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日本と時計をテーマにした史上初めてのテーマオークション“TOKI(刻)”が2024年11月22日(金)に香港のフィリップスで開催される。
世界的に見てもユニークなインディペンデントブランドが花開き始めた日本のマーケット(詳細は記事「加速する国産インディペンデントの新時代」へ)。その中心にいる作り手たちはどのような思いを持ち、時計づくりに向き合っているのだろうか。今回のテーマオークション開催に伴い、彼らの声を聞くことができた。
佐藤杏輔
時計づくりを始めようと思ったきっかけは何ですか?
菊野昌宏
時計雑誌の記事で独立時計師という存在を知り、すべてを手がけるものづくりに衝撃を受けて自分も時計を作りたいと思ったのがはじまりです。時計学校では修理を学びましたが、時計づくりに関しては情報もなくスイスとの環境の違いにあきらめかけていました。そんなとき、江戸時代に作られた和時計を解体調査するドキュメンタリーを見たのです。設備も情報もない江戸時代の日本で、手作業で素晴らしい時計を作っていたことを知り、当時の日本の時計師より今の自分のほうがはるかに恵まれていると気づかされ、制作の1歩を踏み出しました。
佐藤杏輔
時計づくりを始めた当時と現在の時計市場を比べて、大きく変わったところ、変わらないところは何ですか?
菊野昌宏
私の場合、大手のメーカーと比べて生産数が圧倒的に少数(自分の場合は年産1本)なため、市場を意識して作ったりマーケティングする必要はありません。そのため市場の変化については詳しくありませんが、インディペンデントメーカーのニーズが高まっているようには感じます。SNSの普及により、ユーザーとの距離が近くなり魅力的な時計さえ作ることができれば、世界の時計好きに周知できるようになったことは大きな変化だと思います。
限りある人生のなかでしか研鑽し発揮することのできない、一瞬のきらめき。その儚さこそが手作業の貴重な側面であり魅力だと思うのです。
佐藤杏輔
日本の時計師として、あるいは日本の時計ブランドとして、時計づくりで大切にしていることは何ですか?
菊野昌宏
ブランドは人が作り、人は大地が作ります。ブランドと土地は切り離すことができませんし、クリエイターが生まれ育った文化圏の価値観から影響を受けることは避けられません。日本人が時計を作れば図らずとも日本ならではのものになっていくのだと思います。そのなかで意識していることは手作業の魅力について、そしてひとりで時計を作る意味です。
現代においてはクオリティを追求するための手段としての手作業は死んだと個人的には考えています。私にとって手作業で時計をつくるということは、人生に意味をもたらすものです。限りある人生のなかでしか研鑽し発揮することのできない、一瞬のきらめき。その儚さこそが手作業の貴重な側面であり魅力だと思うのです。同じ時代を生きているからこその出会いのために、自分の持てる技能でパーソナライズされた時計を作る。一期一会のおもてなしだと思っています。
人間の仕事は細かく分ければ分けるほど単純になり、機械やコンピューターで置き換えやすくなり、効率よくクオリティの高い製品を生み出すことができます。しかし工程が細分化されるほど全員が製品の構造やコンセプト、意思を共有することは不可能で、製品がパーソナリティを持つことは難しいと考えています。私の時計が特別なのは、私の顔が見える時計であるということです。時計を作るためのたくさんの工程を私自身が行うことで、まぎれもない個性を持った作品が出来上がります。ひとつの体でいろいろなことができるということが人間らしさであり、素晴らしいところでしょう。ひとりの人間が自主性をもって成長を感じながら目標に向かっていく。それは人生において非常に意味のあることだと思います。作り手が充足感をもって喜びを感じながら作るからこそ魅力的な作品ができると信じています。
佐藤杏輔
海外の時計市場と比べて、日本の市場ならではの特徴や強みは何だと思いますか?
菊野昌宏
やはり、世界的に見ても一定数の時計ファンが常にいて安定していること。成熟した市場が形作られているところは大きな特徴であり強みだと思います。
佐藤杏輔
日本の時計や時計ブランドが、今後世界でさらなるプレゼンスを発揮するには何が大切になると考えていますか?
