本稿は2017年2月に執筆された本国版の翻訳です。
先日、この企画のパート1で、非常に珍しい球形ヒゲゼンマイを持つヴィンテージのジラール・ペルゴ懐中時計を取り上げた。その時にも述べたように、19世紀は精密計時の進化においてある種の黄金時代であり、いわゆる古典的な精密時計技術が誕生し、最盛期を迎え、そして徐々に衰退していった時代でもあった。
この発言を鼻で笑い飛ばされないために、“古典的な”精密時計の意味を説明しなければならない。1800年から1900年にかけての時代が非常に興味深いのは、精密計時に対する多くの基本的な改良が行われたにもかかわらず、時計職人が使用する材料に基本的な変化がなかったことにある。実際、彼らはルネサンス初期に最初の携帯時計やクロックがつくられて以来、本質的には同じ材料、つまりスティール、真鍮、そして(少しのちに)軸受用の宝石を使い続けてきたのである。
デテント脱進機と温度補正テンプを備えた高精度な19世紀末の懐中時計は、調整と手入れ次第でクォーツに近い精度で時を刻むことができるが、基本的には300年前に使われていた材料と何ら変わりはない。20世紀初頭になると高い計時精度は時計職人だけでなく冶金学者にとっても課題となり、今日の機械式時計製造の進歩は、時計製造の技術や素材(そしてシリコンエッチング、LIGA、スパークエロージョンなどのハイテク製造技術も、華美な素材と一緒に使われる)よりも、はるかに多くのものが関わっているのだ。
パート1では、球形ヒゲゼンマイを持つ1860年製のポケットクロノメーターを紹介した。パート2では、ジラール・ペルゴのもうひとつの懐中時計を紹介しよう。今回は少しあとの時代のもので、ジラール・ペルゴの歴史家であり博物館のキュレーターであるウィリー・シュヴァイツァー(Willy Schweitzer)氏によると、これは1880年ごろに完成したものだという。
この時計の文字盤とケースは、その時代の優れた懐中時計に期待されるものを踏襲している。実際、文字盤と針は1880年代や90年代の精密時計にしては少し装飾的である。それでも、ケースと文字盤に見られる品質は、何か特別なものがこの内部にあることを示唆している。そのことに間違いはない。
これはシンプルな時計で時刻表示の以外の複雑機構はない。しかし持ち運び可能な高精度の時計を作ることが非常に重要な課題であったことは明白だ。この種の時計は当時非常に高価であり、それを購入できるほど裕福でありながら精度に強く関心を持ち、最高級の精密製造と手作業による調整に多額の資金を支払う人物が所有していた。このような時計の調整は非常に手間がかかり、数日どころか数週間を要するものであった。
パート1のクロノメーターとは異なり、この時計にはフュゼがない。その代わりフュゼチェーンがあるものよりも大きなテンプとゼンマイ香箱が使用可能になった。また1860年製の時計とは異なり、この時計は鍵ではなくリューズで巻き上げと時刻合わせを行う。どちらの時計もバイメタル切りテンプを備えており、温度変化に応じてテンプの直径が変化することでスティール製ヒゲゼンマイの弾性の温度変化を補正している。
防塵性能が十分でないためケース内部にゴミが溜まっているが(20世紀に現代的なガスケットとスクリューバックケースが段階的に開発されるまで、これはすべての時計に共通する問題であった)、その年代を考慮するとムーブメントは驚くほど良好な状態で保存されている。12時位置にあるリューズのすぐ下には、巻き上げ時にリューズとともに回転する丸穴車がある。その隣にはゼンマイ香箱のラチェットホイールがあり、1時位置に配置されたコハゼによって急速に(そして破壊的に)解けてしまうのを防いでいる。コハゼの歯は長く美しい形状のコハゼバネによって固定されている。ヴィンテージ懐中時計のコハゼバネはしばしば時計職人の美的感覚を引き出すようだが、この時計ではムーブメント全体について同じことが言えるだろう。
当然ながら、このムーブメントのもっとも目を引くのは、2番車(中央)と3番車(10時位置)用のゴールドブリッジとその巨大なルビージュエル、そして4番車とガンギ車用のハーフゴールドブリッジ(実際にはコック)である。材料の柔らかさや、わずかな傷でも非常に目立つようにポリッシュ仕上げされていると考えると、このふたつのゴールドブリッジが年代を考慮しても驚くほど良好な状態にあるのは特筆に値する。この時計のメンテナンスは、時計職人が介入の痕跡を残さないように細心の注意を払う必要があっただろう。もちろんスリ傷やネジの溝に傷をつけないことは適切な訓練を受けた時計職人にとって最低限の基準であり、当然のことではある。
もうひとつの比較的珍しい特徴は、デテント脱進機である。18世紀中頃に英国のトーマス・マッジ(Thomas Mudge)によって開発されたとされるレバー脱進機は、おそらく今あなたがつけている時計にも使われている。通常は問題なく動作するが、ガンギ車から動力を受け取る表面のオイルが固着し始めると、安定した速度からずれ始めることがある。現代の合成潤滑剤が登場する前は大きな問題であったが(1年に1度の清掃でも厳しかった)、デテント脱進機にはオイルを必要としないという利点がある。
