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Photos by Mark Kauzlarich
現代の時計でマイクロローターを見ることは希だ。時計愛好家たち(ウォッチメイキング史における小さな好奇心や楽しい欠点に感動する傾向のある人々のこと)にこよなく愛されているかにもかかわらず、マイクロローター式自動巻きムーブメントにはいくつかの重大な欠点があり、時計業界全体への普及を妨げてきた。しかし、伝説的なドミニク・ルノー(Dominique Renaud、元ルノー・エ・パピ、現オーデマ ピゲ ルノー&パピ、略称APRP)と30歳の若き才能ジュリアン・ティシエ(Julien Tixier)は、特許取得から70年を経て、このアイデアに革命を起こしたと自負している。
新ブランド、ルノー・ティシエの発表から解き明かすべきことは数多い。それは、ふたりの時計職人の経歴と、彼らが成し遂げた技術的偉業に深く踏み込んだものだ。彼らが “マンデー (月曜日)”と呼ぶこの時計は、卓越した技術を持つ独立系時計メーカーの力作であり、長期にわたる友情と徒弟関係(ルノーからティシエへ、そしてティシエからルノーもまた然り)を象徴している。
間違いなく、この時計は、ほぼ完全に技術革新を物語る作品である。新しく生まれ変わったマイクロローター、Cal.RTIV2023は、彼らが“ダンサー”と呼ぶマイクロローターを搭載し、直径36.8mm×厚さ6.86mmながら約60時間のパワーリザーブを確保し、パラジウム製のスクリューテンプが毎時1万8000振動/時のテンポで時を刻む。時計本体はローズゴールドまたはホワイトゴールド製の40.8mm×11mmというサイズに、フロントとバックにサファイアクリスタルを備える。伝統的なマイクロローターを備えた時計としてはやや厚めである。しかし裏を返せば、これは伝統的なマイクロローターではないと気付く。最も重要なのは、そうした伝統的な設計に内在するいくつかの課題を解決していることだ(これについては後述する)。
価格(本記事公開時)は8万9750ドル(日本円で約1400万円)で、どう考えても大金ではあるが、ウォッチメイキング史の核となる要素を完全に再構築することから開発をスタートできるブランドはそうそうあるものではない。 彼らがこの作品で何を実現したのかを理解するためには、マイクロローターの歴史とその仕組みについて少し振り返ってみる必要がある。
マイクロローターに潜む歴史(と課題)
マイクロローター式自動巻きムーブメントの歴史を掘り下げるときには、いくつかの地雷の可能性をナビゲートしなければならない。どのような“戦争”でも、勝者側が歴史を遺す。そう、間違いなくユニバーサル・ジュネーブが圧倒的な勝者である。伝説的なユニバーサル Cal.215は1955年にポールルーターとして発表されたが、ビューレンとの法廷闘争により、これらの初期のムーブメントは“特許出願中”と表示された。1955年5月、同社はほぼ同じデザインの特許を取得した…ビューレンは1枚上手だったらしい。11カ月後、ユニバーサルは新型ムーブメントを発表したが、1958年5月15日まで特許を取得することができなかった。この時、彼らはビューレンとの訴訟で和解し、この技術で製造したムーブメント1個につき4スイスフランをビューレンに支払った。
しかし、彼らは何を争っていたのだろうか? 手巻きムーブメント(主ゼンマイが収まる香箱にリューズを巻き上げることでエネルギーを蓄え、調速された周期でテンワを往復運動に変換する)がはるかに一般的であった当時、自動巻きムーブメントの技術革新のインパクトは非常に大きかった。ロレックスは1931年に初の両方向回転式ローターの特許を取得している。しかし、中央に巻き上げローターを支える軸が設置され、ムーブメントの全幅を巨大なローターが覆ったため、当然ながら時計は厚くなった。マイクロローター(あるいはユニバーサルが称するところの“マイクローター”)は、回転錘を縮小してムーブメントのほかの部分と同一の高さに配置することでこの問題を解決し、その結果、より薄い自動巻き時計が実現した。
ところが、マイクロローターにはいくつかの重大な欠点がある。例えば、ムーブメントの横のスペースに収めるためにほかの部品を小さくする必要があるなど、簡単には修正できないものもある。主ゼンマイやヒゲゼンマイはしばしばその対象となり、パワーリザーブや、計時精度が犠牲となる。しかし、通常の自動巻き時計でそのような問題をクリアできたとしても、ムーブメントの巻き上げが不十分なことが分かれば、問題はさらに大きいことがわかるだろう。
