ADVERTISEMENT
正義の秤のイメージは、それ自体、象徴的なものである。シンボル自体は、ギリシャ神話とローマの神話、テミスとユースティティアの物語の両方に由来する。テミスはギリシャの正義と法の女神で、未来を見通す能力と明晰な心で知られている。一方、ユースティティアはローマの正義の女神で、象徴として目隠しをし、つり合った天秤を持っている。さらに言えば、天秤自体はエジプト神話と女神マアトに由来している。
なぜ本題からそれて、歴史の話をするのか? 1つには、私は以前、法律関係の仕事をしていて、自然とこうしたことに引かれるからだ。第2に、最近、オイスターパーペチュアル 34の記事を書いていたとき、ロレックスが2つの全く異なるヒゲゼンマイと脱進機の技術を並行して開発しているのを思い出したからである。どちらも精度と時計製造の技術の進歩を表している。とりわけ、いずれも非常に耐磁性の高い素材の使用を代表するものである。私が疑問に思ったのは、なぜ1つの技術だけを追求しないのかということだ。テミスと同じように、私は、ロレックスは両方のタイプのムーブメントの将来がどうなるかを見通すことができるのだと考えざるを得ない。ところで、とりわけ、時計のテンプを狂わせるものは何だろうか。それは磁石だ(ユースティティアでさえ助けることはできない)。しかし、なぜ2つの異なる耐磁技術を追求するのか。疑問は尽きない。
技術革新といっても、通常は、技術革新そのものが目的で行われるものではない。そこには理由があるはずで、むしろ解決しなければならない問題があるといっても良い。時計製造において、最大の天敵は磁石であると思われる。ただし、拾った冷蔵庫のドアに無造作に貼ってあるような磁石の話をしているわけではない。問題は、強力な磁石、とりわけネオジム磁石や、普段は触れることのない種類の磁石である。磁石には大きなリスクがあり、時計への影響としては、その精度に壊滅的な影響を与える可能性があるということだ。磁化した時計を欲しい人など誰もいない。だからこそ、このようなムーブメント素材の進歩が、過去30年ほど続いているのである。磁気は避けられないが、シリコンやニオブ・ジルコニウムなどの新素材は、時計が磁気にも耐えられることを示している。
耐磁性について
時計のムーブメントを磁気の危険に耐えるように構成する方法はいくつかあるが、現代における先進素材の飛躍的進歩の到来も、その1つである。これまでのところ、時計製造には2つのアプローチがある。すなわち、防壁でムーブメントを覆い隠すか、革新的な素材を使って磁気を正面から受け止めるかのどちらかである。
後ほど説明するが、ロレックスのパラクロム・ヒゲゼンマイは2つの元素から作られている。そのうちの1つはニオブ(耐磁性の高い素材)である。ただし、このような素材を使用したブランドは、ロレックスが最初ではなかった。1989年に、IWCはインヂュニア 500,000A/m(1メートル当たりのアンペア、磁場を表す単位の1つ)を搭載した最初期のモデルを発表した。この34mmの時計は、ムーブメントにニオブをベースにした合金を使用しており、軟鉄製のインナーケージ(磁化されたままにならない磁場の導体であるため、ムーブメントを保護する)を必要とせず、強い磁場にも耐える時計が誕生した。しかし、インヂュニア 500,000A/mは長くは続かなかった。IWCはこのモデルを約1年間生産し、約3000本を販売。IWCは、この種のムーブメントを生産し続ける代わりに、特にパイロットウォッチシリーズにおいて、再び軟鉄製のインナーケージを使用するようになった。
注目すべきは、軟鉄製のケージがファラデーケージのように、電子機器を外部の電波干渉から保護するためのものではないということに注意しなければならない。法律の仕事をしていた当時、私は知的財産権や特許法に携わる機会があった。時計を見てもよく分かるように、特許に関する紛争は非常に面倒な問題になることがある。私は、エンジニアとコンピュータ科学者が、携帯電話や無線のデータを受信することなく電子機器の一部に電力を供給するためにファラデーケージを作る様子を見る機会があった。論理の飛躍があるにしても、軟鉄製のケージは、ファラデーケージとは対照的に、磁場から時計のムーブメントを保護する役割を果たしているという点に変わりはない。
