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Photographs by Kyosuke Sato
日本と時計をテーマにした史上初めてのテーマオークション“TOKI(刻)”が2024年11月22日(金)に香港のフィリップスで開催される。
今回のオークションには、島根県江津市にあるVOGA Watch Museumからコレクションの一部が出品されている。このミュージアムはかつて時計ディーラーをしていた益井俊雄氏(故人。以降、益井さんと表記する)が自費を投じて設立した私設の時計博物館だ。時計の紹介をする前に、なぜミュージアム所蔵のコレクションが出品されることになったのか、その経緯を皆さんにもお伝えしたい。なお、益井さんが日本のヴィンテージウォッチ市場にどれほど大きな影響を与えた人物であるか、そしてVOGA Watch Museum設立に至るまでの詳細については、HODINKEE Magazine Japan Edition Vol.5に掲載の記事「ALL YOU NEED IS LOVE 日本のヴィンテージウォッチ市場を陰で支え、時計を愛したあるディーラーの物語」のなかで詳しく紹介しているので、ぜひとも読んでいただきたい。
少し裏話をすると、実は前述の記事はもともと益井さんが存命中に筆者とのあいだで話を進めていたもので、彼が急逝されたことで取材が頓挫。そのため企画の実施が危ぶまれたが、ミュージアムの運営を引き継いだ親族、そして益井さんの友人である多くの方々の協力を得ることで実現に至った。筆者は記事掲載後も取材を受けてくださった親族の方と定期的に連絡を取り合っていたが、そのなかでコレクションの行末について悩まれている様子が時折うかがえた。
益井さんは自分の死後、収集したヴィンテージウォッチが散逸してしまうのは忍びない、まとまった形で後世に残したいとおっしゃていた。だからこそ、自費を投じてまで時計博物館を建てたのだ。そんな彼の思いを知っているがゆえに、親族の方たちも膨大なコレクションと博物館の運営を引き継ぎ、時計をまとめて残そうと苦慮していた。だが現実は厳しく、いずれはコレクションを売却しなければならないだろうと、連絡を取り合うなかで筆者に心のうちを吐露してくれた。
親族の方たちが、一番に望むのは“益井俊雄という人間の生きた証を、そして彼の名前を後世に残すこと”だ。そこで提案したのが、TOKI(刻)ウォッチオークションへの出品だった。彼らの手からは離れてしまうが、オークションに出品される時計の詳細はフィリップスの管理のもと、オークションカタログにも掲載され、ウェブサイトにもアーカイブとして情報が残る。そうしたことから親族の方たちも提案を受け入れ、今回のオークションへの出品が決まった。本稿では出品される5本のコレクションについて、益井さんがかつてブログのなかで残していた時計を入手した経緯やコメントをできる限り交えながら紹介したい。
Lot 50:ロンジン Ref.3592 タイプ A-7 シングルプッシャークロノグラフ
これはアメリカ陸軍航空隊のために製造されたRef.3592 タイプ A-7、49mmという特大サイズのシングルプッシャークロノグラフである。ケースバックに仕様番号(SPECIFICATION No.)が刻印されており、これらはロンジン、およびメイランによって製造されたといわれているが、同個体はロンジン製だ。ムーブメントにはシングルプッシャークロノグラフのCal.18.72(1929年に開発)を搭載する。フィリップスのオークションには、同ムーブメントを搭載するモデルが過去に2本出品(※若干使用の異なるモデルも含めると2016年5月14日、2019年5月10〜11日、そして2020年11月6〜7日に開催されたジュネーブオークションで3例確認できる)されているが、本機で3例目となる。ムーブメントのシリアルナンバーは5298512で、これはロンジンの手書きの記録によるとRef.3592のクロームメッキケースのクロノグラフであることが確認されており、1935年9月14日にアメリカのウィットナー社に送られたそうだ。
この個体は益井さんがアメリカのディーラーから購入したものだそうだ。当時はまだ情報もあまりなかったようだが「当時の爆撃機には暖房がなく、高高度で飛行する機内は気温も低かったため袖の上から装着していたこと。操縦しながら、腕を曲げなくても時間が見れるように傾斜したデザインになっており、いわば軍用ドライバーズウォッチなのだと購入したディーラーから説明された」と過去のブログで振り返っている。
LOT 50: ロンジン Ref.3592 タイプ A-7 シングルプッシャークロノグラフのエスティメートは、12万〜24万香港ドル(約220万〜441万円)。そのほかの詳細はこちらから。
LOT 55:ブライトリング ナビタイマー Ref.806