マイクロローターはその名のとおり小さい。つまり、ピボットを中心に回転する小さな錘が与える回転エネルギーは極めて小さく重い(慣性モーメントが小さい)ため、錘がローターに回転を起こさせるには(静止摩擦を克服するためには)大量のエネルギー(と運動量)が必要になる。キーボードを打ったり、腕の位置を調整したりするような小さな動きでは、通常のローターを巻き上げることはできたとしても、マイクロローターを、軸を中心に回転させるには不十分なことがある。マイクロローターのムーブメントが完全に巻き上げられることはほとんどなく、巻き上げようと思えば多くの運動量が必要になることは、時計メーカー(および愛好家)のあいだではかなり有名な事実である。
この問題を解決するにはいくつかの方法があるが、どれも理想的ではない。慣性モーメントを大きくするために質量の大きい素材を使うこともできるが、そうするとローターのベアリングとローター軸により大きな負荷がかかる。これはポーラルーターでよくある故障の原因だ。主ゼンマイを弱めて巻き上げをよくすることもできるが、そうすると今度はパワーが低下する。あるいは、1回の巻き上げでより多くのパワーを得るために歯車を増やすこともできるが、結局は自転車の低速ギアように、巻き上げても十分なパワーを得ることができなくなるのである。
これらすべての問題が、普及を妨げている。理論上、パワー不足が理由でマイクロローター式の複雑機構を作ることは難題とされている。複雑機構による動力消費量の増加は、パワーリザーブを大幅に減少させるはずだ。ビバー カリヨン・トゥールビヨン、そしてより顕著なのは、パテックのCal.240系を搭載するノーチラス Ref.5712、セレスティアル Ref.6102P、そしてワールドタイムやパーペチュアルカレンダーのいくつかは、その数少ない例外である。ヴォーシェ社はいまでもパルミジャーニ・フルリエやショパールのようなブランドのためにマイクロローターを製造しているが、ピアジェはマイクロローター激戦区の一角を担っていた(そして生き残ったブランドとして、間違いなく名実ともに勝者であろう)し、パテック フィリップやブルガリも同様にマイクロローターを製造しているが(バルチックのMR01は言うまでもない)、マイクロローターそのものは、率直に言って主流ではない。これらの問題を解決することはできるのだろうか?
時計師たち
数週間前、私はニヨンにあるルノーの工房を訪ねた。言葉の壁があったにもかかわらず(フランス語を学ぶ必要性を痛感した)、彼の時計に対する情熱、そして率直に言って、彼のすべてに大きな影響を受けた。また、天才時計師の伝説的存在であり、その友情、指導、支援によって、過去40年間の時計製造において最も重要な発展を遂げ、最も著名なブランドを設立した人々の成長を支えた人物にようやく会えたことに、私はちょっとした感激を隠せなかった。私たちは、今後私が執筆予定の記事や、彼が大きな役割を果たした記事など、さまざまなことを語り合った。彼はキャリアの初期について、まるで昨日の出来事のような勢いで延々と話してくれた。しかし、なぜ彼がそのような賞賛に値する人物なのかを知らないかもしれない人たちに、彼の過去を説明するために少し寄り道をしてみよう。
ドミニク・ルノーとジュリオ・パピは1984年にオーデマ ピゲで出会い、そこでハイコンプリケーションやグランドコンプリケーションの時計に携わることを夢見ていた。しかし、AP社でゆっくりと出世していくだけでは飽き足らず、ふたりは独立し、1986年にル・ロックルにルノー&パピSAを設立した。誰が聞いても、それは狂気の沙汰であり、その計画は大失敗に終わり、ふたりはすごすごと所属していた会社に出戻るはずだった。ほとんどの主要ブランドは、“クォーツ危機”から立ち直れず、外部の助けを借りることはおろか、プロジェクトの資金を調達するのもままならなかった。しかし、ごく一部の時計メーカーは、高度な複雑機構に対する需要が高まっていることを察知していたが、同時にその需要を満たす組織の知見が不足していることも認識していた。そこにルノーとパピと寄せ集めの仲間たちが登場したのである。