ロレックスは、ミルガウスの内部のムーブメントを保護するために、強磁性合金で作られた磁気シールドを利用している。ムーブメント自体も耐磁性素材を使ったヒゲゼンマイ、ガンギ車、レバーで構成されているにもかかわらずである。時計の裏蓋を外せば、ムーブメントではなく、「B」の文字が刻まれたこのシールドが見える。この強磁性合金で作られた磁気シールドとはミューメタルの可能性が高い。ミューメタル合金は、ムーブメント自体のステンレススティール製部品とは対照的に、磁場が筐体を介してムーブメントの周りを流れるように代替ルートを提供する。 テミスや正義の秤のように、"ミューメタル "は、透磁率の象徴であるギリシャ文字のミューに由来する。ミューメタルと磁気に関する詳細は、数年前のジャックのIn-Depth記事をチェックしてほしい。
多くの時計は、ヒゲゼンマイにニヴァロックス合金と呼ばれるものを使用している。一般的に、ニヴァロックス合金は磁気に非常に強いといわれているが、ムーブメントが磁気の影響を受けた場合、次に心配なのは温度補正である。時計が磁気を帯びたことを示す1つの指標は、時間が急激に進んでしまうことだ。そして、磁化したニヴァロックス製の部品を備えた時計は、温度に関連して、時計が特定の温度変化に応じて異なる間隔で動作(進んだり遅れたり)するという、精度の問題がある。
耐磁性素材の追求は、磁気からムーブメントを遮蔽するというだけに留まるものではない。30年前にインヂュニアが意図したのと同様に、今や不可欠なのは、ケージやシールドを使わずに、磁気に完全に耐えることができる部品を作ることである。近年、オメガは、時計が磁気の影響を受けた時に生じる多くの問題に対処するため、Si14シリコン製ヒゲゼンマイを導入した。オメガは、シリコンを使用することで、ヒゲゼンマイ自体をより簡単に作ることができるようになった。金属を扱う場合、ヒゲゼンマイを成形するのは非常に難しい。何せ、それは細いコイルなのだから。一方、シリコン製のヒゲゼンマイ、特にはSi14シリコンは、大きなシリコンディスクから細部まで精密に印刷することが可能である。
オメガとロレックスは、時計製造技術と素材の限界を押し広げるという点で主導的な役割を果たしている。では、IWCとインヂュニア、そして、その優れた耐磁性を誇ったニオブ製ムーブメント技術はどうなったのだろうか? このムーブメントの製造には、非常にコストがかかり、販売数が少ない中で継続的な生産を正当化できるほどの数を維持できなかった。当時、IWCがその代償を払うには荷が重かったし、今日でも恐らく難しいだろう。いうまでもなく、IWCはそこから歩みを進めたが、歴史の中でのIWCの位置づけは、今も変わらずに残っている。実際、ロレックスは多くの点で、IWCの進歩的技術をパラクロム製ヒゲゼンマイの出発点としている。
時に、ロレックスは純粋にそれ自体を目的として技術的な挑戦を行うことが好きである。パラクロム製の耐磁性ヒゲゼンマイの誕生がまさにそうだった。また、ロレックスは他の時計ブランドと同じように財政的な制約の中で仕事をしているわけではない。これは、時計製造の限界を押し広げるために、多くのお金と時間を研究開発に費やすことができるというユニークな能力をもたらした。はっきりとはいえないが、ロレックスはIWCが行っていることの本質的な価値を見抜き、それを自ら実行するのに必要な能力(資源、時間、資金)があることを知っていた可能性がある。パラクロムとシロキシの間で、ロレックスは、ほとんどの人が知らないうちに、2種類の異なるタイプの耐磁性と耐熱性を備えたムーブメント素材への道を歩み始めていた。
ブルー パラクロム・ヒゲゼンマイ
2000年、ロレックスは現代の時計製造における新しい世界に進出した。ロレックス デイトナに、初のブルー パラクロム・ヒゲゼンマイを搭載した自社製ムーブメント、Cal.4130を導入したのだ。これは2つの意味で重要である。第1に、当時間違いなく重要だったのは、これがロレックス初となるデイトナ用自社製キャリバーであったという事実である(それまではロレックスが改造したゼニスのムーブメントが使用されていた)。その結果、スモールセコンドのインダイヤルの位置を変更するなど、時計のマイナーチェンジが行われた。
次に重要な点は、前述したパラクロム・ヒゲゼンマイである。2000年に入って登場した、この技術的および工学的な革新の技術は、今日でも非常に印象的である。以来、修正、改良が重ねられ、またより時計製造の観点から重要な進歩(クロナジー脱進機など)と組み合わされ、ブルー パラクロム・ヒゲゼンマイのリリースは、今日私たちが知る現代のロレックスの到来を告げるものとなった。
