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近代のクロノメーターウォッチと 、その成り立ちについて

そもそもこれは一体何なのか、どのようにして生まれたのか、なぜ精密機械における究極の挑戦のひとつだと言われるのか。

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本稿は2020年7月に執筆された本国版の翻訳です。

今日の時計愛好家たちをカジュアルに(あるいは真摯に)観察している人であれば、「なかの機構がまったく評価されていない」と言うことだろう。時計に関する議論の大部分は、見た目の美しさに焦点が置かれている。私は決して否定的な意味で言っているのではなく、実際のところ、時計を購入する際やその後の楽しみのほとんどは、時計としての性能とは関係のない部分が重視されるものなのだ。ダイヤルの色、ケースとブレスレットのデザイン、ケースの仕上げや文字盤装飾のクオリティ、手作業の度合い、そしてムーブメントの仕上げでさえも、その時計がどのように見えるかに大きく貢献はするものの、どのように時を告げるかにはほとんど関与しない(ただし、ムーブメントの仕上げだけは動作面に施されるため、パフォーマンスに大きく影響する)。

ロレックス オイスター パーペチュアル、ケース径36mm、±2秒/日。

 私たちは長いあいだ、時計が正確であることを当然のこととして受け入れてきたし、1日数秒以内の誤差、あるいはそれ以上の精度で時を刻む機械式時計を持っていても誰も驚かない。しかし、そこに至るまでには長く複雑な道のりがあり、それは時計を語るにあたって避けて通れないものでもある。


ところで、今何時だい?

 この話の中核をなすのは、精度という概念だ。これは、時計が正確な時間基準とどれだけ一致しているかという度合いである。前にHODINKEEの読者から非常に興味深い質問があり、HODINKEE Radioの第95回で少し取り上げた。それは、精度の基準となるのが既存の時計である場合、あるクロックや腕時計、あるいは機構の特定部分が精度を向上させるものであるかどうかを、時計職人たちは歴史的にどうやって判断していたのか、ということである。腕時計の場合、それに対する答えは、時間の基準としていたのはたいていクロックだったということだ。クロックは、腕時計が精度を高めてきたよりもずっと昔から正確に時を刻んできた。これは、18世紀初頭にはすでに驚異的な精度を叶えていた振り子という発明のおかげである。1676年に完成し、ロンドン郊外のグリニッジ・パークにある王立天文台に設置されたトンピオン(Tompion)作のクロックは、当時の王立天文学者であったジョン・フラムスティード(John Flamsteed)が地球の自転速度が一定であることを決定するために使用したほど正確であった。

王立天文台のために製作され、現在は大英博物館に所蔵されているトンピオン作の精密な調速機。この時計には13フィート(約4m)の振り子(周期2秒)があり、左右ではなく前後に振れるようになっている。

 そのようなクロックは、高精度を夢見ることしかできなかった時計職人にとって目指すべき目標であっただろう。振り子時計がこれほど正確なのにはいくつかの理由があるが、とりわけ重要なのは、振り子が通常は静止しており、外気からある程度保護されていることである。さらに、振り子やテンプといった時計における振動子の精度は、復元力(振動子を中立位置に戻そうとする力)と動力の釣り合いが取れているかどうかに大きく依存する。振り子の場合、重力は振り子を押し出したのとほぼ同じ力で元の中間位置まで引き戻すので、これは容易に実現できる(運動場のブランコで子どもの背中を押して、振り子を胸に受けたことのある人ならわかるだろう)。

 一方、クロックは天文現象を時刻の基準にすることができた。特に時刻の目安として利用されたのは、天空の定点を横切る星の運行であった。こうした通過の周期は極めて規則的で予測可能性が高く、20世紀に入ってまず水晶振動子が、次いで原子時計が登場して全宇宙の年齢を通して時計が1秒以上の精度を持つようになるまでのあいだ、クロックが最終的に基準とされる時間の尺度となっていた。


クロック vs 腕時計

 したがって、クロックは日常生活で求められるそれをはるかに上回る精度を実現することができる。そして、2世紀半以上前にはすでにそれを成し遂げていた。では、腕時計はなぜこれほどに遅れをとったのだろうか?