ふたりの功績については今後の記事で紹介するとして、ふたりがIWCのグランドコンプリケーション Ref. 3770のリピーターモジュールを開発したことがきっかけとなり、事業がスタートした。APRPは、バート・グローネフェルドが成功を収めただけでなく、ロバート・グルーベルとスティーブン・フォルセイを引き合わせた場でもあった。長年にわたり、ルノーと彼のチームは(あるいは単独で)、オーデマ ピゲ、ブレゲ、ユリス・ナルダン、IWC、ジャガー・ルクルト、A.ランゲ&ゾーネ、ジラール・ペルゴ、パルミジャーニ、カルティエ、フランク・ミュラー、ハリー・ウィンストンなど、ブランドの最も複雑なモデルの数々を担当してきた。1992年、ルノー・エ・パピは再びAPの傘下に入り、APRPを設立、ルノーは2000年に同社を引退した。しかし、彼は決して仕事をやめることはなかった。
その後11年間、ルノーはフランスでフリーランスの仕事をしていたが、スイスに戻り、2013年に新会社を設立した。2016年、彼は新しい時計、DR01を発表した。この時計は未来的な形状、回転する円筒形のケース、刺激的なブレードオシレーターを備えた12本限定生産、定価100万スイスフランで販売される予定だった。残念なことに、法的な問題やビジネスパートナーとの意見の対立により、DR01は1本しか製造されなかった(しかし彼はこのアイデアを諦めてはいない)。私たちが初めて会ったとき、ルノーは偶然にもDR01を腕につけていた。
ルノーが初めてジュリアン・ティシエに会ったのは、DR01が発表された頃。ルノーが記者会見でこの時計について説明したとき、ティシエは弱冠23歳だった。
「ルノー・エ・パピのことは学校で初めて知りました。名前は知っていたのですが、その作品は私にとって未知のものでした。だから、彼らのデザインを調べて、“これこそ本物の時計作りだ。複雑だが最適化されている”。これこそが私がやりたかったことだと気づいたのです」 ティシエはそう語った。
「記者会見の最後に、私はドミニクのところに行きました。私は自己紹介し、彼はこの時計についてわかりやすく説明してくれました。私たちはすぐに友達になりました。電話番号を交換した数週間後、彼から電話がかかってきて、彼の工房にコーヒーを飲みに来ないかと誘われました」
ティシエは近代的な技術から古い機械まであらゆるものを駆使して、ムーブメントからケース、ブレスレットに至るまで、未加工の金属の塊から時計をゼロから作り上げる全体論的アプローチを採っている。実際、後述のファーラン・マリとのコラボレーションでも、ケースとブレスレットを工房で手作りしている。
彼の過去の作品には、センターテンプとダブルレトログラードセコンド表示を備えた教材用時計などがある。その後、パルミジャーニ・フルリエでオートマトン“ヒッポロジア(Hippologia)”の製作に携わる。ローラン・フェリエで働きながら、ティシエは才能あるプロトタイピストになるためのスキルを身につけ、その後フリーランスとなった彼は、あるクライアントのためにミニッツリピーター付きの完全ハンドメイド製3軸トゥールビヨンを製作した(依頼主は明かさなかったが、思い浮かぶ名前はひとつだけだった。 ジラール・ペルゴである)。
「最初の出会いから数カ月後、1年半ほど経った頃でしょうか、ドミニクが私に電話をかけてきて、“特別なプロジェクトがあるんだ。彼らは、私が素晴らしいチームを組織するのを手伝ってくれる有能な人間を求めている。彼らはプロジェクトを説明してくれた。一緒にやらないかい?”と誘ってくれました。もちろん快諾しましたよ」
2021年に発表されたそのプロジェクトが “Tempus Fugit(ラテン語で「光陰矢のごとし」の意)”だった。この時計はブノワ・デュブイ博士と共同製作されたもので、博士の非営利活動は生命科学と長寿の実現に焦点を当てている。この時計はジュネーブ時計グランプリの最終選考に残り、ローガン・ベイカーは後日、記事で次のように取り上げている。
“この腕時計を購入する際(38万ユーロ)、所有者はDNAサンプル、家族構成、個人的な習慣など、かなりの量の個人情報を提出する必要がある。そのデータをもとに、イナルティス財団の科学者や医師が寿命を予測する。そして、その予測に基づき、オーナーの時計には、死亡予定日までのカウントダウンを含む世俗的な永久カレンダーが個別に設定されるのだ”。
このふたりは2023年、私のお気に入りの時計のひとつであり、ファーラン・マリがOnly Watchのために発表した、驚くほど手頃でシンプルなセキュラーパーペチュアルカレンダーの新作で再びタッグを組むことになる。この時計に対する彼らのアイデアは、市場で最も複雑な機械式時計のひとつであるこの時計を民主化し、まったく新しい価格帯を実現する革命的なものになるかもしれない。
「私たちは毎日、お互いに学び合っています。彼は “ジュリアンが師”が口グセですが、真実でないにせよ、決して嘘でもありません。私たちはお互いから多くのことを学んでいるのです。彼は膨大かつ特別な経験と特別な志を持っています。彼は世界との接し方が独特なので、ドミニクとの仕事を通じて学ぶことはとても特別なことなのです」