ロレックスは5年の歳月をかけてブルー パラクロム・ヒゲゼンマイを支える技術を開発し、改良を加え、その技術に磨きをかけてきた。それを作るために必要な技術的なプロセスもかなり複雑である。構成する2つの成分、ニオブとジルコニウムを、特殊な真空環境下において約2400℃の温度で加熱して結合する。2つの金属は、結合するまで何度も炉に通される。新しく形成されたパラクロムが酸素と相互作用すると青く変わることが、ブルーという名前が付いた所以だ。当然のことながら、ロレックスはヒゲゼンマイを一連のテストにかけ、時計の精度に大きな影響を与える可能性があるものから、ごくわずかなエラーも見逃さないようにしている。時が経つに連れて、ブルー パラクロム・ヒゲゼンマイは、ブランドにおける現代の時計製造技術の中心となり、日差+2/-2秒という高精度(これはロレックスのすべての時計の標準となっている)に貢献している。
パラクロム・ヒゲゼンマイの登場は、インヂュニア 500,000a/mの技術革新に対するロレックスの答えであった。同様の素材を使用して、ロレックスは、前述した磁気に関連した温度変化にも対抗する耐磁性の高いヒゲゼンマイ機構を作り上げたのである。
パラクロム・ヒゲゼンマイの話題では、最近のロレックスの他の大きな技術革新にも触れておかなければならない。それが、クロナジー脱進機である。2016年に発表されたもので、ロレックスは、レバー脱進機を改造した新しい脱進機システムを開発し、特許を取得した。この新しい設計により、部品の質量を全体的に削減することで、精度を15%向上させることに成功。事実上、全てが軽量化された。クロナジー脱進機もロレックスの新しいテン輪のデザインも、ロレックスが時計の精度を向上させるために不可欠なものだった。
精度とは、遅れたり進んだりする秒数だけではなく、精度の読み取り値が時間の経過とともに大きく逸脱することを防ぐことである。クロナジー脱進機はニッケル-リン製で、パラクロムと同様に磁気の影響を受けない。このヒゲゼンマイと脱進機の組み合わせに続いて、ロレックスは、独自の高精度クロノメーターの規格を事実上、再定義し、全てケーシングした状態の時計で、日差+2/-2秒の精度でテストを行っている。そこで、話を今日に戻すと、オイスターパーペチュアルの36mm、41mm、そしてサブマリーナーなど、今年の新作リリースの最大の呼び物の1つは、ロレックスがそれぞれにクロナジー脱進機を搭載したムーブメントを搭載し、耐磁性が強化されたということである。
シロキシ・ヒゲゼンマイ
デイトナが発表され、Cal.4130ムーブメント(およびパラクロム・ヒゲゼンマイ)がデビューしたのとほぼ同時期、ロレックスは、時計製造において実行可能なオプションとして、シリコンの可能性を研究開発するブランドが運営する協会の一員となった。他のブランドがシリコン部品を使ったムーブメントを展開し始める中、こうした動きに慎重なロレックスは、事実上、何年もの間、こうした技術の導入を遅らせた。特にユリス・ナルダンは、シリコン部品を使用したランドマークとなるフリークを発表。後年、スウォッチ グループはシリコン部品を使用した時計の展開を始めることになる。前述のSi14シリコン製ヒゲゼンマイを使用したオメガもそうである。ますます多くのブランドが先を競ってシリコン製ヒゲゼンマイを導入する、いわゆる“シリコン狂想曲”の中、ロレックスはじっとしていた。しかし、ほとぼりが冷めると、王者ロレックスは、独自のシリコン製ヒゲゼンマイを静かに展開し始めたのである。
特にロレックスのようなブランドでは、この種の技術を開発するのにどのくらいの時間がかかるかということが重要になる。2000年に発売されたブルー パラクロム・ヒゲゼンマイは、構想から最終的な開発に至るまで5年の歳月を費やした。シロキシに関しては、ロレックスは14年もの歳月をかけて協会が収集した情報を反芻し、その構想を練っていた。2014年に大きなデビューを果たしたが、それほど普及しなかった。ロレックスは、ブルー パラクロム・ヒゲゼンマイ(そしてあまり論理的とはいえないが、クロナジー脱進機も)の長期的な成功に賭けてきた。ロレックスがシリコンを使ったムーブメントを大々的に展開し始めたら、ちょっと厄介なことになるかもしれない。シリコンパーツを用いるのに選ばれた時計は、ダイヤモンドがちりばめられた34mmのロレックス デイトジャスト パールマスターだった。ムーブメントに、シロキシ・ヒゲゼンマイを採用した自社製キャリバー2236が搭載されている。この技術は、ロレックスの幅広いレディースウォッチコレクションにすぐに浸透することになった。
シロキシ(読み:ケイ素またはフランス語のシリシウム)はメタロイドである。金属のように見えるかもしれないが、金属ではない、半金属を意味する。これは、ロレックスが特許を取得したシリコン形状にちなんで名付けられたもので、最適化された等時性とより一層の高精度の実現を可能としている。素材はシリコンと酸化シリコンの両方を組み合わせたもので、これがシロキシの名前の由来となっている。シリコンの1種であるため、耐磁性と耐衝撃性に優れている。ただし、シリコンの欠点としては、脆いために破損しやすいということだ。シロキシ・ヒゲゼンマイは、クロナジー脱進機を備えたパラクロム・ヒゲゼンマイと同様に、日差+2/-2秒の高精度を実現している。