 答えは簡単だ。腕時計は何よりもまず持ち運びができるために(そうでなければ腕時計とは言えない)、物理的な衝撃や温度変化、時として起こりうる磁場への暴露など、非常に多くの試練にさらされる。顧客が時計を扱う際にそれほど慎重にはなれないことをメーカーは早くから理解していたため、外的要因に耐えられるよう、さらなる改良を重ねる必要があったのである。もうひとつの問題は、腕時計には振り子がないことだ(腕時計に振り子があるなんてそんな馬鹿げたアイデアはないと思うだろうし、実際その通りなのだが、それでもやろうとする人はいる。振り子は長きにわたって精度と強く結びついていたため、安価な懐中時計を製造するメーカーのなかには、ダイヤルの開口部から見えるようにダミーの振り子を入れるところもあった。しかし、これではかえって不安になると私は思うが……)。

1680年ごろの振り子時計、製作者:Marcus Halläycher、ドイツ アウクスブルク。

 その代用品として、時計は円形のテンプを使用する。現代の時計愛好家は、テンプがどれほど古くから存在していたかを知ったら驚くかもしれない。テンプは実は振り子よりも以前からあったものなのだ。テンプ、そしてフォリオットと呼ばれる類似の機構は、基本的には軸に取り付けた棒状のものを水平面内で回転させるもので、おそらく13世紀末に開発されたと思われる最古の機械式クロックにまで遡る(当時の記録管理は非常に困難で、戦争や疫病、識字率の低下などによってしばしば中断された。そのうえ、ヨーロッパで知られている最古のクロックのムーブメントは鉄製で、何世紀ものあいだにそのほとんどが錆びてしまった)。しかしながら、初期のテンプには固有調和周波数が備わっていなかった。その代わりに使用されたバージと呼ばれる初期の脱進機は、その速度を一定に保つための適切な制御力を持たず、退屈な子供がゴムボールを手の平で往復させるようにテンプやフォリオットを前後にノックするだけであった。結果として1日平均1時間の誤差に収まればいいほうだったが、13時間か14時間の連続駆動時間を確保できただけでも幸運なのだから、そんなことは些細な問題だったのだ。

1525年ごろにプラハで製造された、バージ脱進機とフュゼを備えた鉄枠のムーブメント。大英博物館所蔵。

 1600年代半ば、ようやくテンプにヒゲゼンマイが搭載されるようになるまで、時計製造は数世紀にわたってこの調子で進んできた。これが非常に重要だった理由は、まるで振り子における重力のように、ヒゲゼンマイが動力に見合う復元力を(ついに)発揮し、1日の平均誤差が1時間から数分にまで一気に向上したからである。これにより突如として、より小型のクロック、さらには(私たちの意図するところでは重要なことだが)腕時計が可能性のある計時装置として本格的に考えられるようになったのである。動力と釣り合いの取れた復元力はクロックにとって非常に重要なものだが、腕時計においてはなおさらだ。これによってゼンマイの動力に左右されることなく、テンプは安定した振動数を保つことができるようになったのである(しかし後述するように、“ハツカネズミや人間が練りに練った計画さえしばしばしくじることがある”という古いことわざは真理である)。

 これには等時性と呼ばれる性質を利用している。ただし、ヒゲゼンマイを組み込めば等時性が得られるというわけではなく、ゼンマイの巻き数、使用する材料、内側と外側の取り付け位置などそのすべてを実証しつつ、長い時間をかけて慎重に取り組む必要があった(これは今日まで続いている)。しかし理論的には、時計製造における唯一最大の問題は解決されていた(それもかなり昔のことで、1657年ごろ、オランダの科学者クリスティアーン・ホイヘンスとイギリスの研究者ロバート・フックの研究によるものであった)。

 しかし、複雑な問題ではよくあることだが、ひとつの頭を切り落とすと代わりに3つの頭が生えてくる。ヒゲゼンマイの発明によって、新たな、そして極めて難解な問題が次々と発生した。


高精度の追及

 時計製造の歴史において、絶えず繰り返されてきたテーマがある。計時の精度が上がれば上がるほど、以前は無視できたことを考慮しなければならなくなるということだ。例えば、ヒゲゼンマイ。1日あたりの誤差が分単位になって精度が向上し始めると、突然それまで気づかなかったことに気がつくようになる。一例では温度による影響が出始め、テンプの熱膨張や温度変化に伴うヒゲゼンマイの弾力性の変化によって時計の歩度が予測できなくなることをどう解決するか考えなくてはならなくなった。温度補正に関する取り組みの初期には実にさまざまなアプローチが見られたが、 最終的には1800年代初頭までに、例えば真鍮と鋼鉄のように異なる比率で膨張・収縮する2種類の金属を重ね合わせたテンプを使用するのが標準的なアプローチとなった。テンプは円形のままだったが、縁にカットが入っていたため、温度変化に応じて直径が伸び縮みし、温度によるテンプとゼンマイへの影響を相殺することができた。完璧とは言えないが、何もしないよりはずっといい。