「彼が何かを説明するとき、まるで目の前にあるかのように、思い浮かべることができます。ファーラン・マリのOnly Watch出展作品を作ったとき、私たちは山でバーベキューとおいしいワインを楽しみながら、セキュラーカレンダーについて考えていました。ドミニクは私に説明しながら、想像上で視覚化していました。それをコンピューターと紙に落とし込み、そこから改良を加えることができたのは、工房に戻ってからのことでした」
マイクロローターの新機軸
ルノー・ティシエを独立したブランドとして立ち上げるというアイデアは2023年に生まれ、すぐに実現に向け動き出した。当初からの彼らの目標は、ファーラン・マリの作品で表現したとおり、ウォッチメイキングの基本原則を見直すことだった。ふたりはすぐに、時計製造の7つの重要な要素を考えつき、それを刷新することで、時計業界の既存の常識を洗練させ、新たな創造を生み出すことにした。これが、ふたりが最初の作品を“マンデー”と呼ぶことに決めた理由である。7つの探求からなる新時代の初日を意味する作品だ。
マイクロローターの設計に内在する問題に立ち返れば、解決不可能なものを“解決”することに挑むのは無駄足のように思える。時計製造において最も難しいことのひとつとされるのが、新しい部品の革新である。多くの場合、設計を簡素化することで改良を試みるのが一般的だ。ティシエは、彼らの新しい作品は、ファーラン・マリ セキュラーパーペチュアルカレンダーで実現したことと同様、「単純化ではなく最適化」であると指摘した。ひとつのパーツが複数の機能を担わせることは、ムーブメントの設計のハードルを上げるが、これまでにない方法で最適化することになる。
そこで登場するのが“ダンサー”だ。初期のプレスリリースで初めて読んだときは、そのコンセプトがよく理解できなかった。ローターの中心部が削り取られているのは画像から見ても明らかで、それによって重量と潜在的な回転エネルギーが低減されるのではと私は懐疑的であった。私が想像していた“ダンサー”とは、バネに吊るされた小さな錘が上下に跳ね、何らかの形でエネルギーを与えるというものだった。しかし、それは誤りである。3Dプリンターで作られた拡大模型によるデモンストレーションで、それはより明確になった。
ローターがセンターピボットの上に乗っている様子を思い浮かべてほしい。わずかな動きで前後に揺れるが、その揺れはほとんどエネルギーを与えない。ローターが一回転するまで、ほとんど何も起こらない。それでも、従来のセンターローターよりはパワーが弱い。
現実には、数学と物理学(どちらも私がリベラルアーツ専攻になった元凶である)を考えれば、回転エネルギーのほとんどはローターの外側に蓄えられる。その中央部分にある質量は大した働きをしておらず、中央部分を切り取ることで失われる位置エネルギーはあまりない。そしてルノーは、新たに発見したスペースをどう有効活用するかというパズルに取り組んだ。
“ダンサー”はローター内の巻き上げ補助機構である。メインローターが小さな動きをすると、“ダンサー”部品も回転し、内部のバネ機構と弾み車によって重量に立ち向かう。最終的に、そのエネルギーはシステム内に一気に放出され、主ゼンマイに蓄積される。ルノーによれば、これにより従来のマイクロローターよりもはるかに巻き上げ量が多く保たれるという。
微調整と小さな部品の追加により、チームはこの部品を、耐震機構の役割と同時に大きな衝撃を受け止め、エネルギーに変換する装置にした。大きな螺旋が中心軸と接続され、カタパルトとして機能する。別のスプリングアームが軸から反対方向に伸びており、踵のある足のように、激しい衝撃が加わると爪にぶつかり、衝撃を吸収する。軸には、弾み車を軸に固定するハンガーのような形状のバネ上部がある。衝撃を受けると、ヒールがハンガーに当たり、ハンガーはその位置から解放され、動力がスプリングに供給され、ムーブメントに動力が解放されると再び噛み合う。ムーブメントには間違った方向に巻き上がるのを防ぐクラッチも仕込まれている。
シャレにならないほど複雑なダンスで、言葉で説明するのは難しく、動画やGIF画像を用意できなかったのが残念だ。しかし、それを見た後、私は1)この時計は想定どおり機能し、2)本当に革命的な時計になりうると確信した。さらに印象的なのは、最初のプロトタイプがわずか4カ月あまり前に作られたばかりだということだ。節約されたエネルギー量は測定できないが、時計は100%まで巻き上げられ、ほかのマイクロローターよりも速く巻き上げられるとチームは説明する。
