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本稿は2015年7月に執筆された本国版の翻訳です。
時計のオーバーホール問題...いつすべきか、そもそもするべきか、そしてその価値があるかどうか、多くの時計愛好家にとってはできるだけ先送りにしたい課題だ。その理由は予想がつくだろう。
まず第一に、費用がかさむ。時計の種類やメーカー、修理を行う職人、修理内容によっては、マンハッタンでのディナー代から、場合によってはそれなりのクルマが買えるほどの費用にまで膨らむこともある。次に時間がかかるという点だ。いい仕事と迅速な仕事は必ずしも両立しないということは理解しているつもりでも、“数週間から数カ月、場合によってはヴィンテージや複雑機構の時計に関しては1年以上かかる”と聞かされると、さすがに身構えてしまうものである。
さらに、オーバーホールにはさまざまなリスクも伴う。特に古い時計を正規のサービスに出す場合、元の状態をできる限り保ってほしいと望むと、メーカー側と意見が対立することもある。原則として時計メーカーやそのアフターサービス部門は、修復や保存を専門とする機関とは見なしていない。彼らの主な目的は、最新の技術的なアップグレードを施し、可能な限り新品に近い状態で顧客に時計を返すことにあると考えている。こうした状況のなかで、たとえば顧客が“ダイヤルや針には一切手を加えないでほしい”と要望することは、メーカー側からすれば奇異に映ることがある。“もししっかり動く時計がほしいなら、なぜ古びて夜光機能が失われたダイヤルをそのままにしておくのか? 現代のダイヤルとしてふさわしく、暗闇でしっかり光る新品のものに交換したほうがいだろう”という考え方が一般的なのだ。そのため、清掃やオイルの再充填だけでなく、単にパーツが交換されるのだ。交換の対象にはダイヤルや針、ゼンマイ、リューズ、巻き芯、パッキンなどが含まれる。さらに大手メーカーの場合、ムーブメント全体が最新バージョンに置き換えられることも珍しくない。
もちろん顧客側としては、ヴィンテージウォッチの価値を損なう可能性がある部品交換を、アフターサービス部門が強引にすすめることに憤りを感じるのも無理はない。さらに前述したコストや時間の問題が加わると、まさに“諍(いさか)いの温床”とでも言うべき状況になり、両者にとって不満や不和の原因となりやすい。それでもなお、実際のところどうなのかを確かめる価値はあるだろう。たとえそれが一例だけの話であっても。そこで今回は、私自身が時計1本をとおして経験した実例を簡単に紹介する。
今回取り上げる時計は、私にとって特別な存在であるオメガ スピードマスターだ。大学院を修了した際の自分へのご褒美として、初めて購入した“ちゃんとした時計”でもある。特に珍しいモデルというわけではなく、1985年後半に工場を出た861ムーブメントを搭載したごく標準的なプロフェッショナルモデルだが、個人的に強い愛着を持っている。この時計の前回のオーバーホールが2005年で、そのときは腕のいい独立時計メーカーに清掃と注油を依頼したが、今回はオーバーホールを受けるべき時期がとうに過ぎていた。そこで今回は、ニューヨークのフィフス・アベニューにあるオメガブティックのアフターサービスセンターに出してみることにした。
来店したときからサービスセンターのスタッフはとても丁寧に対応してくれ、これ以上ないほど親切だった(当然ながら匿名での訪問だ)。実際のところ、接客という観点だけで見れば、これまで経験したなかでも群を抜いて、ていねいで高品質なサービスを受けた。これはここで修理を依頼した友人たちから聞いていた話とも一致するものだった。不安を抱きつつも時計を預け、見積もりの連絡を待つために帰宅した。
まず、ブティックの時計技師が時計をチェックし、問題箇所のリストを作成してくれる。私のスピードマスターは10年以上使用していて、時には手荒な扱いもあったためなかなか痛々しい状態だった。傷や凹み、擦り跡、乾燥している箇所や不足しているオイル、汚れなどがリストアップされ、その数々の欠陥が並ぶと、さすがに気が滅入る内容で、“ここまでボロボロにするなんて、あなたは一体何者だ”とでも書かれていそうな勢いだった(見積もりの詳細については後述する)。さすがに反省し、サービスセンターに修理を依頼することにした。
