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Photos by Elizabeth Renstrom
エルメスは今年、まるで数週間前に受賞したGPHGを満載した馬車を引く暴れ馬のように鼻息が荒い。何せ当メゾンはアルソー ル タン ヴォヤジャーでメンズとレディスのコンプリケーション部門を総なめしたのだ。しかし多くの時計愛好家にとっては、エルメスのカタログに掲載されている多くの複雑時計が、公式サイトにすら掲載されていないことは驚きかもしれない。
エルメス アルソー リフト トゥールビヨン・ミニッツリピーター ソー ブラックは、その典型的なモデルである。GPHG賞にこそノミネートされていないが(“ロングネーム”部門があれば確実に候補になるだろう)、驚異的技術を持つ時計であることに変わりはない。この場合、単にトゥールビヨンとミニッツリピーターを搭載した時計を作ったというだけでなく、デザイナーがブランドの伝統に敬意を払い、エルメスが時計業界のビッグネームに対抗できるという自信を示したことが重要なのだ。
バーキンバッグ派と一般的な時計界隈があまりクロスオーバーしないと仮定すると、アルソー リフト トゥールビヨン・リピーター(以下簡潔にするためにこう呼ぶことにする)を見て、部分的にスケルトン加工されたダイヤルを通して馬が自分を見つめていることに気づかない人がかなりいるのではないだろうか。私は当初、ダイヤルに透かし彫りされた馬の姿も見えなかったし、そもそもアルソーの時計がなぜ特異なラグデザインをしているのか、疑問に思ってもいなかった。
今にして思えば、なんと愚かなことだろう。しかし、それぞれのモチーフにはちゃんとした理由があり、その理由が私をエルメスのクリエイティブなデザイン、そして時計製造のデザインの渦中に引きずり込んでくれたのである。ケースのなかにはトゥールビヨンとミニッツリピーターだけでなく、エルメスの真髄を教えてくれる叡智が詰まっている。折りしもエルメス・オルロジェのCEOであるローラン・ドルデ(Laurent Dordet)氏が、マディソンアベニューにあるエルメスの旗艦ブティックのグランドリニューアルオープンのためにニューヨークを訪れていた。前夜は遅くまでセレブリティや屋台、ミュージカルで賑わったにもかかわらず、ドルデ氏はランチで私に会い、時計とブランドについて(馬の歯を見れば年齢が正確にわかるという、ことわざどおり)、当人から直接聞くことができた。
「馬は常にエルメスのDNAと歴史の一部なのです」と、エルメス・オルロジェのクリエイティブディレクター、フィリップ・デロタル(Philippe Delhotal)氏は言う。「エルメスの歴史は1837年、馬具職人であり馬具工であったティエリー・エルメス(Thierry Hermès)が、パリのグラン・ブルヴァール地区のバス・デュ・ルンパール通り56番地に工房を開いたことから始まりました」
「当時の馬具は堅牢だがエレガントではないことが問題でした」と、エルメス・オルロジェのCEOローラン・ドルデ氏は語る。「ティエリー・エルメスはこれを馬の強さを損なうものというだけでなく、美しさを損なうものであると考えたのです。エルメスは当初から機能的でエレガントなものを作りたいと考えていました。しかし同時に、彼の最初の顧客は馬だったのです」
おわかりのとおり、それは長い年月で変容していった。アルソー リフト トゥールビヨン リピーターをアメリカンクォーター種の前脚に巻くことはおすすめしないが、形と機能への献身は昔と変わらない。バッグやアクセサリーの製造に移行しても、馬のモチーフは、特にスカーフなどのアイテムに多く取り入れられている。家族経営が基盤の同社は、パテック フィリップや、ユニバーサル、そしてもちろん当時のルクルトに憧れ、1920年代から時計製造に興味を持っていたとドルデ氏は言う。その結果、これらすべてのブランド、特にジャガー・ルクルトとのコラボレーションが実現し、ほかの時計とのコラボレーションの実績もまれに見られるようになった。
