降下、さらにはチームメイトの命を奪い、自身も重傷を負った極秘任務のサンダーヘッド作戦など、想像を絶するほどの負荷に耐えてきた。36年後、海軍の機密解除によって彼は、海軍と海兵隊の勲章を授与され、戦闘における勇気を称え“V”の称号を得た;それは数奇な人生の物語であり、僕は冒頭の動画で、彼の人となりに焦点を当てたつもりだ。
ベトナム戦争後もモキは教官としてSEALsを支援し、1979年にはSEALsのトレーニングの延長としてSUPERFROGトライアスロンを創設するなど、サンディエゴでのトライアスロン誕生の立役者となった。1983年に自転車事故で体が不自由になった彼は、退役を選択し、絵を描くことに専念するようになった。サンディエゴ大学で学士号を取得した彼の作品は、海や水をテーマにしたものが多く、水辺での生活を反映している。マウイ島からベトナム、そして現在のコロナドまで、彼は人懐っこい笑顔と鋭いまなざしをもち、ダイバーズウォッチを含む海のあらゆるものに興味をもつ傑出した人物なのだ。
チューダー サブマリーナー Ref.7928(1965年支給)
1965年、卒業した日にモキに支給されたこのRef.7928のようなチューダー サブは、フロッグマンやSEALsにとって名刺代わりであり、仕事の対象でもあり、SEALsの結束の強さの証のようなものだった。彼はすぐに、安全性を高めるためにナイロン製ストラップ(ブレスレットではなく)を使用するように指示され、時計はそれ以来、ミニコンパスと並んでこのストラップに収まっている。
UDTとSEALsの任務では、浅瀬での潜水と泳ぎが必要とされることが多く、夜間の活動では特に強力な夜光塗料を塗布したダイバーズ ウォッチが必須であった。この時計は、過酷な環境を生き延び、凍てつくような高高度降下低高度開傘 (HALO)降下から補助支援ダイビングにスカイダイビングなど、本物の道具として、その設計と能力にふさわしい日常を過ごしたサブマリーナーだ。
SEALs隊員はこれらのタフで非常に有能な時計を誇りをもって身に着け、モキはミッションで時計を紛失してしまった場合、最初の2つは海軍が無償提供してくれたことを回想している。3つ目は?64ドルだ。当時は確かに大金だったが、今の時代では? 信じられない価格で買えたのだ。
チューダー サブマリーナー Ref.7016
この時計は、1976年にモキのSEALsのチームメイトの一人に支給されたもので、モキが描いた絵画と交換された。1965年に彼が購入した(そして彼のイニシャルが入っている)カフスタイルのメタルブレスレットに装着されたこのRef.7016 “スノーフレーク”サブは、引退した海軍特殊部隊員の手首にぴったりの時計である。
ロレックス サブマリーナー Ref.5513
特に人気の高いRef.5513 ロレックス サブの好例であるこの時計は、モキの1974年製のブルーダイヤルのチューダー サブと交換されたものだ。このチューダーは海軍の船上で75ドル(海軍関係者提供価格の実に半額!)で購入したもので、海軍のダイバー仲間の目に留まり、取引が成立した。モキはこのRef.5513オイスターブレスレット仕様を装着するが、20年の歳月を経て、彼の軍用ダイバーズウォッチの魅力をさらに引き立たせている。