シリコンが金属ではないことを考えれば、事実上、磁気の影響を全く受けないことになる。時計のムーブメントにシリコンを使用することについては論争があり、多くの「純粋主義者」は古典的方法に固執する傾向にあって、あまりにも現代的に過ぎると考えている。しかし、その性能や能力を否定することはできない。もし、本当にヒゲゼンマイが磁場の影響を受けないようにしたいのであれば、やはりシリコンが最も良いのではないだろうか。
ロレックスにおけるシロキシの実装は、2015年までレディースウォッチで行われ、オイスターフレックスストラップの付いたエバーローズゴールドケースのロレックス ヨットマスターがリリースされた。これは2014年発表のパールマスターと同じムーブメント、Cal.2236を搭載している。実は、Cal.2236を搭載した全ての時計に共通しているのは、全てのモデルがオイスターパーペチュアル デイトがベースとなっており、Cal.2236は、先代のCal.2235の新バージョンであり、両方ともデイト表示を備えたムーブメントということだ。ここで再び現代に目を向けると、新しいオイスターパーペチュアル 28mm、31mm、34mmに搭載され、デビューしたムーブメント、Cal.2232のリリースは、 Cal.2231をアップデートしたものである。このムーブメントは、Cal.2236のノンデイトモデルで、同様にシロキシ・ヒゲゼンマイを採用している。
2つのヒゲゼンマイ
現実の問題として、シロキシもパラクロムも事実上、ロレックスの発明品である。シロキシはロレックスが特許を取得したシリコン、またはシリシウムのバリエーションであり、パラクロムはニオブとジルコニウムから作られたロレックス独自の合金である。どちらの素材も、時計に日常的に加わる力からムーブメントを保護することを目的としおり、ステンレススティール製のヒゲゼンマイは、その性質上脆弱である。前述したように、これらの力には、温度、衝撃、磁場などが含まれる。結局のところ、ヒゲゼンマイとテン輪は時計の振り子に似ており、持ち運びが可能であることを除けば、外部からの攪乱に対して特別な保護が必要となる。
パラクロムとシロキシの重要な違いの1つは、組成、つまり元素の構成だ。パラクロムの主成分であるニオブとジルコニウムは、遷移元素である。パラクロムは耐磁性に優れ、従来のヒゲゼンマイの10倍の耐衝撃性を誇るかもしれないが、それは依然として金属の副産物であることに変わりはない。シロキシはメタロイド(金属ではない)であるため、実際には従来のステンレススティールよりもはるかに硬いが、全て同じようにバネ、または細いコイルに成形することができる。実際にはシリコンの方がパラクロムよりも耐磁性が強いが、パラクロムはクロナジー脱進機と組み合わせることができるという利点があり、潜在的には優劣がつけがたい。
結論
ロレックスは時折、つまらないとか真新しさに欠けるといったレッテルを貼られることがある。だが、私は少し違った見方をしている。私はロレックスを、かなり慎重で計算高いと見ている。ちょうど今年、ロレックスは、特許を取得したパラクロム・ヒゲゼンマイとクロナジーシステムを採用した新しいムーブメントを搭載した、サブマリーナーとオイスターパーペチュアルシリーズの最新作をリリースした。同時に、新しいムーブメントとシロキシ・ヒゲゼンマイを搭載したオイスターパーペチュアルも発表された。いずれのリリースも、共通の結果を実現するために行ってきた2つのムーブメント技術における、およそ25年にわたる開発の成果である。共通の結果とは、すなわち、磁気などの外からの力に対してムーブメントの精度と機能を維持することである。
ロレックスの時計製造の未来は、複数の方向を向いているように見える。リスクを回避しているのかもしれないし、特許を有する2つのムーブメントにかなり自信があるのかもしれない。ロレックスは、パラクロムを差別化のポイントであると考えて固執していることも考えられる。それをどのように受け取るにしても、クロナージ脱進機だろうがそうでなかろうが、ロレックスの武器は全てのモデルが、同じ日差の基準を満たす高精度と、インナーシールドを必要とせずに耐磁性を実現していることにある。何はともあれ 、ロレックスのこの2つの技術の今後の行方に注目したいところだが、今のところは天秤のバランスは取れているように見える。