ブランドにとって最大の転機となったのは、1978年、当時のCEOであったジャン・ルイ・デュマ(Jean-Louis Dumas)が、エルメスの時計製造部門“ラ・モントル・エルメス”を設立し、エルメスを世界的な脚光を浴びせることになったことである。スイスのビエンヌに設立されたエルメス社(現在はエルメス・オルロジェとしても知られている)は、最高の部品供給と細部へのこだわりを持ったシンプルな時計を作ること、そしてそれを従来の時計デザイナー以外の人とともに作り上げるという、シンプルな目標を掲げていた。
「デュマは、“この市場に来て、ほかの人たちが何世代にもわたってやってきたことを持ち込んでも意味がない”と言いました」とドルデ氏は振り返る。「彼は“スタイルやファンタジー、ユーモアなど、できる限りほかとは違うものを作ってみてくれ。気に入るかもしれないし、気に入らないかもしれない。でも、少なくとも新しいことに挑戦したことになるのだから”と言いました」。
ちょうどその頃、1978年にエルメスの有名なアーティスティックディレクター、アンリ・ドリーニ(Henri d'Origny)氏がラ・モントル・エルメスの一部としてアルソーをデザインした。このモデルもまた、エルメスの乗馬の伝統を受け継ぎ、左右非対称のあぶみ型のラグと傾斜した数字が、疾走する馬を連想させるものであった。
「馬具の形やディテール(バックル、ビッツ、あぶみなど)に乗馬の魂が感じられるのは、アルソーも同じです」とデロタル氏は語る。
この創造的な視点は、ケープコッドなど、2000年まで主に女性向けのクォーツウォッチとして大成功を収めたほかの象徴的なケース形状にも生かされている。この年、エルメスはスイスにマニュファクチュールを設立し、時計製造の知識と生産を1社に集約することを決定し、ブランドにとってもうひとつの転機となった。2006年にはヴォーシェ・マニュファクチュール・フルリエの株式を購入し、すぐに複雑機構の時計製造に着手した。
2011年に発表されたエルメス タンシュスポンデュは、アルソーのケースを流用し、情緒と技術の粋を集めた傑作となった。この時計は、私の記憶のなかで最も魅力的なコンプリケーションのひとつで、ケース上のボタンを押して“時間を止める”、少なくとも時計上での時間の経過を止め、その瞬間に立ち会い、ボタンを押すと時計は元の機能に戻り、ダイヤルの下で密かに時を刻むことができるのである。
エルメスが、アジェノー社のジャン=マルク・ヴィダレッシュ(Jean-Marc Wiederrecht)氏とのコラボレーションによるタンシュスポンデュや、クロノード社のジャン-フランソワ・モジョン(Jean-François Mojon)氏とのコラボレーションによる“アルソー ルゥール ドゥ ラ リュンヌ”など、意欲作を特に誇りに思っていることは明らかだ。エルメスは、アンドリュー・カーネギーの知恵を借りて、小規模なブランドでは実現が難しいような極めて複雑な時計を作ることができる人材を囲い込んでいる節がある。しかし、より“伝統的”な複雑機構であるにもかかわらず、アルソー リフト トゥールビヨン・リピーターは、エルメス、特にデロタル氏が長年にわたって技術的制約とデザイン的制約のバランスを取りながら洗練させてきた反復的なアプローチを踏襲しているのである。
「クリエーションが中心にあるのです」とドルデ氏は言う。「あるときはデザインから、あるときは技術的な革新から生まれるのです。フィリップ(・デロタル)は常に業界の人々と出会い、ムーブメント機構を開発していますが、それができても何をしたらいいのかわからないことがよくあります。しかし今回は、実験的な試みで知られるようになった我々のコレクションに組み込むために、フィリップはよりクラシックな複雑機構を見つけることを望んでいました」
「こういったケースでは、デザインやスタイルという点で、私たちが求めるものは明確でした」とデロタル氏は言う。「ハイコンプリケーションであるがゆえに多くの要求水準をクリアしなければならなかったため、ムーブメントのフレームワークを出発点として、エルメスならではの工夫やデザイン要素をひとつひとつ取り込んでいきました」