ルノー・ティシエのCEOであるミシェル・ニエトは、何よりもまず、自分たちで最終製品を作って販売することが目標だと語った。この時計には主要な特許が1件取得されているが、取得可能な特許は実はもっとたくさんある(と彼らは考えている)。しかし今回の新発明によって、その技術をライセンス供与する可能性があることは容易に想像がつく。例えば、マイクロローターを搭載した数少ない複雑時計のひとつであるビバー カリヨン・トゥールビヨンや、ユニバーサル・ジュネーブが計画している新しいポールルーターとそれに付随するムーブメントの開発などである。これらのプロジェクトのいずれもが、今日私たちが目にする新しいマイクロローターの革新から容易に恩恵を受けることができるだろう。
最終製品
2月上旬にブランドを訪れたとき、私はこの時計が完成していないことにがっかりした。それは自分勝手な理由であり、ブランドに対する恨みではない。私はこのような時計を実際に手にとって見たいのだが、残念ながら、ブランドが最後の1分1秒まで改良と革新に取り組んでいる場合、それは必ずしも可能ではない。しかしティシエの工房でルノーとティシエが話しているのを見ると、彼らの絆の深さが見て取れ、最終製品に期待が持てた。
ジュウ渓谷にある彼の工房での試作と作業は、“昔ながらの製法”で行われている。ティシエは、この新しいムーブメントは、新しいCNC機械や過去にはなかった製造技術を使った結果ではないと断言した。もし60年、70年前の機械を使って、ほとんど手作業で試作できたとすれば、それはこの時計が新しい素材や技術ではなく、アイデアの証であることを示している。
画像で見る限り、この時計は独立系にしては商業的に感じられるほど洗練されている。独立系時計メーカーの魅力は、ムーブメント作りや革新性だけでなく、ビッグブランドからは得られないような美的感覚を与えてくれることもある。これは、ジャガールクルトのマスター・ウルトラスリム(にしては11mmと少し厚めだが)や、ダイヤルから機械式ムーブメントをハイライトすることで新規コレクターを誘う、いくつかのブランドの“オープンハート”デザインを思い起こさせる。最新のF.P.ジュルヌ レゾナンスのダイヤルのように、ルモントワール機構のための比較的不必要な開口部も同じように言える。ブランドの成長により、将来的にデザイナーを迎え入れ、より洗練された作品を発表できるようになるかもしれない。そのようなアウトサイダー的なアプローチが、ペテルマン・ベダに恩恵をもたらしたのである。
この時計には多くの魅力がある。主ゼンマイの香箱は、ティシエの工房のアーティストによってエナメル仕上げされており、最近の時計では見た覚えがない(見たことはあると思うが)。このエナメルは、顧客のカスタマイズのためのもうひとつの目玉になり得るのだと彼らは教えてくれた。ブリッジのデザインは複雑に織り込まれた模様が施されている。それが、パーツが軸から外れて吊り下げられているように錯覚させ、私の大好物な視覚的緊張感を生み出している。ムーブメントが比較的オープンなデザインであるため、独立系の時計コレクターが好むような仕上げをするための面積がムーブメント内に豊富に残されている。
プレビューでこの時計を見たコレクターは、その完成度の高さに感動したと言っていたので、この時計を実際に見ることを心から楽しみにしている。それ以上に、この時計が今後ブランドが次々と発表するイノベーションの長い行程の第一歩に過ぎないということを知ると、興奮を覚える。
ルノー・ティシエ “マンデー”。直径40.8mm、厚さ11mmの5N+ローズゴールドまたはホワイトゴールド製ケース、30m防水。サンバーストまたはグレイン仕上げのスレートグレーまたはシルバーダイヤル、セミスケルトン仕上げのゴールド製ドフィーヌ針。自動巻き“ダンサー”式マイクロロータームーブメント、Cal.RTVI2023搭載、中央に時・分表示、4時位置にスモールセコンド、パラジウム製ねじ込み式テンプ、1万8000振動/時、315点の部品と30石、約60時間パワーリザーブ。サファイアクリスタルのシースルーバック。ブラック、チョコレート、ネイビーブルーの手縫いカーフスキンまたはアリゲーターストラップ、ヘリ返しエッジと同色ステッチ、5N+ローズゴールドまたはホワイトゴールド製バックル。価格は8万9750ドル(日本円で約1400万円)
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