菊野昌宏
ブランドの使命とは新しい価値を提供することだと考えますが、日本のブランドがプレゼンスを発揮するには、これまでのスイス高級時計の文脈にない日本的な新しい価値を提供できるかどうかが重要だと思います。
TOKI(刻)ウォッチオークション出品作品
今回のTOKI(刻)ウォッチオークションに出品される菊野昌宏氏の作品はふたつあります。ひとつは菊野氏の初期の代表作、そしてもうひとつはこれまでとは異なるアプローチで作られた最新作です。
LOT 111: トゥールビヨン 2012
日本の独立時計師の歴史において、僕が最も重要な作品のひとつと考えているのが、今回のテーマオークションで出品されるこの「トゥールビヨン 2012」です。これは菊野氏が自身の工房を立ち上げて初めて製作したユニークピースであり、初めて製品版として完成させた時計でもあります。もちろん、すべての工程が菊野氏自身の手作業によって行われています。43mmのケースは18Kローズゴールド製で、実際に手に取るとずっしりとした重みとともに、手作りならではの温かみが感じられます。
内部には手巻きトゥールビヨンムーブメントCal.mk12が搭載されています。キャリッジや受けなどのパーツはすべて糸鋸で切り出され、ムーブメントの装飾には菊野氏独自の杉綾(ヘリンボーン)仕上げが施されているのが特徴です。この18Kローズゴールド製のトゥールビヨン 2012は、菊野氏の初の製品版でありながら、完成後も長らく同氏のアトリエに保管されていました。「当初はこのゴールド製トゥールビヨンを販売するつもりでしたが、シルバーのプロトタイプを自分用に作ったところ、お客様がそのプロトタイプを気に入り、購入を希望されたためそちらをお譲りしたんです」と、菊野氏は語ります。
今回の撮影に際して、現コレクターが所有するシルバーのプロトタイプも拝見することができました。ケースシェイプやダイヤルレイアウト、ムーブメントは同一ながら、外観の仕上げには明確な違いが見られます。当初、今回のオークションではこのふたつの時計が出品される予定でしたが、コレクターがシルバープロトタイプへの愛着から出品を取りやめることになりました。これに伴い、菊野氏もローズゴールド製のトゥールビヨンの販売を控える考えでした。なぜなら、ふたつの時計はともに考案された特別なものであったからです。しかし最終的には、コレクターが菊野氏の将来の創作活動資金にするよう説得し、ローズゴールド製のトゥールビヨンが今回のオークションで販売されることとなったのです。
購入者には、化粧箱とともに、この時計の製作過程を記録した小冊子も付属します。
LOT 111: トゥールビヨン 2012のエスティメートは、ノーリザーブで20万〜40万香港ドル(約390万〜785万円)。そのほかの詳細はこちらから。
LOT 110: 蒼(SOU)
「この時計は特に販売を目的に作ったものではありませんでした」と語りながら、菊野氏が見せてくれたのは、ダイヤルに星座を描いた“蒼”と名付けられたプロトタイプの時計です。これは、同氏が自身の日常使いのために製作した2本のうちの1本です。
この時計には、セイコーのNH34ムーブメントをベースにした天体表示機構が組み込まれています。星座盤には北緯35°から見た夜空が表現されており、文字盤上では12時が北、3時が西、6時が南、9時が東を示しています。中央には北極星が配置され、約23時間54分の周期で反時計回りに回転する仕組みです。
また、この時計は菊野氏が初めてCNCを用いて製作した作品でもあります。手作業での仕上げにこだわり続けてきた菊野氏が、なぜ今回CNCを使用したのか。その背景には、どのような思いや挑戦があったのでしょうか。
「今、私は週に一度、母校であるヒコ・みづのジュエリーカレッジで時計づくりを教えているんです。学生たちは1年かけて時計をつくりますが、これまで私が行ってきたような完全な手作業だと、初心者がまともな作品を作り上げるのは非常に難しいんです」と菊野氏は語ります。こうした理由から、同氏は生徒たちの時計づくりにCNCの導入を決めたそうです。「CNCを使うことで設計の幅が広がり、技術が未熟な段階でも形にしやすくなります。先生として指導する立場である以上、CNCの導入が適切だと判断しました」
菊野氏は、CNCの技術を学ぶ一環として、新たなコンプリケーションウォッチとこの星座盤を備えた時計を製作したのです。「CNCはこれまでの手作業とはまったく異なるプロセスで、迅速かつ正確に作業が進みます。しかしその一方で、手作業の持つ素晴らしさやその価値を改めて実感しました」と、菊野氏は語ります。
この時計は、菊野氏が日常使いする1本と、今回のオークションで販売される1本のみしか存在せず、今後も販売予定がない非常に希少な作品です。同氏の時計づくりに新たな方向性を見出した、重要な作品といえるのではないでしょうか。
LOT 110: 蒼(SOU)のエスティメートは、ノーリザーブで5000〜1万8000香港ドル(約10万〜35万円)。そのほかの詳細はこちらから。菊野昌宏氏の詳細は公式サイトへ。
Photographs by Masaharu Wada, Hero Image: Keita Takahashi
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