このナビタイマーはRef.806のなかでも希少な初期モデルだ。後年のRef.806ではヴィーナスのCal.178を搭載したが初期の個体ではバルジューのCal.72を採用。またアメリカに輸入されたムーブメントには輸入コードが刻印されるが、同個体にはブライトリング自身が輸入したものに使用されるBOWの刻印が見られる。ほかにも初期ナビタイマーを示すディテールがいくつかある。たとえば、小さなビーズ装飾で囲まれたビーズ・オブ・ライス回転計算尺では、ビーズの数が1960年代製のものは93個となるが、1950年代初期は125個ある。この初期ナビタイマーには、1952年に開発がスタートし、54年7月に100本のみ生産されたAOPAモデルと、1955年末に販売された一般向けモデルがあるが、AOPAモデルではウィングロゴに“AOPA”の文字が入っており、ダイヤルのどこにもBREITLINGの文字は見当たらないが、一般向けモデルではウィングロゴにAOPAの文字はなく、ダイヤルにBREITLINGの文字が入っている。AOPA用モデルであれば、ケースバックにリファレンスを示す806の刻印はないとされているが、本機ではその刻印が見られるため、過渡期に登場したモデルとみなされているようだ。ブライトリングのアーカイブによれば、この個体は1955年10月に製造されたものである。
益井さんはこの個体について「ニューヨークのサザビーズオークションへ行った際に、フィフス・アベニューで偶然見つけたヴィンテージウォッチ店で購入したもので、見つけた時はワクワクした」と、当時の思いをつづっていた。
LOT 55:ブライトリング ナビタイマー Ref.806のエスティメートはノーリザーブで3万2000〜6万4000香港ドル(約58万〜117万円)。そのほかの詳細はこちらから。
LOT 56:ブライトリング コスモノート Ref.809
LOT 55と並び、こちらも希少な初期のコスモノートである。1962年、NASAの宇宙飛行士マーキュリー・セブンのひとりであるスコット・カーペンターがウィリー・ブライトリングへ連絡し、宇宙ミッションのための時計を製作して欲しいという依頼を受けてブライトリングがてがけたのが24時間ダイヤルを持つコスモノートだった。コスモノートには、ナビタイマーをカスタムしたという出自ゆえと思われるいくつかのダイヤルバリエーションが存在している。
コスモノートの最初のモデルであるRef. 809 Mark Iダイヤルは1年未満しか製造されず、その後すぐにMark IIダイヤルへと置き換えられた。Mark Iダイヤルでは一番外周の目盛りとビーズ・オブ・ライスベゼルのあいだにリング上の隙間が見られるが、1963年にのみ製造されたMark IIダイヤルではその隙間がなくなっていることからワイドベゼルとも呼ばれ、実はMark Iダイヤルよりもさらに希少とされている。夜行塗料が幅広く守られた注射器針や、BOG(ワックマン)の輸入コードが刻印されたヴィーナスのCal.178など、ほかのディテールも当時の使用と一致。そしてブライトリングのアーカイブによれば、この個体は1963年10月に製造されたものであるようだ。
LOT 56:ブライトリング コスモノート Ref.809のエスティメートはノーリザーブで3万2000〜6万4000香港ドル(約58万〜117万円)。そのほかの詳細はこちらから。
LOT 62:パテック フィリップ Ref.837 スプリットセコンドクロノグラフ懐中時計
この時計に関する情報はそれほど多くはない。フィリップスによればオークションに出品された2例目の個体であり、もうひとつの例とムーブメント番号がわずかひとつしか違わないという。1908年に作られたムーブメントを、1967年にジュネーブのケース職人であるアントワーヌ・ゲルラッハが製作したケースに収めたスプリットセコンドクロノグラフ懐中時計だ。製造年代のせいか、3ピースケースに段付きベゼル、アプライドインデックス、そしてシャープなドーフィン針と全体的にモダンなデザインを持つ。そして何よりケースバックのホールマークが鮮明で保存状態はきわめて良好、ケースは未使用のため緑青の層ができ始めているほどだ。
この時計はとても思い出深いものだったようだ。益井さんはかつてブログで以下のように、この時計とのエピソードを紹介していた。
「サンディエゴから来ているPAWNSHOP(質屋)の主人が、お店の売れ残りをさばくため毎月フリーマーケットでブースを出していた。アメリカでは人気がなくても日本では売れるものもあり、その方のブースに早朝立ち寄るのを毎回楽しみにしていた。何度も通っているうちに、掘り出し物があると電話をもらえるほどの仲になっていった。ある日の夕刻、その主人からパテックのレディスウォッチと懐中時計を町の時計店が買ってくれと店に来たと連絡があった。聞けば、値段が合わず自分は買い取れなかったものの、買い値の10%をコミッションとしてもらえるなら紹介するという話だった。