 19世紀を通じて、時計製造には次第に基軸となるふたつの方向性が生まれていった。一方は、変化を続けるスタイルを視野に入れてデザインされた時計で、できるだけエレガントに薄く作ることを主要な目的としていた。この流れは19世紀末から20世紀初頭にかけて最高潮に達し、いわゆる“ナイフ”と呼ばれる現在では再現が困難なほど薄いムーブメントを搭載した懐中時計が作られた。超薄型の時計製造は極めて要求水準が高く、真の超薄型ムーブメントを製造できた時計メーカーはごくわずかであったが、そのような時計は原則として精度や正確さを追求するものではなかった。

1930年にジャガー・ルクルトが製造した懐中時計、“ナイフ”。この時計には、厚さわずか1.35mmのJLCキャリバー145が搭載されている(1960年代半ばまで製造されていた)。

 しかしながら、時計製造のもうひとつの方向性とは精度を最優先するものであった。このような時計のムーブメントは厚く、剛性が高い傾向にあった。より安定した歩度を保証するために大型で高質量のテンプも備えており、温度補正のために必ず縁がカットされたバイメタルテンプが組み込まれ、重力の影響による歩度の変動を最小限に抑えるべく少なくとも5~6姿勢での調整が行われていた。なお、調整装置(ヒゲゼンマイの有効長を変えることで、時計の歩度を変更することができる)がないほうがヒゲゼンマイがより自然に“呼吸”すると考えられていたため、多くの場合はフリースプラングを採用し、ブレゲ式オーバーコイルによってポジションによる歩度のばらつきを抑えていた。また、マルタ十字型の巻き止め機構が組み込まれることも多く、ゼンマイから出力される動力を、トルクが最も均等に伝達される区間のみに制限することができた(イギリスの時計製造の場合は、フュゼとチェーンによる)。

極めて希少で、驚くほど高額。1930年代にヴァシュロン・コンスタンタンが製造した天文台トゥールビヨン。

 精度にこだわる人なら、レバー脱進機ではなくクロノメーターのデテント機構を備えた時計を望むかもしれない、しかし、レバー脱進機もまた極めて高い精度を実現しており、衝撃に対する耐性もはるかに優れていた。19世紀末の時点では、これが高級クロノメーター懐中時計の典型的な形式であった。一般的には時刻表示のみで、温度補正機能が付いた大型のフリースプラング式テンプ、巻き上げヒゲゼンマイ、マルタ十字型の巻き止め機構(もしくはフュゼとチェーン)を搭載し、高品質なレバー脱進機かクロノメーターデテント脱進機かは、好みとオーナーとなる可能性のある人の神経質さによって決まっていた。

ジラール・ペルゴによるポケットクロノメーターのムーブメント。1892年ごろの製造で、フリースプラング、調整可能なマステンプ、オーバーコイル、デテント脱進機、バイメタルの温度補正テンプを備える。詳細はこちら

 このような時計は職人の手作業でひとつずつ丁寧に作られており、等時性や姿勢差のばらつきを可能な限り抑える調整が施され 、温度変化も計算されていたはずである(ムーブメントにはたいてい、“Adjusted to heat, cold, isochronism, and 6 positions=高温、低温、等時性、6姿勢で調整”といった意味合いのエングレービングが施されている)。しかし、大量生産を目的とした時計製造がこれらクロノメトリー重視のスーパーウォッチを猛追し、アメリカの時計産業がその先頭に立っていたこともまた事実である。アメリカの時計メーカーは特別に高度な技術を要する時計を作っていたわけではなかったが、頑丈で正確、かつ信頼性が高く、何よりも(比較的)安価であった。スイスにとって、アメリカの時計メーカーは大きな懸念材料となっていた。生産数の面ではスイスを凌駕し、精度の面では少なくとも同等の性能を持ち、さらに重要なポイントとしてコスト面ではスイスを大きく下回る恐れがあったためにほかならない。そして20世紀初頭、大量生産による本格的な高精度化の舞台がいよいよ整ったのだ。