エルメスは、マニュファクチュール・ド・オート・コンプリケーションのピエール・ファーブル(Pierre Favre)氏と共同で、フライングトゥールビヨン、ミニッツリピーター、90時間のパワーリザーブを備えたエルメス H1924 手巻きムーブメントを制作した。このムーブメントは当初、ユニークなポケットウォッチとふたつのアルソーウォッチのケースに収められていた。ポケットウォッチのケースフロントにはレザーモザイク、レザーマルケットリー、グランフーエナメルでデザインされた恐竜が、腕時計はWGとRGで作られていた。この時計の発表から1年も経たないうちに、ファーブル氏がCOVIDの合併症で昨年亡くなったことを、ドルデ氏は私に教えてくれた(私はこのニュースを初めて聞いた)。
このような複雑なムーブメントは、しばしば“ヒネり”を加える余地を与えないが、エルメスはどうやってかムーブメントに手を加えている。その結果、ダイヤルの正面から見ると、馬のたてがみのアーチに沿った配置になっている。ネジはムーブメントを固定するだけでなく、その過程で馬の鼻孔と目を連想させる。また、前述したように、時刻を見るだけでは気づかないほど、さりげなく作用しているのもポイントだ。
「そのために苦労したのは、一貫性を保つこと、原点に忠実であること、そして陳腐にならないことです」と、デロタル氏は教えてくれた。「ダイヤルに描かれた馬の頭は、メゾンが大切にしているサマルカンド(馬の彫刻)のモチーフから着想を得て、馬の頭をスタイリッシュに、シャープに、そして洗練されたデザインに仕上げました。そうすることで、このモチーフがダイヤルやその視認性を阻害することなく、全体のなかにうまく溶け込むのです」
そして、トゥールビヨンの絡み合うダブルHのモチーフは、この時計に“リフト”の名を与えている。なぜか? エルメスのフォーブルブティックにある“リフト(エレベーター)”にも、同じモチーフが描かれているからだ。エルメスの伝統を知らない人なら、このディテールを見逃すかもしれない。しかしスイスに本拠地を置き、パリに拠点を持たないにもかかわらず、エルメス・オルロジェの核となるのはエルメスであることを証明している。
ムーブメントの裏側には、さらに馬の解剖学的なタッチが施されている。オリジナルのポケットウォッチは恐竜をあしらった受けの形状が見られたが、本作はルテニウム処理されたサテン仕上げの受けに、小さな馬の群れのシルエットを見出すことができる。地板にはサーキュラーグレイン仕上げと、ブラックPVDコーティングが施されている。
最後にケースについて。ブラックエナメルとDLCコーティングされたブラックチタンのケースから、“So Black(とても黒い)”という名称は当然だと思われるかもしれない。しかし単なる美的基準ではなく、実用的な要素もあるのだとデロタル氏は教えてくれた。DLCコーティングはともかく、ミニッツリピーターはチタンのような軽い金属を通すと音がよく響くのだ。幅43mm、厚さ15.35mmというサイズは、同じ機能を搭載したパテック フィリップ Ref.5178Gよりも幅は3mm、厚さは5mm近く大きく、重量バランスにも優れている。しかしあえて言うなら、パテックの美学は本作ほど創造的ではない。
ドルデ氏とのランチを終え、私たちはこの時計とエルメスの展望について語り合った。エルメスの時計は需要が伸びている、と彼は言った。ウェイティングリストはエルメスと無縁ではない。例えば、エルメスのバッグは有名ブランドの時計の需要に匹敵するほどのウェイティングリストの長い列を抱えている。しかしエルメス・オルロジェはまだそのような問題に直面しておらず、時計コミュニティからの関心の高まりに応えるために、積極的に生産の増強に取り組んでいるとドルデ氏は教えてくれた。しかしそれ以上に、ほかのブランドはムーブメントが “自社製”であるかどうかを不透明にしているのに、なぜエルメスはこれほどまでに自信たっぷりに共同開発パートナーについて語るのかが気になった。
「数日前、同じことをある人に聞かれました」とドルデ氏は言う。「顧客にとって“自社製ムーブメントは重要なのですか?”と。私の答えは、もちろんそれは財産にはなりますが、それが鍵となるわけではありません、というものです。顧客は真実を求めているのです。本物であること、高い品質が担保されること、創造性であること。そして、エルメスのDNAを受け継いだものを求めているのです」
アルソー リフト トゥールビヨン・ミニッツリピーター ソー ブラックは、純粋なエルメス以外の何ものでもないと言えるだろう。
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