デテント脱進機には、ガンギ車からテンプにエネルギーを伝えるレバーがなく、代わりにデテント(その名の由来でもある)がガンギ車をロックし、テンプを揺らすことでこれを解除する仕組みである。デテントが動くとガンギ車のロックが解除され、ガンギ車が1歯前進し、テンプのインパルスジュエルに当たってテンプを押し、スイングを維持する。デテント脱進機(クロノメーター脱進機とも呼ばれた)は衝撃を受けると偶発的にロックが解除されやすく、レバー脱進機ほどの安全性はないため、携帯用時計には圧倒的にレバー脱進機が好まれた。しかしデテント脱進機は、以下の条件を満たす場合には有力な選択肢となった。すなわち、a)それを買う余裕があるほど裕福であること、b)時間計測に非常にこだわること、そしてc)自身の習慣に十分気を使い、時計をぶつけたり脱進機を狂わせたりしない人であることだ。
上の画像にはテンプの下に隠れたガンギ車(磁気に強いゴールド製)が見える。この時計は巻かれていないため輪列には動力が溜まっていないが、もし動力があればガンギ車の歯のひとつが歯車のトルクによって、写真のほぼ中央にある小さな半円形のルビーに当たっているはずだ。
ご覧のように、ガンギ車の歯はテンプのかなり近い位置にあり、ガンギ車が時計回りに回転すると、テンプローラー(脱進機からの力を受け取る小さな円盤)に取り付けられたインパルスジュエルを反時計回りに押す。少し考えてみれば分かるように、レバー脱進機とは異なりデテント脱進機は一方向にしか衝撃を与えないため、この点がレバー脱進機に比べて若干の短所となる(ジョージ・ダニエルズのコーアクシャル脱進機はデテントのようにオイルを必要としないが、レバーの“安全性”を提供し、さらに両方向に衝撃を与えるように設計されている)。
さて、そのヒゲゼンマイについて話そう。
ヒゲゼンマイはかなり凝った作りだ。パート1で取り上げた球形ヒゲゼンマイほど奇をてらったものではないが、それでも見事な仕上がりで、入念な工程の結果生み出されている。基本的には、平らに伸ばしたワイヤーを円筒形に巻き付け、熱処理で焼き戻し、ご覧のようなコーンフラワーブルーに加工したものである。この形ヒゲゼンマイの基本的な設計思想は、その他の円筒形ヒゲゼンマイやブレゲ/フィリップスの巻き上げヒゲと同じように、ゼンマイの“振動”を左右対称に保つところにあった。
平らなヒゲゼンマイは伸縮時にテンプのピボットが左右にぶれる傾向にあるため、ポジションごとの振動数が微妙に異なってくる。円筒ヒゲゼンマイの問題点は、従来型の巻き上げヒゲに比べて性能があまり高くないこと、そして(当然のことながら)ムーブメントに厚みが出てしまうことであった。そのため、20世紀ごろにはマリンクロノメーターへの搭載が主流となり、1960年代以降もその流れは続いた。
もうひとつ注目すべき点は、テンプのピボットと2番車のピボットのサイズの違いである。上の画像では、2番車のピボットは非常に大きく、主ゼンマイ香箱によって生じるかなりの横荷重に耐えられるよう、ルビージュエルのなかに収められている。そう、摩擦はできるだけ少ないほうがいいに決まっているが、歯車は1時間に1回転しかしないので、やり過ぎない範囲で可能な限り大きなピボットを使うことができる(そして使うべきだ)。一方、テンプのピボットは針のように細く、キャップジュエルの下にギリギリ見える程度しかない。
ピボットの直径に対してテンプがかなり巨大であることを念頭に置けば、このような懐中時計を落とした場合、時計屋に駆け込むことになる理由が理解できるだろう。硬材のテーブルの上に1~2インチ(約2.5〜5cm)上から落としただけでも、ピボットが曲がったり壊れたりする可能性があるのだ(そしてこのことは、衝撃から時計を保護する仕組みがようやく登場したとき、なぜ現代のスポーツウォッチの開発においてこれほどまでに重要で、大きな意味を持ったのかを理解するのに役立つはずだ)。
時計製造の歴史において、とりわけさかのぼればさかのぼるほど誰が何を発明したかを明確にするのは難しいものになる。しかしジョン・アーノルドは1776年に円筒形ヒゲゼンマイの特許を取得している。その特許の成果のひとつを以下に紹介しよう。これは1781年製のポケットクロノメーターで、温度補正テンプを搭載した初期のものだ。
今日のジラール・ペルゴとその歴史について考えるとき、ひとつは第2次世界大戦後の時代に堅実な中級腕時計を製造していた会社として、そして他方では超高精度のクロノメーターHF(最初のハイビート腕時計のひとつ)を製造していた会社として、そしてさらに少しさかのぼって、このような素晴らしいポケットクロノメーターを製造していた会社(トゥールビヨン ポケットクロノメーターも相応のシェアを誇っていた)としてのイメージが浮かぶ。ここ数十年、GPが消費者の心に明確で一貫したイメージを定着させるのに苦労していることは周知の事実だが、そのための素材とヒストリーはすべて揃っているのだ。
この特別な時計は、“機械仕掛けの素晴らしさ”という陳腐な決まり文句を見事に体現している。精密な計時というひとつの目的にひたむきに打ち込んでいる一方で、卓越した技術に対する情緒的なこだわりはムーブメントにおいて本来不必要だが本質的な美しさに大いに現れている。この美学を持ち続けるのは難しい。現在ではさまざまな理由から、それを見失ってしまっている企業のほうが多い。私が今のジラール・ペルゴに望むことは、誰が指揮を執るにせよ、このような時計を見て、ムーブメントの美学と機能性がいかに表裏一体であるかを理解し、それをインスピレーションとして前進することである。よくよく考えてみれば、それ自体はスイスの時計製造全般にとって悪いことではないだろう。
見逃した方のために、パート1はこちらから確認できます。約1世紀前の高級ポケットクロノメーターの例としては、イギリスの巨匠アーノルドとアーンショーによるふたつの作品をご覧ください。最新のジラール・ペルゴのコレクションをご覧になるには、ブランドのウェブサイトをご参照ください。