ここで唯一の問題が発生した。私はサービスセンターにダイヤルは元のまま残してほしいと頼んだのだ(この時計を手放すつもりはなく、また収集価値に特別なこだわりがあるわけではないが、トリチウムの夜光インデックスの風合いが気に入っていたのだ)。少し気まずそうな反応を受けたものの、いくつかやり取りを重ねたあと、サービスセンターは要望を受け入れてくれた(ちなみに業界関係者によれば、トリチウムのダイヤルは放射線物質としての扱いが必要だとのことだ。対応方法は州によって若干異なるものの、ニューヨーク州ではトリチウムの低レベルのアルファ放射線に対しても、安全に取り扱うための従業員研修が義務付けられており、廃棄手順も定められているらしい)。サービスセンターは当初、この時計をビエンヌの本社に送る予定だとしており、その場合、4月中旬に預けた時計がアメリカに戻ってくるのは9月初めになるとの見積もりだったため驚かされた。ただ結局、海外送付の必要がないとなり納期は4週間に短縮された。
全工程は約8週間かかった。4月中旬にサービスに出し、戻ってきたのは6月中旬だった。長い待ち時間だったと感じたが、実際にかなりの時間がかかったと言える。最もCal.1861のような、比較的シンプルなムーブメントであってもこれくらいの期間がかかるのは珍しいことではない。
今回のサービスの総費用はかなり高額で、800ドル(当時の相場で約9万6000円)弱だった。ラグジュアリー商品にかかる費用としては驚くべき額ではないにせよ、新品のムーンウォッチが約5000ドル(当時の相場で約60万円)と考えると、そのおよそ6分の1に相当するので決して安くはない。とはいえ哲学的に考えると(そして独立時計メーカーに頼まない限り、この費用を受け入れるほか選択肢もないのだが)、こうも考えられる。仮に5年ごとにオーバーホールするとすると、年間160ドル(当時の相場で約2万円)、月に約13ドル(当時の相場で約1500円)、1日あたりにして40セント(当時の相場で48円)ちょっとに相当する。普段の生活でこの程度の金額を気にせず使っていることも少なくないのではないだろうか。またサービスがうまくいけば、実質的に新品同様の時計が手元に戻ってくる点も忘れてはならない。オメガの場合、新しいパッキンや必要に応じた摩耗部品(巻き芯やリューズ、新しいゼンマイなど)も交換され、交換された部品(外観に関わる重要な部品は特に)も一緒に返却してくれる。もちろん、独立時計メーカーに依頼することも可能だ。今も優れた職人たちが、厳しい環境のなかで素晴らしい仕事をしている。もし初めて独立時計メーカーに頼むのであれば、信頼できる人から複数の推薦を受け、よく評判を調べることが肝心だ。残念なことに腕の悪い業者もいるもので、大切な時計をぞんざいに扱ったり、料金を取るだけ取って問題を残したりすることもある(ちなみに、これはメーカー正規のアフターサービスにも当てはまる話で、絶対的な保証があるわけではない)。
それで、このサービスに価値があったか? 時計は見違えるほど美しい状態で戻ってきた。完璧にクリーニングされ、工場出荷時のように整備されただけでなく、ケースやブレスレットもていねいに仕上げられていた(1171ブレスレットがこれほどよく見えるとは思わなかった)。時計への細やかなケアと、サービスセンターのスタッフの一貫した対応を考えると、費用に見合っていたと感じる(何しろ5、6年に1度のことだ)。だがもしこれがもっと時間がかかっていたり、受け取ったあとに問題があったりすれば、不満を感じていたかもしれない。
ブランドにとっての本当の問題は、長い待ち時間と高額な費用が顧客に一定の期待を抱かせ、それに対しささいな問題でも過剰な失望を招きかねないことだ。これが長期的な課題となっている。ラグジュアリーウォッチの顧客が、費用や遅延に理解を示せず、不満を募らせて“時計なんてもういいや”と思わないように、顧客の期待をうまく管理する必要があるのである。
一方で、サービス体験が素晴らしくていねいに扱われた時計が戻ってきて、顧客自身も大切に扱われたと感じられれば、アフターサービスはブランドにとって最高のPRになり得る。