20世紀: 素材の重要性

 時計製造の歴史の大部分において、基本的な工具や素材はほとんど変化していない。プレートとブリッジには、金メッキかロジウムメッキの真鍮(場合によっては、真鍮の一種であると言っても過言ではない洋銀を使用。真鍮は銅と亜鉛の合金だが、洋銀は銅とニッケルの合金で、亜鉛が使われることもある)、そしてもちろんスティール……、そのほかはほとんど使われていない。金は時折、稼働部に使われることもあった。ルビー(最初は天然、のちに合成)は非常に摩擦係数の低い軸受けとして採用され、潤滑剤はもともと動植物性のグリースだったが、次第に長持ちする合成樹脂に取って代わられた。搾取に抗い続ける地球の地下から絞り出された、どちらかといえば扱いにくい素材を使って、いかなる錬金術が行われたかを考えるのはとても興味深いことだ。何世紀にもわたって蓄積された知識(優れたゼンマイを作るだけでも、父から子へと受け継がれる高度な技術だった時代もある)があったからこそ、時計メーカーはマリンクロノメーターのような持ち運びできる計時装置を作ることができたのである。これらには、駅に時間どおりに到着できるかどうかから、強大な国の艦隊の運命に至るまで、あらゆることが委ねられていた。

ジェイソン・ヒートンがレポートした、トーマス・マーサー(Thomas Mercer)がエンデュアランス号による2016年の南極探検のために製作された、箱型でジンバルを備えた近代的なマリンクロノメーター。

 20世紀の前半が過ぎると、時計製造に静かな革命が起こった。膨張係数が非常に小さい、つまり真鍮や鋼のような従来の素材に比べて温度変化による物理的特性の変化が劇的に小さいニッケル鋼合金が発明されたのである。これらの合金の温度係数がほぼゼロであるという事実は、その後の時計製造を一変させた。インバー(名前の由来は“invariable=不変の”)とエリンバー(“invariable elasticity=不変の弾性”)は、スイスの物理学者シャルル・エドゥアール・ギヨーム(Charles Édouard Guillaume)がその特性について徹底的に研究を重ねた合金で、1920年にノーベル賞を受賞した。

 インバーは振り子ロッドのスタンダードとなった (テリー・プラチェットの小説『時間泥棒 原題:The Thief Of Time』には、時計ファンには嬉しいイースターエッグが登場する。史上最も正確な時計を依頼しようとする女性が、「インバーが必要ですか? インバーならいくらでも用意できますよ」と言うのだ)。そしてエリンバー製ヒゲゼンマイ、ベリリウム銅合金製のソリッドテンプが次第に標準となっていった。自動巻き機構に加え、パワーリザーブのほとんどにわたって極めて均一なトルク曲線を描く新しいゼンマイ合金は、切り込みが入ったテンプ、純鉄製ひげゼンマイ、精巧な巻き止め機構やフュゼ、そしてそれらをいかにして高精度で美しいシンフォニーとして調和させるかについて、何世紀にもわたって蓄積されてきた知識のすべてがこの時代に一掃されてしまったのである。昨今、失われてしまった時計製造における装飾芸術が注目されている。しかし、ハイテク合金の出現によって、その技術的技能と知識のすべてが人知れず過去のものとなってしまった。

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素材の革新: 町に新しい保安官がやってきた

 このような素材科学の発展は、高精度時計が再び大きく変貌を遂げることを意味した。精密なクロノメーター級の腕時計は、次のような条件を満たしている。今なおフリースプラング式の調整可能なマスバランステンプ、巻き上げヒゲゼンマイを採用しているが、テンプはグリュシデュールのようなベリリウム銅合金製で、ゼンマイはニヴァロックスのようなニッケル鋼合金製だ。時計は自動巻きであり、非常に複雑な組成(コバルト45%、ニッケル21%、クロム18%、鉄5%、タングステン4%、モリブデン4%、チタン1%、ベリリウム0.2%で、0.1%未満のカーボン……なぜ入っているかは神のみぞ知るが、カーボンの旧神を鎮めるためかもしれない)を持つニヴァフレックスのような素材で作られたスリッピングアタッチメント式の主ゼンマイが採用されている。

完璧なまでに現代的な構成: セイコーのスプロン510製主ゼンマイ、香箱、テンプ、ヒゲゼンマイ、レバー、そしてマジックレバー巻上げシステムの構成部品。

 潤滑油には最新の合成樹脂を使用し、最新の多軸コンピューター制御による工作機械の登場のおかげで、当該の時計はまるでクローン・トルーパーのように何十万という数の兄弟機とまったく同じになる。これは素晴らしいことであり、時計製造における悲願でもある。大量生産における個の不一致は、根こそぎ退治されるべきグレムリンのようなものなのだから。