翌日の早朝、クルマを飛ばして質屋の主人と一緒に町の時計店に見に行くことに。店に着き、時計店の店主に値段を聞くと彼は2本まとめた金額を答えた。それを聞いて私はうなった。買える金額ではなかったからだ。そこに10%のコミッションが上乗せされるのだからなおさらだ。私はレディスの買い手はすぐに見つける自信はあった。別々に値段を聞くと何とかなる値段だったのでレディスのほうはすぐに購入した。しかし当時は懐中時計のコレクターは少なく、お荷物になることはわかっていたため、懐中時計は購入を断念せざるを得なかった。
帰りの道中、質屋の主人が懐中時計の価格交渉をしてきた。お前はいくらまで出せるのかと。彼に希望を告げると“俺が交渉するからお前は何も言うな、店に戻るぞ”と言い、クルマをUターン。彼は時計屋の店主に私のことを話し始め、価格の正当性を強調し、売り逃がすことになるぞと説得を始めたのだ。確かにそうだ。懐中時計はアメリカでも売りづらい。やがて店主は“実は預かり物なのだ。いくらでもいいから売ってくれと預かった品で、金額は任されている。そうか、それがやはり妥当な価格なのか”と納得し、購入することができた。
とっぷりと日が暮れた帰り道、うれしいやら背負い込んだお荷物をどうしようかと気持ちが揺れていた。今では考えられない、いい時代だった。この時計は今ではお荷物どころではない。あれから30年、この時計が売れなくて本当によかった」
ブログでこの時計のエピソードが紹介されたのは2012年のこと。実に40年以上もこの時計は彼にとって手放すことができない思い出の品として手元に残り続け、ミュージアムでも大切に展示されていた。
LOT 62:パテック フィリップ Ref.837 スプリットセコンドクロノグラフ懐中時計のエスティメートは12万〜24万香港ドル(約222万〜441万円)。そのほかの詳細はこちらから。
LOT 74:パテック フィリップ Ref.2526 Beyerダブルネーム“トロピカル”
よもや語る必要がないほどよく知られたパテック フィリップの名品、トロピカルである。同個体はそのなかでも1960年ごろに製造された第4シリーズにあたるもので、ムーブメントは第2世代の自動巻きCal.27-460を搭載している。こちらも前述の懐中時計と同様、コンディションは極めて良好。益井さんもブログのなかで意気揚々と入手の経緯を書き記していた。
「時計ディーラーには高級品を扱う人や中級品を扱う人、はたまた雑貨同然のものを扱う人からパーツをメインとする人までさまざまなスタイルの人間がいる。長年この仕事をしていると、時計のショーに来ているディーラーの顔を見るだけで、どの程度の時計を持っているかわかってくる。
この時計はフロリダのオーランドに行った時に見つけた。雑貨同然の時計を扱っている人が高級品を持っていることは皆無だが、安くてもいいものを持っていることがまれにあり、決して無視できない。こういう商品を扱う人は正直者が多く、どういうわけかどの人も商品を雑に並べてキレイに陳列しないのだ。
雑然と並べられた商品は、キレイに陳列されたものより掘り出し物が見つかるような気がしてワクワク感がある。無造作に置かれているいくつものくすんだ銀製品のなかに光る時計があった。トロピカルだ。まさかパテックのなかでも高級品であるトロピカルに出合えるとは想像もしていなかった。まさに掘り出し物を見つけ出したのだ。
会場に来ているディーラーは誰も気付いていなかった。いつも雑貨同然の時計を持っている業者なので無視されていたのだ。興奮を抑えて時計を見せてもらい、ルーペであらゆる角度から時計を確かめた。店主が側でゴチャゴチャ何か言っているが耳に入らなかった。新品同様だ。ダイヤルにクラックはなく、ケース、ムーブメントもきわめて良好。それに観音開きのオリジナルボックスまで付いていた。値踏みをしながらいくらなのか聞いてみると、彼はこれが友人からの預かり物でディスカウントはできないと言ったが、私の見積もりより3割も安い値段だった。心のなかで感謝すると同時に充実感で満たされていた」
益井さんはこの出来事が本当に楽しかったのだろう。彼はいくつも思い出話を聞かせてくれたが、トロピカルとの出合いは筆者が好きなエピソードのひとつだ。
LOT 62:パテック フィリップ Ref.2526 Beyerダブルネーム“トロピカル”のエスティメートは16万〜32万香港ドル(約294万〜588万円)。そのほかの詳細はこちらから。
事情を知る人のなかには、益井さんが望んでいた、まとまった形でコレクションを残すことに反するのではないかと思われる方がいるだろう。正直な気持ちを言えば、提案した自分自身もこれでよかったのだろうかという思いが少なからずあるが、益井俊雄という偉大なディーラーが生涯のなかで手に入れた素晴らしいコレクションが心から時計を愛するコレクターの手に渡り、彼の名前とともに後世に受け継がれることを切に願う。