 脱進機についてひと言。いくつかの例外を除いて、レバー脱進機が長いあいだねぐらの支配者であったことは間違いない。これにはいくつかの理由がある。まず最も重要なのは、シンプルに“動作する”ということだ。この脱進機は極めて優れた性能を備えている。衝撃に対して高い耐性を持ち、1755年にトーマス・マッジ(Thomas Mudge)が最初のレバー式脱進機を製造して以来、その特性は広範囲にわたって研究・改良されてきた。さらに、この脱進機は非常に安定して時を刻むことが可能で、最も優れた例(例えば、独自の構造を持つクロナジー脱進機を持つロレックスのようなメーカーのもの)では、1日の最大誤差がわずか数秒以内という極めて高い精度を誇っている。現在までのところ、本当の意味で工業的に大量生産されている脱進機はコーアクシャル脱進機くらいしかない。また、オメガの時計は、シリコン製ヒゲゼンマイ、ガンギ車、アンクルなど、素材科学のさらなる革新と相まって、磁気と潤滑油の劣化は10年以内のタイムスパンではまったく問題にならなくなっている。

ジュネーブにあるウルベルクのオフィスに保管されていた、高精度なリーフラーType Eクロック。1955年に製造され、4年に1秒の誤差しか生じない。

 精度の高い計時に興味を持つようになって最初に習うことのひとつに、精度と正確さとの区別がある。精度とは多かれ少なかれ振動数の安定と同義であり、振動数を一定に保つというオシレーターの特性が想像以上に難解なものだということはもうおわかりだろう。振り子時計は、隔離された環境で使用される方向へと進んでいる。最も正確な振り子時計でも、月が頭上を通過する潮汐力のようなものによってその振り子周期が乱されることがあり、振動を遮断して温度を管理された地下金庫のような場所に保管されるのだ。一方で腕時計は、突拍子もない運命の矢から身を守り、マストに括り付けられたオデュッセウスのように、物理的な障害や磁気的な混乱の脅威のなかを無傷でやりすごせるような素材やデザインを開発している。このふたつの領域には明らかに重なる部分があり、時計職人がインバー製の振り子ロッドを気に入らないということはないし、それぞれが魅力的でユニークな特徴を持っている。

アメリカの国立標準技術研究所物理学実験室内の時間周波数部門にあるNIST-F2原子時計。

 精度が重要なのは、それなくして真の意味での長期間にわたる正確さが得られないからである。正確でなくても、高い精度を謳うことはできる。1日に10秒ずつ進むクロノメーターは、それ以上でもそれ以下でもなく、その速度が変化しないという点で極めて正確であり、引き算によって正確な時間を簡単に導き出すことができる。精度の低い時計はその速度が日々変化するため、たまたま運がよければ何日かは正確な時計に見えるかもしれない。しかし、遅かれ早かれ高精度時計学や精度的な何かしらにとっては何の役にも立たない運が尽きて、走り去る列車の後ろ姿や閉ざされた出発ゲートを眺めるしかなくなるのだ。

オメガ シーマスター ダイバー 300M。

ムーブメントはコーアクシャル脱進機を搭載したCal.8800で、フリースプラング式の調整可能なマステンプ、オーバーコイルと同様の効果を発揮する平準なシリコン製ヒゲゼンマイ、クロノメーターおよびMETAS認定、1万5000ガウス以上の耐磁性を備える。

 機械式時計が何百万個という単位で生産され、なおかつクロノメーター規格の範囲内、あるいはそれよりもはるかに優れた精度で時を刻むことが可能であるということは、たったひとつの高精度時計のために何カ月も何年も孤軍奮闘していたかつての巨匠たちを驚嘆させたことだろうと思う。しかし、それがどのようにして実現されたのかを理解できないことはないはずだ。ブレゲ(Breguet)のような人物にロレックスのようなメーカーによる現代的な時計を見せたら、どのような反応を示すだろうかと思いを巡らせるのはとても楽しいことだ。ブレゲはきっとこの時計にまつわるさまざまなことに心を打たれただろうし、疑問も尽きなかったに違いないが、その一方で基本的な技術の観点からブレゲを惑わすようなものはおそらく何もなかったであろう。彼が亡くなったころには、ロレックスやその他の現代的な時計を動かすあらゆる要素はすでに確立されていた。現在、私たちが素晴らしい時計の精度を堪能し、当たり前のように享受しているのは、3世紀前から続く洗練された技術に対する静かで絶え間ない探求の賜物なのである。高級時計メーカーはしばしば、自社の時計が過去への架け橋であることを強調する。しかし、その主張は確固たる現実に根ざしたものなのだ。今日、何百万台もの機械やコンピュータによって成し遂げていることも、かつての巨匠たちひとりひとりの知恵と技術、無限の忍耐力、そして探究心がなかったら存在しなかっただろう。